2008年06月28日

【オーラの泉】スペシャル 6/28(土)19時〜

〜悩める芸能人に愛の人生相談!!夫婦と家族の不思議な話SP〜

 衝撃の新企画が遂に誕生!

 芸能人が、美輪、江原に今一番聞きたいこと、

 自分の人生においての問題や気になっている悩みなどをスタジオで告白!!

 この番組だからこそ明かされる、知られざる悩みの数々…

 美輪・江原から悩める芸能人に贈られるメッセージとは!?

 なんとそこで、あのイケメン芸人が人生の大決断を…!

 そしてスペシャルゲストは女優・松田美由紀さん。

 日本を代表する俳優・松田優作さんと電撃結婚

 その後、突如優作さんを襲った病…

 忘れ形見の2人の息子さんも大活躍する今、

 故 松田優作さんから衝撃のメッセージが…!!


★スペシャルゲスト『松田美由紀』

 16歳でモデルにスカウトされ、女優デビュー。

 テレビドラマ「探偵物語」での共演をきっかけに、

 12歳年上の松田優作と20歳で結婚。

 幸せな日々を送るも、1989年、優作さんがガンで他界。

 28歳で未亡人となった後、女手ひとつで3人の子どもを育て上げ、

 長男・龍平さんと次男・翔太さんは父と同じ俳優の道に…。

 「…この肉体にはいない、すごく上に行っていると感じた。」

 優作さんが亡くなった時を振り返る松田さん、

 他界してから20年近く経った今も、疲れていると感じたときには、

 夫婦間でしかわからない暗号のように、

 優作さんが好きだった音楽が聞こえてくるという。

 残された家族たちのみが共有する不思議な感覚…

 優作さんの忘れ形見 長男・龍平さんと次男・翔太さんも立派に成長し、

 今では若手スターとして第一線で活躍中。

 「…かっこいい人が家族にたくさんいてうれしいです!」と、

 臆せず言い切る笑顔…

 優作さん亡き後も、家庭に明るさを忘れずに子どもたちを養ってきた美由紀さん。

 未だ圧倒的な存在感で人々の心に残り続ける、優作さんが今、

 美由紀さん・息子さんたちに伝えたい思いとは…!?

 衝撃のメッセージが届けられる!


★衝撃の新企画『オーラの相談室』

 ゲスト:安藤和津さん、金子貴俊さん、狩野英孝さん(お笑いタレント)、
     西村知美さん、宮ア大輔さん(ハンドボール日本代表)

 「美輪・江原に聞いてほしい…!!」

 芸能人が、美輪、江原に今一番聞きたいこと、

 自分の人生においての問題や気になっている悩みなどをスタジオで告白!!

 次々に持ち込まれる、知られざる悩みの数々…

 華やかなイメージの裏で、芸能人たちの抱える苦悩が明かされる!

 そして美輪・江原から…悩める芸能人たちに衝撃のメッセージが!!

 そこで、あのイケメン芸人が人生を変える驚愕の大決断を…!!

 待望の新企画、乞うご期待!!
タグ:オーラの泉
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2008年06月07日

“オーラの泉”内田恭子

★本日〈6月7日)のゲストは内田恭子さん

 フジテレビ以外での初めてのテレビ出演!

 7年間勤めたフジテレビを退社した今、

 ずっと話せなかった局アナ時代の私生活も、初告白。

 フリーアナウンサーとして活躍を嘱望される、まさにこれからという時期に、

 オーラの泉に訪れた内田さん…そこには大きな理由が…!!

 「今から手術を受ける心境…」と不安をのぞかせる内田さん。

 フリーアナウンサーになって2年目の今、生活は以前と大きく変化したという。

 ゆっくりと本を読める時間が持てるようになり、

 その心のゆとりから、今まで以上に一つひとつの言葉に対して敏感になったという。

 そして「この一言に日々、救われている」と、

 最愛のご主人との生活の中で、心動かされた言葉について語る内田さん。

 そして勿論、「人生で一番嬉しかったのはご主人との結婚」。

 最愛の出会いを果たした2人…実は、その魂の絆には衝撃の物語が…!

 美輪・江原から伝えられる話に、現在の2人の様子との共通点に

 驚きの表情を隠せない内田さん。

 そして、話題子どもをもうけるかどうかという、デリケートな部分にも…

 妻として…仕事を持つ女性として…

 今、飛躍の時を迎えてる内田さんに届けられるメッセージとは!?


★芸能人が本当に体験した不思議な話

 ゲスト:梅沢富美男さん、小倉優子さん
     加藤和樹さん、つまみ枝豆さん、八代亜紀さん

 3回目を迎えた、話題沸騰の新コーナー「芸能人が本当に体験した不思議な話」

 前回の放送だけではお送り出来なかった衝撃の未公開部分をお送りします。
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2008年05月23日

“オーラの泉” 不思議な話スペシャル

“オーラの泉”不思議な話スペシャル。2008.5.17


★加藤和樹さんの不思議な話


 霊感の強い友人がいると不思議な体験をすることがあります。
 仮面ライダーカブトのドレイクで注目を浴び、現在はミュージシャンとしても活躍する加藤和樹さん
 霊感が強い友人が遊びに来たとき、不思議な体験をしました。


 加藤:結構、仲のよい友達なんですけれど、俺のうちに遊びに来た時、急に顔色が真っ青になったんですよ。
    何度か来てるんですけど、一緒にご飯を食べたり、しゃべったりしてたんですよ。
    そんときに、急に顔が真っ青になって、「ごめん窓開けて」って言って。

    何でだろうって、俺もそんなそいつの姿を見るのは初めてだから、
    急いで玄関と部屋の窓を開けたんですよ。

    そしたら、そいつの顔がみるみるよくなっていったんですよ。
    なんだこの現象って思って、そいつに聞いたら、
    「霊の通り道だから窓を開けて欲しかった」って言うんですよ。


 霊の通り道があるという加藤さんの部屋、単なる通り道ではなかったのです。


 江原:その友達は、女性の霊を見たと言いました。

 加藤:その時は言ってないですね。

 江原:ひとつ矛盾しているのは、霊は扉があろうがなかろうが通り抜けますからね。

 加藤:僕もそう思ったんですけれど、窓を開けた瞬間によくなった。

 江原:気分の問題ですね。
    その時に、さっき女性の霊と言いましたでしょう、
    その当時、その少し前にお別れがあったと思うんですよ。

 加藤:僕ですか。

 江原:そう、その中できっとあなたのことをものすごく好きだったんでしょうね。

 美輪:生霊ですよ、生霊。

 江原:でもね、その思いが果たせずにね、相手してもらえなかったりするとね、
    その思いが生霊としてくるの。こっちの方がめんどくさいですよ、生きてますからね。


 加藤さんが感じたのは、霊の通り道ではなくてわかれた女性の念だと江原さんはいうのです。
 さらに。


 江原:加藤さんね、これから先だって危ないんですよ。
    その当時からそうだけれど、恋愛はあまりうまく行かないでしょう。
    意見が合わずに、こうなっちゃって、妨害されちゃうの、全部妨害されちゃうの。
    だから、さかのぼれば、加藤さん優しい人なんですよ、
    その気は無いのに思いふらすみたいになっちゃう。

 美輪:ヘビの生殺しになっちゃうの。
    優しくすることが、返って相手のためにならないの。

 江原:好きでないというと、傷つけるからずるずると向こうが待っててくれる。
    気があるんだわってなって「いや、だから違うんです」って後で言うと
    余計に恨みが倍増になるんですよ。

 美輪:その点、梅沢さんなんかね。

 梅沢:あのね、あまり甘いこと言うもんじゃないよ。
    始末が悪いからね。
    何度、経験して、いくら金使って、いくら失敗したから。
    本当に、聞かせるよ。

 国分:どうしたらいいんですか。

 江原:うん、だから全然ないから、
    その人に対して、思いだけでいいから妨害しないでくれと。
    だからそれを、常に念ではね返す。
    だからそれをその人だけじゃなくて、
    嫌なものは嫌だということをはっきり言わなければいけないし、
    妙に慮っちゃうんですよ。
    そのために、嫌と言えなくてみんなに同じようにしちゃうんですよ。

 美輪:だから、八方美人というのは、いいようだけれど、
    自分の首を絞めるんですよ。
    だから、だれにもかれにも優しいというのは、
    相手に対して刃物になるのね。
    だから、ヘビの生殺しよりも、
    梅沢さんみたいにグサッと切っちゃった方がいいみたいにね。
    それこそ、心を鬼にしちゃってね、私は興味ありませんってね。
    そういう人には、パーンと無碍もないように、取り付く暇もないように、
    言うことこそが相手のためになるんですよ。
    あきらめさせること。

 梅沢:いい番組でしょう。


 加藤さんの場合、霊の話というより恋愛の話でした。


★つまみ枝豆さんの不思議な話


 つまみ:僕の場合8割がた霊をみるのは鏡なんですよ。
     本当に鏡の中なんですよ。
     僕、昼間走っててルームミラーをなにげにみると、
     運転手さんと助手席に人が乗っていて、
     あれっと振り返ると助手席に人がいないんですよ。
     運転手さんだけいて、3回ぐらいあるんですよね。

 江原:えー怖くない、乗せてあげればいいじゃないですか。
    霊の集まる場所というのは、確かにありますよ、
    でも、いちゃいけないなんてそんな傲慢なことを。

 つまみ:僕も、いちゃいけないというんじゃなくて、分析できないんです。

 国分:鏡に映るんですか。

 江原:神秘です。
    昔から多いですよね、鏡に映るとか、
    神様でも何でも、だから、精神統一になりやすいところがあるんですよ。
    ただ、鏡がなければ見えないわけじゃないと思いますけれど。

 つまみ:誰も信じてくれないんですけれど、
     たけしさんの運転手やってて、
     夜中に帰ってきた時、歯を磨いて寝ようと思って鏡を見てたら
     すごい形相になってたんですよ。
     目がつりあがってきて、怖かったのですぐやめたんですけれど、
     それを人に話したんだけれど誰も信用してくれず、
     それで一回限りなんですけれど。

 江原:変貌現象といいます。
    一般の人たちでも鏡を見てて、
    だから僕はいつも鏡を見なさいというんですよ。
    今日って自分の顔じゃないと思う時があるんですよ。
    そういう時は、自分と違う人格の時があるから、
    自分でいけないと思わなきゃいけないんです。

 美輪:われわれの商売というのは、
    不特定多数の大勢の人を相手にしてるでしょう。
    敵意を持っている人もいるし、憧れている人もいるし、
    いろんな人がいるわけでしょう。
    そういうごちゃ混ぜのエネルギーがこっちに向かって来るわけじゃないですか。
    それを、バーンと跳ね返すか、それを全部吸収して吸い取っちゃって
    始末するだけのエネルギーを持ってるか、
    そういうものを持っている人じゃないと務まんないのよ。
    それを処理する気概とか情念とかがないと。

 つまみ:もうどうしていいかわからないと。

 美輪:自分の顔は自分の顔とわかるんでしょう。
    形相が。

 つまみ:僕は、途中までしか凝視できなかったんで、目をそらしたんです。

 美輪:それは、今日一日の思念、
    ちくしょうとかあのやろう恥かかせやがってとか、
    どうしてくれようとか、それが表に出せなくて黒い渦になって渦巻いてる。
    それが気がつかないうちに、鏡にバッとでちゃったりする場合があるんですよ。


 突然、わけがわからなくなった場合、いらいらした思いや感情を自分の中に溜め込んでいるのかもしれません。
 鏡をみて、自分の精神状態をチェックすることも必要なのです。


★小倉優子さんの不思議な話


 家族や恋人など大切な人が亡くなった時、不思議な体験をする時があります。
 小倉優子さんの場合、おばあさんが亡くなってから不思議な現象が起きるようになったというのです。


 小倉:それまでは、不思議な体験とかは一切無くて、
    それで、祖母が死んで、火葬場と自宅を行き来していて、
    夜中だったんですね。

    だれも歩かない山の中なんですけれど、ひとりのおばあさんが立ってたんですよ。
    12時過ぎてたので、え、なんでこんな時間にって
    家族に大丈夫って言ったら、家族は誰もいないよって言って、
    でも、はっきり立ってたんですね。
    ああ、こういうのって本当にあるんだと思って、
    でも、その時、思って。

 
 真夜中に見えたおばあさん、不思議な出来事はそれだけでは、終わらなかったんです。


 小倉:それから、お部屋のトイレの水が勝手に流れたりとか、
    何もしてないのに、TVのチャンネルが変わったりとか、
    ブラインドが上がったりとか。

 国分:それは、自分の家ですか?

 小倉:家とか、スタジオとか引かないと上がらないブラインドが、
    こっちに上がりだしたりとか、
    そういうことが起こりだすようになったんです。
    それが、祖母が亡くなった日からなんですよ。

 江原:ただ、それはおばあちゃんではないと思うんですよね。
    そこにたまたま居合わせた霊が、
    ここにいるよということを言いたかっただけじゃないですかね。
    子供のいる家なんですよ、ポルターガイストって。
    もう、立派な大人なんですけれど。

 美輪:いえ、子供ですよ。

 江原:子供が持つエネルギーはね、
    赤ちゃんっていうぐらいだからね、
    そういうエネルギーがそういうことを引き起こしちゃう。
    幼い時からというのはあっても、
    途中からというのは少し珍しいかもしれませんけどね。


 ものが勝手に動くポルターガイスト現象、
 映画で描かれるときは、決まって子供がいる家庭や、
 子供がいる場所で起こることが多いのです。
 それがなぜ、小倉さんの周りで起こるのでしょうか?


 江原:だから、ご自身の力というか、みんなそれをもっているんですよ、
    認識してないだけで、だからそれを引き起こしちゃうのかな。

 美輪:本人の気持ちになにかアクシデントが起きた時に、
    何かこう精神的動揺があったりとか、怒り悲しみとかいろいろあるじゃないですか、
    その思念がパッとエネルギーになって、飛んでいってそういう現象を起こすというのがあるんです。

 江原:自分では、そうしている意識はないんだけれど、
    それによる自作自演ということがある。

 小倉:すごい、悲しい時というか。

 江原:感情の起伏が激しいでしょう。

 美輪:だから、そこいらへんのものが表に出せないから、
    だから、違うエネルギーになっちゃうのね。


 小倉さんの周りで起きるポルターガイスト現象
 それは、子供の気持ちを失わない、
 小倉さん自身が原因だと美輪、江原さんが言うのです。


 江原:霊的なものを引き寄せちゃったという、
    要するに引き寄せちゃう念がいけないんですよ。
    来る霊が悪いんじゃない、引き寄せる自分が悪いんです。
    悲しいだけじゃなくて、理性が大事なんです。
    この悲しみは、悲しいだけじゃなくて、
    いやこの悲しみはこうだよなって、こう考えるべきだよなって、
    ただ感情に押し流されて、嬉しい悲しい、怒ってみたりじゃなくって
    怒った時もなぜあの人は怒ったのかなと、
    考えてみれば、いたずらに怒らない悲しくならない。

    理性で分析、理解していけるそうすると、
    変な波長をださない、変な波長を出すと、
    類は友を呼ぶで、変な霊がすぐ付くんですって言うのは、
    自分がそんな低い波長ですって言っているようで、
    恥ずべきことなんですよ。

    うん。
    けして、自慢になるようになることではないんですよ、
    枝豆さんね。


★八代亜紀さんの不思議な話


 未来の出来事を見たり感じたりすることができる予知能力
 本当にそんな力があるのでしょうか。
 八代亜紀さんは、幼い頃から自分の未来が見えたというのです。


 八代:たとえば、10代のころ車の免許を取った時に、
    すごく車に乗りたいじゃないですか。
    すごい一直線のときにスピードだそうと、いけませんけどね、
    スピードを出した時に、
    頭の中にパトカーのピコピコが見えたんですね。
    ふっとブレーキを踏んで、緩やかなカーブをまがったら、隠れてたんです。

 美輪:ネズミ捕りってやつね。

 八代:その当時ねずみ取りってあったんですか。

 梅沢:その当時からありましたよ、
    何度も捕まりましたから。

 国分:そのとき一回だけですか。

 八代:いや、本当に不思議なのは、お金が落ちてるよと、
    瞬間に感じるんですよ。
    で、ふっと見ると落ちてるんですよ、
    すると、ずっとずっとずっと落ちてるんです。

 国分:すごいですね、お金落ちてるよという声が聞こえるんですか。

 八代:聞こえないけど、わかるの。
    瞬間にひらめくの。


 未来の出来事が瞬間的にひらめくという八代さん
 江原さんが分析するその理由とは


 江原:昔、「オーラの泉」でも、そういうゲストの方、いましたけれどね。
    あの、ちょっと離魂病(体から魂が離れること)気味なんですよね。
    あの、本当にいなくなるの。
    一瞬、パッと意識がなくなるというかね、
    要するにいろんなところに行っちゃうところがあるんですよ。
    それがひどくないんだけれど、
    一歩先に行って予知してるところがあるの。
    それは、昔っからそうなんだろうなと思うんですよね。

 八代:幼い、3〜4歳ぐらいの頃から、ものすごい絵が好きで、
    絵を描いてまして、その絵を大人になって見ましたら、
    未来の八代亜紀を描いてたんです。ロングドレスで、マイクで歌ってるんです。
    その当時は、スタンドマイクで、こんな大きなマイクしかなかったんですけれど、
    ワイヤレスマイクを描いてるんです。

 江原:それは、完全に予知ですね。


 八代さんには、ステージで歌う自分の姿がはっきり見えていたというのです。


★加藤さんが見たデジャビュ


 加藤:予知夢とは違うんですけれど、
    デジャビュというのはよく見るんですよ。
    夢で見たことが、何かのきっかけで見たことがあると。
    たとえば、印象的に見たことがあるのが、
    俺が中学校の時に見た夢なんですけれど、
    俺は友達何人かとしゃべってて、
    腕を組みながら後ろを向いてしゃべってたんですよ。

    あれは、高校2年の時だと思うんですけれど、
    体育の授業で、みんな体操服を着てて友達としゃべってたんですが、
    あっ、これ見たことあるって思ったんですよ。

 
 加藤さんが高校時代、デジャビュだと思った高校時代の体験。
 それは、中学生の時、夢の中で見た光景。
 まだ出会ってない高校時代の友人たち、
 そして、グランドの風景を見たというのです。


 加藤:俺は、その時にそいつらの顔も見てるし、
    その、結構広い田舎のグラウンドだったんですけれど、
    その絵を見たんです。

 美輪:その方たちは、まったくの赤の他人だからご存知ないのね。

 加藤:はい。 そのとおりです。

 江原:それは、デジャビュって言えるかもしれませんが、
    予知夢の方なんですね、
    夢で見た自覚があるんですよね。
    デジャビュというのは、あっ、ここ見たことがあるって瞬時に感じるものであって、
    予知夢というのは、夢で見ていることを現に見たということだと思うんですよ。
    でも、それは世の中の人は一杯あると...まあ、
    しょっちゅうということはないでしょうけれど、
    そういう覚えのある方というのはいるんじゃないでしょうかね。

 加藤:そういうのを見ると体に異常があるとかではないですか?

 江原:だからね、そういう風に見る人って世の中、多いみたいですけれど、
    どうして、世の中の人って自意識過剰なんだろうと思うんです。
    なんでそこまで夢に結び付けるんだろうかって、
    夢で見ただけじゃないかってね。
    暇なんですね。
    梅沢さんがいると梅沢さんの波長で、口が悪くなっちゃうんです。


 江原さんが思わず辛口になってしまうほど、べらんめいの波長が強い梅沢富美男さん
 よく、自分にそっくりな人がもうひとりいるといいますが、
 梅沢さんの場合は、何人もいるというのです。


 国分:酔っぱらってるだけじゃないですか?

 梅沢:酔っぱらってないって、つい最近もそうだったんだけど、
    公演行った時に、楽屋に差し入れが届いたんですよ。
    マネージャーに悪いし、知らないし、じゃあ食べに行こうって言って、
    予約を取って行ったんですよ。
    しゃぶしゃぶ屋さんなんですよ、
    そしたら、「梅沢さんしばらくでした。」って言うんですよ。
    僕は初めてそこに行ったんですから、本当に。
    初めて、公演をしたんですよ、そこの土地に初めて公演に来たんですから。

    俺、来ましたって言ったら、
    「また、そんなことを言っちゃって」って、
    よく芸能人はそんなこと言ったら鼻持ちならないっていわれるじゃないですか、
    そんなこと嫌だから、ああそうですかって合わしておいて、
    どんな格好で来たんですかって聞いたら。

    「着物着て、ハンチング帽をかぶってた」って、
    そんなやつ世の中にいないでしょう。
    俺、普段、着物なんか着ないもん。
    それで、何人か一緒に連れて来たって言うから。

    それで、その人がサインしてあげようかって言って、
    サインもしたんです。

 国分:そのサイン見ました。

 梅沢:ええ。
    そのサインは、梅沢富美男って漢字で書いてるだけなんですけれど、
    俺は、そんなせこいサインするわけないでしょう。
    俺じゃないって言ったんですけど、
    「いや、梅沢さんです」って。
    僕だって、言い張るんですよ。

    それと、うちの女房の友達の友達が薬局をやってるんですね。
    そこへ俺が薬を買いに来たっていうんです。
    俺は行かないって言ってるのに、
    薬局なんて行ったことがないんですから。

    マネージャーに頼んだり、いろいろやってるんだから、
    そこに梅沢富美男が来たって言うんだから。
    それはありえないでしょう。

 国分:僕は、ちょっとわからないですけど。

 梅沢:俺は行ってないもん。
    それで、大阪に行ったら、大阪で、
    2年前ですよ、梅沢富美男さんですかって言ったら、
    関西弁で、「言うたらあかんで」って、
    俺、東北人だから。

 国分:でも、そういうのないですか、タレントさんだったら。

 梅沢:でも、俺の場合は、多すぎるの。

 国分:これは、どうなんですか?

 江原:要するに、そっくりさんなんじゃないですか?

 国分:そうなんですよ。

 梅沢:これじゃあ、「オーラの泉」にならないでしょう。

 美輪:昔ね、もう終戦後だったですけれどね、
    偽者が跋扈してる時代があったんですよ。

    でね、私が行ったら偽者扱いされちゃったの。
    後からね、衣装から何からあれしたら本物らしいってことで、
    やっと認めてくれたの。
    衣装や宝石で私だということを、評価してくれたけれどね。
    まあ、偽者に私はあったこともあるの。
    似ても似つかないんだけれど、
    そういうもの。

    ひばりちゃんもそうだったのよ、
    「美空ひはり」とかね、「雪村ねずみ」とかね、
    そういう偽者が一杯いたんですよ。
    あちこちで、そいういうのがありましたよ。


 梅沢さんの場合は、偽者が出没しているだけのようです。


★つまみ枝豆さんの不思議な話U


 不思議な体験が多いことでは、指折りのつまみ枝豆さん。
 どうしても聞きたいことがあるというのです


 つまみ:最初、僕、伊豆の出身なんですけれど、
     兄貴と10歳違うんですけれど、兄貴に連れられて海に行っていたんですね。
     その日も、お兄ちゃんとお兄ちゃんの友達と伊豆の白浜というところに行って、
     僕は結構泳ぎが達者なので、
     泳ぎに行くと、遊泳区域のブイまで行って帰ってくるんですね。

     その日も普通に泳いでブイまで行って、
     帰ろうとしたんですが、光が差し込んで海の底が見えて、
     そこをなにげに見たら黒縁めがねの男の人がいたんです。

     僕は、水死体だと思って驚いて、泳いで帰っていたら、
     今度は、すぐそばで見えたんですよ。

     それで、おぼれていたら、お兄ちゃんの友達が助けに来てくれて、
     「なにおぼれてるんだ、いつもなら普通に泳ぐのに」
     って泳ぎは達者だったので、泣いてばかりで。
     小学5年ぐらいの時ですかね。

     じゃあ、シャワーを浴びて帰ろうかと、
     シャワーを浴びていたら、その鏡の下にその男の人が映っていたんです。

     バッと後ろを見たけれど、いないんですね。
     それで、そのままかっ。たんです。
     七三に分けた黒縁めがねで、時代が遅れている男の人で、
     どんな人っていうと、
     ミスターオクレさん見たいな、そんなイメージなんですね。
     むかしの日本のサラリーマンみたいな。

     それ以降、最近まで見ていたんです。
     それは、どういうことなのか聞きたいなと。

 国分:もうそれは、見なくなったんですか。

 つまみ:見なくなって、10年近いですね。

 江原:見えなくなったのは、結婚してからですか?

 つまみ:結婚してからです。

 江原:そうでしょう。
    結婚してから、枝豆さんの人生変わったからですね。
    いろんな流れが、変わったんですよ。


 枝豆さんが何度も見たという、黒縁めがねの男の人。
 それが、結婚すると何故か姿を見せなくなったんです。

 
 江原:あのね、好きな人がいて、
    ミスターオクレさんみたいな人ね、
    失恋の果てに自殺をなさってるんですよね。
    恋愛、好きで好きでそれが果たせなくて、亡くなっててね。
    さっき、結婚してから出なくなったでしょう。と言うのは、
    もてたりもあったでしょうが、どこかで、女性不審だったと思うんですよ。
    この人って思えることとか、この人って心を許すことができなくて、
    この奥さん今の奥さんが現れて、初めてなんかこう心許せる人が出てきて、
    でいて、恋愛という気持ちになれたのも今の奥さんで、
    で、結婚とかになって、浄化したんですよ。
    思いが、元の気持ちがね。

 美輪:思いが、結実したのね。

 つま :何かを伝えたかったってわけでもなかったんでしょうか。

 江原:いや、ややもすると、枝豆さんてものすごくロマンチストな方だから、
    同じような人生とかを繰り返してしまう可能性を、
    そこで脅かし脅かしそこへ向けないようにしていたんです。
    だから、恋愛とかものすごく傷つく人だったはずですよ。
    枝豆さん自身も。

 美輪:コンプレックスも必要以上に持ってらしたからね。
    俺が、女にもてるわけないというのが、ここにガーッとあったから。


 何度も現れた黒縁めがねの男。
 それは怖がらせようとして現れたのではなく、
 自分と同じ過ちを繰り返さないように警告を発していたのだと江原さんは言うのです。


 江原:奥さんがすごく強い人なんです。
    念力、跳ね返す人なんですよ。
    敏感なんだけれど、跳ね返す人なんですよ。
    だから、枝豆さん自身をずいぶん助けてくれてますよ。

    奥様がケガをなさったでしょう。(2007年番組収録中に奥さんが大怪我)
    あれは、枝豆さんのを引き受けてくれたわけですよ。

    変なところに行って連れてきたから。
    だから、その時って普段よりかみ合わずギクシャクしてた時があったと思うんですよ。
    でしょ。それから、奥さんがそういうことがあってからすごく仲良くなられたんです。

 つまみ:かみさんから話聞きました?

 江原:もちろん聞いてるわけないじゃないですか。

 つまみ:何でわかるんだろう、そうなんですよね。
     実は、そうなんですよね。

 江原:だから、そんなこともあるから奥さん大事にしなきゃいけませんよ。

 つまみ:いや、すっきりしましたね。

 国分:はい。
    今日は、皆さんにさまざまなメッセージがあったと思うんですけれど、
    次回、梅沢さんはぜひ不思議な話を持ってきて下さいね。

 梅沢:今日、皆さんの話を聞いてて、
    何で俺はここにいたんだろうと?


★スピリチュアル・メッセージ

 八代亜紀さんが幼い頃
 「歌手になった自分の絵」を描いたのは、
 単に未来を予知したのではなく
 豊かな想像力があったからです。
 何かになりたければ、大切なのは想像力。
 自分の未来を具体的にイメージして、
 努力を重ねることです。



★オーラの言葉

 恋愛の八方美人は
 自分の首を絞めることになる
 その気がないなら
 冷たくする方が相手のため
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2008年05月16日

【オーラの泉】“西川きよし”(詳細版)

西川きよし

 西川きよし(にしかわ きよし)
 本 名: 西川 潔
 生年月日 : 1946年7月2日(61歳)
 出身地 : 大阪市住吉区(高知県高知市生まれ)
 血液型 : O型
 事務所 : 吉本興業

 17歳の頃、吉本新喜劇に入団。
 1966年、横山やすしさんと「やすしきよし」を結成。
 1986年、参議院議員選挙に立候補し初当選。
 2004年、政界から引退。

 妻はタレント・西川ヘレン
 愛妻家で知られており、
 子供は俳優の西川忠志(長男)と西川弘志(次男)、
 タレントの西川かの子(長女)。



★スピリチュアルチェック

 ・ちいさい頃なりたかった職業はなんですか。
  喜劇役者になりたかったです

 ・人生の転機はいつですか。
  18歳のときに吉本興業で家内に出会ったときです。

 ・毎日かかさずすることはありますか。
  毎日、朝と夜には、家の仏壇で手を合わせてご先祖様に感謝をし、横山やすしさんと
  いろんなお話しをしています。

 ・ひとつだけ願いが叶うとしたらなにをお願いしますか。
  正直、ありません。
  これ以上そんなことを思ったら贅沢や思ってます。


 伝説の名コンビ
 横山やすし、西川きよし

 1946年 高知生まれ
 17歳で吉本新喜劇に入団した西川さん。
 そこには運命の出会いが待ち受けていました。

 新喜劇のスターだった、ヘレン杉本さん、
 当時の西川さんには高値の花でした。



 国分:18歳の時に奥さんに出会ったことがひとつの転機だということですが。

 西川:出会ってなかったら、今、僕はここへ座ってなかったと思います。

 国分:今で言うと、格差婚みたいな感じだったんですかね。

 西川:えらい格差婚です。
    扱いも違いますし、本数も違いますし、収入も違います。

    収入は、家内が17〜18万取ってる頃に、
    僕は、1万7〜8千円というところでしたから。

 国分:一目ぼれだったんですか。

 西川:一目ぼれもなにも、近づけないんですんで。
    おはようございます。お先に勉強させていただきます。
    お疲れ様でした。おやすみなさい。ってこれぐらいの会話でした。

    まさか、「おいヘレン」って呼び捨てにできるとは夢にも思いませんでした。
    そのときは。


 当時、西川さんの役といえば、通行人や着ぐるみの中、
 すでにスターだったヘレンさんとの恋は、すごい話題になりました。
 しかし、社内恋愛は禁止、2人が付き合うことは許されなかったのです。



 西川:会社の方に、実は、結婚したいんですけれどって言ったら、
    周囲から、そんなことは早くから聞いてる。2人直立不動で、
    結婚したいんですけれど。っていったら、
    職場結婚はいかんからどっちかやめろ って。

    どっちかやめろ って言ってるのは、私にやめろといってるのは、
    当然わかるじゃないですか。
    でも、何くそここで負けてはいけないと思って、
    じゃあ、ヘレンがやめて僕が吉本に残させてもらいます。って言ったら、
    その頃の偉い方が、おまえあほか。何を考えてんねん。

    お前が家に帰って先に飯を炊いて、お前がヘレンの帰りを待ってたらええねん。
    吉本のためにこれだけ稼げる人間と、
    お前みたいに吉本の方が助けてやらなければいけないのはね って。

    ほおって置けば、自然とやめていくだろうと会社は思っていただろうと思います。

    でも、食っていけないですから、稼いでいかなければいけないですから、
    それはもう小さい頃から苦しいですから、
    一食や二食抜いたからってどうってことはないんですよ。


 1966年、周囲の反対を押し切って二人は結婚。
 そして、もうひとつの出会いが、お笑いの歴史に名を残す。
 『やすきよ』が生まれたのは、不思議な縁によるものでした。



 国分:やすしさんとの出会いというのは、これはどういう出会いだったんですか。

 西川:僕はお芝居が終わって、すぐにやすしさんの漫才を他の人と組んでいるときに見てました。
    そりゃー無料で見れるんですから、吉本にいたら、人はどういう風に笑うんだか方程式を考えていました。

 国分:他の人と漫才をやってたわけですね、やすしさんは。

 西川:僕で、5回目なんですよ。
    コンビ別れの名人だというのは、聞いてました。
    だから、家内と結婚する時と同じで、
    新喜劇をやめさしていただいて、横山やすしさんと漫才をやらせていただきたいんですが
    って言ったら、また会社に叱られまして、
    お前、コンビ別れの名人やというのを聞いとるやろ。
    何で、そない会社の言うこと聞かへんねん。って怒られました。

 国分:どっちがやろうと言ったんですか。

 西川:それは、京都の喫茶店で、10回近く会いまして、最初は、お断りしたんですよ。
    あんな特技はできません、
    相手がしゃべったら、すぐに返さなければいけないんですもん。
    コンマ何秒の世界ですから。
    客席では見させていただいてますが、できませんってお断りした。
    できるって、できるって。いとも簡単に言うんですあの人。
    舞台にでるやろ二人で客おるやろ、そしたら年寄りか若いか見てな、
    若い人やったら朝刊夕刊、ベストセラーや週刊誌みてたらわかるやないか、
    それをわしが言うから、それに対して返してきたら客がわっと笑うねん、
    それが漫才や。そんなんで誰が笑います? 絶対笑いません。

 国分:ちょっと無理だと。

 西川:いや、やろうと心に決めたのは、
    家内のへレンが「やってみたら」って背中をポンッて押してくれたんです。

 国分:会社から怒られたにも関わらず、奥さんの言葉があったから
    やすしさんと一緒にコンビを組もうと思ったわけですか。

 西川:はい。
    芝居がたくさんある中のひとりやから、せりふもたくさんもらえないから、
    15分20分2人が主役でね、サンパチマイクの前で2人で立てるから
    自分たちの実力、勉強次第でどうにでもなるんだからがんばって、
    そう言うんでやってみたらというんで。

 美輪:奥さんもやってみたらって、奥さんも先見の明がおありね。

 西川:今日帰ったら、もういっぺん女房に聞いてみますわ、
    なんでお前やれといったかいうのを。


 初めての漫才への不安。
 誰もが反対した、やすしさんとのコンビ結成。
 悩む西川さんの背中を押したのは、妻のヘレンさんでした。



 西川:コンビ別れの名人の意味がすぐコンビ組んでわかったんです。
    まったく稽古しない人なんです。
    必ず捕まえて稽古して、喫茶店にすぐ行くんです。
    どこかへ必ず出掛けるんです。
    2時間なら2時間ネタをあわせてから出かけて下さいっていうのを再三お願いして、
    すぐ帰ってくる言うとるやないかい。ってすぐどっかに行こうとするんですよ。
    畳の楽屋でしたけれど、やってからでした。
    とにかく、稽古しないとだめですね。
    原稿用紙400字詰め30枚ね。
    きっちり覚えるいうのは、並大抵の努力というより、
    覚えなかったら自分たちが恥をかくんですもん。


 嫌がるやすしさんを説得し稽古を続けた結果、
 『やすきよ』の人気は急上昇。
 西川きよしという相方を得て、やっと“やすし”さんの才能が認められたのです。

 1970年 やすしさんは、タクシー運転手への傷害事件を起こし、
 長期の謹慎処分を受けます。

 やはり、やすしはコントロールできない。みんなはそう思いました。
 しかし、西川さんは諦めなかったのです。

 2年の謹慎にもかかわらず、
 やすきよの漫才はさらにパワーアップして復活します。

 1997年 上方の漫才大賞を受賞。
 テレビのレギュラー番組も、週に14本の人気タレント、名実ともに漫才の頂点に立ちます。



 美輪:私は、やすしさんと週刊誌で対談したんですよね。
    そのときは、礼儀正しくてちゃんとしてたのよ。
    めちゃくちゃに見えるけれど、神経質でね。
    着るものでも、1日2回ワイシャツを着替えるなんて、言ってましたよ。

 西川:神経質で、ピシッとしてるんですよ。
    でも、誰もいなくなったときが怖いんですよ。
    いいかげんとか、突然暴力を振るうとかそういう人じゃないんですよ。
    楽しい人なんですけれど、お酒ですね。

 国分:よっぱらって現場に来たことがあるという。

 西川:それは、数え切れないぐらいあるんですね。

 国分:来なかった時もあるとか。

 西川:来なかった時も、はい。
    何のために夜中の1時も2時もまで稽古したんだと。
    朝、8時にね、結局来ないんですから。
    等身大のやすしさんの写真をもってね、1時まで稽古したやつを、
    「なあ、そうやな」とか、馬鹿みたいなことをやってましたね。

 美輪:それはそれで、面白いわね。

 西川:そうですね、それを許してもらえるキャラクターをつくったのがすごいなーと思います。

 美輪:大阪のお客さんは、人情味がおありになるからでしょう。

 西川:普通でしたら、まあ、許されないです。
    今日みたいな、始まるセットの裏に水割りのセットが置いてあるんですよ。
    「これは何」とスタッフにいったら、
    「えっ、やすし師匠に用意しとけと言われてますんで」。
    「すぐ下げてくれ」って、僕と一緒の時は絶対飲ませません。
    でも、一人で出る時はお願いするんですよね。
    ちょっと一杯飲んだほうが楽しいことを言ってくれるだろうとか、
    面白い番組になるだろうとか。
    それはさせません、ケンカしてでも。

 美輪:それは、お守りが大変だったですね。
    話しは戻りますけれどね、
    やすしさんと対談中にね、不思議なものが見えたんですよね。
    日本のある土地ですけれどね、そこへあなた行く時がないといったんですよ。
    そこへ行くとあなたね、あんまりいいことが起きないはずよって。
    そこへ時々行ってるんでしょうって。
    この間の事件もそこへ行ってから起きたんじゃないのって言ったらね。
    「そうです」って言うからね。
    そこは、昔、村上水軍の拠点地だったところで、
    あんたその村上水軍にいたんだって。
    昔の海賊よ。

 西川:やすしさん海賊でした。

 美輪:わたしが、見たのはね。
    そういう風に見えたんですよ。

 西川:だから、船にエンジンつけて走るのが。

 美輪:あなたが競艇好きなのは、そこから来てるんだわって言って。
    それで納得っていう話があったの。


 頂点を極めたやすきよの漫才。
 そこへもうすぐ転機が訪れます。

 1986年 西川さんは、参院選に立候補。
 102万票を獲得しみごとトップ当選を果たします。

 一方、一人で活躍することが多くなったやすさんは、
 飲酒運転や暴行など相変わらずトラブルが絶えず、
 そして、1996年、アルコール性肝硬変で他界。

 コンビを組んで、30年。51年の太く短い生涯でした。



 国分:改めてやすしさんとの漫才人生はどう振り返ってますか。

 西川:本当に、人生30年のお付き合いですけれど、急いでました。
    人生急いでました、本当にね人生急いでました。
    もう少しゆっくりしてたらいいのになって、
    何をそんなにいらいらしてるのかわからないんです。

 国分:でも、僕は思うんですが、コンビ別れをすることが多かったやすしさんが、
    なぜきよし師匠とはこれだけ長く続いたんだと思いますか。

 西川:それは江原さんに聞きたいなと思ってきました。


 スターの座を捨てて西川さんと結婚したヘレンさん。
 2人を結びつけたたましいのきずなとは。

 そして、西川さんしかコンビを組めなかった。
 破天荒な天才横山やすしさん。

 亡くなって12年西川さんに伝える、大切なメッセージがありました。



 江原:最初、非常にビックリしたことがありましてね。
    このお宅の中で、一番の霊能者は奥さんだったと思うんです。

    逆にお伺いしたいんですけれど、奥さんを見てると一杯、仏さんが見えるんですよ、
    仏さんの信仰か何かなさってますか?

 西川:むちゃくちゃしてますわ。

 江原:それでいてね、
    これは夢物語と思って聞いて下さい。

    前世は、尼僧さんだったというのが見えるんですよ、
    その時からもそうなんだけれど、今もそうなんだけれど、
    師匠の人生を照らしてきたのは全部奥様でね。

    事あるごとに仏様にお努めをするんですよ。
    それでいて、漫才の道へ行ったらというのも奥さんの持ってる霊的力なんですね。

    それで、この奥さんつらい思いをなさって来たといのが、
    もう私が想像が及ばない位なさってるんですけれど、
    その分、内に秘めた感とか思いが強くてね、

    これはやらせるべきだとか、
    自分が身を引いてね、ご主人を表にだすということは、
    本当に大きな愛でないとできないことだと思うんですよ。

    だってご自身が華やかだったんですから。
    でも、自分の輝きは全部きよしさんに差し上げると。

 西川:まあ、あの、聞いたら悲惨な話ですわ。


 ヘレンさんの父はアメリカ人。
 外国人のような顔立ちのため小さいころからいじめを受けたといいます。



 西川:そういう生まれ育ちですから、
    米軍のキャンプを3歳の時からタップだとか歌だとかをならってね。
    ずーっと回ってたらしいんですよ。

 美輪:進駐軍を回っていると、周りは外国人ばかりだからいじめられないですものね。
    そこはハーフの人の天国。
    今は、ハーフはかっこいいとかの代名詞でしょう。
    昔は、まったくの逆だったの、
    本当に人間よくここまで意地悪になれるぐらいの意地悪ですものね。

 西川:同じ人間なのに何でここまで人をいじめるのかな。
    俺にもっと力があったらなって思いますね。

 国分:師匠も見られてるんですか。

 西川:もう、目の前ですから、
    せめて結婚させて下さいといった時から、
    職場結婚は認めないからどっちかやめろと、
    だから勇気をもってヘレンはやめさせますといったんですよ。

    2人でクビだと思ってました。
    それぐらい腹をくくって会社に行きました。


 吉本新喜劇のスターとなってもいじめを受けていたヘレンさん。
 そんな彼女を守ってくれていたのが、西川さんだったのです。
 漫才師、政治家の妻として西川さんを支え続けたヘレンさん。
 その献身的な愛には、2人の魂の絆がありました。



 江原:これは、さっきの尼僧さんの延長なんですけれどね。
    これは本当に夢物語です。

    お2人が親子関係である時がありますね。
    で、師匠をお子さんに持っててね、亡くされてるんですよ。
    そのご供養もあって尼僧になられてるんですよね。
    それで、今の人生は夫でもあるけれど、息子でもあるような気持ち。
    だから、この息子を育てなければという一心できた。
    だから、自分自身は我慢してということは一杯あったと思うんですよ。

    私にはこんな姿が見えるんですよ、
    今はそんなことはないでしょうが、
    自分自身を切り詰めてでも師匠に恥ずかしい格好をさせないようにとか、
    そういうことをやりくしていたという最初からの姿がね、ありまして。

    これは、奥さんとしてでもわかるんですけれど、母の心ですね。

    それと、さっきから困っていることがありましてね。
    やすしさん離れてないんですよ。
    要するに、やすしさん亡くなってあの世に行くというじゃないですか。
    行ってないですね。

    なにしろ、寂しがり。
    自分でマイペースでいるわりには、一人でいられない。
    そういう方だったと思うんです。

    それでいてね、師匠がいないと生きていけないんだというんですよ。
    それでいて、師匠がいたからこれでも長生きできたと思ってると。

    だから、相当面倒をかけられたと思うんですよ。
    普通の生活をさせるために寝させるもそうだし。
    お守りする仕事が議員としての仕事のために離れなければいけなくなった。
    でも常に介護してやらなければダメな人というか。
    それは今だになんですよ。

    だから、それぞれが自立しなければいけないというかね。
    その気持ち、だから亡くなってもやすしさんなんですよ。

    だけども、ヘレンさんはやすしさんのことも供養してるんですよ。
    祈ってるの。それでもまだ、いいんだけれど。

 西川:まあ、うちの家内は何かあったらお墓に行ってます。

 江原:感じてるんだと思います。
    ヘレンさんもね、
    要するにやすしさんまだ自立できてないというのをね。
    だから、やれるうちは供養しなきゃと、あの世に行かせなきゃと、
    成仏させてやらなきゃという気持ちがあるからだと思うんです。

    お帰りになったら聞いてみて下さい。
    もしかしたら本当のことをおっしゃるかもしれない。


 亡くなってもやすしさんは、甘えん坊でさびしがりやのまま。
 今だに西川さんのそばにいるというのです。



 美輪:成仏するというのは、仏の心になるということだから、
    自分で成長していって進化させていってね。
    大人になっていかなと仏の心にはなれないじゃないですか。
    ちいさな子供のままでいることを、自己改革しなきゃいけないということなんですよ。

    それを、自己改革しないでやんちゃん坊のままでいられる甘えがあるから、
    そうすると、成仏できないんですよ。

    で、これを聞いてると思いますけれど、
    そいういうことなのよ、やすしさん。

    聞いてる? 
    だからいつまでも甘ったれてはダメですよ。
    人に迷惑をかけちゃダメ、いままで十分に迷惑をかけたんだから。
    だから、皆さんに迷惑をかけないで恩返しを今からしなきゃだめなの。
    今からは、あなた自身も頭もいいし、ちゃんとしたところもあるんだから、
    それで、人々を慰め励まし、尊い仏、菩薩になったり如来になったり、
    まだまだ、これから先いっぱいあるんだよ。

    次から、素晴らしい人になるようにこれからご修行なさい。
    そのためにあなたここに来たんでしょう。

 国分:ちょっと聞きたいんですけれど、きよしさんがやすしさんのためにできることってあるんですかね。

 江原:自立しろと言ってあげたら。

 西川:朝晩、仏壇でお話してるんですけれど、一度も言ったことがないです。

 美輪:生きているのと同じように対処なさってるから、
    だから、いつまでも居心地がよくているんですよ。甘えて。

 江原:先ほど、稽古をされるときにね言われたそういう気持ちです。
    行くことが稽古だとさせればいいんです、
    ちゃんと自立しろ、じゃないとみんな困っちゃうんだと。

 西川:そう言ってあげることだけでいいんですか。

 美輪:そうそう。
    そうすると、向こうにそういう気持ちが芽生えれば、
    すーっと天窓がひらかれるみたいになるんですよ。

 江原:きっと奥様がそういうことだけを言えばきっとわかったと言います。
    どのようにすればいいのか奥様が教えてくれると思います。


 やすしさんにこの世にいてもらいたい。
 これは西川さんに限らず、やすきよを愛した人すべての人の願いだと思います。
 そんな思いがやすしさんの成仏を妨げてるとしたら、
 少なくとも自立が大切だと美輪、江原さんが言うのです。



★ オーラの言葉 ★

  霊は人間と同じ
  怖がれば、つけ上がる。
  人間関係と同様
  毅然と接すれば良い。



☆「オーラの泉」(2008/05/10放送)で、杉本彩さんが披露した不思議な話 (続編)

 前編はこちら
   http://nikki-yasu.seesaa.net/article/96250699.html



○阿部定の霊

 阿部定さんの霊が憑依している、と江原さん。
 小柄で華奢な感じの人に見える。

 ずっと一緒にいる、離れてくれない、と杉本さん。
 映画「JOHNEN 定の愛」が公開されて、代弁者として伝えきれて、
 初めて出てくれると思っている。

 呑まれ過ぎてはいけない、と江原さん。
 このままでは女優の仕事を続けられなくなってしまう。

 20代の頃から阿部定さんのことが気になっていて、歌の歌詞を
 書いたこともある、と杉本さん。
 昔から関心が高かった。
 共感できる部分がある。

 甘やかしてはいけない、と美輪さん。
 人に頼ってくるのは、甘えているから。
 自分を救うのは自分。
 人に頼って迷惑をかけているから苦しんでいる。


○上原さくらさん

 ここで、ゲストの上原さくらさんに異変。
 気分が悪くなり、ステージから降りてしまう。
 戻られた方がいい、と江原さん。
 怯えてしまうとダメ。
 ステージに戻る上原さん。
 怖がりだから動悸が激しかった、と上原さん。

 何でも過敏になるのは良くない。
 なめられたらダメ、と美輪さん。
 甘ったれてないでどけ、と言ってやると、寄ってこない。
 怯えていると、霊は脅かしたくなる。
 むやみに恐れる必要はない。


○霊感

 今後差し支えるから封印した方がいい、と江原さん。
 このままだと、杉本さんは役者よりも霊能者になってしまう可能性がある。

 気持ちの切り替えで切り抜けられるが、一度ドアを開けてしまったので、
 修復する必要がある。
 閉じる、という意識を持つこと。
posted by yasu463 at 22:41| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(1) | 江原啓之 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月10日

【オーラの泉】西川きよし

 本日、5月10日(土)夜7時は、“国分太一・美輪明宏・江原啓之のオーラの泉”

★ゲストは“西川きよし”さん。

 1946年、高知県生まれ。

 17歳で喜劇役者の道を歩み始めるが、当時の月収は2万円弱。

 一方、月給20万弱はあったという当時吉本で大スターだったヘレン杉本さんと結婚

 新喜劇では職場結婚が認められていなかったため、ヘレンさんが引退し、

 きよしさんが生活を背負って立つことに。

 「えらい格差婚。まさか“おいヘレン!”と呼び捨てにできるとは思わなかった」と、

 ヘレンさんとの出会いと結婚を振り返るきよしさん。

 その後、19歳のとき、“コンビ別れの名人”の異名をとる横山やすしさんに口説かれ、

 俳優から漫才の道へ。

 スピード感のある絶妙の掛け合いで一気にブレイクし、漫才の各賞を受賞するが、

 やすしさんが起こした傷害事件を機に活動がストップ。

 「やすしきよしは終わった…」 悲観的な周囲の声をよそに

 2年4カ月後には以前より格段におもしろくなった漫才で見事に復帰。

 週15本のレギュラーを抱え、漫才界の頂点に。

 1986年には参院選に出馬しトップ当選。公務と漫才を両立する日々が続くが、

 1996年、やすしさんがアルコール性肝硬変で他界…。

 「ヘレンと出会っていなかったら今の自分はない」の言葉通り、

 俳優から漫才へ転進した時の決め手はヘレンさんの言葉だったと語るきよしさん。

 そしてもう一つ、生を大きく左右した横山やすしさんとの出会い。

 大きな転機となったそれぞれの出会いに隠された意味とは…!?

 興味津々に話を聞き入るきよしさん。

 そして江原が観音様の話を始めたとたん、その大きな目から突然、大粒の涙が…!


西川きよし

 本  名: 西川 潔
 事務所 : 吉本興業
 出身地 : 大阪市住吉区
 生年月日: 1946年7月2日(61歳)

 お笑いタレント・元参議院議員・シーランド公国の伯爵。
 妻はタレント・西川ヘレン。
 愛妻家で知られており、子供は俳優の西川忠志(長男)と西川弘志(次男)、タレントの西川かの子(長女)。

 吉本興業所属。血液型はO型。高知県高知市生まれ。

 大阪市港区・住吉区育ち。三稜中学校卒業。

 愛称は「きよし師匠」、「きよっさん」、または「キー坊」。

 横山やすしとの漫才コンビ「やすしきよし」(略称・やすきよ)で活躍。

 漫才ブームの火付け役になり、日本武道館での公演も果たした。

 座右の銘は「小さな事からこつこつと」。

 坂田利夫とは前座時代からの親友。

 弟子にはエッセイストとしても活躍する漫才師、西川のりおとタレントの西川まさとらがいる。

 吉本興業では、桂三枝、笑福亭仁鶴と共にトップに君臨する。

 かつて発売された「よしもとタレント名鑑」では三枝と共にトップページに掲載された。

 2006年11月22日放送のフジテレビ「ザ・ベストハウス123」の番組にてシーランド公国の正式な伯爵の位を有することになった(この爵位は、数千円相当で購入可能なものである)。

 高知県で5人姉弟(姉が3人)の末っ子として生まれたが、父親が事業に手を出し失敗したことから大阪府に転居した。

 家計は苦しく、10才のときから新聞配達(毎日新聞)のアルバイトをするなどして家計を支えた。

 中学時代はサッカーに傾倒。

 高校でもサッカー部に所属することを希望していた。

 しかし、タクシー運転手だった父親が十二指腸肝炎で倒れたことから高校進学を断念しやむなく就職する。

 自動車修理工を経て、17歳で喜劇俳優の石井均に入門

 1年後吉本新喜劇に研究生として入団、白木みのるの付き人も務めた。

 以降端役ながら舞台に出演。

 しかし、マドンナ役であったヘレン杉本との交際が発覚。

 そのまま結婚し、ヘレン杉本は引退。

 きよしは会社・劇団から冷遇されてしまう(当時部長だった中邨秀雄は、人気女優だったヘレン杉本と無名のきよしとの結婚に反対していた)。

 低迷時代、きよし、坂田利夫はヘレンに食べさせてもらっており、3人で暮らしていた。

 また、同時期に共に苦労したレツゴー三匹のじゅんとも親友として知られており、きよしは「坂田くんとじゅんちゃんは、いつも自分のことを心配してくれる大事な人」とコメントしている。

 1966年劇場の出囃子の三味線を弾いていた女性の進めで横山やすし(西川と同じ高知県生まれの大阪府育ち)と漫才コンビを結成。

 次第に頭角を現す。第一次演芸ブーム(1965年〜1970年)の折、東京ぼん太の後釜として起用されたフジテレビ「お茶の間寄席」司会や、朝日放送系列の全国ネット番組「てなもんや三度笠」のレギュラー出演等で東京にも進出。

 1970年の暴行事件をはじめとした横山やすしの不祥事でコンビ活動自粛の際も、「素人名人会」(毎日放送テレビ)「爆笑寄席」、「ナイトパンチ」、「パンチDEデート」(以上、関西テレビ)、「仁鶴・きよしのただいま恋愛中」、「プロポーズ大作戦」(以上、朝日放送テレビ)、「料理天国」(TBS)、「スター誕生!」(日本テレビ)などテレビ司会者として活路を見いだす。(きよし本人は解散を申し出た、との話もある。どちらにしても、司会業が彼に合ったことで、やすきよ伝説は生まれている。

 また、この間芽生えた桂三枝との友情は、彼のキャリアに大きく影響している)さらに漫才ブーム(1980年〜1982年ごろ)では人気が頂点に達する。

 1986年、参議院議員選挙に立候補し初当選。

 義母の介護経験から福祉関連に力を入れ、3期18年間に渡る議員生活を展開してきた。

 二院クラブ所属だが、政治姿勢は全体的に保守系与党寄りであった。

 2004年1月、同年7月の参議院選挙に立候補をせず、政界から身を引きタレントとしての活動に専念しつつ、福祉関係の仕事に従事すると発表した。


★“本当にあった不思議体験”の続編

 前回のスペシャルで始まった衝撃の新企画「本当にあった不思議体験」!

 神秘体験を持つ芸能人がスタジオに大集結!!

 次々に驚異の不思議体験が語られる中、

 突然、上原さくらさんに異変が…!

 止む無くスタジオ退場した上原さんの身に一体何が起きたのか!?

 そして「今も憑いている」と明かされた杉本彩さんの驚異の憑依体質。

 それを見た美輪が…!!

 驚きの展開となった新コーナーの待望の後半部分が明らかになる!


前回内容を確認したい方は、こちら↓
 http://nikki-yasu.seesaa.net/article/96250699.html

詳細版は、こちら↓
 http://nikki-yasu.seesaa.net/article/96954813.html
posted by yasu463 at 13:32| 東京 ?J| Comment(0) | TrackBack(1) | 江原啓之 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【オーラの泉スペシャル】小室哲哉

○小室哲哉さんのプロフィール

 1984年 TM NETWORK(ティーエム・ネットワーク)のメンバーとしてデビュー。
 1986年 渡辺美里さんに「My Revolution」を提供。日本レコード大賞作曲賞を受賞。
 1988年 第39回NHK「紅白歌合戦」に初出場。
 1988年 アイドル歌手の大谷香奈子さんと結婚。
 1992年 大谷香奈子さんと離婚。
 2001年 「Kiss Destination」の吉田麻美さんと再婚。
 2002年 吉田麻美さんと離婚。
 2002年 「globe」のKEIKO(KCO)さんと再婚。

 生年月日 1958年(S33年)11月27日(49歳)*世田谷区三軒茶屋で生まれる。
 出身地  東京都世田谷区、千葉県柏市、東京都府中市
 血液型  O型
 星 座  射手座
 身 長  168cm
 学 歴  早稲田大学中退(早稲田実業学校高等部商業科卒業)

 小室哲哉がこれまでにプロデュースしたシングル・アルバムの総売上枚数は、約1億7000万枚に達する。
 日本の作詞家別シングル総売上枚数は阿久悠に次ぎ第2位、作曲家別シングル総売上枚数は筒美京平に次ぎ第2位を誇る。

 1996年4月15日付けのオリコンシングルチャートで、小室哲哉が作詞・作曲・プロデュースを行った楽曲が1位から5位を独占した。
 同一作家、兼、プロデューサーによる上位5曲独占は全世界音楽史上初。

  1位 安室奈美恵 / 「Don't wanna cry」
  2位 華原朋美 / 「I'm proud」
  3位 globe / 「FREEDOM」
  4位 dos / 「Baby baby baby」
  5位 trf /「Love & Peace Forever」


○スピリチュアルチェック

 ・小さい頃なりたかった職業は何ですか。
  ミュージシャン

 ・好きな言葉を教えてください。
  「いとしさと せつなさと 心強さと」

 ・何か苦手なものはありますか。
  魚介類

 ・人生で一番つらかったことはなんですか。
  家族が出来てから色々な噂、自分一人とは違うと感じました

 ・この世でなくなると困るものはなんですか。
  奥さん


○江原さん美輪さんを音楽で分析

 国分:ここに小室さんが来るとは思わなかったですけれど。

    ちょうど年末に歌番組で「僕、出たいんです」ということを言われたんですよ。
    もうそんなもんぜひ、お願いしますというお話しをしたんですけれど。
    これも、夢が叶ったというか。

 小室:そうですね。
    深夜の時からいつの間にか見ていて。

    美輪さんの声がすごいじゃないですか、
    単音じゃないっていうか、8個か10個の声が聞こえてるんですけれど。

 美輪:それはすごい感覚をもっているからでしょう。

 小室:しかもマイナーコードじゃなくて、
    メジャーコードで、だから心地よいですね。

    江原さんもそうですね。テンポあるじゃないですか。

 美輪:江戸っ子のテンポなんですよ。

 小室:ブレスとかタイミングとか綺麗にすごくリズミカルですけれど。

 国分:名前が挙がらないですけど。

 小室:もうちょっと大人になったらいいですね。

  人間の声や楽器には、音の高さを決める基音のほかに、
  倍音という高い周波数の音が含まれています。

  たとえば、同じ“ド”の音でも楽器によって違う音に聞こえるのは、
  含まれる倍音の違いが音色の違いとして聞こえるからです。

  人並みはずれた耳のよさと、音へのこだわりそれは、
  小室さんのたましいを紐解くキーワードなのです。

  そもそも、現在の奥さんのkco(ケイコ)さんを
  globeのボーカルに起用したのもはりつめた高音の美しさからでした

  そして、単に聴覚がするどいだけではなかったのです

 小室:イギリスにいて、寝てて、すごいスピードでホテルの階段を、
    パッと気がついたら大阪にいたんですよ。

    十三(じゅうそう)ってあります。
    僕は知らなかったんですけれど、その辺にいたんです。
     *十三(じゅうそう)は、大阪府大阪市淀川区にある地名。
      十三駅付近のエリアを指すこともある。
      地名の由来は諸説あるが、昔ここにあった淀川の渡しが、
      摂津国において上流から13番目だったというのが一般的。

    それでまた、バッと帰ってきたりとか、ロンドンで寝てたんですけれど。

 美輪:大阪の十三に飛んでたんですね。

 小室:高速道路の上にいたんですよ。
    危なかったですけれど。

 美輪:瞬間移動でね。

 小室:みたいなことですね。

  さらに、奥さんのkco(ケイコ)さんと出会ってから不思議なことが

 小室:家のkcoの関係の家族ですけれど、
    僕も知らない、kcoも知らない、他界されてて。

    こんな格好して、こんな人っていうのがいて、
    唯一昔の人が知ってるので確認してもらったら、
    藤色のカーディガン着てるとか。

 美輪:奥さんの周りの人のことが見えたわけですね。

 小室:はい。時々いる感じがして。
    一応、そのときの格好を言ってみた。

 国分:もう、江原さんじゃないですか。

 小室:わからないですから、まったく。

 江原:あの、いるときに追及すれば私と一緒ということなんです。
    追求なさってなかったんです。
    それで何が言いたいんですか、あなたわって、もっと追及していけば、
    こういう名前の人でこうだったとか、
    そこまでね、理由とか。

 国分:それは、小室さんがしなかったわけで、
    それを心の中で言ったら伝えてくれるわけですか。

 美輪:そうそう。

 国分:ちなみに、会話はしたことがあるんですか。

 小室:無いですね。

 美輪:なさればいいのよ。
    でも、江原さんもそうだけれど、小室さんもね、
    童心というか子供のまんまみたいな方だから、
    そういう方がそうなりやすい。
    邪心がないから。

  類まれな鋭敏な感覚で次々にヒット曲を出していった小室さん
  しかし、その裏には大きな苦労が。

  1958年 東京生まれ。
  3歳からバイオリンを習い始めた小室さんに衝撃的な出会いがありました
  1970年 万博の会場で聞いた、冨田勲のシンセサイザーミュージック
  小室さんの音楽の方向性を決める運命の出会いでした。

  家にあったエレクトーンを親に内緒で友人に売り、
  そのお金で、シンセサイザーを買い家でこっそり練習をした小室さん

  プロのミュージシャンになるため、早稲田大学を中退
  1984年 25歳で、TM NETWORKとしてデビューを果たしましたが、
  売れない日々が続きました。

 国分:まず、3歳からバイオリンを。

 小室:そうですね。
    親が反対して、すぐやめて。
    僕の家では音楽はダメだって父親が反対して。
 
 美輪:何で、音楽は絶対ダメ。
    聞くのは。

 小室:聞くのはぎりぎりですかね。
    一緒に住んでた時代もありましたけれど、 10年近くはしゃべらなかったですね。
    ちょっと芽が出てきたぐらいで、話せるようになった。

 国分:鍵盤との出会いというのは、いつ頃になるんですか。

 小室:万博の冨田勲さんのシンセサイザーの音は何だっていう、
    それで、家のものを売ったりして一台買ったんです。
    そのときで、ピアノとかはないです。

 国分:では、お父さんは反対なわけですよね、
    音楽は。

 小室:だから、部屋でヘッドホンで。

 美輪:音がもれないよに。

 小室:ええ。
    まあ、だから、ちゃんとやりだしたのはプロになってからです。

 美輪:じゃあ、ほとんど独学。

 小室:そうですね、
    ピアノの譜面読めないですね。

 美輪:今は、お読みになる。

 小室:読めないです。
    コードは読めても、おたまじゃくしでは弾けないです。

 国分:本当ですか、やった! 近い。

 美輪:そういう方の方が売れるのね。
    音楽学校出て、音楽理論でつくる人って売れないのね。
    感性の邪魔されないで、感性のままっていうのは逆によろしかったのね。


 小室さんが最初に注目されたのは、1986年に渡辺美里さんが歌った
 『マイレボリューション』のヒット

 作曲家としてまず注目され、翌年、TM NETWORKの『GET WILD』のヒットで人気グループに、その後もトップアイドルたちにヒット曲を提供し、また、自分で結成したTRFを結成し、次々にヒットを飛ばしていきます。

 CDの売り上げを合計すると、17000万枚を突破、ヒットチャート1位から5位までを独占。
 レコード大賞4年連続受賞など、音楽史上に残る記録を次々と打ち立てていきます。

 その結果、96年と97年の長者番付けでは、全国で4位という高額納税者に
 しかし、ステージ以外の小室さんは意外なほど沈んでいました。

 そんな中で、大きな転機が小室さんに訪れていました。

 1995年、後にかけがえのないパートナーとなる、KCO(ケイコ)さんと出会い、
 globeを結成、仕事の上ではまさに絶頂期を迎えていました。

 しかし、一年間に90曲、4日に1曲のペースで曲をつくり続けた小室さん、スタジオにこもる日が続き、2度の離婚を経験、プライベートの生活はないも同然でした。


 国分:こうやってみましても、すごい人生ですよね。
    長者番付4位に入ったというような。

 小室:なに一つつ実感がないですね。

 国分:結構、お金とかも使ったりとかもしたんじゃないですか。

 小室:使ったと思いますけれど、その時は、独身で守るものが無かったので、
    どうでもいいやっていう。
    どうにでもなっちゃえっていう投げやりな感じでしたね。

 国分:素朴な質問ですけれど、
    従兄弟のお年玉とか、いくらぐらいあげてたんですか。

 小室:まじめに話すと、きっと誰かがあげてたと思いますね。
    一体どのくらいが、どのこまで、オートマチックに流れていたのかわからないですね。

 国分:すごい、少なからず、僕のところまでは、来なかったですね。

 美輪:何でも殿様ね、「よきにはからえ」でおしまい。

 小室:裸の王様ですね。
    王様といわれた時点で、ちょっと違うなと思ってましたね。

 美輪:精神的には、いかがでした。

 小室:ここ何年かで、昔をみたりしているんですけれど、
    やっぱり、本当に笑ってないんですよね。

 美輪:今、お話していて、何度か笑ってらっしゃるでしょう。
    小室さんも笑うんだわと思ったの。

 江原:今と、まるでオーラが違うんですよ。
    赤なんだけれど、どす黒い赤があってね。
    多分、実行する時間がなかったんじゃないかと思う。

    自分の時間をつくることより、当時は、常に音楽をつくることしか頭に考えが無くて、
    それで、時間、時間にせっつかれて、今の方がまったく違うというのは、
    まるで穏やかな綺麗な紫がかかって、全然、別人なんですよ。

    今は、人生を見つめる時、要するに内観というのだけれど。
    そういう時間がもててるけれど、その当時は持てない。
    だから、まともに寝てもいなかったんじゃないですか、当時。

 小室:いつ寝て、いつ起きて、いつ何を食べたのかもなんか。

 江原:現実とうつつとを行ったりきたり。

 小室:そうですね。
    あと何か、消したいというのが、記憶から抹消したいというのが多いですから。

 国分:その当時、数々の賞を総なめしたんですけれど、その賞は、うれしかったですか。

 小室:いや、別に嬉しくないとは言わないですけれど、
    底に向けて頑張ったりとかではないですから。
    流れですから。
    だから、わけがわかんなかったです、ずっと。

 国分:4日に1曲という計算になるんですけれど、90曲書いていたら。

 小室:曲を作る時間以外に一日の時間はほとんどなかったですね。
    だけど、曲に対する愛情とかはあって、音楽にだけは、妥協したくなかったですね。

 江原:曲を作るというが、自分と対話していた時間ですね。

 小室:僕もしも、歌がうまかったら、歌を歌ってたと思うんですけれど、
    詩は女の人に書いてる詩が多いんですけれど、ほとんど自分の事ですね。

 江原:独り言っていうじゃないですか。
    よく自分で考えている事を、知らない間に独り言を言っている、
    だから、その独り言の究極の形で、音楽との通じていてね。

    だから、あるとき友達だったり、あるとき自分に言い聞かせていたり、
    そういう形が、逆にすごいエナジーがこもって表にでたということなんでしょうね。

 小室:理想も入れたし、夢もいれましたし。
    まずいですね。もう、完全にオーラペースになってますね。


 天才といわれた、ヒットメーカーの孤独
 女性のために作った曲でも、詩の内容は自分の気持ちだったという小室さん
 当時の気持ちを表したヒット曲もありました。
 小室さんのユニット、H Jungle With tの「ウォウ・ウォー・トゥナイト」(95年)

  ♪温泉でも行こうなんていつも話してる。
   落ち着いたら仲間で行こうなんてでも
   全然暇にならずに、時代が追いかけてくる。
   走ることから逃げたくなってる♪

 いくらヒットを飛ばし、記録を打ち立てても、も癒されないたましいの孤独が。

 それを救ったのが、現在の奥さん、KCO(ケイコ)さんだったのです。


 美輪:小室さんの人生って、こうやって今笑ってらっしゃるのが不思議なぐらいの
    ずーっと笑いのない人生なのよね。
    微笑みのない人生は、小さい頃からずーっとそうなの。

 江原:こんな事をいっては失礼だけれど、いや、本当によく生きてこられたなと。

 小室:ええ。

 美輪:普通ならどうやって笑ったらいいんだか、微笑んだらいいんだか、
    忘れるような人生でいらしたのよね。

 小室:もうだめかなと思ったことも何度も、何度もあります。

 美輪:一人ぼっちは怖いから大勢のなかにいたいのね。
    大勢の中にいたいんだけれど、コミュニケートされるとうるさいの、
    だから、大勢の中に一人でいたいの。

 小室:そうですね。

 江原:それで、コミュニケーションを望んでないわけじゃないんです。
    でも、時間が無かったりということがずーっと続いてて、
    家族とか友人とかがある意味鍵盤であったりとか、
    詩であったり、会話でね。

    今の奥さんと出会うまでね、人との会話が出来てなかったんじゃないかと、
    ごめんなさい。

 小室:なかったです。うーん。


 小室さんの孤独なたましいを癒した女性、それが今の奥さんのKCO(ケイコ)さんです。
 2人の出会いは14年前、そこでとんでもないアクシデント(客席に転落)
 アクシデントにもめげず、歌唱力を発揮し、何より、小室さんの心をとらえたのは、その歌声でした。

 天才プロデューサーをうならせた高音の輝き。
 1995年 globeのボーカルとしてデビュー。
 数々のヒット曲を世に送り出していきます。

 もちろん、当時の2人は、仕事上のパートナー。
 KCOさんは、小室さんを先生と呼んでいましたが、
 2人の関係は徐々に近づいていきました。

 そして、2002年2人は、結婚。小室さんにとってKCOさんは、人生のパートナー
 孤独なたましいを癒してくれるかけがえのない女性と出会ったのです。


 国分:この世から無くなると困るのが奥さんと。

 小室:ええ。

 国分:奥さんはどんな存在ですか。

 小室:子供ですね。

 美輪:どちらが子供ということですか。

 小室:僕ですね。

 美輪:あちらから見て小室さんが子供ということね。
    そうかもしれませんね。
    人間というものを信じられるようになったのは、初めての方じゃないですか。

 小室:はい。はじめてです。

 江原:奥様だけではなくて、奥様と向こうの家族もひっくるめての結婚という感じ。
    だから、すべてを得たんですね。
    それまで、お家も実家もあっても、常に自分と自分との対話であっただろうなと、
    新しいお家に自分と奥さんと一緒に生まれたような気分というか、
    そういうような、人生がまるで変わった。

 小室:そのとおりですね。

 江原:お父さんてこうなのか、お母さんてこうなのか、家族ってこうなのか、
    親戚、身内、ああ、こういう風な感じなのかって、
    それも、びくびくするような感じじゃなくて、スポッと入れられた感じ。
    今まで、孤独を味わってきた部分のご褒美でもあったんじゃないですか。

 国分:KCOさんのご家族の影響はありますか。

 小室:初めて、親子とか親戚とかがこういう風になりたっているんだとか、ここ何年で学びましたね。
    本当になにも知らなかったですね。
    一年での、お祭りとかお盆とか、こんなに知らなかったのかというぐらい。

 美輪:それは、現代に生きてる人は、七夕祭りいいなとかね、
    そういう情緒とかいうのが感じられるのは、現代の人は少ないんじゃない。
    現代の申し子みたいな方だから。

 江原:とにかく衣食住まったく頓着ありませんでしたでしょう。

 小室:まったくなかったですね。
    宇宙食で良いって言ってましたからね。

 江原:今は、そうじゃないですか食事をいただくというよりは、
    栄養という数字の上だけだとか。

 美輪:盛り付けの知恵みたいなものが現代は、まったくないじゃないですか。

 江原:そう。満たされればいいみたいなね。
    それが、昔は、季節を楽しんだり、美を楽しんだりとか。

 小室:初めて、正月の餅をつきましたね。
    生まれて初めて。
    おもちが出来るプロセスがそこで見えたというかね。
    切り餅しかないじゃないですか。

 江原:現代の人は、それこそお餅ができるのがわかってないかもしれません。

 美輪:畑で木になっててね、お餅の格好のままでてくると思ってるんじゃないですか。

 江原:それがわからないお子さんが多いと言いますね。
    なすがどうやってできるかわからない、
    ナスは土の中に入ってるとか、変なことを言うお子さんとかね。

 小室:餅できるとき唖然と立ち尽くしてましたからね。
    だんだん出来てるよみたいな。


 どんなに曲が売れても癒されることのなかった、たましいの孤独
 そこで、ようやくつかんだしあわせ


 江原:先ほど、ご自身がもう少し歌えればといっていたでしょう。
    これね、前の生で歌ってらっしゃったのが見える、しかも、女性でね。
    それでいて、とにかく熱心で、勉強家で一生懸命やるんだけれど、
    常にどれだけ、高い声を出せるかということを自分で訓練していて、
    そして、自在に声が使えるように、表現できるようにっていう風にやった挙句に声を壊してしまう。
    それで、歌を歌えなくなってしまうことがあったんですね。

    先ほど、女性に書く歌が多いとおっしゃっていましたけれど、
    あえて女性の声で歌う曲、それは依頼があったからとか求められたからとかじゃなく、
    歌わせるなら女性に歌わせたい、
    しかも、極力高い声で、ソプラノみたいな高い声でね。
    光のある高音そういったものを出させたいっていうことが、
    自然にわいてくるようなことはなかったですか。

 小室:うーん。決めたわけじゃないです、自然だと思います。
    いつのまにかそう思ったところがありますね。

 江原:ある意味、歌手泣かせだったんじゃなかったかと思います。
    曲的には難しくて。

 小室:うーん。そのとおりですね。

 美輪:転調の仕方があれだと歌い手も困っちゃうものね。

 小室:だから、ちょっと意地悪だったかもしれませんね。

 美輪:いや、マリア・カラスがね、
    本当は、メゾソプラノだったんだけれど、
    大体、メゾソプラノとかアルトとかは、脇役なんですよね。
    悔しいから、主役を務めようと、
    ソプラノコルラツーラっていうのがあるんですよ、一番高いの。
    ソプラノを務めようと音域を広くするんですよ。
    マリアは、それで高い音を出そうとしたんだけれど、
    ツケが回ってきて早くに声を失って、引退したんですよ。

    だから、小室さんの前世の話を聞いてて、
    ああ、カラスとおんなじなんだわと思ったんです。

 江原:そのとおりなんです。
    それは、カラスの歌だけじゃなくて、生い立ち的にも。


 20世紀最高のソプラノといわれた、『マリア・カラス』
 華やかな舞台の裏で、彼女の人生は孤独でした
 芸術家肌の母親に愛されなかった少女時代
 世界を騒がさせた大富豪オナシスとの出会いと別れ
 生涯、家族に恵まれずひっそりと他界した、伝説の歌姫なのです

 カラスのように悲しい人生を送った小室さんの前世
 そこから導かれる現在の役割がありました


 江原:実は、すごく家族思いで生きてきたんだけれど、
    なんか常に孤独になっちゃうそんなものがあって、
    それで歌で表現することでカラスは生きてて、
    どこかで歌手として成功して親から認めてもらおうというところがあって、
    まさにおっしゃったそういう前世というのがあって、
    だから今回は、自分が作りそして表現する。

    そして、この時代を象徴するところもあって、
    そいうものがあって小室さんは生まれ生きている。

    食べ物もそうじゃないですか、
    今は個食といわれるけれど、まさにそうでしょう。

    そういった意味で、小室さんが発信することは、
    たくさんの役割があるんじゃないかと思うんです。

    それでいてね、
    もうひとつに、家族から受け入れられたということに、
    奥さんのお父さんが出てこられるんです。

    そして、本当に息子さんにしてくれましたね。

 小室:はい。
    何ていうかな、逃げてばっかりいたわけなんですけれど、
    逃げたくない、そこに何とか入りたいっていうことで。

    去年、他界したんですけれど、
    最後、病院に行ったんですけれど、
    最後言葉をみんなにかけたのは、僕だったんですよ。

    このしゃべらない僕が、今までだったら一歩か二歩さがるんですが、
    なぜか先頭に立って
    「お父さんにありがとおって」って叫んでいたんですよね。

 江原:その部分は簡単でね、
    あのね、無償の愛なんですよ。

    いろんなものを逃げてきたのも無償の愛じゃなかったんですよ。
    人間関係で、いろいろな代償を求められてきたんだけれど、
    そこには無償の愛があったんですね。

    小室さんが何であろうとよかったんですよ、
    そこには、一人の息子としてね。
    男としての付き合いもあるし。

 小室:そういう人でしたね。

 美輪:何か、お父さんからプレゼントみたいなものをおもらいになった。

 江原:無理やり食べさせられたというのが大きなプレゼントでしょうね。

 小室:おお、すごいですね。

 江原:食べろ、食べろ、食べろ、そんなんじゃ病気になるだろう、
    そんなんじゃ、力でないだろうとか。

 小室:日々、そうだったですね。

 江原:「苦痛だったろう」っていってます。

 小室:あーっ。
    ちょっと、そういうところはありましたけれどね。

    魚介類が、ふぐを何とか食べさせたかったんでしょうね。
    あの、最終的にそうめんにしてくれたんですよ。
    寒天みたいにしてつゆをつけて、
    「これなら食べられるだろう」って。
    食べたら、まあおいしかった。
    そっからが始まりでした、卵やなにやら。

 江原:まともに米も食べられなかったって言うんですもの。

 美輪:それが、形見。

 小室:印象といえば、それですね。

 美輪:何よりのプレゼントじゃないですかね。


 体の弱い小室さんを気遣ってくれたのです。


 江原:亡くなられたというか、本人はその亡くなり方をすごく気に入っていてね、
    自分が望んでいたいさぎよく散るみたいなね。

 小室:そうだということになってますね。
    意見が一致しています。

 江原:ご本人は望みがかなった、でも周りは、早すぎる早すぎるっていう。
    でもね、これは全部お膳立てして去るよりもね、
    あるところで、パッと渡した方がいいんだと、
    それで、後に苦労があった方が、自分のものになるんだと。

    出来上がったところにあれしたら、自分のものにならないと、
    自分自身満足、悔やむこともない。

    今まで、みんなにぶつかっていった、
    ぶつかって愛情を確かめるタイプだから。
    今で言う、うざいと思う人は、うざいと思ったかもしれない。

 小室:最初からもう、
    でも、初めてだったんです、そういう人。

 江原:不思議なもので、いろいろな旅の中で、
    たましいの旅の中で、
    そして今で、いろいろな苦労があったでしょうが、
    その中で普通はたどり着けない、
    無償の愛にたどり着いたんですね。

    だから、世間一般からすると音楽活動の方が、
    誰にでもなれるもんじゃない、
    一握りの中のその頂点ですが、そうじゃない。
    小室さんにしてみれば自動的になった。
    でも、家族の愛情をもらう方が、えらく時間がかかられているんです。

 美輪:やっと得るために生まれてきたんです。
    それが、やっと得られて、
    無償の愛というのは、お若いのでおわかりにならないでしょうが、
    何にもみかえりを要求しないこと。

    蹴られても何されても、それでも愛し続けるの、
    お父さんはそういう方だったのね。

 江原:愛の賛歌の世界ですね。


 さびしいたましいを癒してくれた最高の家族との出会い。
 生まれ変わった小室さんに新たな役割がありました。


 江原:あの、一言で言うとね、
    今は、あせるなということです。
    あせるなということは、本当の自分でいこうと思っているのはいいんだけれど、
    それにも時期があるというんです。

    自然と道は開けてくるからね、泰然自若としてね、
    日が上がってきたな、朝になってきたなというのを待ってればいいと。

    その時は、何かをしてなくても行かなくちゃいけない時なんだという時があって、
    ずっとこれからまた、新たな小室さんの時代がやって来るというかね、
    本当にこれをしたかったんだということが、
    形としてあらわれるときを迎えます。

    けれども、急がないようにと。
    お父さんも仲介はしてくれているんだけれど、
    実はね、小室さんのお爺さんなんですよ。
    でも小室さんとはあんまり接することはなかったって。

 小室:記憶にちょっとぐらいあるぐらいですね。

 江原:そうなんだけれど、
    内面的には、すごく似てる人なんですよ。
    そのおじいさんもすごく喜んでいる。
    なぜかというと、
    そのお爺さんさんも家系的には、ちょっと寂しいんですよ、
    みんながばらばらっとなっちゃって。
    だから、この世をさびしく終わっちゃったんですよ。
    だから、今の小室さんの状況をすごく喜んでいるの。

    心からこれで良かったということをおっしゃっていて、
    その方の教訓もそうだし、前世からのこともあって、
    焦らないように、急がないようにというようなね。

    この世的なことをいうと、
    後、2〜3年後には新しいことがさーっと膨らんでいってね、
    道が広がっていきますよというのね。

    もう一つ言っていいですか?
    移住です。

 小室:移住ですか、思ってましたけれどね。

 美輪:いずれね、この方(江原)もおんなじことをね。
    だから笑ってらしたのね。

 小室:江原さんは、移住しちゃいけないんですか?

 美輪:そうそう、日本での役目がたくさんあるから、そう。

 江原:出国禁止ですから。

 美輪:おんなじなんですよ。

 国分:じゃあ今日でその考えはやめてもらって。

 美輪:やらなきゃいけないことが、日本でね、一杯出てきますしね、
    それがちょっと大変なお仕事でね、
    まず、日本から発信すればいいんです。そう。

 国分:江原さんからあせるなということがあったんですが、
    そんなことがあったんですか。

 江原:あせるなというより、急ぐなかもしれません。

 小室:そうですね、
    ネットとかで、スピードがより速くなっちゃてるから、
    急がなくちゃいけないですか、
    だから、そのスピードにあわせると急がなきゃいけなくなっちゃうっていうのはありますね。
    でも、本当はもっとゆっくりやりたいというのはありますね。

 美輪:というのはね、
    原点を見つめなおせということなのかもしれないんです。
    原点なんでした。
    冨田勲でしょう。そこなんです。

 小室:はい、はい。
    いまちょっと、悪寒が走りましたけれど、
    すごくよくわかります。
    わかっちゃいました。

 江原:小室さんは、現代の象徴みたいなものでね。
    いみじくも、本人もおっしゃってましたけれど、
    今は早いからそれにあわせなくちゃいけないと思って原点が見えなくなっちゃった。
    これはね、現代人がみんな共通することだと思うんですよ。

 美輪:基本建築、土台があればね、怖いものなどありはしませんよ。
    冨田勲さんなんかは、世界に誇れる素晴らしい音楽家だし、
    だからそれを分解しちゃって、租借して食べて、
    細胞にするの、するとより本格的なものができるじゃないですか。


 1970年、万博で出会った冨田勲さんの音楽、
 日本で初めて、クラシック音楽にシンセサイザーを導入した
 神秘的で幻想的な音楽は、世界中で絶賛されました。

 小室さんの音楽原点ともいえる冨田勲さんの音楽が、
 今、再び将来のヒントになるというのです。
 それは、小室さんにとっては、決して意外なことではなかったのです。


 小室:今、設計図的なものがふわーっと出てたところだったんですよ。
    今、そこまで出来てないんですけれど。
    なんの設計図なんだろっていうの。
    わかんなかったんです。

 美輪:だから今まで聞いたことの無いような、
    ロックなんだかシンフォニーだか
    わかんないようなものが頭の中で聞こえてくる。でしょう。

    だから、それをお作りになってるのが聞こえてるわけよ。
    原点はなにかといったら、そこは冨田勲から始まっているのよ。

 小室:冨田さんのは、日本を彩る音だったんで、
    どうだ、日本の音は、って事でしたからね。


 美輪さんと江原さんに聞こえたという小室さんの未来の作品
 それは、電子音楽でロックとクラシックを融合した壮大なシンフォニー
 小室さんが世界に発信する日本の音なのです。


★スピリチュアル・メッセージ

  “普通の幸せを得るまでに

   長く辛い道を歩まれた小室さん。

   新しい家族を得て生まれ変わった今

   急がず、あせらず、

   2〜3年のうちに、新しい道が開けます”


★オーラの言葉

  “私に無償の愛を教えてくれたのは

   私を愛してくれた人たちでした

   彼らがいたから私は信じられます

   絶対的な愛、絶えることのない愛

   そんな無償の愛が、

   この世に存在するのだと”



★“オーラな出来事” 「12時間 心臓が止まった男」

 2007年8月、韓国で医学的にはあり得ない不思議な出来事が起きた。

 記録によると、約12時間心臓が止まっていた男性が奇跡的な生還を果たし、脳への障害も無かった。

 また、彼は死の淵をさまよっている間、不思議な体験をした。

 韓国益山(イクサン)市に住むその男性は、韓国を代表する文化人。

 画家のイさんだった。

 1977年に人間国宝にも認定された芸術家であり、南大門の丹青もイさんの筆によるもの。

 イさんは、1993年2月、結婚式に出席するために済州島へ行った時、気分が悪くなり、心臓発作が起きた。

 すぐに救急車で運ばれたが、病院到着前に心臓が停止。

 心臓マッサージや電気ショックを行ったが、心臓は動かなかった。

 通常、心臓停止から10分以上経過すると、蘇生しても脳や体に何らかの障害が出る。

 当時の診断書によると、急性心筋梗塞による心臓停止、と記入されている。


 イさんはその時、不思議な夢を見ている。

 とても暗い場所にいて、前に進むと明るい光りが見えてきた。

 光を抜けると両側に花がたくさん咲いていて、川が流れていた。

 川の向こうでは、人々が記念写真を撮っていて、手招きしながら「早く渡っておいで」と呼んでいた。

 「家族がまだ来ていないから、まだ行けない」と拒否すると、その中の1人がテコンドーのような格好で近づいてきた。

 イさんはその人に胸を蹴られ、その場で倒れこんだ。

 その後、知らない子供がいきなり現れて、起こそうとしていた。

 子供は「死神はもういないから安心していいよ」と言い、目を開けると、誰もいなくなっていた。

 その頃、病院では再度、心臓に電気ショックを与えていた。

 すると、心臓が動き出した。

 イさんが目を開けると、病院で医者が頬を叩いていた。

 12時間も死んでいた、と後で聞かされ、本当に驚いた。

 現在は、脳に障害も無く、元気に生きているのは奇跡としか言いようがない。


 ●江原啓之さんの見解●

 臨死体験は、東西問わずに同じような光景になる。

 暗闇とお花畑と川はセットになっている。

 川はこの世とあの世の境とされているので、その認識がそう見せているという説もあるが、

 実際にあの世の景色はそうであると言われている。

 このような出来事が起きたのは、一種のお役目。

 異例な出来事がある事で、今までの常識を過信してはいけない、人間の未知なる力を教えている。

 人間国宝のような方だから、それだけの影響力がある。

 テコンドーの人が出てきたのは、あの世の景色と幻覚が混ざり合っていたから。

 電気ショックが蹴られたイメージとして現れ、医者からの掛け声が子供の映像として現れた。



★高嶋政宏さんの不思議な話

○闇のアメーバ

  寝室で奥さんのシルビアさんが先に寝ていて、後から廊下の電気をつけて寝室に入っ
 たら、寝ている奥さんの上に闇よりもさらに一段黒い闇のアメーバのようなものが覆っ
 ていた。

  何か連れてきたのかな、と思ったが、眠いのでそのまま寝てしまった。
  ふと目が覚めたら、横に闇のアメーバがいた。

 江原:連れて来たのだと思う。
    黒い闇の正体は、嫉妬や悪意などの人の念。
    1日で終わるものもあれば、引きずるものもある。
    現世では一所懸命正しく生きようと思っても、念をかったりしてしまう。

    対処法は、入浴が良い。
    霊的なものに関わると、風呂に入りたくなくなる。

 美輪:魔物は汚れと臭い匂いが大好き。

 江原:毛穴を広げることが大事。
    汚れたエネルギー(エクトプラズム)が出て行く。
    日本人が温泉好きなのは、悪いエネルギーを出したいから。


○高速道路の黒い影

  舞台の稽古が終わり、午後4時頃に高速道路を銀座・六本木方面へ走っていたら、車が
 混んできたのでゆっくり走っていた。

  突然、目の前に黒い人影(おじさん)が左右を確認しながら、横切った。
  黒い影は鉛筆で描いたように波打っていた。

  車が止まった瞬間にパトカーと救急車が来て、その場所で交通事故が起きていた。
  黒い影は交通事故で亡くなった人だと思う>

 江原:よくあること。
    人が亡くなって肉体から抜けると動揺がある。
    家に帰らなくちゃ、という思いがあったはず。
    亡くなった直後に自分の死を自覚できず、さまよっていた。


○盛り場

  寝ている時、けばけばしい太った女性の霊が横にいた。
  飲み屋に行った時に連れて来たと思って、無視していた。
  明け方に奥さんを見たら、の上に覆い被さっていた。

 江原:酒好きは亡くなっても、盛り場に行く。

 美輪:何で飲み屋さんに多いんだろう。


★ほしのあきの不思議な話

○深夜の体験

  友達の家に止まりに行った時、二人で寝ていたら夜中に友達がトイレに行った。
  トイレに行ったと思い、寝返りをうった瞬間に、なぜかその子とぶつかり、その子が横で寝ていた。
  確実にドアを開けて出て行ったのは見ている。
  でも、横にその子が寝ていたのでパニックになった。
  朝、その友達に聞いたら「うちはよく出るよ」と言われた。
  初めての霊体験だったので考えられない。

 江原:いちゃいけません。
    この世は自分たちだけのものだ、という思いからそうなる。
    霊から見れば、何で人間がいるんだ、という感じ。

    地鎮祭はお祓いではなく、共存共栄のお願いをするもの。
    土地に宿る自然霊に、一緒に繁栄させてください、という儀礼。
    引越しの時の近所への挨拶と同じ。
    この世は生きている人間だけのものではない。


○こっくりさん

  高校生の頃、こっくりさんをしていた。
  授業中にみんなでやっていたら、突然質問と全く違う答えが出てきた。
  10円玉が勝手に動き出し、一人の女の子が手を離したら、机から10円玉が飛んでいってしまった。
  その瞬間、友達の一人が白目をむいて泣き出した。
  声をかけても何も答えず、「ママがいない」と言い出して、子供みたいになってしまった。
  友達のおばあちゃん(霊媒師)に電話をしたら、窓を全部開けて、背中を叩いて「出てけ」と
  言いなさい、と言われた。
  何度かやっていたら、意識を取り戻した。

  友達は泣いている間、意識はあって質問は聞こえるけど、体が動かなかった、と言った。
  出た瞬間に体が軽くなった。

 美輪:こっくりさんは狐の霊ではない。

 江原:人霊(子供の未浄化霊)が入ってしまった。
    背中を叩くのは、首の付け根に霊の入口があるから。(悪寒)

    こっくりさんをやるのは一番いけない。
    禁止している学校もある。

 美輪:低級な霊を呼ぶと帰らない。

 江原:呼んだから来た。


★上原さくらの不思議な話

○小さな剣

  高校生の頃、放課後、授業が終わって友達を待っていたら、ふと手に違和感を感じた。
  手を開いて見たら、小さなおもちゃの剣が入っていた。
  女子高なのでそういった物があるはずなかった。
  怖くなって周りの友達に聞いたが、誰も知らなかった。
  誰も信じてくれなかった。

 江原:特殊な物品引き寄せの超能力。
    一般の人にも理解していないだけで、起こる可能性はある。
    あるはずの物が急になくなったり、探している物が急に見つかったり、という経験。
    多くの人は物忘れとして考えている。

    上原さんの場合は、ネガティブな思いが一つの念となって現れた。
    剣はテレポーテーションしているので、どこかの何かが無くなっているはず。

 上原:その時は、友達もいなく寂しい気持ちと、誤解されて悔しい気持ちがあった。

 美輪:自分が強くあるために、剣を持って戦おうという気持ち。


★金子貴俊の不思議な話

○鹿児島県・霧島神宮

  人には自分を守る神様がいる場所がある、と言われ、その場所を探していた。
  ある人から「高千穂の峰に登ったほうがいいよ」と言われた。
  鹿児島県霧島市の霧島神宮がある山。

  実際に行ってみたら、大雨で1メートル先は霧で見えない状態。
  山の麓では「登れない」とスタッフに止められていた。

  登りたい気持ちが強く「あそこが頂上じゃないか」と金子さんが指を差した瞬間に、
  モーセの十戒のように雲が割れて晴天になり、頂上が見えた。
  頂上まで登って降りたら、雲がまた元に戻った。

 美輪:神様に呼ばれていたというのはある。
    私なんかは何度もある。


○パワースポット

  それ以来パワースポットにハマってしまい、今年の初詣は伊勢神宮に行った。
  参道を歩いていたら、耳元で「ズバババババ」と音がした。
  驚いて見たら、黒い馬の影が走って行った。
  緒に行った人に聞いたら、誰も何も見ていなかった。

  伊勢神宮のことを調べたら、神馬(しんめ)という神社が飼育する神様が乗る馬のことを知った。
  しかし、神馬は白い馬だった。

 江原:黒く見えただけで、実際は黒かは分からない。

 美輪:純粋で常にピュアな性格なので、神様や高級霊から好かれることは確か。


○父親

 江原:親の遺志を継いで、気持ちをそこに繋げておくことが重要。
    (金子さんの父親は、2001年に他界している)

  最近、へこたれるようになってしまったところがあり、亡き父への意識が遠のいている。
  以前は、父親の苦労と比べて自分の苦労は何でもない、という意志があった。
  最近は自分だけを見るようにになっているので、弱さが出ている。


★杉本彩の不思議な話

○JOHNEN 定の愛

  霊媒体質で、今までに色々な体験をしてきたが、これほど異常な体験をしたのはこれが初めてだった。

  映画「JOHNEN 定の愛」の撮影(2007年12月頃)で、東京都慰霊堂にお参りに行くシーンを撮影した。
  中へ入って最前列に歩いて行ったら、空気が違い、胸が押し付けられて、頭が割れそうになり、
  誰か分からない人の悲しみが湧いてきて、涙が溢れて、息が苦しくなった。
  憑依されていると思い、慌ててその場を離れて呼吸を整えた。

  次のロケ現場の控え室に入ると、すごい悪寒がするので、霊能者の先生に電話して、電話を切った直後、
  未成仏霊が溢れるように出てきた。
  またすぐに霊能者に電話をして、状況を説明した。
  霊能者は、熊本から飛行機で飛んで来てくれた。
  浄霊をしたら、阿部定さん(映画の主人公)の霊がいた。

  阿部定さんの霊は、愛について、杉本彩さんの体を通して話した。
  役作りをしていて、下町の粋なお姉さん、という解釈だったが、本当は、無邪気でけなげで純粋で可愛
  い人、ということを体感して理解できた。
  その日を境に、役の演じ方が変わった。


○憑依

 江原:今も阿部定さんが憑依している。
    理解して欲しい、という思いがある。

  ここで、ゲストの上原さくらさんに異変。
  何かを唱える美輪さん。
  続きは来週へ。


 来週版はこちら↓
   http://nikki-yasu.seesaa.net/article/96252517.html
posted by yasu463 at 13:10| 東京 ?J| Comment(0) | TrackBack(1) | 江原啓之 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月03日

【オーラの泉】小室哲哉・2時間スペシャル

5月3日(土)夜7時は、 「芸能人の実体験!本当にあった不思議な話スペシャル!」 国分太一・美輪明宏・江原啓之のオーラの泉

 衝撃の新企画が遂に誕生!

 神秘体験を持つ芸能人がスタジオに大集結!!

 次々に明かされる、驚異の不思議体験…

 なぜそんな事がおきたのか… どういう事に気をつければいいのか…

 美輪・江原が神秘現象に隠された意味を読み解く!

 新たな「オーラ」ワールドが今 始まる!


 そしてスペシャルゲストは小室哲哉さん。

 日本音楽シーンの頂点に登り詰めた天才プロデューサーが本気で語り、

 本気で照れ、本気で笑った…!

 人生を変えたKCOさんとの結婚の意味、

 今まで誰にも見せた事のなかった心からの笑顔が宿った理由など

 天才ヒットメーカーの素顔が今、解き明かされる!


★スペシャルゲスト1人目は小室哲哉さん。

 「…幼い頃から父親には音楽を反対されていた。」

 ヒット曲を連発し、社会現象をも巻き起こした小室さんがいきなり明かした

 衝撃の幼少期。

 しかし音楽への衝動を抑えられず、内緒で買った1台のシンセサイザーと

 向き合った中学時代…

 その後長い下積みを経てようやくデビューするも、

 反対する父親とは10年以上も口を聞かなかったという。

 楽曲作りのためだけに毎日を送り、気づけば立っていた音楽界の頂点。

 しかし小室さんがそこで見ていた景色は、意外なものだった。

 「…数々の記録は嬉しくない訳ではないが、全く実感がなかった」

 「…自分のお金がどのくらいの人に、どのくらいの額が自動的に流れていたのか、

 全くわからなかった」

 更に「…完全に裸の王様でしたね。」と振り返る小室さん。

 絶頂期を迎えた頃、その生活は4日に1曲を作っていたという超ハードなもの…

 近年、当時を振り返って心から笑って無かった事が殆ど無かった事に

 気づいたという。

 しかし、現在の小室さんの顔は、表情に溢れ、円熟味を増した顔そのもの。

 「…あら、小室さんも笑うんだわ、と思ったの。」と美輪

 江原も「あの頃とは別人。全くオーラが違う。」と指摘。

 小室さんに真の笑顔が宿った理由が