2010年08月17日

★Charice / シャリース

★Charice / シャリース

 天から授かった、奇跡の歌声。
 アジア発・全米経由、そして世界へ・・・。
 今、最も注目を集めるティーンエイジャー遂に日本デビュー。

 1 Pyramid
  ピラミッド(feat.アイヤズ)

 2 Reset
  リセット

 3 In This Song
  イン・ディス・ソング

 4 Nobody's Singin'To Me
  ノーバディーズ・シンギング・トゥ・ミー

 5 Thank You
  サンキュー

 6 I Love You
  アイ・ラヴ・ユー

 7 In Love So Deep
  イン・ラヴ・ソー・ディープ

 8 All That I Need To Survive
  オール・ザット・アイ・ニード・トゥ・サヴァイヴ

 9 Nothing
  ナッシング

 10 The Truth Is
   ザ・トゥルース・イズ

 11 Did It For You
   ディド・イット・フォー・ユー

 12 Note To God
   ノート・トゥ・ゴッド

 13 Did It For You(with Drew Ryan Scott)(international bonus track)
   ディド・イット・フォー・ユー(ウィズ・ドリュー・ライアン・スコット)

 14 Pyramid(Dave Aude Remix Edit)
   ピラミッド(デイヴ・オーディ・リミックス・エディット) (* BONUS TRACK)

 15 I Love You(Dave Aude Remix Edit)
   アイ・ラブ・ユー(デイヴ・オーディ・リミックス・エディット) (* BONUS TRACK)

 16 Cresent Moon
   三日月〜クレッセント・ムーン〜 (* BONUS TRACK)



★本名:シャリース・ペンペンコ

 1992年5月10日生まれ おうし座 現在18歳 アジア出身

 YouTube で「この歌唱力はスゴイ!」と爆発的な話題になり、約1,500万視聴を記録。

 アメリカで最も影響力があると言われているTV トークショー「オプラ・ウィンフリー・ショー*」に出演、オプラを涙ぐませるほどの圧倒的な歌唱力、パフォーマンスを披露。

 そのパフォーマンスを観た、これまでに数々のヒットの仕掛け人である大物プロデューサーのデイヴィッド・フォスターはあまりの才能の素晴らしさに驚愕し、ワーナーミュージックとの契約の橋渡しを行う。

 その後2009年には「オプラ・ウィンフリー・ショー」に3度目の出演をしデヴィッド・フォスター作曲プロデュースの「NOTE TO GOD」を熱唱。

 すぐさまUS iTunes 総合シングル・チャートで5位に急上昇し全米大ブレイクを成し遂げた!

 US盤が発売日には4度目の「オプラ・ウィンフィリショー」にデヴィド・フォスターとIyaz(アイヤズ) と出演!

 その後、アルバムチャート初登場8位を記録。このTOP10入りはアジア人初の快挙となった。

  * ニューヨークではWABC-TVでロサンゼルスではKABCなどで放送、その他140ヶ国で放送されておりアメリカでは4600万人の週間視聴者数を誇る。

   1986 年から始まり2008 年アメリカ合衆国大統領選挙では早い段階でバラク・オバマ候補の支持を表明しその後のオバマ旋風のきっかけとなった人気トーク番組。



★1992年5月10日生まれ、フィリピン出身の女性シンガー・シャリース。

 家族を支えるため、7歳からその類稀な歌声を活かし、アマチュア・コンテストに出場。

 その後、韓国の番組『Star King』にゲスト出演した際に、ゴスペル/R&B系の音域の広い歌を楽々と歌い上げる驚異の歌唱力を持つ少女として、<YouTube>で話題となり、約1,500万視聴を記録。

 その後、アメリカの人気トーク番組『オプラ・ウィンフリー・ショー』に出演。

 その圧倒的な歌唱力とパフォーマンスを観たプロデューサーのデイヴィッド・フォスターは、あまりの才能の素晴らしさに驚愕し、<ワーナーミュージック>との契約の橋渡しを行った。

 09年には『オプラ・ウィンフリー・ショー』に3度目の出演を果たし、デヴィッド・フォスターが作曲/プロデュースを手掛けた「Note To God」を熱唱。

 すぐさまアメリカの<iTunes>総合シングル・チャートで5位(ビルボード・シングル・チャートでは44位まで上昇)にチャートインした。

 そして10年5月に自らの名前を冠した1stアルバム『Charice』で全米デビュー。

 R&Bシンガー・アイヤズをフィーチャリングに迎えた「Pyramid feat. Iyaz」が話題を呼び、デビュー作ながら全米チャート初登場8位を記録。

 初登場でのトップ10入りはアジア人初の快挙となった。

 続いて7月には、絢香「三日月」のカヴァー「三日月〜クレッセント・ムーン〜」をボーナス・トラックとして収録した同名アルバムで日本デビュー。



★インタビュー


○デビュー・アルバム『シャリース』が全米アルバムチャート初登場8位を獲得しましたね。

 おめでとう!

 アジア人がアメリカのアルバム総合チャートで初登場TOP10入りするのは歴史上初の偉業なんですよね。

 歴史を塗り替えた今の心境は?

●シャリース:光栄すぎて言葉がないわ。まさか自分のアルバムが記録を作るなんて。もう感謝の気持ちでいっぱいよ。

○フィリピン出身だけど、フィリピンでは数々の歌のコンテストに出場していたらしいですね?

●シャリース:7歳の頃からコンテストに出場し始めて、これまで100以上のコンテストに出場してきたわ。

 それは単純にシンガーになるためだけじゃないの。

 優勝するともらえる賞金や賞品で家計を支えなければいけない事情があったからなの。

○コンテストではどんな曲をカヴァーしていたの?

●シャリース:ホイットニ―・ヒューストンやマライア・キャリーのバラード曲が多かったかな。

 一番よく歌った曲はホイットニ―の「I ALWAYS LOVE YOU」ね。

○小中学生の年齢であの曲を歌うのはかなり至難の業だと思いますが。

 フィリピン在住のあなたがアメリカで注目され始めたのも、そのズバ抜けた歌唱力の高さからなんですよね。

 そのきっかけを作ったのはYou Tubeだったとか?

●シャリース:そうなの。

 私が12歳のときにフィリピン版「アメリカン・アイドル」のようなオーディション番組に出場して。

 その番組を観た人が私の映像をYou Tubeに投稿したの。

 それが始まりで韓国のオーディション番組やアメリカの人気番組「エレン・デジェネレス・ショー」、そしてオプラ・ウィンフリーの番組からもオファーが来たわ。

 どの番組もYou Tubeで私のパフォーマンスを観たことがきっかけで私を紹介してくれたのよ。

○You Tubeがあなたの人生を大きく変えたといっても過言じゃないけれど、アメリカの人気司会者オプラ・ウィンフリーはあなたにとってどんな人?

●シャリース:オプラは私に最初の大ブレイクをするきっかけを作ってくれた人であり恩人よ。

 彼女の番組に初めて出演させてもらったとき、「4歳のときに父親が家を出てしまってから母親を支えるためにずっとコンテストに出て頑張ってきたけど、どこまで頑張れるか分からない」って相談をしたら、「私があなたの未来を支えるわ、私に任せなさい」って言ってくれて。

 それからデイヴィッド・フォスターに連絡してくれたの。

 彼らと会うことができて、私の人生は大きく変わったわ。

○アルバム『シャリース』のエグゼクティヴ・プロデューサーでもあるデイヴィッド・フォスターは、セリーヌ・ディオンやホイットニ―・ヒューストンの楽曲も手掛けてきた大物プロデューサーですが、彼はあなたの才能をどう言っている?

●シャリース:「アジア初の世界的なスーパースターだよ」とか「間違いない才能がある」って誉めてくれるわ。

 ちょっと照れ臭いけど(笑)。

○の声が多い1stアルバム『シャリース』が日本でもリリースされますが、どんな1枚に仕上がったと思う?

●シャリース:このアルバムのスペシャルなところは、いろいろなジャンルが混ざっていること。

 これまで大人向けのバラード系カヴァー・ソングを歌ってきたけど、今作には18歳のシャリースだから表現できたバラードやポップス、ポップロック等がたくさん収録されているの。

 歌詞もすべての人たちに向けられたものだから、年齢問わず聴いてもらえると嬉しいわ!

○大ブレイク中のアイヤズ(Iyaz)をゲストに迎えた「PYRAMID」もスマッシュヒットとなったけど、この曲で気に入っているところは?

●シャリース:若い世代もCOOLって思えるR&Bが歌えたことは私にとって新しいチャレンジだったし、カヴァーじゃなくオリジナル曲を歌えたことも文句ナシに最高ね(笑)。

 「誰にも壊すことの出来ない愛は、まるでピラミッドのよう」っていう力強い愛の歌なんだけど、アイヤズが参加してくれてとてもカッコ良く仕上がってるわ。

○今作でもっとも自分らしさを出せた楽曲は?

●シャリース:デイヴィッド・フォスターが共作してくれた「In This Song 」という曲。

 これは私のストーリーを歌っているから、すごく自分らしい曲の1つね。

○日本盤のボーナストラックで絢香の「三日月」を英語で歌った「Cresent Moon」が収録されているけど、日本の曲を歌ってみての感想は?

●シャリース:歌を歌うときって“歌詞”と“メロディ”にどれだけ感情を込められるかが重要なんだけど、「三日月」は聴いたときからその両方が素晴らしいなって思ってたの。

 歌詞の意味も知って、レコーディングをした頃にはすっごく大好きな曲になってたわ。みんなの反応が楽しみな曲の1つね。

○いよいよ日本でもデビューするわけですが、これからどんなアーティストになりたいと思いますか。

●シャリース:いつまでも私らしくいられたらいいなと思う。

 ビヨンセは憧れるアーティストの1人だけど、「シャリースってビヨンセみたい」とは言われたくはないの。

 ずっとみんなの記憶に残るようなアーティストになれたらなって思ってるわ。


シャリース(初回限定スペシャル・プライス盤)

シャリース(初回限定スペシャル・プライス盤)

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2010/07/07
  • メディア: CD





http://www.youtube.com/watch?v=BhT2HhEllpw
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2010年08月15日

シャリース・ペンペンコ『タイタニック』&『ボディガード』

★シャリース・ペンペンコ 『タイタニック』My Heart Will Go On(Love Theme from 'TITANIC')



★シャリース・ペンペンコ 『ボディガード』The Bodyguard



★シャリース・ペンペンコ 『Pyramid』

 Charice Pempengco NEW ALBUM CHARICE 『Pyramid (feat. Iyaz)』

 『Pyramid』をスタジオで録音しているシャリースを見たい方は、下記をクリックしてください。

   http://www.youtube.com/watch?v=BhT2HhEllpw
posted by yasu463 at 19:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | シャリース・ペンペンコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月14日

シャリース・ペンペンコ 『奇跡体験 アンビリバボー』

フジテレビ系列で、2010年8月12日放送された『アンビリバボー』
シャリース・ペンペンコ(Charice Pempengco)

●アンビリバボー


●フィリピン シャリース成功物語(Charice Success Documentary)


−全米で話題沸騰の新星歌姫−

 これまで、世界中の類い稀なる才能を持ったスーパーキッズ達を紹介してきたが、その中でわずか9歳のフィリピンの少女の歌唱力に我々は驚愕した。この奇跡の声を持つ少女の名は、シャリース・ペンペンコちゃん。
彼女は現在18歳、今年5月、全米でデビューアルバムを発表すると、世界中がその歌声に大注目!アジア人として初のトップ10入りを果たしたのである。だが、これまで彼女が歩んだ道のりは平坦なものではなかった。そこには、母と娘の知られざる物語が秘められていたのである。


 1992年、シャリースさんは誕生。一家は幸福に包まれていたのだが、父は次第に働かなくなり、母・ラケルさんに酷い暴力を振るうようになっていった。
自分さえ我慢すれば・・まだ幼い子供達のために離婚を踏みとどまっていたラケルさんだったが、ついに離婚を決意し、家を出た。つらく落ち込んでいる時、シャリースさんは母を慰めるように大好きなセリーヌ・ディオンの歌を歌ってくれた。彼女の透き通る歌声はラケルさんの心をいつも救ってくれたのである。
実はラケルさんは若い頃、プロの歌手になっていつかアメリカと日本に行ってみたいという夢を持って、パブで歌っていた。だが、二人の子供のために夢を諦めざるを得なかったのである。シングルマザーとなったラケルさんは、縫製工場で朝から晩まで働いたものの、安い月給ではアメリカに行くどころか、食べていくことさえ難しかった。それでも、子供達のことを思えば辛くはなかった。


 そんな苦しい生活の中、シャリースさんにとって唯一の希望、それは母と同じ、歌手になる夢だった。いつしかセリーヌ・ディオンのように世界中の人々に自分の歌を聴いてもらいたい。
フィリピンで歌手を目指すには、プロのスカウトが目を光らせる、歌のコンテストに出場すること。音楽好きが多いフィリピンでは大きな町で、常にコンテストが開催されていたのだ。だが、コンテストに出るには遠い町まで出向かねばならず、そのバス代を工面する余裕さえ、母にはなかった。
しかし、母・ラケルさんは、いらない布をもらってコンテストの衣装を作り、交通費を借金してまでシャリースさんをコンテストに出場させてくれた。コンテストに出場するたびに借金は膨らんでいった。だが、シャリースさんは徐々に力をつけていき、小さなコンテストでは度々優勝するようになっていった。シャリースさんはコンテストの賞金でバス代を返し、残りは生活費に充てた。


 母が自分たちのために諦めた夢を実現するために、時には熱を出して立っているのがやっとの時でも歌い続け、実に100以上もコンテストに出場した。そして、12歳になったシャリースさんは、ついにフィリピン最大の子供・歌オーディション番組、『リトル・ビック・スター』の出場権を勝ち取ったのだ。優勝賞金およそ200万円。さらに優勝すればプロデビューが約束される、まさにプロへの登竜門なのだ。だが、この番組で優勝できなければ、プロになる才能はないとみなされる過酷な番組だった。
シャリースは惜しくも優勝を逃し、プロへの夢をかけた挑戦はもろくも崩れ去った。だが、納得ができなかった。審査員は好評価だったのに、なぜ視聴者投票で差をつけられてしまったのか・・?
コンテストの後、声をかけて来た審査員に訳を聞いたのだが・・・「テレビの視聴者が求めるのは、スタイルが良くて美人の歌手なんだ。プロになるのは諦めた方がよい」と言われてしまった。
フィリピンのテレベ活躍するプロの歌手は、スタイル抜群で美人であることが第一条件。だが身長も150cmに満たず、目立たないルックスのシャリースさんは、フィリピンでは受け入れられないと判断されたのだ。


 シャリースさんはこれを機に夢を諦めた。だがそんな矢先、突然アメリカのテレビ局から出演のオファーがきたのだ。実はフィリピンでのオーディションの映像がインターネットに流れ、偶然番組スタッフの目に止まったのだと言う。
その『オプラ・ウィンフリー・ショー』とはTIMES誌で20世紀最高の番組に選ばれた番組。司会者オプラの絶妙なトークが人気で、世界140カ国で放送。さらにゲストはブラット・ピットやジュリア・ロバーツなど、超一流のスターばかりだった。
しかし、ラケルさんにはある心配があった。もし、容姿のことでアメリカでも笑い者にされれば、またシャリースさんが傷ついてしまう。だが、シャリースさんは母をアメリカに連れて行ってあげたいという一心で、出演を決意する。


 シャリースさんが出演するのは、様々な才能を持った子供達を紹介する人気コーナー。数多い出演者の中の一人という扱いだった。
しかし、どんな企画だろうと関係なかった。シャリースさんは最後の思い出にと、心を込めて得意のホイットニー・ヒューストンの歌を披露。すると、オプラも観客もその歌唱力に驚き、シャリースさんは拍手喝采を受けたのだ。しかし、笑い者にはされなかったものの、歌と短いトークのみの出演はわずか数分で終わった。
翌日、フィリピン行きの飛行機が準備を終え、間もなく出発するという時のことだった。突然、飛行機のエンジンが止まり、シャリースさんを迎えに見知らぬ男性がやってきた。
そして二人はある場所へと連れて行かれた。そこには、アメリカテレビ史上最高の司会者と言われる、オペラ・ウィンスリー本人がいた。


 実は番組収録後、オプラはある光景を目にしていた。番組スタッフの多くがシャリースさんの歌った曲を口ずさんでいた。オプラの心にもそれは強く印象に残っていた。
そして、シャリースさんがフィリピンでデビューできない事情を知ったオプラは眠れぬまま考え続けた。このままフィリピンに帰れば、あの素晴らしい歌声は永遠に誰の耳にも入らない。自分に何かしてやれることはないかと。
オプラはすぐにある人物と連絡を取った。その人物は、デイビット・フォスター、マイケル・ジャクソンやマドンナ、そしてセリーヌ・ディオンの作品を手がけた超有名プロデューサー。だが、彼に歌を認められなければそれまで、シャリースさんにとって最後のチャンスだった。


 『オプラ・ウィンフリー・ショー』出演から一年後、シャリースさんは再びテレビ番組で歌を披露した。その曲は、マライア・キャリーでも、ホイットニー・ヒューストンでもなかった。そしてその傍らには、ピアノを弾くデイビット・フォスターの姿が!!そう、シャリースさんの歌声はアメリカの一流プロデューサーに認められたのである。
だがこれは、奇跡の始まりに過ぎなかった。デビューシングル『Note to God』が発売から数日でなんと2位にランクイン!さらに!デビューアルバムはアジア人初の快挙となる、全米ランキング8位を獲得!!シャリースさんは、たった1つのチャンスを見事その手に掴んだのである。


 そしてもう1つ、夢のような出来事が・・。なんと!世界の歌姫セリーヌ・ディオンとニューヨーク・マジソンスクエア・ガーデンで夢の共演が実現したのだ!!
そして2010年、先日行われたフィリピンのアキノ新大統領就任式で国家を斉唱。ついにシャリースさんは、母国でもトップ歌手として認められたのである。
今や世界中の人が認めるシャリースさんの歌声、それは、歌に秘められた母への愛が起こした奇跡なのかもしれない。
posted by yasu463 at 16:10| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | シャリース・ペンペンコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月12日

シャリース・ペンペンコ『アンビリバボー』

1992年5月10日生まれ おうし座
アジア出身
本名:シャリース・ペンペンコ(Charice Pempengco)

天から授かった、奇跡の歌声。
アジア発・全米経由、そして世界へ・・・。
今、最も注目を集めるティーンエイジャー遂に日本デビュー。

YouTubeで「この歌唱力はスゴイ!」と爆発的な話題になり、約1,500万視聴を記録。
アメリカで最も影響力があると言われているTV トークショー「オプラ・ウィンフリー・ショー」に出演、オプラを涙ぐませるほどの圧倒的な歌唱力、パフォーマンスを披露。そのパフォーマンスを観た、これまでに数々のヒットの仕掛け人である大物プロデューサーのデイヴィッド・フォスターはあまりの才能の素晴らしさに驚愕し、ワーナーミュージックとの契約の橋渡しを行う。
その後2009年には「オプラ・ウィンフリー・ショー」に3度目の出演をしデヴィッド・フォスター作曲プロデュースの「NOTE TO GOD」を熱唱。すぐさまUS iTunes 総合シングル・チャートで5位に急上昇し全米大ブレイクを成し遂げた!US盤が発売日には4度目の「オプラ・ウィンフィリショー」にデヴィド・フォスターとIyazと出演!
その後、アルバムチャート初登場8位を記録。このTOP10入りはアジア人初の快挙となった。


フジテレビ系列で、2010年8月12日放送された『アンビリバボー』
シャリース・ペンペンコ(Charice Pempengco)


 −全米で話題沸騰の新星歌姫−


 これまで、世界中の類い稀なる才能を持ったスーパーキッズ達を紹介してきたが、その中でわずか9歳のフィリピンの少女の歌唱力に我々は驚愕した。この奇跡の声を持つ少女の名は、シャリース・ペンペンコちゃん。
彼女は現在18歳、今年5月、全米でデビューアルバムを発表すると、世界中がその歌声に大注目!アジア人として初のトップ10入りを果たしたのである。だが、これまで彼女が歩んだ道のりは平坦なものではなかった。そこには、母と娘の知られざる物語が秘められていたのである。


 1992年、シャリースさんは誕生。一家は幸福に包まれていたのだが、父は次第に働かなくなり、母・ラケルさんに酷い暴力を振るうようになっていった。
自分さえ我慢すれば・・まだ幼い子供達のために離婚を踏みとどまっていたラケルさんだったが、ついに離婚を決意し、家を出た。つらく落ち込んでいる時、シャリースさんは母を慰めるように大好きなセリーヌ・ディオンの歌を歌ってくれた。彼女の透き通る歌声はラケルさんの心をいつも救ってくれたのである。
実はラケルさんは若い頃、プロの歌手になっていつかアメリカと日本に行ってみたいという夢を持って、パブで歌っていた。だが、二人の子供のために夢を諦めざるを得なかったのである。シングルマザーとなったラケルさんは、縫製工場で朝から晩まで働いたものの、安い月給ではアメリカに行くどころか、食べていくことさえ難しかった。それでも、子供達のことを思えば辛くはなかった。


 そんな苦しい生活の中、シャリースさんにとって唯一の希望、それは母と同じ、歌手になる夢だった。いつしかセリーヌ・ディオンのように世界中の人々に自分の歌を聴いてもらいたい。
フィリピンで歌手を目指すには、プロのスカウトが目を光らせる、歌のコンテストに出場すること。音楽好きが多いフィリピンでは大きな町で、常にコンテストが開催されていたのだ。だが、コンテストに出るには遠い町まで出向かねばならず、そのバス代を工面する余裕さえ、母にはなかった。
しかし、母・ラケルさんは、いらない布をもらってコンテストの衣装を作り、交通費を借金してまでシャリースさんをコンテストに出場させてくれた。コンテストに出場するたびに借金は膨らんでいった。だが、シャリースさんは徐々に力をつけていき、小さなコンテストでは度々優勝するようになっていった。シャリースさんはコンテストの賞金でバス代を返し、残りは生活費に充てた。


 母が自分たちのために諦めた夢を実現するために、時には熱を出して立っているのがやっとの時でも歌い続け、実に100以上もコンテストに出場した。そして、12歳になったシャリースさんは、ついにフィリピン最大の子供・歌オーディション番組、『リトル・ビック・スター』の出場権を勝ち取ったのだ。優勝賞金およそ200万円。さらに優勝すればプロデビューが約束される、まさにプロへの登竜門なのだ。だが、この番組で優勝できなければ、プロになる才能はないとみなされる過酷な番組だった。
シャリースは惜しくも優勝を逃し、プロへの夢をかけた挑戦はもろくも崩れ去った。だが、納得ができなかった。審査員は好評価だったのに、なぜ視聴者投票で差をつけられてしまったのか・・?
コンテストの後、声をかけて来た審査員に訳を聞いたのだが・・・「テレビの視聴者が求めるのは、スタイルが良くて美人の歌手なんだ。プロになるのは諦めた方がよい」と言われてしまった。
フィリピンのテレベ活躍するプロの歌手は、スタイル抜群で美人であることが第一条件。だが身長も150cmに満たず、目立たないルックスのシャリースさんは、フィリピンでは受け入れられないと判断されたのだ。


 シャリースさんはこれを機に夢を諦めた。だがそんな矢先、突然アメリカのテレビ局から出演のオファーがきたのだ。実はフィリピンでのオーディションの映像がインターネットに流れ、偶然番組スタッフの目に止まったのだと言う。
その『オプラ・ウィンフリー・ショー』とはTIMES誌で20世紀最高の番組に選ばれた番組。司会者オプラの絶妙なトークが人気で、世界140カ国で放送。さらにゲストはブラット・ピットやジュリア・ロバーツなど、超一流のスターばかりだった。
しかし、ラケルさんにはある心配があった。もし、容姿のことでアメリカでも笑い者にされれば、またシャリースさんが傷ついてしまう。だが、シャリースさんは母をアメリカに連れて行ってあげたいという一心で、出演を決意する。


 シャリースさんが出演するのは、様々な才能を持った子供達を紹介する人気コーナー。数多い出演者の中の一人という扱いだった。
しかし、どんな企画だろうと関係なかった。シャリースさんは最後の思い出にと、心を込めて得意のホイットニー・ヒューストンの歌を披露。すると、オプラも観客もその歌唱力に驚き、シャリースさんは拍手喝采を受けたのだ。しかし、笑い者にはされなかったものの、歌と短いトークのみの出演はわずか数分で終わった。
翌日、フィリピン行きの飛行機が準備を終え、間もなく出発するという時のことだった。突然、飛行機のエンジンが止まり、シャリースさんを迎えに見知らぬ男性がやってきた。
そして二人はある場所へと連れて行かれた。そこには、アメリカテレビ史上最高の司会者と言われる、オペラ・ウィンスリー本人がいた。


 実は番組収録後、オプラはある光景を目にしていた。番組スタッフの多くがシャリースさんの歌った曲を口ずさんでいた。オプラの心にもそれは強く印象に残っていた。
そして、シャリースさんがフィリピンでデビューできない事情を知ったオプラは眠れぬまま考え続けた。このままフィリピンに帰れば、あの素晴らしい歌声は永遠に誰の耳にも入らない。自分に何かしてやれることはないかと。
オプラはすぐにある人物と連絡を取った。その人物は、デイビット・フォスター、マイケル・ジャクソンやマドンナ、そしてセリーヌ・ディオンの作品を手がけた超有名プロデューサー。だが、彼に歌を認められなければそれまで、シャリースさんにとって最後のチャンスだった。


 『オプラ・ウィンフリー・ショー』出演から一年後、シャリースさんは再びテレビ番組で歌を披露した。その曲は、マライア・キャリーでも、ホイットニー・ヒューストンでもなかった。そしてその傍らには、ピアノを弾くデイビット・フォスターの姿が!!そう、シャリースさんの歌声はアメリカの一流プロデューサーに認められたのである。
だがこれは、奇跡の始まりに過ぎなかった。デビューシングル『Note to God』が発売から数日でなんと2位にランクイン!さらに!デビューアルバムはアジア人初の快挙となる、全米ランキング8位を獲得!!シャリースさんは、たった1つのチャンスを見事その手に掴んだのである。


 そしてもう1つ、夢のような出来事が・・。なんと!世界の歌姫セリーヌ・ディオンとニューヨーク・マジソンスクエア・ガーデンで夢の共演が実現したのだ!!
そして2010年、先日行われたフィリピンのアキノ新大統領就任式で国家を斉唱。ついにシャリースさんは、母国でもトップ歌手として認められたのである。
今や世界中の人が認めるシャリースさんの歌声、それは、歌に秘められた母への愛が起こした奇跡なのかもしれない。


★シャリース『オプラ・ウィンフリー・ショー』(歌のみ)


★シャリース『オプラ・ウィンフリー・ショー』(全て)
休止中

★シャリース・ペンペンコ & セリーヌ・ディオン


★シャリース・ペンペンコ『フィリピン国歌』



★『奇跡体験 アンビリバボー』 シャリース・ペンペンコ

 は、下記をご覧下さい。


 http://nikki-yasu.seesaa.net/article/159412854.html


★全米アルバムチャート初登場8位! アジア人初の快挙!

 シャリース デビューアルバム「CHARICE」2010.7.7 ON SALE!
 綾香「三日月」のカバァー「三日月〜Crescent Moon〜」を日本盤ポーナストラックとして収録


シャリース(初回限定スペシャル・プライス盤)

シャリース(初回限定スペシャル・プライス盤)

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2010/07/07
  • メディア: CD




★フィリピン シャリース成功物語(Charice Success Documentary)
posted by yasu463 at 22:30| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | シャリース・ペンペンコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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