2009年03月21日

“オーラの泉”2時間スペシャル『街のオーラ』


 国分:今回は、辺見えみりちゃんと江原さんが出動してまいりました。

 美輪:地元だから。

 江原:浅草ではないですけれど、
    下町に生まれ育ってれば、下町は聖地ですから。

まずは、下町の氏神さま、浅草神社にごあいさつ


●参拝の作法について

 辺見:鳥居ですね。

 江原:鳥居をくぐる前に一礼。
    鳥居をくぐる前からまったく違うエナジーになると思って下さい。
    だめ、えみりちゃん、そこは真ん中。

 辺見:はい。

 江原:正中って真ん中は、神様が通るところ。
    だから、右か左かどっちかによけましょう。


●お参りのお作法について

 辺見:(お賽銭を投げて入れる)

 江原:ちょっとまって、投げて渡す人いる?

 辺見:いません。

 江原:それが威勢がいいって言う人がいますが、
     (そっとお賽銭を入れる)
    これが礼儀じゃありません?
    そして、お辞儀は2回します。
     (続いて、拍手を2回、最後に丁寧にお辞儀をします)
    あのね、神道とか神社とかは関係がないんだけれど、
    どうして2回お辞儀するんだろう?

 辺見:そうなんですよ。

 江原:学校では、2回ぐらい敬いなさいって
    教えられたりするんだけれど、僕はこう思う。
    自分のね、ご先祖さんや守護霊さんに対してお辞儀して、
    そしてもう一回は、大神さまに対してお辞儀して、
    何でかというと、大神さまは、
    尊い存在だから私たちのお願いは直接届かないの。
    だからね、途中でご先祖さんや守護霊様に聞いていただいて、
    向こうに伝えてるの。
    だから、くだらないことを言うとここ
     (ご先祖さんや守護霊様)で却下されて向こうまで届かないの。

 辺見:はあー、なるほどなー。
    まずここで、判断されるわけですね。

 江原:そうそう、まずここでお願いしますって、
    次に大神さまによろしくお願いしますって。
    今のは、私の持論だけれど。

 辺見:でも、それはすごくなるほどと思いました。


浅草神社にごあいさつして、いよいよ二人は浅草の街へ
浅草の街には、庶民のグルメがたくさんあります。
江原さんには、逆らえない誘惑がいっぱい。

シュウマイと肉まんのお店
創業90年の老舗『セキネ』さん
あつあつの出来立てをいただきます。


●本日、最初の開運スポット

 江原:見て、何て書いてある?

 辺見:浅草たぬき通り商店会?

 江原:そう。


浅草たぬき通りには、金運や商売繁盛の“大黒たぬき”や
子宝に恵まれる“地蔵たぬき”
願いをかなえる“願掛けたぬき”が並んでいます。
中には、夫婦円満を願う“夫婦たぬき”も


 辺見:これは、夫婦円満を願う“夫婦たぬき”
    これはまだ必要ない。

 江原:いいや、これから。いらない?

 辺見:いえ、もっと前に触りたかったな。
    あの、なかよくね。

 江原:そう。


●江原さんオススメのお店について

 江原:純喫茶ねえ。

 辺見:純喫茶。


浅草には、昔ながらの喫茶店がたくさんあります。

こちらの『マウンテン』、その中のひとつ
1階は、レトロな喫茶店
そしてもうひとつ、ここをオススメする理由が2階に


 江原:素敵でしょう。

 辺見:素敵ですね、これ。


そこには、鉄板焼きのテーブルがずらり
マウンテンの2階は、
お好み焼きともんじゃ焼きのお店なんです。
月島とならぶ、浅草の名物もんじゃ焼き
この店の江原さんおすすめのメニューを紹介します。


 江原:シャキーン。

 辺見:どうしたの?

 江原:真剣にあんこ巻きをつくろうかと思っているんです。


江原さんおすすめは、あんこ巻き、
こちらに来たら必ず注文して、
しかも自分で作るそうです。
果たしてその腕前は?
まず、抹茶入りの生地をうすく伸ばします。


 辺見:今日は、江原さんすごくうまいと聞いているので。

 江原:ちょっとちょっと、これ、話が違うじゃない。

 辺見:大丈夫ですかね。


片面が焼けたら丁寧に裏返します。


 辺見:(2つ焼いた内の片方が失敗したよう)
    あーあ、こっちは綺麗じゃないですか?

 江原:こっちの綺麗な方がえみりちゃんの。

 辺見:ありがとうございます。

 江原:こっちは写さないで下さい。(スタッフに対して)

 辺見:でも、ホットケーキのにおいですね、
    お家で作る。

 江原:ごめんなさい、ぼく真剣なんで。

 辺見:会話しながらやりましょうよ、無言はまずいですよ。
    こうやるんですね。

 江原:...。 

 辺見:ぜんぜん、返答が返ってこないんだけれど。
    これは、ナレーション処理ですね!


どうにか、こうにか、江原特製あんこ巻きが完成。
ちょっと形が悪いのは、ご愛嬌。

 江原、辺見:いただきます。

 辺見:あっ、これ好き。

 江原:和製クレープだね。


味はともかく、仕上がりに不満な江原さん


 江原:こんなはずじゃなかったんですね。

 おかみさん:綺麗な人の前だから。

 辺見:お母さん、そんなところフォローして。

 江原:お母さん、綺麗なオーラしてる。

 辺見:お母さんは、どんなオーラしてるんですか?

 江原:お母さん、綺麗な紫が出てる、信仰深いでしょう。


マウンテンのおかみ石井ルミさん
昭和23年、昭和の復興に励む浅草に、
憩いの場として、60年以上営業を続けてきました。
2代目のご主人に嫁いだ女将さんでしたが、
12年前にご主人が亡くなり、2人の子供を育てながら、
一日も休まず、お店を支えてきたのでした。


 江原:これだけ、お店が歴史があるとね、
    こちらに来られただけでね、
    この世にもういない方もいっぱいいらっしゃるわけじゃないですか。
    そういう思い出がいっぱいのところって、
    愛情を感じるの、何でかわかんないんだけれど。
    下の奥の方にいつもご主人いらっしゃらなかった?

 女将さん:ああ、居ましたね。

 江原:でしょう。今も座ってますもん。

 辺見:えー。
    そんなこと感じらっしゃいました。
    いつも見守ってくれてるのかなとか。

 女将さん:うーん。
      そうなのかなと感じますね。


今も座っているという奥のソファー、
女将さんを見守っているのでしょうか。
女将さんには、夢があります。
大好きな歌で浅草を盛り上げたいのです。


 国分:日本が元気が無くなっていると言いますが、
    浅草はぜんぜん元気を感じますね。

 江原:今回、私が浅草に伺ったのは、
    要するに震災、空襲、さまざまな事があったけれど、
    復活し、そのパワーがみなぎってる所だから。
    それを紹介して、
    日本の皆様に元気になって頂きたいなと思ったから。

 国分:そして、僕らお参りの仕方だったりね、
    鳥居の前で一礼、そして真ん中を歩いちゃいけない。
    こんなこと知らなかったよね、

 美輪:ああいう、お寺さんや神社なんかはね。
    あのー、もったいぶったり、儀式ばったりするんじゃなくてね、
    相手に対して敬意をはらったりね、
    とにかく相手を立てるとかそういう気持ちを
    表して形にしたのが、お作法なの。

 国分:うーん。
    純喫茶はどうでしたか?

 辺見:いや、私はああいうところが大好きなんです。
    腰を掛けたら起ちたくないなみたいな喫茶店でした。

 美輪:窓がね、全部色ガラスが付いてるでしょう。
    ああいうのがね、喫茶店で飲んでるときの思い出につながるの。
    絵になるでしょう。
    そのなかで音楽がかかってて、別れ話とか恋の話とかね。

 江原:そしてね、あの喫茶店は、
    お見合いに良く使われたって。
    そういった所って、愛の波動があるんですよね。

 美輪:だから、情ってものなのね、
    やっぱり、昔は情ってものが終戦後まであったんですよ。
    今はそんなのが無くて、全部切っちゃうでしょう。
    だから、ギスギスしちゃう。
    でも、浅草にはそれがあるものね。


オーラの街、浅草にはさまざまな縁起物があります。
有名な雷おこしも、
家を成し、名を起こすという縁起のよいお菓子です。

子育てのお守りとして、ざるかぶり犬
竹の下に犬と書けば、笑うという字になります。

更に頭に笠を乗せて、
重ね重ね、いつも健康にそんな願いが込められているのです。


 江原:ここ知ってます?
    有名な手ぬぐい屋さんで、ふじ屋さんって言うんです。
    一度、自分の手ぬぐいを作りたかったんですけれど、
    なかなか実現できずにね。

 ご主人:今で言うタオルのような役割ももちろんあったんですけれど、
     飾って楽しむということも江戸時代からありまして、
     おしゃれと実用をかねた粋な手ぬぐい
     オリジナルの柄を300種類も取り揃えているそうです。

縁起のよい図柄も多く、こちらは大きな目の鯛『めでたい』
六つのひょうたん、無病との語呂合わせで、『無病息災』

縁起の良い手ぬぐいは、噺家や芸人さんにも愛用されています。


 国分:さあ、ふじ屋さんからいろんな手ぬぐいをお借りしてきましたが、
    いろんな手ぬぐいがありますね。
    色がいいですねー。

 美輪:日本はね、いろいろなものを図案化したものの歴史が一番古いんですよ。
    一番、洗練されている国なの。
    目が出てるからめでたい。
    たとえばこれなんか、『かまわぬ』
    カマがあるでしょう、そしてわっかがあるでしょう、
    それで、ヌなんです。
    かまわぬ、かまわぬ。
    有名な話があるの、
    これをしょっちゅう持ってるおばあさんがいてね、
    そしたら、嫁さんがそそうをしたんだって、
    大事なものを割ってね。
    そして、謝りに行ったら、
     (かまわぬ手ぬぐいを振って)
    こうして。

 辺見:それは、みんな使えるじゃないですか。
    そうしたら、みんな仲良くねー。
    愛らしいですよね。

 美輪:それが日本人の特質なのよ。

 江原:日常で、そんな縁起物を身に付けるって、
    すごくいいと思いません?
    ネガティブな事があっても、
    『めでたい』とかね。
    心をコントロールする、そういう何かをもってましたね。
    文化を。


浅草の街で忘れてならないのが、エンターティーメントの歴史です。
渥美清さんをはじめ日本を代表する芸人がこの街から生まれました。

大正時代、西洋のオペラをいち早く取り入れ、
日本語で歌った浅草オペラ
田谷力三さんなどを生み、大ブームとなりました。

浅草の芸者から、人気者となった市丸さん
昭和のなつめろブームのときも大活躍
つい最近まで、美しい歌声を聞かせてくれました。

彼女の面影を知ることができるのが、
ルーサイトギャラリー

市丸さんの自宅を改装したもので、
2階は、眺めのいい喫茶室。

隅田川を眺めながら、
市丸さんの思い出にひたれる貴重な場所です。

江原さんにとって、忘れられない場所がありました。


 江原:浅草ビューホテル。

 辺見:有名ですよ。

 江原:僕にしてみると、
    ホテル以前の思い出が強いんですよ。
    ここはね、国際劇場って言って、
    SKDって知ってます?
    宝塚みたいな所。

 辺見:はいはい、みんなでラインダンスしながら。

 江原:よくここに、母親に連れられてね。

 辺見:見に来てたんですか?

 江原:そう。


かつてこの場所にあったのは、浅草国際劇場
SKD、松竹歌劇団の晴れ舞台でした。
西の宝塚、東の松竹と言われ、豪華絢爛な舞台が大人気。

中でも、幅25メートルの大舞台に、
踊り子がならぶラインダンスは圧巻でした。

浅草ビューホテルの裏に、
今でもSKDの思い出が残る喫茶店があります。

いらっしゃいませ。


 江原:こちらですね。

 辺見:すてきな場所ですね。
    お店の奥には、SKDの思い出のコーナーがあります。
    ここ、『シルクロード』は、
    踊り子さんたちの憩いの場だったのです。


天井にも、壁にも、ところ狭しと張られた、
踊り子さんたちのサイン。

その日付は、すべて同じです。
1982年4月5日

それは、SKDが浅草国際劇場で行った、
最後の公演の日でした。

この日を最後に、SKDは浅草を離れ、
国際劇場は、その幕を閉じました。

幼い頃、お母さんと一緒に見たSKD
華麗なダンスを披露したダンサーの皆さんがどうなっているのか、
江原さんは気になっているのでした。


 江原:あの、いまでも少しはOGってやってるんですか?

 女将さん:はい。
      STASって方たちが、今でもみえるんですよね。
      あのかたち。

 STASメンバー:こんにちは。

 江原:こんにちは、あー嬉しい!
    どうも。びっくり。

 辺見:急の登場で、びっくりしました。


集まっていただいのは、元SKDのスターの皆さん


 江原:やっぱり、情熱を注いだ時代とか、
    そういうものを追い求めるもののある方たちは、
    みんなもの凄いオーラを持ってる。
    10代の人たちが持つような、
    赤いオーラをみんな持ってる。

 辺見:今現在、情熱の赤を持ってる。
    私に足りない赤ですね。


今なお、情熱のオーラを燃やす皆さん
現在、STASという名前で、定期的に公演を行い、
SKDの伝統を伝えているのです。


 江原:あと、もうひとつ伝えていいですか。
    さっきから、4人がいらっしゃってから、
    女性でね、こうやって本当はお仲間に
    入りたかったんだけど、病気で亡くなった方。

 STASメンバー:ああ、いらっしゃいます。

 江原:その人が見えるんです、羨ましいなと思って。
    壮絶に亡くなっていらっしゃる、
    本当や良くなってもう少しやりたいなと思ってた方。

 STASメンバー:その方は、日本舞踊のすごい名士だったんですよ、
    すっごいお上手だったんですよ。


若くして亡くなった日本舞踊の名士。柳千恵子さん


 江原:その人は、お花も好きだったそうです。
    それでいて、最後までお花を回りに囲って、
    お花が大好きで、お花を見てれば落ち着くって言って、
    うーん。

 STASメンバー:一緒にやりましょうねって、
    お話してましたから。

 辺見:たぶん、みんながこうやって思い出してくれて、
    うれしいでしょうね。


オーラの街、浅草
そこは、エンターティーメントを愛する人が
いつまでも生きている街でした。


 国分:浅草って、芸人さんを見ることができて、
    で劇場も近くて、でオペラやミュージカルも観る事ができて、
    歩いていろんなものを見ることができた。

 江原:“花やしき”なってのもあるしね。
    もう、すべてが下町の聖地なんです。

 美輪:不思議なのはね、
    何ともいえない、空気が違うのよ。
    時間がゆっくり流れていたころのロマンティックな空気があるのよ。
    何とも懐かしい。

 辺見:私たちは、そこに生きてないんだけれど、
    そこに連れられて行ってもらっているような、
    雰囲気になるんですよ。

 美輪:すごいでしょう。
    日常は、ガラスと鉄とコンクリートの中で、
    こんなになってね、
    そんな方には、リフレッシュするには、一番いい場所です。
    ぜひ、お越しいただきたいと思う。


年間2000万人の人が訪れる浅草
そのオーラが消えかけたことがありました。

大正12年の関東大震災では、火災に遭い、街は焼け野原に

昭和20年の東京大空襲では、数多くの焼夷弾が投下され、
壊滅的な被害を受けたのです。

残ったのは、鉄筋のわずかな建物だけ
仲店の人は、残った建物で営業を再開。いち早く復興

昭和23年には、三社祭りの復活。
その後、浅草寺も再建され、浅草は再びにぎわいを取り戻しました。

戦後まもなく開店したのは、こちらの喫茶店
『アンジェラス』という名前は、
平和を祈る聖なる鐘の音という意味です。


 ご主人:ここができたのは、戦後すぐの焼け野原のあとなんですが、
     世間は、コーヒーを飲むのに、砂糖じゃなくて、
     サッカリンを使ってたわけですね。
     それで、うちでコーヒーに角砂糖をひとつ付けて
     出したということが、すごく珍しがられて。


砂糖が貴重品だった食糧難の時代に、
人々の憩いの場としてにぎわった喫茶店
名物のケーキは甘さを抑えた懐かしい味
パフェ『ギャラリーエフ』には、
戦災をまぬがれた貴重な建築があります。

それは、江戸時代に作られた材木問屋の蔵
今は、ギャラリーとして利用されています。

もうひとつ戦争を乗り越えたものがありました
浅草名物招き猫です。


 江原:ごめん下さい。
    ちょっと拝見させていただけますか。

 辺見:ごめんくださーい。


2人が訪れたのは500年の歴史を誇る“今戸焼”
ここで奥さんが作り上げているのが、
日本の代表的なつくりもの“招き猫”です。


 江原:何か、味わいがありますね。

 辺見:お母さんが書いているネコちゃんって感じが、
    何か、かわいい、かわいい。


江戸時代、今戸には、かわら職人が多く、
その傍らで招き猫を作ったのが始まりと言われています。

しかし、関東大震災をきっかけに地方に引っ越したり、
廃業する職人も多く、30件ほどあった窯元も今では、
こちら1件だけになってしまいました。


 江原:今では、貴重な存在にね。

 奥さん:貴重かなんかわからないけれど、
     代々続いてきたたら、
     ここで途切れさせるわけにはいかないから。

 江原:でも、ずーっと浅草なんですか?

 奥さん:はい。69年も。

 江原:では、戦争の経験も?

 奥さん:はい、逃げたのも、母親におんぶされて。
     その時は、すごい雨降ってたのよって言うから、
     それを後で聞いたら、それは油ですよね。


幼い頃、母親におぶられて逃げ惑った空襲の経験
雨かと思うほど焼夷弾の雨が降り注ぎ、
東京は、火の海となったのです。

1970年、5代目今戸焼き職人だったご主人にとついだミチコさん
苦しい家計を助け、3人の子供を育てました。

今戸で、最後の職人だったご主人が昨年亡くなり、
残されたミチコさんが招き猫の製作を引き継ぐことになったのです。


 江原:ぜんぜん話、違うんですけれど、
    お母さん、お地蔵さんを作られます?

 奥さん:お地蔵さん?
     いえ、作ってないです。

 江原:お地蔵さんが見えるんだけれど、
    お母さんと話していると、
    ずーっとお地蔵さんが見えるんだけれど。

 奥さん:えっ? うれしい!

 辺見:何でだろう。

 江原:お地蔵さんを信仰してたとかいうことは、
    特別ないですか?

 奥さん:そこに、しゅうぜん様ってあるんですね。
     そこで写経やってたり。

 江原:そこに、お地蔵様があるんですか?

 奥さん:お地蔵さんいっぱいある。

 江原:お地蔵さんがお母さんことを一生懸命守ってらっしゃる。

 奥さん:えー、そうですか。
     そこの地蔵さんの前掛けとかつくって、
     子供が二十歳になるまで。

 江原:そうですか、じゃあお参りとかしてて。
    じゃあ、かさ地蔵だ。
    だから、守ってくれてるんだ。


子供が産まれるたびに、赤い前掛けをつくって、
近所のシュウゼンさまの子育て地蔵にかけ、
子供たちがはたちになるまで
お参りを欠かさなかったミチコさん
今も、孫のためにお参りを続けているそうです。

6代目として期待される、裕一郎さん


 辺見:でも、お母さん、息子さんが継ぐって言ってくれた時は、
    うれしかったですか?

 奥さん:そうですね、
     継いでってくれないとね。

 江原:ぜひ、頑張ってくださいね、
    こういう貴重なものを残してください。


浅草名物今戸焼きの招き猫
その伝統は、ご主人から奥さんへ、
そして、息子さんへと確実に受け継がれていました。
posted by yasu463 at 00:46| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 江原啓之 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月14日

“オーラの泉”春の開運2時間スペシャル! 2009.3.14 はるな愛

 今回は心が元気になる春の開運SPです!

 ゲストは人気絶頂のニューハーフタレント・はるな愛さん。

 笑顔の裏に隠された壮絶な人生とは?

 亡き家族のメッセージに涙・・・

 そして、新企画「街のオーラ」では

 江原が浅草のとっておきの穴場と

 開運スポットを案内します!お楽しみに!


(1)人気ニューハーフタレントはるな愛が、

 成功の陰に亡き祖母の導きがあることを知り号泣。

 さらに間違いだらけの恋愛関係を美輪が一刀両断!

 男として生まれるも、女性の心を持っていたため学校ではいじめに遭った。

 美輪明宏は「人は人をいじめて自分がまともだと感じる」と悲しむ。

 また江原啓之が「そんな中で無償の愛をくれたおばあちゃんは、

 今もそばにいますよ」と話すとはるなは突然手で顔を覆う。

 江原啓之は「最近、迷いがある」と言い、

 仕事や体調面の不安を指摘。

 全てを言い当てられたはるなは、

 「いつ見たんですか?全部出すよね〜」と驚く。

 男運ゼロ!?はるな愛号泣マジ相談…美輪の(秘)策男心を離さない術


(2)心と体にいい場所を巡る「オーラ百選」

 番組初! 江原がロケに…なじみの深い浅草の開運スポットや

 縁起物&下町グルメの超穴場&懐かしのSKD復活!?

 辺見えみりと東京・浅草や深川を巡る。


 国分太一進行のもと美輪明宏とスピリチュアル・カウンセラー江原啓之の愛の言葉で
 ゲストが本当の自分を見つけていく心の癒やしの時間。

 出 演
  MC = 国分太一
  愛の伝道師 = 美輪明宏
  スピリチュアル・カウンセラー = 江原啓之
  ゲスト = はるな愛 辺見えみり


★はるな愛のプロフィール

  芸名   はるな愛(ハルナアイ)
  本名   大西賢治(おおにし けんじ)
  誕生日  1972年7月21日
  星座   かに座
  出身地  大阪府
  性別   女
  血液型  O型
  サイズ  164cm 90/60/90 S24
  ジャンル 司会者・MC・お笑いタレント・歌手・アーティスト・タレント・女優
  趣味   釣り サーフィン スノーボード ゴルフ 映画鑑賞
  特技   ものまね トランペット ピアノ ジャズダンス ヒップホップ 口パ
  家族   父 母 弟

  【はるな愛オフィシャルブログ】『AI am a girl』
    http://ameblo.jp/haruna-ai/

  【はるな愛プライベートサイト】
    http://www.angellove.jp/

  【はるな愛ブログパーツ】
    http://www.avexnet.or.jp/haruna-ai/parts.html

   

  【A.garden】「はるな愛」が三軒茶屋で経営する本場大阪のお好み焼きのお店
    http://www.angellove.jp/agarden/
    東京都世田谷区三軒茶屋2-14-21
     東急田園都市線三軒茶屋駅 徒歩2分
     Tel/Fax.03-3487-4128
     火〜土 18:00〜03:00(L.O.02:00)
     日曜日 17:00〜02:00(L.O.01:00)
     定休日 月曜日
     総席数 15席
     平均予算(お一人様) 3,000円(通常平均)
                2,500円(宴会平均)

  【Ag.Diner】「はるな愛」がオーナーの桜新町の鉄板焼きダイニング
    http://www.angellove.jp/agdiner/
    東京都世田谷区新町3-1-32 金子ビル1F
     東急田園都市線桜新町駅 北口 徒歩5分
     TEL 03-6431-0417
     火〜土 17:30〜25:00(L.O. 24:00)
     日曜日 17:30〜24:00(L.O. 23:00)
     定休日 月曜日
     総席数 15席
     平均予算(お一人様) 3,000円(通常平均)
                3,500円(宴会平均)
                850円(ランチ平均)

 物心ついた頃から自分が女性だと意識していたという性同一性障害。
 小学生時代から、女装してものまね番組などに出演。その際の字幕スーパーでは「大西賢示」(本来の字は賢治)と表示される。
 持ち歌は松田聖子の「Rock'n Rouge」など。1985年3月3日放送の『全日本ちびっこ歌まね大賞』(テレビ東京)では、森進一の「北の蛍」を歌って優勝している。

 1989年、福井県の九頭竜湖で行われた英語学校の夏季キャンプ(小学生向け)で、未来派少年大西賢示としてリクリエーションにゲスト出演している。
 この際に、男子高校に通っていたことを話している。また、同年5月25日には大西ケンジとして「チャンス」でレコードデビューを果たしている。

 中学生時代はいじめに遭っていた。
 また、弟がはるなのタンスの中身が気になり開けてみると、女性物のカラフルな下着が数枚入っているのを見つけたことから、弟はこの頃から、兄が女性になりたいという気持ちがあることは知っていたが、親には話さなかったという。

 1991年、ショーパブ「Tootsie」梅田店で働く。
 父親に性同一性障害であり、ニューハーフとして働いていることを告白。

 1995年、大阪市・わだ形成クリニックにて性別適合手術を受け、身体的に完全に女性となった。
 しかし、戸籍上の名前は現在も「大西賢示」のままである。
 これは、「男性と結婚するまで大西賢示でいることが親孝行だ」からだという。
 声は男性のままなのでかなりのかすれ声である。
 また、『上岡龍太郎がズバリ!』でMr.レディーに出演し、「家なき子」のパロディー版「玉なき子」で相沢すずの役を演じた。

 1996年頃、春菜愛名義で、『快傑えみちゃんねる』(関西テレビ)にレギュラー出演。
 以後はアイドル系美形ニューハーフとして、テレビ番組のニューハーフ特集やものまね番組に顔を出している。
 また、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)などにも出演し、メディア露出が多くなる。 素人扱いとしては、『ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャーこれができたら100万円!!』(テレビ朝日)のファイナル電流イライラ棒に一般のチャレンジャーとして登場している(チャレンジ中、アナウンサーから「実は男性です」と紹介された)。

 1998年、東京のタレント事務所に所属、上京。
 DDTプロレスリングで世界初のニューハーフ・マネージャー・デビュー。
 この頃の芸能界はニューハーフブームが下火となっていた為にタレントとしての活動はほとんど出来ていない。
 だが、男性であることを隠して働いていたレースクイーンの仕事などで蓄えた貯金でスナック店を開業するなど、事業家として活躍するようになる(2008年現在は、バー1店、鉄板焼き店を2店経営している。鉄板焼き店を経営しているのは、実家が以前お好み焼き店を経営していたことがきっかけ)。

 2005年、MEGUMIが恥骨骨折で入院した際、病院で献身的に看病をしたことから野田社長の目に留まり、サンズエンタテインメントに移籍。
 現在の名義に変え、タレント活動を再開する。

 2007年、陣内智則・藤原紀香夫妻の結婚披露宴の2次会で「エアあやや」を披露、その場に居合わせた業界人の注目を集め、モノマネ芸人(あてぶり芸人)として活動するようになる。
 持ちネタは、松田聖子・松浦亜弥・島谷ひとみ・ビヨンセ・藤本美貴・ホイットニー・ヒューストンなどのモノマネと、横向けにしたVサインを目頭から目じりに移動させて「よろしくピース」などのギャグ。
 口癖は「言うよね〜」。最近はそれを始めとして、いろいろな「○○よね〜」を言うようになっている。

 2007年、『ミス・インターナショナルクイーン(MissInternationalQueen)2007』(ニューハーフ世界のミスコン)に出場し、第4位になる(このコンテストにでるため、審美歯科的治療をしている)。

 2008年、下半期頃から大ブレイク。骨髄バンク職員の役で舞台『IMAGINE 9.11』に出演。

 2009年、1月3日に放送された『週末のシンデレラ 世界!弾丸トラベラー』(日本テレビ系)にてパスポートが映った場面で、一部ぼかしがかかっていなかったため1972年7月21日生まれであることが発覚した。
 この事実を2009年1月20日発売の『週刊女性』(主婦と生活社)ではるな本人が認めた。


★エアあやや

 松浦亜弥のコンサートライブの音声(複数のDVDから編集して作っている場合が多い)を用いるネタ。

 元々は、スナックのママであるはるな自身が店で披露していたもの。
 当時は歌も歌っていたが、ショーパブやスナックでの付き合い酒などの無理がたたり、高い声が出なくなったために仕方なく無声へとシフトしていった。

 最初の曲とMCには様々なバージョンがあるが、最後には必ず「Yeah! めっちゃホリディ」で締める。
 同曲途中の「ずばっと」のフレーズで、がに股で腕を横に引き、最後に服の上から乳首をこするアクションは、はるな独自のもの。
 また、ほかの振りも松浦亜弥そのままでなく、はるな風にアレンジされている(マンネリ化を防ぐ為か上記の「ずばっと」のアクションと乳首をこするアクション以外は披露する場などで若干の変化が見られる)。


★テレビ出演

 ★NTV 『おネエ☆MANS』(毎週火曜 19:00〜19:58) レギュラー出演中
 ★NTV 『天才!志村どうぶつ園』(毎週土曜 19:00〜19:56) 出演中
 ★NTV 『エンタの神様』(毎週土曜22:00〜)出演中
 ★TBS 『オビラジ○R』(毎週水曜24:29〜24:59)レギュラー出演中
 ★TBS 『あらびき団』(毎週水曜23:55〜)出演中
 ★CX 『全国一斉!日本人テスト』(毎週木曜 19:00〜19:57) 出演中
 ★LF 『はるな愛のよろしく!グラビアンナイト☆』(毎週木曜 21:00〜21:30)MCレギュラー出演中

「活」でつくった化粧水“煌乃ローション”
posted by yasu463 at 13:49| 東京 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | 江原啓之 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月16日

【オーラの泉】琴欧洲関

★ゲストは、大関として活躍する、琴欧洲勝紀さん。

★スピリチュアルチェック

 ・小さいころなりたかった職業はなんですか?
  ケーキ屋さん

 ・毎日かかさずすることはありますか?
  ヨーグルトを食べてます

 ・好きな女性のタイプを教えてください?
  やさしい人

 ・何か不思議な体験をしたことはありますか?
  去年、先代の親方が亡くなられて、稽古場に何回か出てきたという騒動があった

 ・将来の目標を教えてください?
  横綱に向けてがんばります


 国分 :身長はどれぐらいなんですか?

 琴欧洲:2m3cmです。

 国分 :ちょっと江原さんがちっちゃく見えますね。
     なぜ、この番組を選んだんですか?

 琴欧洲:テレビでなんども見たことがある。
     興味をもって出たいと思ってました。

 国分 :スピリチュアルとかに興味をもっているんですか?

 琴欧洲:そうですね、あんまり信じないほうだから、
     そういうことをみたくて。

 国分 :ブルガリアという国では、スピリチュアルとかはありますか。

 琴欧洲:はい。ありますね。
     お母さんは信じるほうだから、結構、行ってます。

 江原 :いや、お母さんの姿がずっと見えてる。

 美輪 :琴欧州の後ろに、お母様とマリア様が見えててね、
     愛情の深いことといったら、ふわーっと琴欧州関をつつんでて、
     このお母さんものすごく信仰深いかただったのね。

     私は、昔からめっちゃくちゃ大ファンだったから、
     あまりイケメンのかたっていなかったじゃないですか、
     千代の富士親方以来ね。

     ちょっと個性的な顔立ちの方ばっかりで、
     ちょっと私、興味がなかったのね。

     それで突然、
     そして純粋で赤ちゃんみたいな人。
     やさし過ぎる位に見えて、いっぺんで好きになっちゃった。

     それから、欠かさず拝見してる。

 琴欧洲:うれしいです、やっぱりね。
     会ったことのない方が、大ファンになってくれて、
     ありがとうございます。

 国分 :江原さんとは。

 琴欧洲:初めてです。
     いつも着物をきてるじゃないですか。
     なかなか着物をきている方は、ほとんどいないですね。

     自分もいつも着物じゃないですか、同じね。

 国分 :若干、むかしは、
     相撲もとってたんじゃないかみたいな。

 江原 :とってない。


本名はカロヤン・ステファノフ・マハリャノフ

自然のなかで、独自の文化を誇るブルガリアで生まれ、
レスリングでオリンピックを目指した少年が、遠く離れた日本で、
大相撲の力士となるまでかずかずの運命的な出来事があったのです。

1983年 ブルガリア北部ののどかな農村ジュルニツァ村に
大きな男の子が誕生しました

生まれたときから4800グラムのジャンボベイビー
小学生の時には、同級生より頭ひとつ上の少年でした。

当時はどんな子供だったのか?

ブルガリアの実家では

 父 :カロヤンは、普段はまじめでスポーツもやっていて。

 母 :いい子でしたよ。
    友達といたときは、みんなをまとめるリーダーでした。

実家は、農業を営んでいます

 父 :息子は10歳のときから、わらを運ぶ手伝いをしてくれました。
    結構、重労働なんですよ。

わらの重さは、ひとつ15キロ
家の手伝いをしながらカロヤン少年は、足腰を鍛えていったのです。

スポーツ万能だったカロヤン少年は、小学5年生のときに、レスリングを始めました。
当時のコーチ、ガルボスさんに話を聞くと

 ガルボス:彼は、毎日強くなっていきました。
      文字通り天才だったんです。
      これは、大変な逸材をみつけたと思って、大変興奮しました。

      例えば、この鉄アレイは32キロあります。
      これを15歳のとき、彼は両手で振り回しました。
      本当に驚きましたよ。

15歳でブルガリアの全国大会で優勝し、
将来を期待されたカロヤン少年は、高校を卒業すると、
プロアスリートを養成する、国立スポーツアカデミーにトップで合格

オリンピックを目指して、本格的なトレーニングを始めます。
順調に行けばアテネ、北京オリンピックも夢ではなかったのですが、
大きな問題がありました。
レスリングには、体重制限があったのです。

当時もっとも重いクラスは、130キロ級
身長が2メートルを超えている彼には、体重を抑えるのはつらいことでした。

さらに、2002年その規定が変更され、体重の上限が120キロに
引き下げられてしまったのです。

もう減量はできない、恵まれてた体格がわざわいして、レスリングを
諦めざるを得なくなったのです。


 国分 :もともとは、オリンピックを目指すぐらい、
     レスリングは強かったわけですか。

 琴欧洲:うん。目指してましたね。

 国分 :レスリングとの出会いはどうして出会ったんですか。

 琴欧洲:お父さんがやってて。
     お父さんから声がかからなくて、自分から行く事になりました。

     バスケットボールとかいろいろやりましたが、
     チームプレーなので進めないじゃないですか、
     でも、レスリングは自分の力で優勝が出来ることが、
     大きいポイントでした。

     レスリングは体重制限があるし、
     体はまだまだ大きくなるから、それで相撲から声をかけられた。
     うちに来るとダイエットないよって。

 国分 :お相撲があるよといわましたが、
     レスリングをあきらめるというのは、どうでしたか。

 琴欧洲:悔しかったですね。
     すぐは切り替えができなかった。
     レスリングと相撲の練習の両方やってた。

 美輪 :相撲は日本の国技でしょう、
     それをどうやって、興味をおもちのなったの。
     そのきっかけはなんだったんでしょう。

 琴欧洲:大学の時で、レスリングの場所に相撲のシートを敷いて、
     練習をやっていた。
     それで見て、面白かったです。

相撲との運命的な出会い、
スポーツアカデミーでは、マットの上に相撲のシートを敷いて、
練習が行われていました

おもしろ半分ではじめた相撲が、人生を変えることになるのです。

レスリングをあきらめると、迷わず相撲に転向
体重を気にせず、その強さを思う存分発揮することになります。

ヨーロッパ選手権をはじめ、数々の大会を制覇
その強さは、日本の大相撲関係者にも伝わり、
2002年佐渡ヶ嶽部屋に入門
19歳で新たな試練の日々が始まるのです。


 国分:最初は、遊びでやっていて、
    減量とかしないでいいよってことでやるようになったんですか?

 琴欧洲:いや、
     うちの部屋の徳山さん中本さんがいて、
     ドイツで相撲の大会に出たときに優勝して、声をかけられた。
     日本でこの世界に入らないかと。

 国分 :そこでスカウトされたときに、即決ですか?

 琴欧洲:一回目は、失礼かもしれないけれど、変な人だと思った。
     まさか、自分がこの世界に入るなんて考えてもいないし、
     その次の大会に行った時は、
     同じ人が同じことをまた話しかけた。
     本当じゃないかと、初めて思いました。
     電話でしゃべって、日本にくることになった。

 国分 :日本の国技だということはわかったんですよね、
     日本の国はどこだかわかっていましたか。

 琴欧洲:ドキュメントでしかみたことがない、日本に来た事もないから。

 国分 :どんなドキュメントなんですかそれは?

 琴欧洲:みんな忙しい、新宿とか銀座とか、光が一杯。
     忙しいイメージ。
     忙しくて電車の中で寝てるのが信じられない。

 国分 :まあ、そういうお話が来た時には、
     ご両親に相談するわけですよね。

 琴欧洲:まあ、自分で決めなさいと。
     もう、19歳だったから大人だから、もう自分で決めなさいと。
     お父さん、お母さん、いろいろ意見を言われましたけれど、
     最後は、自分で決めました。
     お父さんお母さんもよくわかんなかったと思う。

遠くふるさとをはなれて、日本の大相撲に入門したカロヤン青年
19歳で見知らぬ世界に旅立った息子をどう見ていたのでしょうか。

 母 :日本で暮らすなんて、心配でしょうがありませんでした。
    言葉がわからないところに1人でいくなんて、
    当時は、日本がどこにあるのかさえ知らなかったんですから。

琴欧洲関のふるさとジュルニツァ村
人口2300人
いまもかわらない田園風景が広がっています。

今では、村中が応援する琴欧洲席ですが、
スポーツとは別に意外な才能がありました。

 母 :カロヤンは、料理が大好きでコックになると思っていました。
    格闘技をやるなんて思ってなかったんですよ。

 父 :レスリングではなく、料理の道に行けばいいのにと思いました。

そんなカロヤン選手が14歳の時、
お母さんには忘れられない思い出が

 母 :仕事から帰ってきたら、手作りのケーキがあったんです。
    本当にびっくりしました。

ケーキの作り方を教えてくれたのは、隣のルミナさん

 ルミナ:ある日、突然、現れてシマウマケーキの作り方を教えて
     くださいといってきたんです。

     お母さんが毎日遅くまで仕事をしているので、
     ケーキを作って喜ばせたいんだといっていましたよ。

 母 :あの時は、ケーキを見たらびっくりするやら嬉しいやら、
    ずっと忘れる事はできない出来事ですよ。

 国分 :カロヤンやさしいね。
     14歳といったら反抗期でおかあさんと話さなくなる歳だと思うんですよ。

 美輪 :日本はそうなのよ。
     日本はみんな全部とげとげしいじゃないですか、
     だけど、畑、緑、空気がすごく綺麗で美しい、
     やさしくならざるを得ないでしょう。
     日本の排気ガスだらけの空気とぜんぜん違うんですもの。
     やっぱり、ああいうところで育つとみんなやさしくなるんですよ。
     景色とか環境とか、人間に与える精神的なものとか。
     やっぱり、違ってくると思いますよ。

 国分 :覚えてますか、14歳のことお母さんに作ったケーキというのは。

 琴欧洲:はい。覚えてます。

 国分 :今日は、作ってきてくれたんですか?

 琴欧洲:今日は、無理でした。

 国分 :お母さんは、日本に来ることを心配してましたね。

 美輪 :そりゃあ、愛してる人が地図のどこの国だかわからないところでしょ。
     それに、たった一人よ。そりゃ心配ですよ。
     親というのは、産んでよちよちしていたころのことをずーっと引きずるのよ。
     そういうもんなんですよ、親というのは。
     子供はいくつになっても子供ですって。

 国分 :日本に来て実家に電話はかけなかったんですか。

 琴欧洲:一年ぐらい電話はかけなかったですね。
     まず、かけかたがわからなかったです。
     どうやって電話かけるの聞くこともわからなくて、
     言葉もわからなかったから。

 美輪 :お布団はどうでした。

 琴欧洲:布団は、うちの部屋はベッドです。
     たぶん、2メートル50ぐらいあるベッド。
     全員、並んでます。

 国分 :ご飯は、どうですか?

 琴欧洲:ご飯は、だめでしたね。
     白いご飯が、味がないのにそのまま食べることにビックリしまいた。
     おかずと一緒に食べるということを知らなかったんですよ。
     ご飯を食べろといわれて、ご飯だけ食べていた。

     (ブルガリアでは)一個一個食べてから次が出てくる。
     味がないということに最初おどろいた。

 国分 :なるほど、それは新鮮ですね。
     最終的に、ちゃんことかはなれてくるんですか?

 琴欧洲:ちゃんことかは、最初からおいしかったですよ。
     不思議なスープだけど、おいしかった。

 国分 :大関もちゃんこ場もやってるわけですか?

 琴欧洲:はいやってます。

 国分 :毎日欠かさずヨーグルトをたべているんですか?

 琴欧洲:はい、食べてます。
     冷蔵庫に一杯あるんですよ、若い人は食べ放題ですよ。

 国分 :入って入門して最初のころとかは食べれなかったんですか?

 琴欧洲:いや、食べてました、近くにコンビニがあります。
     最初、ヨーグルトってどうやって聞いてもわからないし。

 国分 :えっ。
     ヨーグルトっていわないんですか?
     何んて言うんですか、ヨーグルトって。

 琴欧洲:『キセオームラコ』。

 国分 :キセオームラコくださいって言っても、
     コンビにでは、はあ?ですよね。

 琴欧洲:兄弟子がもってたパックにブルガリアってかいてある、
     何がブルガリアなのかって自分はわからなくて、
     くれたんですよ。
     それで、食べたらヨーグルトだった、
     それのパックで覚えて。

 国分 :なるほど、大変ですね、ひとつひとつ。
     日本語はどうやって覚えたんですか?

 琴欧洲:子供といっしょですね、
     みんなの話を聞いて覚える。
     この世界で生きていくには、日本語が必要。

 国分 :すごいですね。
     日本に来て相撲をやってますが、
     もうやめてふるさとにかえろうと思ったことはないですか?

 琴欧洲:何度もあります。
     最初のうちは、言葉もしゃべれないし、
     辛くて、友達もいなくて。

 美輪 :よく逃げませんでしたね。

 琴欧洲:そうですね、がんばらなければいけないという気持ちが大きかったですね。

言葉もわからず、厳しい相撲の世界でなぜ今までがんばってこれたのか
そこには、ある理由がありました。

 国分 :なぜ、そんなにがんばらなければいけないという気持ちがあったんですか?

 琴欧洲:小さいときに母と父が、朝から晩まで働いて、ほとんど家にいなかった。
     交通事故にあってお父さんが仕事ができなくなって、
     左手が使えなくなって、ここは自分ががんばらなければ
     いけないんじゃないかと。

 国分 :交通事故にあったというのは、ブルガリアのときですか。

 琴欧洲:はい。19の時です。
     それが、日本に行く大きなきっかけになりました。

 美輪 :一家の働き手として、お父さんお母さんを楽にさせてあげようと
     お思いになったのね。親孝行ね。

 国分 :今も仕送りとかしてるわけですか。

 琴欧洲:はい。してます。

カロヤン少年が大相撲に進んだ理由は、
お父さんが交通事故にあい働けなくなったから、
自分で稼いで、両親の生活を支えるためだったのです。

 父 :最近、息子が車をプレゼントしてくれたんですよ。
    
お父さんの愛車も息子からのプレゼント
ひとつでも番付をあげて両親に楽をさせたい
その思いが琴欧洲関を今日まで支えてきたのです。

 国分 :見習わなきゃいけない人たちってのは、多いですね。
     まあ、僕も含めてですけれども。

 美輪 :まずね、やさしさなのよ。
     お父さんもお母さんもカロヤンちゃんもみんながやさしいのよ。
     よわよわしいやさしさじゃなくて、
     強いやさしさね。
     強いから人にやさしくできるわけでしょう。
     自分を守るだけで精一杯の人は、人にやさしくできないのよ。
     だから、みんながやさしいというのは、
     みなさんが強いのね。
     強いのを持っているから、人にやさしくできるわけ、
     それがやさしさをお互いにわけあいなのよ。

 国分 :本当のスーパーマンですよね。
     やさしくもあって、強くて、すごいですね。

 美輪 :それを何かの時に、ふっとはじらいをお見せになるじゃない。
     あれは、素敵ですよ。
     昔、日本人はあれを持っていたんですよ。
     いやそんなことはと言って、ぽっとなる、
     みんな昔はそうだったんですよ。
     今は、みんなずうずうしくなっちゃってね、
     あつかましくなっちゃったけれど。
     それをお持ちなのね。
     それは、素敵ですよ。

 国分 :ありがとうございます。
     こういうところですよね、なおさなければいけないのは。
     うーん。

大相撲の頂点、横綱まで後一歩
活躍する琴欧洲の地元ブルガリアでは、
大相撲での活躍がTVで報道されいまや国民的ひーローに

ブルガリアの首都ソフィアでは、

 地元の女性:琴欧洲のおかげで日本の人にもブルガリアを知って
       もらえたんじゃないかしら。

 地元の男性:早く、ヨーロッパ初の横綱になって欲しいね。
       がんばれ、琴欧洲!

母校スポーツアカデミーでも、人気が急上昇レスリングのマットを借りていた
練習場が見直され、本格的な練習場を備えた相撲専用の稽古場を建設。
その名も『琴欧洲ジム』と名付けられたのです。

そして、今年5月、
さらにうれしい知らせが地元に届きます。

本来の相撲で朝青龍に完勝
翌日の横綱白鵬戦でも、終始横綱を押して圧勝。
14勝1敗で、初優勝したのです。

優勝の祝賀会には、琴欧洲のお父さんの姿も。
ヨーロッパ出身力士として、初の優勝を手にした今、
綱とりへの期待がかかっているのです


 国分 :大関昇進というのはやはりうれしかったですか?

 琴欧洲:うれしかったですね。
     うちの部屋は、琴風以来ですから、
     先代の親方の夢でもあって。

 国分 :先代の親方もすごく喜ばれたんじゃないですか。

 琴欧洲:よろこんでました。はい。

琴欧洲にとっては、相撲の師匠であり、
日本での親代わりだった大切な人がいます。

 親方:ひと場所ごとに力をつけてくるから、
    強くなると思いますよ。

先代の佐渡ヶ嶽部屋親方は、横綱・琴櫻(ことざくら)
琴欧洲を大関まで育てた親方は、昨年8月この世を去りました。
そして、親方がなくなった後、琴欧洲は不思議な体験をするのです。


 国分 :不思議な体験で、稽古場に亡くなった親方が現れた?

 琴欧洲:ぱたぱたぱたぱたと、
     感じた聞こえた、見たけど誰もいない。
     親方は病気で足が、ちょっと。

 国分 :かたかたかたという感じのあるきかただったわけですか。

 琴欧洲:かとんかとんかとんってでてきた。

 国分 :その音が聞こえたんですか。
     そして見たらいなかったわけですか。
     一回だけですか。

 琴欧洲:いいえ、何回も。

 国分 :それは、大関だけですか?

 琴欧洲:いや、他の力士もおんなじことを言ってる。

 国分 :それは、親方じゃないかと。

 琴欧洲:それは、ああいう稽古場の雰囲気は間違いないですね。
     非常に厳しかった、もういるだけで...。

 国分 :怖くて、存在を感じていた。
     それは、親方が来たということでがんばらなければとか
     言う気持ちになったんですか?

 琴欧洲:そうですね、親方はみんなのことをずーっと心配してたから、
     みんなが稽古を見に来たんじゃないかという。

稽古場では、鬼のように厳しかった、
プライベートでは父親のように優しかった
先代の佐渡ヶ嶽親方

亡くなった後も稽古場に現れるという先代の親方は
今、何を伝えようとしているのでしょうか。

そして、25歳独身、角界きってもイケメンと騒がれた
大関の結婚は


 江原 :あの、ぜんぜん余談なんだけれど、
     おちゃめでかわいいところがありますよね。
     あの、電化製品がお好きですか?
     新しい製品とかでるとすぐに買ってやってみたくなるわけですか?
     そういうショップ。

 琴欧洲:好きです、よく見に行きます。

 江原 :そういうのが好きでしょう。
     わたしもそうなんだけれど、
     こういう体の大きい人が、細かくやってるのを見てると
     すごくほほえましいじゃないですか。
     そういうのが、結構、休日の楽しみかたっていうのが。

 国分 :そういえば、今はブログもやられるんですよね。
     やっぱりパソコンがないと。

 琴欧洲:ちょっと、パソコンがないと出来ないですね。

 美輪 :もともと、資質として、スポーツだけじゃなくて、
     計算というか、理数科系というか、
     そっちのほうの才能も持っていらっしゃるのね。

 国分 :どうですか、数学、算数とかは。

 琴欧洲:いや、小さいころは勉強とかには興味がなかった、
     普通だっですね。
     高校に入って、お兄ちゃんがトップクラスだった。
     それで、お兄ちゃんができて俺がだめなんだってことで、
     勉強して並んだ。

 国分 :負けず嫌いなんですね。

 美輪 :負けず嫌いだけじゃなくて、努力してすぐそれが出来る
     ようになったでしょう。
     だから、もしやってたらお兄ちゃんを越すぐらいのこと
     をやってらしたかもしれないのね。

実は理数系の才能もあるという琴欧洲関
小学校の担任の先生に聞いてみると

 先生 :カロヤンは数学が得意で、
     将来は数学の先生になると思っていました。

そんな琴欧洲が手放せないのがパソコンです
たどたどしい日本語でつづられたブログが人気です。

琴欧洲が横綱になることを夢見て亡くなった
先代の佐渡ヶ嶽親方

今年、初優勝したときに、誰よりも報告したかったのは、
先代の親方でした。

もし、親方が生きていたら親方は琴欧洲にどんなアドバイスをするのか


 江原 :実は、親方は最初からいるんですよ、
     でいて、先代の親方がひとつだけアドバイスがあって来てますよ。

     それはどういうことかというと、
     両方極端にいってはいけないという言い方をするんですよ。

     たとえば、負けず嫌いともおっしゃったんだけれど、
     頑固なんですよ。

 琴欧洲:それは、ちょっとある。

 江原 :それでいてね、先代の親方は本気で尊敬なさっていたでしょう。
     その先代の親方が言った事をいつもいつもいつも、
     思い出してて、いつもそれをやっているって。
     で、そこからもう一歩離れなければだめだって言っているんです。

     その時と今ではアドバイスも変わってくるって。
     だから、先代の親方がいったこと意外に他の方がいったことも
     受け入れていかなければいけないと。

     どこかで先代の親方を大変大事にしていて、
     割と頑固だからこっちだと決めたことについて、
     そっちにばかり行っちゃうことがあるらしてくて。

     もう少し、柔軟に受け止めろということなの。

     で、プラスそれを自分の中で受け入れて、
     けど、もう一歩、行き過ぎてはいけないというのは、
     考え過ぎてもいけないというの。

     なにせ緻密で計算、計算、計算ていうかね、
     相手との取り組みをどうするかということをものすごく考える。

     でも、もっと自分のもっている才能を活かす、
     ようするに、土俵に上がったら自分を活かしきるだけで考え過ぎ
     てはいけないということを親方は言っているんですよ。

 琴欧洲:今の親方もおんなじ事を言ってます。

 国分 :考えすぎるという事をよく言われたりすんですか。

 琴欧洲:はい、言われます。


亡き親方を尊敬し、その教えを守る琴欧洲関
理数系の頭脳で考えすぎるのではなく、自分を活かす相撲をとるのが大事だというのです。


 江原 :実はね、こうやって関取になるために日本に来られてね、
     それは偶然じゃないんですよ。

 国分 :必然なんですって。

 江原 :どうしてかというと、琴欧洲の前世は日本にあるんですよ。
     お侍さん、武士。
     それでね、日本人が失ったものを琴欧洲関がもっているんですよ、逆に。
     それが、マイナスに出ているところもあるんですよ。
     それが、学んできた相撲の基本に常に忠実なんですよ。

     その基本が忠実なためにその場その場に対応していくことが
     苦手な場合があるということなんです。

     そういった点では、日本人以上に武士らしい人なんです。

 美輪 :あのね、デリケートなのよ。
     親方の足音を聞いたりといのはね、とてもスピリチュアルで、
     霊媒体質をもってらっしゃるのね。

     それが、高じてきてね、自分に自己暗示をかけるのがすごくお上手なのね、
     いいほうに自己暗示をかけるといいんだけれどね、
     マイナーなほうに、あの人には負けそうだなとか、あの時は負けたからとか、
     それがね、自分のなかの60兆の細胞にね、
     スーッといきわたっちゃうのね。

     そうすると、技術的にも体力的にも横綱の実力を持ってるのに、
     自分でブレーキかけちゃう。
     そういうことでしょう。

 江原 :そうなんです。

 美輪 :それをおっしゃりたいの、
     その悪い癖さえなおせば、もう後は十分ということなの。


横綱昇進がかかった今年の7月場所
苦手の安美錦に破れ、結局、9勝6負
綱とりは先送りとなりました。

体力的にも技術的に横綱の実力はあるのに、
下位の力士にあっさりと負けてしまうことがある。

それは、考えすぎてマイナスの自己暗示をかけてしますから、
自分の相撲をとれば横綱になれる日は近いというのです。


 江原 :安易にこういうことを言っちゃいけないかも知れませんが、
     これからが楽しみですね。

     実はね、スピリチュアルチェックであがっているときに、
     美輪さんが金杯が見えたとおっしゃったのね。

     だから、横綱になれるということは美輪さん確信してる。

     先代の親方もそうおっしゃっているんですが、
     本当にね、オーラが満ち満ちてるんですよ。

     ものすごく戦っていくだろう赤いオーラが見えれば、
     深い青いオーラがつねに冷静に自分を見つめてる。

 美輪 :それと愛情ね。

 江原 :そうですね、紫の愛情の、
     これでがんがんいけるだろうなって状況で、
     親方もね、部屋から横綱がでる日をとても楽しみにしてるんですよ。

     それが、とても近い将来になっているということをいっているんですが、
     でも、結婚はどうですか?

 琴欧洲:まだですね。

 江原 :と、自分の中ではまだ先と決めているんですか?

 琴欧洲:決め手はないです。

 江原 :でも、そういう時ってなんでも重なってくるもんなんですよね。

 琴欧洲:そうですか?

 美輪・江原 :ハハハハハ...。

 江原 :うーん、こういう時ってなんでも重なるんですよね。

 国分 :ということは、横綱とかいいお話が来た時とかですか?

 江原 :ですかね〜。

 国分 :はー。
     これを聞いてどうですか?

 琴欧洲:実現するかどうか、これから...。

 美輪 :楽しみだわね。

 江原 :意外と亭主関白なんですよ。
     日本的なんですよ。

 国分 :どうですか、そういうところありますか?

 琴欧洲:はい。少しは。

 美輪 :あのね、琴欧洲関をみてて、サムソンみたいだなって思って。

     聖書のなかにね、サムソンとデリアっていうのがあってね、
     サムソンっていうのがね、ものすごい強いのよ。

     デリアっていう悪い女がでてきて、いじわるをして、
     髪を切っちゃったりいろいろするのよ。

     でも、純情だから、その女に身を滅ぼされちゃうの、
     だから、そうならないようにしてください。

 国分 :どうですか、ほかに聞きたいことがありますか?

 琴欧洲:終わってから聞きたいことがあります。

 国分 :終わってから聞きたいことがあると。
     わかりました。
     こんなに堂々と言った人ははじめてですね。
     じゃあ、終わりましょうかね。
posted by yasu463 at 02:12| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(1) | 江原啓之 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月16日

【オーラの泉】思い出の大スタースペシャル

2008.8.16(土)19:00〜 今回は、3名のスペシャルゲストが「オーラの泉」に訪れる豪華なラインナップ!

1人目のゲストは歌手の未唯mieさん。 国民的スーパーアイドル ピンク・レディー。
 シングルの総売上は1100万枚にも!
 空前絶後の記録を打ち立てながら、
 わずか5年足らずでその幕を閉じたスーパーアイドル…
 今明かされる、ピンク・レディー秘話、
 そしてその人気を陰で支えていた、今は亡き作詞家の阿久悠さんとの
 知られざる物語が解き明かされる!

2人目のゲストは落語家 九代目林家正蔵さん。
 父は昭和の爆笑王と称された、大スター 林家三平さん。
 親子の絆を絶って指導を受けた、厳しい修行時代。
 なぜ父はあんなにも厳しかったのか…
 なぜ自分は父の名ではなく、祖父の名を継いだのか…
 九代目を襲名した今、従来の常識を打ち破り落語史に名を残す父の素顔と
 正蔵さんの未来が解き明かされる!

3人目のゲストはザ・ドリフターズの加藤茶さん。
 最高視聴率50.5%をたたき出し、
 子どもからお年寄りまで広く愛されているドリフターズ。
 テレビ史上、かつてない金字塔を打ち立て、日本中に笑いを巻き起こした
 大人気グループの中心にいた加藤さん…誰よりも早くその才能を見抜いていたのは
 今は亡き、リーダーのいかりや長介さんだった。
 命に関わる大病を乗り越えた加藤さんに、最愛の母、そしていかりやさんから
 届けられるメッセージとは!?

 絶大な人気を誇り、日本のエンタテイメントの中心にいるゲストたちの素顔…
 そしてその陰で見守ってくれていた今は亡き人々との知られざる物語が
 解き明かされる!!

ラベル:オーラの泉
posted by yasu463 at 19:55| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 江原啓之 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月28日

【オーラの泉】スペシャル 6/28(土)19時〜

〜悩める芸能人に愛の人生相談!!夫婦と家族の不思議な話SP〜

 衝撃の新企画が遂に誕生!

 芸能人が、美輪、江原に今一番聞きたいこと、

 自分の人生においての問題や気になっている悩みなどをスタジオで告白!!

 この番組だからこそ明かされる、知られざる悩みの数々…

 美輪・江原から悩める芸能人に贈られるメッセージとは!?

 なんとそこで、あのイケメン芸人が人生の大決断を…!

 そしてスペシャルゲストは女優・松田美由紀さん。

 日本を代表する俳優・松田優作さんと電撃結婚…

 その後、突如優作さんを襲った病…

 忘れ形見の2人の息子さんも大活躍する今、

 故 松田優作さんから衝撃のメッセージが…!!


★スペシャルゲスト『松田美由紀』

 16歳でモデルにスカウトされ、女優デビュー。

 テレビドラマ「探偵物語」での共演をきっかけに、

 12歳年上の松田優作と20歳で結婚。

 幸せな日々を送るも、1989年、優作さんがガンで他界。

 28歳で未亡人となった後、女手ひとつで3人の子どもを育て上げ、

 長男・龍平さんと次男・翔太さんは父と同じ俳優の道に…。

 「…この肉体にはいない、すごく上に行っていると感じた。」

 優作さんが亡くなった時を振り返る松田さん、

 他界してから20年近く経った今も、疲れていると感じたときには、

 夫婦間でしかわからない暗号のように、

 優作さんが好きだった音楽が聞こえてくるという。

 残された家族たちのみが共有する不思議な感覚…

 優作さんの忘れ形見 長男・龍平さんと次男・翔太さんも立派に成長し、

 今では若手スターとして第一線で活躍中。

 「…かっこいい人が家族にたくさんいてうれしいです!」と、

 臆せず言い切る笑顔…

 優作さん亡き後も、家庭に明るさを忘れずに子どもたちを養ってきた美由紀さん。

 未だ圧倒的な存在感で人々の心に残り続ける、優作さんが今、

 美由紀さん・息子さんたちに伝えたい思いとは…!?

 衝撃のメッセージが届けられる!


★衝撃の新企画『オーラの相談室』

 ゲスト:安藤和津さん、金子貴俊さん、狩野英孝さん(お笑いタレント)、
     西村知美さん、宮ア大輔さん(ハンドボール日本代表)

 「美輪・江原に聞いてほしい…!!」

 芸能人が、美輪、江原に今一番聞きたいこと、

 自分の人生においての問題や気になっている悩みなどをスタジオで告白!!

 次々に持ち込まれる、知られざる悩みの数々…

 華やかなイメージの裏で、芸能人たちの抱える苦悩が明かされる!

 そして美輪・江原から…悩める芸能人たちに衝撃のメッセージが!!

 そこで、あのイケメン芸人が人生を変える驚愕の大決断を…!!

 待望の新企画、乞うご期待!!
ラベル:オーラの泉
posted by yasu463 at 17:29| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 江原啓之 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月07日

“オーラの泉”内田恭子

★本日〈6月7日)のゲストは内田恭子さん

 フジテレビ以外での初めてのテレビ出演!

 7年間勤めたフジテレビを退社した今、

 ずっと話せなかった局アナ時代の私生活も、初告白。

 フリーアナウンサーとして活躍を嘱望される、まさにこれからという時期に、

 オーラの泉に訪れた内田さん…そこには大きな理由が…!!

 「今から手術を受ける心境…」と不安をのぞかせる内田さん。

 フリーアナウンサーになって2年目の今、生活は以前と大きく変化したという。

 ゆっくりと本を読める時間が持てるようになり、

 その心のゆとりから、今まで以上に一つひとつの言葉に対して敏感になったという。

 そして「この一言に日々、救われている」と、

 最愛のご主人との生活の中で、心動かされた言葉について語る内田さん。

 そして勿論、「人生で一番嬉しかったのはご主人との結婚」。

 最愛の出会いを果たした2人…実は、その魂の絆には衝撃の物語が…!

 美輪・江原から伝えられる話に、現在の2人の様子との共通点に

 驚きの表情を隠せない内田さん。

 そして、話題は子どもをもうけるかどうかという、デリケートな部分にも…

 妻として…仕事を持つ女性として…

 今、飛躍の時を迎えてる内田さんに届けられるメッセージとは!?


★芸能人が本当に体験した不思議な話

 ゲスト:梅沢富美男さん、小倉優子さん
     加藤和樹さん、つまみ枝豆さん、八代亜紀さん

 3回目を迎えた、話題沸騰の新コーナー「芸能人が本当に体験した不思議な話」

 前回の放送だけではお送り出来なかった衝撃の未公開部分をお送りします。
posted by yasu463 at 09:07| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 江原啓之 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月23日

“オーラの泉” 不思議な話スペシャル

“オーラの泉”不思議な話スペシャル。2008.5.17


★加藤和樹さんの不思議な話


 霊感の強い友人がいると不思議な体験をすることがあります。
 仮面ライダーカブトのドレイクで注目を浴び、現在はミュージシャンとしても活躍する加藤和樹さん
 霊感が強い友人が遊びに来たとき、不思議な体験をしました。


 加藤:結構、仲のよい友達なんですけれど、俺のうちに遊びに来た時、急に顔色が真っ青になったんですよ。
    何度か来てるんですけど、一緒にご飯を食べたり、しゃべったりしてたんですよ。
    そんときに、急に顔が真っ青になって、「ごめん窓開けて」って言って。

    何でだろうって、俺もそんなそいつの姿を見るのは初めてだから、
    急いで玄関と部屋の窓を開けたんですよ。

    そしたら、そいつの顔がみるみるよくなっていったんですよ。
    なんだこの現象って思って、そいつに聞いたら、
    「霊の通り道だから窓を開けて欲しかった」って言うんですよ。


 霊の通り道があるという加藤さんの部屋、単なる通り道ではなかったのです。


 江原:その友達は、女性の霊を見たと言いました。

 加藤:その時は言ってないですね。

 江原:ひとつ矛盾しているのは、霊は扉があろうがなかろうが通り抜けますからね。

 加藤:僕もそう思ったんですけれど、窓を開けた瞬間によくなった。

 江原:気分の問題ですね。
    その時に、さっき女性の霊と言いましたでしょう、
    その当時、その少し前にお別れがあったと思うんですよ。

 加藤:僕ですか。

 江原:そう、その中できっとあなたのことをものすごく好きだったんでしょうね。

 美輪:生霊ですよ、生霊。

 江原:でもね、その思いが果たせずにね、相手してもらえなかったりするとね、
    その思いが生霊としてくるの。こっちの方がめんどくさいですよ、生きてますからね。


 加藤さんが感じたのは、霊の通り道ではなくてわかれた女性の念だと江原さんはいうのです。
 さらに。


 江原:加藤さんね、これから先だって危ないんですよ。
    その当時からそうだけれど、恋愛はあまりうまく行かないでしょう。
    意見が合わずに、こうなっちゃって、妨害されちゃうの、全部妨害されちゃうの。
    だから、さかのぼれば、加藤さん優しい人なんですよ、
    その気は無いのに思いふらすみたいになっちゃう。

 美輪:ヘビの生殺しになっちゃうの。
    優しくすることが、返って相手のためにならないの。

 江原:好きでないというと、傷つけるからずるずると向こうが待っててくれる。
    気があるんだわってなって「いや、だから違うんです」って後で言うと
    余計に恨みが倍増になるんですよ。

 美輪:その点、梅沢さんなんかね。

 梅沢:あのね、あまり甘いこと言うもんじゃないよ。
    始末が悪いからね。
    何度、経験して、いくら金使って、いくら失敗したから。
    本当に、聞かせるよ。

 国分:どうしたらいいんですか。

 江原:うん、だから全然ないから、
    その人に対して、思いだけでいいから妨害しないでくれと。
    だからそれを、常に念ではね返す。
    だからそれをその人だけじゃなくて、
    嫌なものは嫌だということをはっきり言わなければいけないし、
    妙に慮っちゃうんですよ。
    そのために、嫌と言えなくてみんなに同じようにしちゃうんですよ。

 美輪:だから、八方美人というのは、いいようだけれど、
    自分の首を絞めるんですよ。
    だから、だれにもかれにも優しいというのは、
    相手に対して刃物になるのね。
    だから、ヘビの生殺しよりも、
    梅沢さんみたいにグサッと切っちゃった方がいいみたいにね。
    それこそ、心を鬼にしちゃってね、私は興味ありませんってね。
    そういう人には、パーンと無碍もないように、取り付く暇もないように、
    言うことこそが相手のためになるんですよ。
    あきらめさせること。

 梅沢:いい番組でしょう。


 加藤さんの場合、霊の話というより恋愛の話でした。


★つまみ枝豆さんの不思議な話


 つまみ:僕の場合8割がた霊をみるのは鏡なんですよ。
     本当に鏡の中なんですよ。
     僕、昼間走っててルームミラーをなにげにみると、
     運転手さんと助手席に人が乗っていて、
     あれっと振り返ると助手席に人がいないんですよ。
     運転手さんだけいて、3回ぐらいあるんですよね。

 江原:えー怖くない、乗せてあげればいいじゃないですか。
    霊の集まる場所というのは、確かにありますよ、
    でも、いちゃいけないなんてそんな傲慢なことを。

 つまみ:僕も、いちゃいけないというんじゃなくて、分析できないんです。

 国分:鏡に映るんですか。

 江原:神秘です。
    昔から多いですよね、鏡に映るとか、
    神様でも何でも、だから、精神統一になりやすいところがあるんですよ。
    ただ、鏡がなければ見えないわけじゃないと思いますけれど。

 つまみ:誰も信じてくれないんですけれど、
     たけしさんの運転手やってて、
     夜中に帰ってきた時、歯を磨いて寝ようと思って鏡を見てたら
     すごい形相になってたんですよ。
     目がつりあがってきて、怖かったのですぐやめたんですけれど、
     それを人に話したんだけれど誰も信用してくれず、
     それで一回限りなんですけれど。

 江原:変貌現象といいます。
    一般の人たちでも鏡を見てて、
    だから僕はいつも鏡を見なさいというんですよ。
    今日って自分の顔じゃないと思う時があるんですよ。
    そういう時は、自分と違う人格の時があるから、
    自分でいけないと思わなきゃいけないんです。

 美輪:われわれの商売というのは、
    不特定多数の大勢の人を相手にしてるでしょう。
    敵意を持っている人もいるし、憧れている人もいるし、
    いろんな人がいるわけでしょう。
    そういうごちゃ混ぜのエネルギーがこっちに向かって来るわけじゃないですか。
    それを、バーンと跳ね返すか、それを全部吸収して吸い取っちゃって
    始末するだけのエネルギーを持ってるか、
    そういうものを持っている人じゃないと務まんないのよ。
    それを処理する気概とか情念とかがないと。

 つまみ:もうどうしていいかわからないと。

 美輪:自分の顔は自分の顔とわかるんでしょう。
    形相が。

 つまみ:僕は、途中までしか凝視できなかったんで、目をそらしたんです。

 美輪:それは、今日一日の思念、
    ちくしょうとかあのやろう恥かかせやがってとか、
    どうしてくれようとか、それが表に出せなくて黒い渦になって渦巻いてる。
    それが気がつかないうちに、鏡にバッとでちゃったりする場合があるんですよ。


 突然、わけがわからなくなった場合、いらいらした思いや感情を自分の中に溜め込んでいるのかもしれません。
 鏡をみて、自分の精神状態をチェックすることも必要なのです。


★小倉優子さんの不思議な話


 家族や恋人など大切な人が亡くなった時、不思議な体験をする時があります。
 小倉優子さんの場合、おばあさんが亡くなってから不思議な現象が起きるようになったというのです。


 小倉:それまでは、不思議な体験とかは一切無くて、
    それで、祖母が死んで、火葬場と自宅を行き来していて、
    夜中だったんですね。

    だれも歩かない山の中なんですけれど、ひとりのおばあさんが立ってたんですよ。
    12時過ぎてたので、え、なんでこんな時間にって
    家族に大丈夫って言ったら、家族は誰もいないよって言って、
    でも、はっきり立ってたんですね。
    ああ、こういうのって本当にあるんだと思って、
    でも、その時、思って。

 
 真夜中に見えたおばあさん、不思議な出来事はそれだけでは、終わらなかったんです。


 小倉:それから、お部屋のトイレの水が勝手に流れたりとか、
    何もしてないのに、TVのチャンネルが変わったりとか、
    ブラインドが上がったりとか。

 国分:それは、自分の家ですか?

 小倉:家とか、スタジオとか引かないと上がらないブラインドが、
    こっちに上がりだしたりとか、
    そういうことが起こりだすようになったんです。
    それが、祖母が亡くなった日からなんですよ。

 江原:ただ、それはおばあちゃんではないと思うんですよね。
    そこにたまたま居合わせた霊が、
    ここにいるよということを言いたかっただけじゃないですかね。
    子供のいる家なんですよ、ポルターガイストって。
    もう、立派な大人なんですけれど。

 美輪:いえ、子供ですよ。

 江原:子供が持つエネルギーはね、
    赤ちゃんっていうぐらいだからね、
    そういうエネルギーがそういうことを引き起こしちゃう。
    幼い時からというのはあっても、
    途中からというのは少し珍しいかもしれませんけどね。


 ものが勝手に動くポルターガイスト現象、
 映画で描かれるときは、決まって子供がいる家庭や、
 子供がいる場所で起こることが多いのです。
 それがなぜ、小倉さんの周りで起こるのでしょうか?


 江原:だから、ご自身の力というか、みんなそれをもっているんですよ、
    認識してないだけで、だからそれを引き起こしちゃうのかな。

 美輪:本人の気持ちになにかアクシデントが起きた時に、
    何かこう精神的動揺があったりとか、怒り悲しみとかいろいろあるじゃないですか、
    その思念がパッとエネルギーになって、飛んでいってそういう現象を起こすというのがあるんです。

 江原:自分では、そうしている意識はないんだけれど、
    それによる自作自演ということがある。

 小倉:すごい、悲しい時というか。

 江原:感情の起伏が激しいでしょう。

 美輪:だから、そこいらへんのものが表に出せないから、
    だから、違うエネルギーになっちゃうのね。


 小倉さんの周りで起きるポルターガイスト現象
 それは、子供の気持ちを失わない、
 小倉さん自身が原因だと美輪、江原さんが言うのです。


 江原:霊的なものを引き寄せちゃったという、
    要するに引き寄せちゃう念がいけないんですよ。
    来る霊が悪いんじゃない、引き寄せる自分が悪いんです。
    悲しいだけじゃなくて、理性が大事なんです。
    この悲しみは、悲しいだけじゃなくて、
    いやこの悲しみはこうだよなって、こう考えるべきだよなって、
    ただ感情に押し流されて、嬉しい悲しい、怒ってみたりじゃなくって
    怒った時もなぜあの人は怒ったのかなと、
    考えてみれば、いたずらに怒らない悲しくならない。

    理性で分析、理解していけるそうすると、
    変な波長をださない、変な波長を出すと、
    類は友を呼ぶで、変な霊がすぐ付くんですって言うのは、
    自分がそんな低い波長ですって言っているようで、
    恥ずべきことなんですよ。

    うん。
    けして、自慢になるようになることではないんですよ、
    枝豆さんね。


★八代亜紀さんの不思議な話


 未来の出来事を見たり感じたりすることができる予知能力
 本当にそんな力があるのでしょうか。
 八代亜紀さんは、幼い頃から自分の未来が見えたというのです。


 八代:たとえば、10代のころ車の免許を取った時に、
    すごく車に乗りたいじゃないですか。
    すごい一直線のときにスピードだそうと、いけませんけどね、
    スピードを出した時に、
    頭の中にパトカーのピコピコが見えたんですね。
    ふっとブレーキを踏んで、緩やかなカーブをまがったら、隠れてたんです。

 美輪:ネズミ捕りってやつね。

 八代:その当時ねずみ取りってあったんですか。

 梅沢:その当時からありましたよ、
    何度も捕まりましたから。

 国分:そのとき一回だけですか。

 八代:いや、本当に不思議なのは、お金が落ちてるよと、
    瞬間に感じるんですよ。
    で、ふっと見ると落ちてるんですよ、
    すると、ずっとずっとずっと落ちてるんです。

 国分:すごいですね、お金落ちてるよという声が聞こえるんですか。

 八代:聞こえないけど、わかるの。
    瞬間にひらめくの。


 未来の出来事が瞬間的にひらめくという八代さん
 江原さんが分析するその理由とは


 江原:昔、「オーラの泉」でも、そういうゲストの方、いましたけれどね。
    あの、ちょっと離魂病(体から魂が離れること)気味なんですよね。
    あの、本当にいなくなるの。
    一瞬、パッと意識がなくなるというかね、
    要するにいろんなところに行っちゃうところがあるんですよ。
    それがひどくないんだけれど、
    一歩先に行って予知してるところがあるの。
    それは、昔っからそうなんだろうなと思うんですよね。

 八代:幼い、3〜4歳ぐらいの頃から、ものすごい絵が好きで、
    絵を描いてまして、その絵を大人になって見ましたら、
    未来の八代亜紀を描いてたんです。ロングドレスで、マイクで歌ってるんです。
    その当時は、スタンドマイクで、こんな大きなマイクしかなかったんですけれど、
    ワイヤレスマイクを描いてるんです。

 江原:それは、完全に予知ですね。


 八代さんには、ステージで歌う自分の姿がはっきり見えていたというのです。


★加藤さんが見たデジャビュ


 加藤:予知夢とは違うんですけれど、
    デジャビュというのはよく見るんですよ。
    夢で見たことが、何かのきっかけで見たことがあると。
    たとえば、印象的に見たことがあるのが、
    俺が中学校の時に見た夢なんですけれど、
    俺は友達何人かとしゃべってて、
    腕を組みながら後ろを向いてしゃべってたんですよ。

    あれは、高校2年の時だと思うんですけれど、
    体育の授業で、みんな体操服を着てて友達としゃべってたんですが、
    あっ、これ見たことあるって思ったんですよ。

 
 加藤さんが高校時代、デジャビュだと思った高校時代の体験。
 それは、中学生の時、夢の中で見た光景。
 まだ出会ってない高校時代の友人たち、
 そして、グランドの風景を見たというのです。


 加藤:俺は、その時にそいつらの顔も見てるし、
    その、結構広い田舎のグラウンドだったんですけれど、
    その絵を見たんです。

 美輪:その方たちは、まったくの赤の他人だからご存知ないのね。

 加藤:はい。 そのとおりです。

 江原:それは、デジャビュって言えるかもしれませんが、
    予知夢の方なんですね、
    夢で見た自覚があるんですよね。
    デジャビュというのは、あっ、ここ見たことがあるって瞬時に感じるものであって、
    予知夢というのは、夢で見ていることを現に見たということだと思うんですよ。
    でも、それは世の中の人は一杯あると...まあ、
    しょっちゅうということはないでしょうけれど、
    そういう覚えのある方というのはいるんじゃないでしょうかね。

 加藤:そういうのを見ると体に異常があるとかではないですか?

 江原:だからね、そういう風に見る人って世の中、多いみたいですけれど、
    どうして、世の中の人って自意識過剰なんだろうと思うんです。
    なんでそこまで夢に結び付けるんだろうかって、
    夢で見ただけじゃないかってね。
    暇なんですね。
    梅沢さんがいると梅沢さんの波長で、口が悪くなっちゃうんです。


 江原さんが思わず辛口になってしまうほど、べらんめいの波長が強い梅沢富美男さん
 よく、自分にそっくりな人がもうひとりいるといいますが、
 梅沢さんの場合は、何人もいるというのです。


 国分:酔っぱらってるだけじゃないですか?

 梅沢:酔っぱらってないって、つい最近もそうだったんだけど、
    公演行った時に、楽屋に差し入れが届いたんですよ。
    マネージャーに悪いし、知らないし、じゃあ食べに行こうって言って、
    予約を取って行ったんですよ。
    しゃぶしゃぶ屋さんなんですよ、
    そしたら、「梅沢さんしばらくでした。」って言うんですよ。
    僕は初めてそこに行ったんですから、本当に。
    初めて、公演をしたんですよ、そこの土地に初めて公演に来たんですから。

    俺、来ましたって言ったら、
    「また、そんなことを言っちゃって」って、
    よく芸能人はそんなこと言ったら鼻持ちならないっていわれるじゃないですか、
    そんなこと嫌だから、ああそうですかって合わしておいて、
    どんな格好で来たんですかって聞いたら。

    「着物着て、ハンチング帽をかぶってた」って、
    そんなやつ世の中にいないでしょう。
    俺、普段、着物なんか着ないもん。
    それで、何人か一緒に連れて来たって言うから。

    それで、その人がサインしてあげようかって言って、
    サインもしたんです。

 国分:そのサイン見ました。

 梅沢:ええ。
    そのサインは、梅沢富美男って漢字で書いてるだけなんですけれど、
    俺は、そんなせこいサインするわけないでしょう。
    俺じゃないって言ったんですけど、
    「いや、梅沢さんです」って。
    僕だって、言い張るんですよ。

    それと、うちの女房の友達の友達が薬局をやってるんですね。
    そこへ俺が薬を買いに来たっていうんです。
    俺は行かないって言ってるのに、
    薬局なんて行ったことがないんですから。

    マネージャーに頼んだり、いろいろやってるんだから、
    そこに梅沢富美男が来たって言うんだから。
    それはありえないでしょう。

 国分:僕は、ちょっとわからないですけど。

 梅沢:俺は行ってないもん。
    それで、大阪に行ったら、大阪で、
    2年前ですよ、梅沢富美男さんですかって言ったら、
    関西弁で、「言うたらあかんで」って、
    俺、東北人だから。

 国分:でも、そういうのないですか、タレントさんだったら。

 梅沢:でも、俺の場合は、多すぎるの。

 国分:これは、どうなんですか?

 江原:要するに、そっくりさんなんじゃないですか?

 国分:そうなんですよ。

 梅沢:これじゃあ、「オーラの泉」にならないでしょう。

 美輪:昔ね、もう終戦後だったですけれどね、
    偽者が跋扈してる時代があったんですよ。

    でね、私が行ったら偽者扱いされちゃったの。
    後からね、衣装から何からあれしたら本物らしいってことで、
    やっと認めてくれたの。
    衣装や宝石で私だということを、評価してくれたけれどね。
    まあ、偽者に私はあったこともあるの。
    似ても似つかないんだけれど、
    そういうもの。

    ひばりちゃんもそうだったのよ、
    「美空ひはり」とかね、「雪村ねずみ」とかね、
    そういう偽者が一杯いたんですよ。
    あちこちで、そいういうのがありましたよ。


 梅沢さんの場合は、偽者が出没しているだけのようです。


★つまみ枝豆さんの不思議な話U


 不思議な体験が多いことでは、指折りのつまみ枝豆さん。
 どうしても聞きたいことがあるというのです


 つまみ:最初、僕、伊豆の出身なんですけれど、
     兄貴と10歳違うんですけれど、兄貴に連れられて海に行っていたんですね。
     その日も、お兄ちゃんとお兄ちゃんの友達と伊豆の白浜というところに行って、
     僕は結構泳ぎが達者なので、
     泳ぎに行くと、遊泳区域のブイまで行って帰ってくるんですね。

     その日も普通に泳いでブイまで行って、
     帰ろうとしたんですが、光が差し込んで海の底が見えて、
     そこをなにげに見たら黒縁めがねの男の人がいたんです。

     僕は、水死体だと思って驚いて、泳いで帰っていたら、
     今度は、すぐそばで見えたんですよ。

     それで、おぼれていたら、お兄ちゃんの友達が助けに来てくれて、
     「なにおぼれてるんだ、いつもなら普通に泳ぐのに」
     って泳ぎは達者だったので、泣いてばかりで。
     小学5年ぐらいの時ですかね。

     じゃあ、シャワーを浴びて帰ろうかと、
     シャワーを浴びていたら、その鏡の下にその男の人が映っていたんです。

     バッと後ろを見たけれど、いないんですね。
     それで、そのままかっ。たんです。
     七三に分けた黒縁めがねで、時代が遅れている男の人で、
     どんな人っていうと、
     ミスターオクレさん見たいな、そんなイメージなんですね。
     むかしの日本のサラリーマンみたいな。

     それ以降、最近まで見ていたんです。
     それは、どういうことなのか聞きたいなと。

 国分:もうそれは、見なくなったんですか。

 つまみ:見なくなって、10年近いですね。

 江原:見えなくなったのは、結婚してからですか?

 つまみ:結婚してからです。

 江原:そうでしょう。
    結婚してから、枝豆さんの人生変わったからですね。
    いろんな流れが、変わったんですよ。


 枝豆さんが何度も見たという、黒縁めがねの男の人。
 それが、結婚すると何故か姿を見せなくなったんです。

 
 江原:あのね、好きな人がいて、
    ミスターオクレさんみたいな人ね、
    失恋の果てに自殺をなさってるんですよね。
    恋愛、好きで好きでそれが果たせなくて、亡くなっててね。
    さっき、結婚してから出なくなったでしょう。と言うのは、
    もてたりもあったでしょうが、どこかで、女性不審だったと思うんですよ。
    この人って思えることとか、この人って心を許すことができなくて、
    この奥さん今の奥さんが現れて、初めてなんかこう心許せる人が出てきて、
    でいて、恋愛という気持ちになれたのも今の奥さんで、
    で、結婚とかになって、浄化したんですよ。
    思いが、元の気持ちがね。

 美輪:思いが、結実したのね。

 つま :何かを伝えたかったってわけでもなかったんでしょうか。

 江原:いや、ややもすると、枝豆さんてものすごくロマンチストな方だから、
    同じような人生とかを繰り返してしまう可能性を、
    そこで脅かし脅かしそこへ向けないようにしていたんです。
    だから、恋愛とかものすごく傷つく人だったはずですよ。
    枝豆さん自身も。

 美輪:コンプレックスも必要以上に持ってらしたからね。
    俺が、女にもてるわけないというのが、ここにガーッとあったから。


 何度も現れた黒縁めがねの男。
 それは怖がらせようとして現れたのではなく、
 自分と同じ過ちを繰り返さないように警告を発していたのだと江原さんは言うのです。


 江原:奥さんがすごく強い人なんです。
    念力、跳ね返す人なんですよ。
    敏感なんだけれど、跳ね返す人なんですよ。
    だから、枝豆さん自身をずいぶん助けてくれてますよ。

    奥様がケガをなさったでしょう。(2007年番組収録中に奥さんが大怪我)
    あれは、枝豆さんのを引き受けてくれたわけですよ。

    変なところに行って連れてきたから。
    だから、その時って普段よりかみ合わずギクシャクしてた時があったと思うんですよ。
    でしょ。それから、奥さんがそういうことがあってからすごく仲良くなられたんです。

 つまみ:かみさんから話聞きました?

 江原:もちろん聞いてるわけないじゃないですか。

 つまみ:何でわかるんだろう、そうなんですよね。
     実は、そうなんですよね。

 江原:だから、そんなこともあるから奥さん大事にしなきゃいけませんよ。

 つまみ:いや、すっきりしましたね。

 国分:はい。
    今日は、皆さんにさまざまなメッセージがあったと思うんですけれど、
    次回、梅沢さんはぜひ不思議な話を持ってきて下さいね。

 梅沢:今日、皆さんの話を聞いてて、
    何で俺はここにいたんだろうと?


★スピリチュアル・メッセージ

 八代亜紀さんが幼い頃
 「歌手になった自分の絵」を描いたのは、
 単に未来を予知したのではなく
 豊かな想像力があったからです。
 何かになりたければ、大切なのは想像力。
 自分の未来を具体的にイメージして、
 努力を重ねることです。



★オーラの言葉

 恋愛の八方美人は
 自分の首を絞めることになる
 その気がないなら
 冷たくする方が相手のため
posted by yasu463 at 23:08| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 江原啓之 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月16日

【オーラの泉】“西川きよし”(詳細版)

西川きよし

 西川きよし(にしかわ きよし)
 本 名: 西川 潔
 生年月日 : 1946年7月2日(61歳)
 出身地 : 大阪市住吉区(高知県高知市生まれ)
 血液型 : O型
 事務所 : 吉本興業

 17歳の頃、吉本新喜劇に入団。
 1966年、横山やすしさんと「やすしきよし」を結成。
 1986年、参議院議員選挙に立候補し初当選。
 2004年、政界から引退。

 妻はタレント・西川ヘレン
 愛妻家で知られており、
 子供は俳優の西川忠志(長男)と西川弘志(次男)、
 タレントの西川かの子(長女)。



★スピリチュアルチェック

 ・ちいさい頃なりたかった職業はなんですか。
  喜劇役者になりたかったです

 ・人生の転機はいつですか。
  18歳のときに吉本興業で家内に出会ったときです。

 ・毎日かかさずすることはありますか。
  毎日、朝と夜には、家の仏壇で手を合わせてご先祖様に感謝をし、横山やすしさんと
  いろんなお話しをしています。

 ・ひとつだけ願いが叶うとしたらなにをお願いしますか。
  正直、ありません。
  これ以上そんなことを思ったら贅沢や思ってます。


 伝説の名コンビ
 横山やすし、西川きよし

 1946年 高知生まれ
 17歳で吉本新喜劇に入団した西川さん。
 そこには運命の出会いが待ち受けていました。

 新喜劇のスターだった、ヘレン杉本さん、
 当時の西川さんには高値の花でした。



 国分:18歳の時に奥さんに出会ったことがひとつの転機だということですが。

 西川:出会ってなかったら、今、僕はここへ座ってなかったと思います。

 国分:今で言うと、格差婚みたいな感じだったんですかね。

 西川:えらい格差婚です。
    扱いも違いますし、本数も違いますし、収入も違います。

    収入は、家内が17〜18万取ってる頃に、
    僕は、1万7〜8千円というところでしたから。

 国分:一目ぼれだったんですか。

 西川:一目ぼれもなにも、近づけないんですんで。
    おはようございます。お先に勉強させていただきます。
    お疲れ様でした。おやすみなさい。ってこれぐらいの会話でした。

    まさか、「おいヘレン」って呼び捨てにできるとは夢にも思いませんでした。
    そのときは。


 当時、西川さんの役といえば、通行人や着ぐるみの中、
 すでにスターだったヘレンさんとの恋は、すごい話題になりました。
 しかし、社内恋愛は禁止、2人が付き合うことは許されなかったのです。



 西川:会社の方に、実は、結婚したいんですけれどって言ったら、
    周囲から、そんなことは早くから聞いてる。2人直立不動で、
    結婚したいんですけれど。っていったら、
    職場結婚はいかんからどっちかやめろ って。

    どっちかやめろ って言ってるのは、私にやめろといってるのは、
    当然わかるじゃないですか。
    でも、何くそここで負けてはいけないと思って、
    じゃあ、ヘレンがやめて僕が吉本に残させてもらいます。って言ったら、
    その頃の偉い方が、おまえあほか。何を考えてんねん。

    お前が家に帰って先に飯を炊いて、お前がヘレンの帰りを待ってたらええねん。
    吉本のためにこれだけ稼げる人間と、
    お前みたいに吉本の方が助けてやらなければいけないのはね って。

    ほおって置けば、自然とやめていくだろうと会社は思っていただろうと思います。

    でも、食っていけないですから、稼いでいかなければいけないですから、
    それはもう小さい頃から苦しいですから、
    一食や二食抜いたからってどうってことはないんですよ。


 1966年、周囲の反対を押し切って二人は結婚。
 そして、もうひとつの出会いが、お笑いの歴史に名を残す。
 『やすきよ』が生まれたのは、不思議な縁によるものでした。



 国分:やすしさんとの出会いというのは、これはどういう出会いだったんですか。

 西川:僕はお芝居が終わって、すぐにやすしさんの漫才を他の人と組んでいるときに見てました。
    そりゃー無料で見れるんですから、吉本にいたら、人はどういう風に笑うんだか方程式を考えていました。

 国分:他の人と漫才をやってたわけですね、やすしさんは。

 西川:僕で、5回目なんですよ。
    コンビ別れの名人だというのは、聞いてました。
    だから、家内と結婚する時と同じで、
    新喜劇をやめさしていただいて、横山やすしさんと漫才をやらせていただきたいんですが
    って言ったら、また会社に叱られまして、
    お前、コンビ別れの名人やというのを聞いとるやろ。
    何で、そない会社の言うこと聞かへんねん。って怒られました。

 国分:どっちがやろうと言ったんですか。

 西川:それは、京都の喫茶店で、10回近く会いまして、最初は、お断りしたんですよ。
    あんな特技はできません、
    相手がしゃべったら、すぐに返さなければいけないんですもん。
    コンマ何秒の世界ですから。
    客席では見させていただいてますが、できませんってお断りした。
    できるって、できるって。いとも簡単に言うんですあの人。
    舞台にでるやろ二人で客おるやろ、そしたら年寄りか若いか見てな、
    若い人やったら朝刊夕刊、ベストセラーや週刊誌みてたらわかるやないか、
    それをわしが言うから、それに対して返してきたら客がわっと笑うねん、
    それが漫才や。そんなんで誰が笑います? 絶対笑いません。

 国分:ちょっと無理だと。

 西川:いや、やろうと心に決めたのは、
    家内のへレンが「やってみたら」って背中をポンッて押してくれたんです。

 国分:会社から怒られたにも関わらず、奥さんの言葉があったから
    やすしさんと一緒にコンビを組もうと思ったわけですか。

 西川:はい。
    芝居がたくさんある中のひとりやから、せりふもたくさんもらえないから、
    15分20分2人が主役でね、サンパチマイクの前で2人で立てるから
    自分たちの実力、勉強次第でどうにでもなるんだからがんばって、
    そう言うんでやってみたらというんで。

 美輪:奥さんもやってみたらって、奥さんも先見の明がおありね。

 西川:今日帰ったら、もういっぺん女房に聞いてみますわ、
    なんでお前やれといったかいうのを。


 初めての漫才への不安。
 誰もが反対した、やすしさんとのコンビ結成。
 悩む西川さんの背中を押したのは、妻のヘレンさんでした。



 西川:コンビ別れの名人の意味がすぐコンビ組んでわかったんです。
    まったく稽古しない人なんです。
    必ず捕まえて稽古して、喫茶店にすぐ行くんです。
    どこかへ必ず出掛けるんです。
    2時間なら2時間ネタをあわせてから出かけて下さいっていうのを再三お願いして、
    すぐ帰ってくる言うとるやないかい。ってすぐどっかに行こうとするんですよ。
    畳の楽屋でしたけれど、やってからでした。
    とにかく、稽古しないとだめですね。
    原稿用紙400字詰め30枚ね。
    きっちり覚えるいうのは、並大抵の努力というより、
    覚えなかったら自分たちが恥をかくんですもん。


 嫌がるやすしさんを説得し稽古を続けた結果、
 『やすきよ』の人気は急上昇。
 西川きよしという相方を得て、やっと“やすし”さんの才能が認められたのです。

 1970年 やすしさんは、タクシー運転手への傷害事件を起こし、
 長期の謹慎処分を受けます。

 やはり、やすしはコントロールできない。みんなはそう思いました。
 しかし、西川さんは諦めなかったのです。

 2年の謹慎にもかかわらず、
 やすきよの漫才はさらにパワーアップして復活します。

 1997年 上方の漫才大賞を受賞。
 テレビのレギュラー番組も、週に14本の人気タレント、名実ともに漫才の頂点に立ちます。



 美輪:私は、やすしさんと週刊誌で対談したんですよね。
    そのときは、礼儀正しくてちゃんとしてたのよ。
    めちゃくちゃに見えるけれど、神経質でね。
    着るものでも、1日2回ワイシャツを着替えるなんて、言ってましたよ。

 西川:神経質で、ピシッとしてるんですよ。
    でも、誰もいなくなったときが怖いんですよ。
    いいかげんとか、突然暴力を振るうとかそういう人じゃないんですよ。
    楽しい人なんですけれど、お酒ですね。

 国分:よっぱらって現場に来たことがあるという。

 西川:それは、数え切れないぐらいあるんですね。

 国分:来なかった時もあるとか。

 西川:来なかった時も、はい。
    何のために夜中の1時も2時もまで稽古したんだと。
    朝、8時にね、結局来ないんですから。
    等身大のやすしさんの写真をもってね、1時まで稽古したやつを、
    「なあ、そうやな」とか、馬鹿みたいなことをやってましたね。

 美輪:それはそれで、面白いわね。

 西川:そうですね、それを許してもらえるキャラクターをつくったのがすごいなーと思います。

 美輪:大阪のお客さんは、人情味がおありになるからでしょう。

 西川:普通でしたら、まあ、許されないです。
    今日みたいな、始まるセットの裏に水割りのセットが置いてあるんですよ。
    「これは何」とスタッフにいったら、
    「えっ、やすし師匠に用意しとけと言われてますんで」。
    「すぐ下げてくれ」って、僕と一緒の時は絶対飲ませません。
    でも、一人で出る時はお願いするんですよね。
    ちょっと一杯飲んだほうが楽しいことを言ってくれるだろうとか、
    面白い番組になるだろうとか。
    それはさせません、ケンカしてでも。

 美輪:それは、お守りが大変だったですね。
    話しは戻りますけれどね、
    やすしさんと対談中にね、不思議なものが見えたんですよね。
    日本のある土地ですけれどね、そこへあなた行く時がないといったんですよ。
    そこへ行くとあなたね、あんまりいいことが起きないはずよって。
    そこへ時々行ってるんでしょうって。
    この間の事件もそこへ行ってから起きたんじゃないのって言ったらね。
    「そうです」って言うからね。
    そこは、昔、村上水軍の拠点地だったところで、
    あんたその村上水軍にいたんだって。
    昔の海賊よ。

 西川:やすしさん海賊でした。

 美輪:わたしが、見たのはね。
    そういう風に見えたんですよ。

 西川:だから、船にエンジンつけて走るのが。

 美輪:あなたが競艇好きなのは、そこから来てるんだわって言って。
    それで納得っていう話があったの。


 頂点を極めたやすきよの漫才。
 そこへもうすぐ転機が訪れます。

 1986年 西川さんは、参院選に立候補。
 102万票を獲得しみごとトップ当選を果たします。

 一方、一人で活躍することが多くなったやすさんは、
 飲酒運転や暴行など相変わらずトラブルが絶えず、
 そして、1996年、アルコール性肝硬変で他界。

 コンビを組んで、30年。51年の太く短い生涯でした。



 国分:改めてやすしさんとの漫才人生はどう振り返ってますか。

 西川:本当に、人生30年のお付き合いですけれど、急いでました。
    人生急いでました、本当にね人生急いでました。
    もう少しゆっくりしてたらいいのになって、
    何をそんなにいらいらしてるのかわからないんです。

 国分:でも、僕は思うんですが、コンビ別れをすることが多かったやすしさんが、
    なぜきよし師匠とはこれだけ長く続いたんだと思いますか。

 西川:それは江原さんに聞きたいなと思ってきました。


 スターの座を捨てて西川さんと結婚したヘレンさん。
 2人を結びつけたたましいのきずなとは。

 そして、西川さんしかコンビを組めなかった。
 破天荒な天才横山やすしさん。

 亡くなって12年西川さんに伝える、大切なメッセージがありました。



 江原:最初、非常にビックリしたことがありましてね。
    このお宅の中で、一番の霊能者は奥さんだったと思うんです。

    逆にお伺いしたいんですけれど、奥さんを見てると一杯、仏さんが見えるんですよ、
    仏さんの信仰か何かなさってますか?

 西川:むちゃくちゃしてますわ。

 江原:それでいてね、
    これは夢物語と思って聞いて下さい。

    前世は、尼僧さんだったというのが見えるんですよ、
    その時からもそうなんだけれど、今もそうなんだけれど、
    師匠の人生を照らしてきたのは全部奥様でね。

    事あるごとに仏様にお努めをするんですよ。
    それでいて、漫才の道へ行ったらというのも奥さんの持ってる霊的力なんですね。

    それで、この奥さんつらい思いをなさって来たといのが、
    もう私が想像が及ばない位なさってるんですけれど、
    その分、内に秘めた感とか思いが強くてね、

    これはやらせるべきだとか、
    自分が身を引いてね、ご主人を表にだすということは、
    本当に大きな愛でないとできないことだと思うんですよ。

    だってご自身が華やかだったんですから。
    でも、自分の輝きは全部きよしさんに差し上げると。

 西川:まあ、あの、聞いたら悲惨な話ですわ。


 ヘレンさんの父はアメリカ人。
 外国人のような顔立ちのため小さいころからいじめを受けたといいます。



 西川:そういう生まれ育ちですから、
    米軍のキャンプを3歳の時からタップだとか歌だとかをならってね。
    ずーっと回ってたらしいんですよ。

 美輪:進駐軍を回っていると、周りは外国人ばかりだからいじめられないですものね。
    そこはハーフの人の天国。
    今は、ハーフはかっこいいとかの代名詞でしょう。
    昔は、まったくの逆だったの、
    本当に人間よくここまで意地悪になれるぐらいの意地悪ですものね。

 西川:同じ人間なのに何でここまで人をいじめるのかな。
    俺にもっと力があったらなって思いますね。

 国分:師匠も見られてるんですか。

 西川:もう、目の前ですから、
    せめて結婚させて下さいといった時から、
    職場結婚は認めないからどっちかやめろと、
    だから勇気をもってヘレンはやめさせますといったんですよ。

    2人でクビだと思ってました。
    それぐらい腹をくくって会社に行きました。


 吉本新喜劇のスターとなってもいじめを受けていたヘレンさん。
 そんな彼女を守ってくれていたのが、西川さんだったのです。
 漫才師、政治家の妻として西川さんを支え続けたヘレンさん。
 その献身的な愛には、2人の魂の絆がありました。



 江原:これは、さっきの尼僧さんの延長なんですけれどね。
    これは本当に夢物語です。

    お2人が親子関係である時がありますね。
    で、師匠をお子さんに持っててね、亡くされてるんですよ。
    そのご供養もあって尼僧になられてるんですよね。
    それで、今の人生は夫でもあるけれど、息子でもあるような気持ち。
    だから、この息子を育てなければという一心できた。
    だから、自分自身は我慢してということは一杯あったと思うんですよ。

    私にはこんな姿が見えるんですよ、
    今はそんなことはないでしょうが、
    自分自身を切り詰めてでも師匠に恥ずかしい格好をさせないようにとか、
    そういうことをやりくしていたという最初からの姿がね、ありまして。

    これは、奥さんとしてでもわかるんですけれど、母の心ですね。

    それと、さっきから困っていることがありましてね。
    やすしさん離れてないんですよ。
    要するに、やすしさん亡くなってあの世に行くというじゃないですか。
    行ってないですね。

    なにしろ、寂しがり。
    自分でマイペースでいるわりには、一人でいられない。
    そういう方だったと思うんです。

    それでいてね、師匠がいないと生きていけないんだというんですよ。
    それでいて、師匠がいたからこれでも長生きできたと思ってると。

    だから、相当面倒をかけられたと思うんですよ。
    普通の生活をさせるために寝させるもそうだし。
    お守りする仕事が議員としての仕事のために離れなければいけなくなった。
    でも常に介護してやらなければダメな人というか。
    それは今だになんですよ。

    だから、それぞれが自立しなければいけないというかね。
    その気持ち、だから亡くなってもやすしさんなんですよ。

    だけども、ヘレンさんはやすしさんのことも供養してるんですよ。
    祈ってるの。それでもまだ、いいんだけれど。

 西川:まあ、うちの家内は何かあったらお墓に行ってます。

 江原:感じてるんだと思います。
    ヘレンさんもね、
    要するにやすしさんまだ自立できてないというのをね。
    だから、やれるうちは供養しなきゃと、あの世に行かせなきゃと、
    成仏させてやらなきゃという気持ちがあるからだと思うんです。

    お帰りになったら聞いてみて下さい。
    もしかしたら本当のことをおっしゃるかもしれない。


 亡くなってもやすしさんは、甘えん坊でさびしがりやのまま。
 今だに西川さんのそばにいるというのです。



 美輪:成仏するというのは、仏の心になるということだから、
    自分で成長していって進化させていってね。
    大人になっていかなと仏の心にはなれないじゃないですか。
    ちいさな子供のままでいることを、自己改革しなきゃいけないということなんですよ。

    それを、自己改革しないでやんちゃん坊のままでいられる甘えがあるから、
    そうすると、成仏できないんですよ。

    で、これを聞いてると思いますけれど、
    そいういうことなのよ、やすしさん。

    聞いてる? 
    だからいつまでも甘ったれてはダメですよ。
    人に迷惑をかけちゃダメ、いままで十分に迷惑をかけたんだから。
    だから、皆さんに迷惑をかけないで恩返しを今からしなきゃだめなの。
    今からは、あなた自身も頭もいいし、ちゃんとしたところもあるんだから、
    それで、人々を慰め励まし、尊い仏、菩薩になったり如来になったり、
    まだまだ、これから先いっぱいあるんだよ。

    次から、素晴らしい人になるようにこれからご修行なさい。
    そのためにあなたここに来たんでしょう。

 国分:ちょっと聞きたいんですけれど、きよしさんがやすしさんのためにできることってあるんですかね。

 江原:自立しろと言ってあげたら。

 西川:朝晩、仏壇でお話してるんですけれど、一度も言ったことがないです。

 美輪:生きているのと同じように対処なさってるから、
    だから、いつまでも居心地がよくているんですよ。甘えて。

 江原:先ほど、稽古をされるときにね言われたそういう気持ちです。
    行くことが稽古だとさせればいいんです、
    ちゃんと自立しろ、じゃないとみんな困っちゃうんだと。

 西川:そう言ってあげることだけでいいんですか。

 美輪:そうそう。
    そうすると、向こうにそういう気持ちが芽生えれば、
    すーっと天窓がひらかれるみたいになるんですよ。

 江原:きっと奥様がそういうことだけを言えばきっとわかったと言います。
    どのようにすればいいのか奥様が教えてくれると思います。


 やすしさんにこの世にいてもらいたい。
 これは西川さんに限らず、やすきよを愛した人すべての人の願いだと思います。
 そんな思いがやすしさんの成仏を妨げてるとしたら、
 少なくとも自立が大切だと美輪、江原さんが言うのです。



★ オーラの言葉 ★

  霊は人間と同じ
  怖がれば、つけ上がる。
  人間関係と同様
  毅然と接すれば良い。



☆「オーラの泉」(2008/05/10放送)で、杉本彩さんが披露した不思議な話 (続編)

 前編はこちら
   http://nikki-yasu.seesaa.net/article/96250699.html



○阿部定の霊

 阿部定さんの霊が憑依している、と江原さん。
 小柄で華奢な感じの人に見える。

 ずっと一緒にいる、離れてくれない、と杉本さん。
 映画「JOHNEN 定の愛」が公開されて、代弁者として伝えきれて、
 初めて出てくれると思っている。

 呑まれ過ぎてはいけない、と江原さん。
 このままでは女優の仕事を続けられなくなってしまう。

 20代の頃から阿部定さんのことが気になっていて、歌の歌詞を
 書いたこともある、と杉本さん。
 昔から関心が高かった。
 共感できる部分がある。

 甘やかしてはいけない、と美輪さん。
 人に頼ってくるのは、甘えているから。
 自分を救うのは自分。
 人に頼って迷惑をかけているから苦しんでいる。


○上原さくらさん

 ここで、ゲストの上原さくらさんに異変。
 気分が悪くなり、ステージから降りてしまう。
 戻られた方がいい、と江原さん。
 怯えてしまうとダメ。
 ステージに戻る上原さん。
 怖がりだから動悸が激しかった、と上原さん。

 何でも過敏になるのは良くない。
 なめられたらダメ、と美輪さん。
 甘ったれてないでどけ、と言ってやると、寄ってこない。
 怯えていると、霊は脅かしたくなる。
 むやみに恐れる必要はない。


○霊感

 今後差し支えるから封印した方がいい、と江原さん。
 このままだと、杉本さんは役者よりも霊能者になってしまう可能性がある。

 気持ちの切り替えで切り抜けられるが、一度ドアを開けてしまったので、
 修復する必要がある。
 閉じる、という意識を持つこと。
posted by yasu463 at 22:41| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 江原啓之 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月10日

【オーラの泉】西川きよし

 本日、5月10日(土)夜7時は、“国分太一・美輪明宏・江原啓之のオーラの泉”

★ゲストは“西川きよし”さん。

 1946年、高知県生まれ。

 17歳で喜劇役者の道を歩み始めるが、当時の月収は2万円弱。

 一方、月給20万弱はあったという当時吉本で大スターだったヘレン杉本さんと結婚。

 新喜劇では職場結婚が認められていなかったため、ヘレンさんが引退し、

 きよしさんが生活を背負って立つことに。

 「えらい格差婚。まさか“おいヘレン!”と呼び捨てにできるとは思わなかった」と、

 ヘレンさんとの出会いと結婚を振り返るきよしさん。

 その後、19歳のとき、“コンビ別れの名人”の異名をとる横山やすしさんに口説かれ、

 俳優から漫才の道へ。

 スピード感のある絶妙の掛け合いで一気にブレイクし、漫才の各賞を受賞するが、

 やすしさんが起こした傷害事件を機に活動がストップ。

 「やすしきよしは終わった…」 悲観的な周囲の声をよそに

 2年4カ月後には以前より格段におもしろくなった漫才で見事に復帰。

 週15本のレギュラーを抱え、漫才界の頂点に。

 1986年には参院選に出馬しトップ当選。公務と漫才を両立する日々が続くが、

 1996年、やすしさんがアルコール性肝硬変で他界…。

 「ヘレンと出会っていなかったら今の自分はない」の言葉通り、

 俳優から漫才へ転進した時の決め手はヘレンさんの言葉だったと語るきよしさん。

 そしてもう一つ、生を大きく左右した横山やすしさんとの出会い。

 大きな転機となったそれぞれの出会いに隠された意味とは…!?

 興味津々に話を聞き入るきよしさん。

 そして江原が観音様の話を始めたとたん、その大きな目から突然、大粒の涙が…!


西川きよし

 本  名: 西川 潔
 事務所 : 吉本興業
 出身地 : 大阪市住吉区
 生年月日: 1946年7月2日(61歳)

 お笑いタレント・元参議院議員・シーランド公国の伯爵。
 妻はタレント・西川ヘレン。
 愛妻家で知られており、子供は俳優の西川忠志(長男)と西川弘志(次男)、タレントの西川かの子(長女)。

 吉本興業所属。血液型はO型。高知県高知市生まれ。

 大阪市港区・住吉区育ち。三稜中学校卒業。

 愛称は「きよし師匠」、「きよっさん」、または「キー坊」。

 横山やすしとの漫才コンビ「やすしきよし」(略称・やすきよ)で活躍。

 漫才ブームの火付け役になり、日本武道館での公演も果たした。

 座右の銘は「小さな事からこつこつと」。

 坂田利夫とは前座時代からの親友。

 弟子にはエッセイストとしても活躍する漫才師、西川のりおとタレントの西川まさとらがいる。

 吉本興業では、桂三枝、笑福亭仁鶴と共にトップに君臨する。

 かつて発売された「よしもとタレント名鑑」では三枝と共にトップページに掲載された。

 2006年11月22日放送のフジテレビ「ザ・ベストハウス123」の番組にてシーランド公国の正式な伯爵の位を有することになった(この爵位は、数千円相当で購入可能なものである)。

 高知県で5人姉弟(姉が3人)の末っ子として生まれたが、父親が事業に手を出し失敗したことから大阪府に転居した。

 家計は苦しく、10才のときから新聞配達(毎日新聞)のアルバイトをするなどして家計を支えた。

 中学時代はサッカーに傾倒。

 高校でもサッカー部に所属することを希望していた。

 しかし、タクシー運転手だった父親が十二指腸肝炎で倒れたことから高校進学を断念しやむなく就職する。

 自動車修理工を経て、17歳で喜劇俳優の石井均に入門。

 1年後吉本新喜劇に研究生として入団、白木みのるの付き人も務めた。

 以降端役ながら舞台に出演。

 しかし、マドンナ役であったヘレン杉本との交際が発覚。

 そのまま結婚し、ヘレン杉本は引退。

 きよしは会社・劇団から冷遇されてしまう(当時部長だった中邨秀雄は、人気女優だったヘレン杉本と無名のきよしとの結婚に反対していた)。

 低迷時代、きよし、坂田利夫はヘレンに食べさせてもらっており、3人で暮らしていた。

 また、同時期に共に苦労したレツゴー三匹のじゅんとも親友として知られており、きよしは「坂田くんとじゅんちゃんは、いつも自分のことを心配してくれる大事な人」とコメントしている。

 1966年劇場の出囃子の三味線を弾いていた女性の進めで横山やすし(西川と同じ高知県生まれの大阪府育ち)と漫才コンビを結成。

 次第に頭角を現す。第一次演芸ブーム(1965年〜1970年)の折、東京ぼん太の後釜として起用されたフジテレビ「お茶の間寄席」司会や、朝日放送系列の全国ネット番組「てなもんや三度笠」のレギュラー出演等で東京にも進出。

 1970年の暴行事件をはじめとした横山やすしの不祥事でコンビ活動自粛の際も、「素人名人会」(毎日放送テレビ)「爆笑寄席」、「ナイトパンチ」、「パンチDEデート」(以上、関西テレビ)、「仁鶴・きよしのただいま恋愛中」、「プロポーズ大作戦」(以上、朝日放送テレビ)、「料理天国」(TBS)、「スター誕生!」(日本テレビ)などテレビ司会者として活路を見いだす。(きよし本人は解散を申し出た、との話もある。どちらにしても、司会業が彼に合ったことで、やすきよ伝説は生まれている。

 また、この間芽生えた桂三枝との友情は、彼のキャリアに大きく影響している)さらに漫才ブーム(1980年〜1982年ごろ)では人気が頂点に達する。

 1986年、参議院議員選挙に立候補し初当選。

 義母の介護経験から福祉関連に力を入れ、3期18年間に渡る議員生活を展開してきた。

 二院クラブ所属だが、政治姿勢は全体的に保守系与党寄りであった。

 2004年1月、同年7月の参議院選挙に立候補をせず、政界から身を引きタレントとしての活動に専念しつつ、福祉関係の仕事に従事すると発表した。


★“本当にあった不思議体験”の続編

 前回のスペシャルで始まった衝撃の新企画「本当にあった不思議体験」!

 神秘体験を持つ芸能人がスタジオに大集結!!

 次々に驚異の不思議体験が語られる中、

 突然、上原さくらさんに異変が…!

 止む無くスタジオ退場した上原さんの身に一体何が起きたのか!?

 そして「今も憑いている」と明かされた杉本彩さんの驚異の憑依体質。

 それを見た美輪が…!!

 驚きの展開となった新コーナーの待望の後半部分が明らかになる!


前回内容を確認したい方は、こちら↓
 http://nikki-yasu.seesaa.net/article/96250699.html

詳細版は、こちら↓
 http://nikki-yasu.seesaa.net/article/96954813.html
posted by yasu463 at 13:32| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(1) | 江原啓之 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【オーラの泉スペシャル】小室哲哉

○小室哲哉さんのプロフィール

 1984年 TM NETWORK(ティーエム・ネットワーク)のメンバーとしてデビュー。
 1986年 渡辺美里さんに「My Revolution」を提供。日本レコード大賞作曲賞を受賞。
 1988年 第39回NHK「紅白歌合戦」に初出場。
 1988年 アイドル歌手の大谷香奈子さんと結婚。
 1992年 大谷香奈子さんと離婚。
 2001年 「Kiss Destination」の吉田麻美さんと再婚。
 2002年 吉田麻美さんと離婚。
 2002年 「globe」のKEIKO(KCO)さんと再婚。

 生年月日 1958年(S33年)11月27日(49歳)*世田谷区三軒茶屋で生まれる。
 出身地  東京都世田谷区、千葉県柏市、東京都府中市
 血液型  O型
 星 座  射手座
 身 長  168cm
 学 歴  早稲田大学中退(早稲田実業学校高等部商業科卒業)

 小室哲哉がこれまでにプロデュースしたシングル・アルバムの総売上枚数は、約1億7000万枚に達する。
 日本の作詞家別シングル総売上枚数は阿久悠に次ぎ第2位、作曲家別シングル総売上枚数は筒美京平に次ぎ第2位を誇る。

 1996年4月15日付けのオリコンシングルチャートで、小室哲哉が作詞・作曲・プロデュースを行った楽曲が1位から5位を独占した。
 同一作家、兼、プロデューサーによる上位5曲独占は全世界音楽史上初。

  1位 安室奈美恵 / 「Don't wanna cry」
  2位 華原朋美 / 「I'm proud」
  3位 globe / 「FREEDOM」
  4位 dos / 「Baby baby baby」
  5位 trf /「Love & Peace Forever」


○スピリチュアルチェック

 ・小さい頃なりたかった職業は何ですか。
  ミュージシャン

 ・好きな言葉を教えてください。
  「いとしさと せつなさと 心強さと」

 ・何か苦手なものはありますか。
  魚介類

 ・人生で一番つらかったことはなんですか。
  家族が出来てから色々な噂、自分一人とは違うと感じました

 ・この世でなくなると困るものはなんですか。
  奥さん


○江原さん美輪さんを音楽で分析

 国分:ここに小室さんが来るとは思わなかったですけれど。

    ちょうど年末に歌番組で「僕、出たいんです」ということを言われたんですよ。
    もうそんなもんぜひ、お願いしますというお話しをしたんですけれど。
    これも、夢が叶ったというか。

 小室:そうですね。
    深夜の時からいつの間にか見ていて。

    美輪さんの声がすごいじゃないですか、
    単音じゃないっていうか、8個か10個の声が聞こえてるんですけれど。

 美輪:それはすごい感覚をもっているからでしょう。

 小室:しかもマイナーコードじゃなくて、
    メジャーコードで、だから心地よいですね。

    江原さんもそうですね。テンポあるじゃないですか。

 美輪:江戸っ子のテンポなんですよ。

 小室:ブレスとかタイミングとか綺麗にすごくリズミカルですけれど。

 国分:名前が挙がらないですけど。

 小室:もうちょっと大人になったらいいですね。

  人間の声や楽器には、音の高さを決める基音のほかに、
  倍音という高い周波数の音が含まれています。

  たとえば、同じ“ド”の音でも楽器によって違う音に聞こえるのは、
  含まれる倍音の違いが音色の違いとして聞こえるからです。

  人並みはずれた耳のよさと、音へのこだわりそれは、
  小室さんのたましいを紐解くキーワードなのです。

  そもそも、現在の奥さんのkco(ケイコ)さんを
  globeのボーカルに起用したのもはりつめた高音の美しさからでした

  そして、単に聴覚がするどいだけではなかったのです

 小室:イギリスにいて、寝てて、すごいスピードでホテルの階段を、
    パッと気がついたら大阪にいたんですよ。

    十三(じゅうそう)ってあります。
    僕は知らなかったんですけれど、その辺にいたんです。
     *十三(じゅうそう)は、大阪府大阪市淀川区にある地名。
      十三駅付近のエリアを指すこともある。
      地名の由来は諸説あるが、昔ここにあった淀川の渡しが、
      摂津国において上流から13番目だったというのが一般的。

    それでまた、バッと帰ってきたりとか、ロンドンで寝てたんですけれど。

 美輪:大阪の十三に飛んでたんですね。

 小室:高速道路の上にいたんですよ。
    危なかったですけれど。

 美輪:瞬間移動でね。

 小室:みたいなことですね。

  さらに、奥さんのkco(ケイコ)さんと出会ってから不思議なことが

 小室:家のkcoの関係の家族ですけれど、
    僕も知らない、kcoも知らない、他界されてて。

    こんな格好して、こんな人っていうのがいて、
    唯一昔の人が知ってるので確認してもらったら、
    藤色のカーディガン着てるとか。

 美輪:奥さんの周りの人のことが見えたわけですね。

 小室:はい。時々いる感じがして。
    一応、そのときの格好を言ってみた。

 国分:もう、江原さんじゃないですか。

 小室:わからないですから、まったく。

 江原:あの、いるときに追及すれば私と一緒ということなんです。
    追求なさってなかったんです。
    それで何が言いたいんですか、あなたわって、もっと追及していけば、
    こういう名前の人でこうだったとか、
    そこまでね、理由とか。

 国分:それは、小室さんがしなかったわけで、
    それを心の中で言ったら伝えてくれるわけですか。

 美輪:そうそう。

 国分:ちなみに、会話はしたことがあるんですか。

 小室:無いですね。

 美輪:なさればいいのよ。
    でも、江原さんもそうだけれど、小室さんもね、
    童心というか子供のまんまみたいな方だから、
    そういう方がそうなりやすい。
    邪心がないから。

  類まれな鋭敏な感覚で次々にヒット曲を出していった小室さん
  しかし、その裏には大きな苦労が。

  1958年 東京生まれ。
  3歳からバイオリンを習い始めた小室さんに衝撃的な出会いがありました
  1970年 万博の会場で聞いた、冨田勲のシンセサイザーミュージック
  小室さんの音楽の方向性を決める運命の出会いでした。

  家にあったエレクトーンを親に内緒で友人に売り、
  そのお金で、シンセサイザーを買い家でこっそり練習をした小室さん

  プロのミュージシャンになるため、早稲田大学を中退
  1984年 25歳で、TM NETWORKとしてデビューを果たしましたが、
  売れない日々が続きました。

 国分:まず、3歳からバイオリンを。

 小室:そうですね。
    親が反対して、すぐやめて。
    僕の家では音楽はダメだって父親が反対して。
 
 美輪:何で、音楽は絶対ダメ。
    聞くのは。

 小室:聞くのはぎりぎりですかね。
    一緒に住んでた時代もありましたけれど、 10年近くはしゃべらなかったですね。
    ちょっと芽が出てきたぐらいで、話せるようになった。

 国分:鍵盤との出会いというのは、いつ頃になるんですか。

 小室:万博の冨田勲さんのシンセサイザーの音は何だっていう、
    それで、家のものを売ったりして一台買ったんです。
    そのときで、ピアノとかはないです。

 国分:では、お父さんは反対なわけですよね、
    音楽は。

 小室:だから、部屋でヘッドホンで。

 美輪:音がもれないよに。

 小室:ええ。
    まあ、だから、ちゃんとやりだしたのはプロになってからです。

 美輪:じゃあ、ほとんど独学。

 小室:そうですね、
    ピアノの譜面読めないですね。

 美輪:今は、お読みになる。

 小室:読めないです。
    コードは読めても、おたまじゃくしでは弾けないです。

 国分:本当ですか、やった! 近い。

 美輪:そういう方の方が売れるのね。
    音楽学校出て、音楽理論でつくる人って売れないのね。
    感性の邪魔されないで、感性のままっていうのは逆によろしかったのね。


 小室さんが最初に注目されたのは、1986年に渡辺美里さんが歌った
 『マイレボリューション』のヒット

 作曲家としてまず注目され、翌年、TM NETWORKの『GET WILD』のヒットで人気グループに、その後もトップアイドルたちにヒット曲を提供し、また、自分で結成したTRFを結成し、次々にヒットを飛ばしていきます。

 CDの売り上げを合計すると、17000万枚を突破、ヒットチャート1位から5位までを独占。
 レコード大賞4年連続受賞など、音楽史上に残る記録を次々と打ち立てていきます。

 その結果、96年と97年の長者番付けでは、全国で4位という高額納税者に
 しかし、ステージ以外の小室さんは意外なほど沈んでいました。

 そんな中で、大きな転機が小室さんに訪れていました。

 1995年、後にかけがえのないパートナーとなる、KCO(ケイコ)さんと出会い、
 globeを結成、仕事の上ではまさに絶頂期を迎えていました。

 しかし、一年間に90曲、4日に1曲のペースで曲をつくり続けた小室さん、スタジオにこもる日が続き、2度の離婚を経験、プライベートの生活はないも同然でした。


 国分:こうやってみましても、すごい人生ですよね。
    長者番付4位に入ったというような。

 小室:なに一つつ実感がないですね。

 国分:結構、お金とかも使ったりとかもしたんじゃないですか。

 小室:使ったと思いますけれど、その時は、独身で守るものが無かったので、
    どうでもいいやっていう。
    どうにでもなっちゃえっていう投げやりな感じでしたね。

 国分:素朴な質問ですけれど、
    従兄弟のお年玉とか、いくらぐらいあげてたんですか。

 小室:まじめに話すと、きっと誰かがあげてたと思いますね。
    一体どのくらいが、どのこまで、オートマチックに流れていたのかわからないですね。

 国分:すごい、少なからず、僕のところまでは、来なかったですね。

 美輪:何でも殿様ね、「よきにはからえ」でおしまい。

 小室:裸の王様ですね。
    王様といわれた時点で、ちょっと違うなと思ってましたね。

 美輪:精神的には、いかがでした。

 小室:ここ何年かで、昔をみたりしているんですけれど、
    やっぱり、本当に笑ってないんですよね。

 美輪:今、お話していて、何度か笑ってらっしゃるでしょう。
    小室さんも笑うんだわと思ったの。

 江原:今と、まるでオーラが違うんですよ。
    赤なんだけれど、どす黒い赤があってね。
    多分、実行する時間がなかったんじゃないかと思う。

    自分の時間をつくることより、当時は、常に音楽をつくることしか頭に考えが無くて、
    それで、時間、時間にせっつかれて、今の方がまったく違うというのは、
    まるで穏やかな綺麗な紫がかかって、全然、別人なんですよ。

    今は、人生を見つめる時、要するに内観というのだけれど。
    そういう時間がもててるけれど、その当時は持てない。
    だから、まともに寝てもいなかったんじゃないですか、当時。

 小室:いつ寝て、いつ起きて、いつ何を食べたのかもなんか。

 江原:現実とうつつとを行ったりきたり。

 小室:そうですね。
    あと何か、消したいというのが、記憶から抹消したいというのが多いですから。

 国分:その当時、数々の賞を総なめしたんですけれど、その賞は、うれしかったですか。

 小室:いや、別に嬉しくないとは言わないですけれど、
    底に向けて頑張ったりとかではないですから。
    流れですから。
    だから、わけがわかんなかったです、ずっと。

 国分:4日に1曲という計算になるんですけれど、90曲書いていたら。

 小室:曲を作る時間以外に一日の時間はほとんどなかったですね。
    だけど、曲に対する愛情とかはあって、音楽にだけは、妥協したくなかったですね。

 江原:曲を作るというが、自分と対話していた時間ですね。

 小室:僕もしも、歌がうまかったら、歌を歌ってたと思うんですけれど、
    詩は女の人に書いてる詩が多いんですけれど、ほとんど自分の事ですね。

 江原:独り言っていうじゃないですか。
    よく自分で考えている事を、知らない間に独り言を言っている、
    だから、その独り言の究極の形で、音楽との通じていてね。

    だから、あるとき友達だったり、あるとき自分に言い聞かせていたり、
    そういう形が、逆にすごいエナジーがこもって表にでたということなんでしょうね。

 小室:理想も入れたし、夢もいれましたし。
    まずいですね。もう、完全にオーラペースになってますね。


 天才といわれた、ヒットメーカーの孤独
 女性のために作った曲でも、詩の内容は自分の気持ちだったという小室さん
 当時の気持ちを表したヒット曲もありました。
 小室さんのユニット、H Jungle With tの「ウォウ・ウォー・トゥナイト」(95年)

  ♪温泉でも行こうなんていつも話してる。
   落ち着いたら仲間で行こうなんてでも
   全然暇にならずに、時代が追いかけてくる。
   走ることから逃げたくなってる♪

 いくらヒットを飛ばし、記録を打ち立てても、も癒されないたましいの孤独が。

 それを救ったのが、現在の奥さん、KCO(ケイコ)さんだったのです。


 美輪:小室さんの人生って、こうやって今笑ってらっしゃるのが不思議なぐらいの
    ずーっと笑いのない人生なのよね。
    微笑みのない人生は、小さい頃からずーっとそうなの。

 江原:こんな事をいっては失礼だけれど、いや、本当によく生きてこられたなと。

 小室:ええ。

 美輪:普通ならどうやって笑ったらいいんだか、微笑んだらいいんだか、
    忘れるような人生でいらしたのよね。

 小室:もうだめかなと思ったことも何度も、何度もあります。

 美輪:一人ぼっちは怖いから大勢のなかにいたいのね。
    大勢の中にいたいんだけれど、コミュニケートされるとうるさいの、
    だから、大勢の中に一人でいたいの。

 小室:そうですね。

 江原:それで、コミュニケーションを望んでないわけじゃないんです。
    でも、時間が無かったりということがずーっと続いてて、
    家族とか友人とかがある意味鍵盤であったりとか、
    詩であったり、会話でね。

    今の奥さんと出会うまでね、人との会話が出来てなかったんじゃないかと、
    ごめんなさい。

 小室:なかったです。うーん。


 小室さんの孤独なたましいを癒した女性、それが今の奥さんのKCO(ケイコ)さんです。
 2人の出会いは14年前、そこでとんでもないアクシデント(客席に転落)
 アクシデントにもめげず、歌唱力を発揮し、何より、小室さんの心をとらえたのは、その歌声でした。

 天才プロデューサーをうならせた高音の輝き。
 1995年 globeのボーカルとしてデビュー。
 数々のヒット曲を世に送り出していきます。

 もちろん、当時の2人は、仕事上のパートナー。
 KCOさんは、小室さんを先生と呼んでいましたが、
 2人の関係は徐々に近づいていきました。

 そして、2002年2人は、結婚。小室さんにとってKCOさんは、人生のパートナー
 孤独なたましいを癒してくれるかけがえのない女性と出会ったのです。


 国分:この世から無くなると困るのが奥さんと。

 小室:ええ。

 国分:奥さんはどんな存在ですか。

 小室:子供ですね。

 美輪:どちらが子供ということですか。

 小室:僕ですね。

 美輪:あちらから見て小室さんが子供ということね。
    そうかもしれませんね。
    人間というものを信じられるようになったのは、初めての方じゃないですか。

 小室:はい。はじめてです。

 江原:奥様だけではなくて、奥様と向こうの家族もひっくるめての結婚という感じ。
    だから、すべてを得たんですね。
    それまで、お家も実家もあっても、常に自分と自分との対話であっただろうなと、
    新しいお家に自分と奥さんと一緒に生まれたような気分というか、
    そういうような、人生がまるで変わった。

 小室:そのとおりですね。

 江原:お父さんてこうなのか、お母さんてこうなのか、家族ってこうなのか、
    親戚、身内、ああ、こういう風な感じなのかって、
    それも、びくびくするような感じじゃなくて、スポッと入れられた感じ。
    今まで、孤独を味わってきた部分のご褒美でもあったんじゃないですか。

 国分:KCOさんのご家族の影響はありますか。

 小室:初めて、親子とか親戚とかがこういう風になりたっているんだとか、ここ何年で学びましたね。
    本当になにも知らなかったですね。
    一年での、お祭りとかお盆とか、こんなに知らなかったのかというぐらい。

 美輪:それは、現代に生きてる人は、七夕祭りいいなとかね、
    そういう情緒とかいうのが感じられるのは、現代の人は少ないんじゃない。
    現代の申し子みたいな方だから。

 江原:とにかく衣食住まったく頓着ありませんでしたでしょう。

 小室:まったくなかったですね。
    宇宙食で良いって言ってましたからね。

 江原:今は、そうじゃないですか食事をいただくというよりは、
    栄養という数字の上だけだとか。

 美輪:盛り付けの知恵みたいなものが現代は、まったくないじゃないですか。

 江原:そう。満たされればいいみたいなね。
    それが、昔は、季節を楽しんだり、美を楽しんだりとか。

 小室:初めて、正月の餅をつきましたね。
    生まれて初めて。
    おもちが出来るプロセスがそこで見えたというかね。
    切り餅しかないじゃないですか。

 江原:現代の人は、それこそお餅ができるのがわかってないかもしれません。

 美輪:畑で木になっててね、お餅の格好のままでてくると思ってるんじゃないですか。

 江原:それがわからないお子さんが多いと言いますね。
    なすがどうやってできるかわからない、
    ナスは土の中に入ってるとか、変なことを言うお子さんとかね。

 小室:餅できるとき唖然と立ち尽くしてましたからね。
    だんだん出来てるよみたいな。


 どんなに曲が売れても癒されることのなかった、たましいの孤独
 そこで、ようやくつかんだしあわせ


 江原:先ほど、ご自身がもう少し歌えればといっていたでしょう。
    これね、前の生で歌ってらっしゃったのが見える、しかも、女性でね。
    それでいて、とにかく熱心で、勉強家で一生懸命やるんだけれど、
    常にどれだけ、高い声を出せるかということを自分で訓練していて、
    そして、自在に声が使えるように、表現できるようにっていう風にやった挙句に声を壊してしまう。
    それで、歌を歌えなくなってしまうことがあったんですね。

    先ほど、女性に書く歌が多いとおっしゃっていましたけれど、
    あえて女性の声で歌う曲、それは依頼があったからとか求められたからとかじゃなく、
    歌わせるなら女性に歌わせたい、
    しかも、極力高い声で、ソプラノみたいな高い声でね。
    光のある高音そういったものを出させたいっていうことが、
    自然にわいてくるようなことはなかったですか。

 小室:うーん。決めたわけじゃないです、自然だと思います。
    いつのまにかそう思ったところがありますね。

 江原:ある意味、歌手泣かせだったんじゃなかったかと思います。
    曲的には難しくて。

 小室:うーん。そのとおりですね。

 美輪:転調の仕方があれだと歌い手も困っちゃうものね。

 小室:だから、ちょっと意地悪だったかもしれませんね。

 美輪:いや、マリア・カラスがね、
    本当は、メゾソプラノだったんだけれど、
    大体、メゾソプラノとかアルトとかは、脇役なんですよね。
    悔しいから、主役を務めようと、
    ソプラノコルラツーラっていうのがあるんですよ、一番高いの。
    ソプラノを務めようと音域を広くするんですよ。
    マリアは、それで高い音を出そうとしたんだけれど、
    ツケが回ってきて早くに声を失って、引退したんですよ。

    だから、小室さんの前世の話を聞いてて、
    ああ、カラスとおんなじなんだわと思ったんです。

 江原:そのとおりなんです。
    それは、カラスの歌だけじゃなくて、生い立ち的にも。


 20世紀最高のソプラノといわれた、『マリア・カラス』
 華やかな舞台の裏で、彼女の人生は孤独でした
 芸術家肌の母親に愛されなかった少女時代
 世界を騒がさせた大富豪オナシスとの出会いと別れ
 生涯、家族に恵まれずひっそりと他界した、伝説の歌姫なのです

 カラスのように悲しい人生を送った小室さんの前世
 そこから導かれる現在の役割がありました


 江原:実は、すごく家族思いで生きてきたんだけれど、
    なんか常に孤独になっちゃうそんなものがあって、
    それで歌で表現することでカラスは生きてて、
    どこかで歌手として成功して親から認めてもらおうというところがあって、
    まさにおっしゃったそういう前世というのがあって、
    だから今回は、自分が作りそして表現する。

    そして、この時代を象徴するところもあって、
    そいうものがあって小室さんは生まれ生きている。

    食べ物もそうじゃないですか、
    今は個食といわれるけれど、まさにそうでしょう。

    そういった意味で、小室さんが発信することは、
    たくさんの役割があるんじゃないかと思うんです。

    それでいてね、
    もうひとつに、家族から受け入れられたということに、
    奥さんのお父さんが出てこられるんです。

    そして、本当に息子さんにしてくれましたね。

 小室:はい。
    何ていうかな、逃げてばっかりいたわけなんですけれど、
    逃げたくない、そこに何とか入りたいっていうことで。

    去年、他界したんですけれど、
    最後、病院に行ったんですけれど、
    最後言葉をみんなにかけたのは、僕だったんですよ。

    このしゃべらない僕が、今までだったら一歩か二歩さがるんですが、
    なぜか先頭に立って
    「お父さんにありがとおって」って叫んでいたんですよね。

 江原:その部分は簡単でね、
    あのね、無償の愛なんですよ。

    いろんなものを逃げてきたのも無償の愛じゃなかったんですよ。
    人間関係で、いろいろな代償を求められてきたんだけれど、
    そこには無償の愛があったんですね。

    小室さんが何であろうとよかったんですよ、
    そこには、一人の息子としてね。
    男としての付き合いもあるし。

 小室:そういう人でしたね。

 美輪:何か、お父さんからプレゼントみたいなものをおもらいになった。

 江原:無理やり食べさせられたというのが大きなプレゼントでしょうね。

 小室:おお、すごいですね。

 江原:食べろ、食べろ、食べろ、そんなんじゃ病気になるだろう、
    そんなんじゃ、力でないだろうとか。

 小室:日々、そうだったですね。

 江原:「苦痛だったろう」っていってます。

 小室:あーっ。
    ちょっと、そういうところはありましたけれどね。

    魚介類が、ふぐを何とか食べさせたかったんでしょうね。
    あの、最終的にそうめんにしてくれたんですよ。
    寒天みたいにしてつゆをつけて、
    「これなら食べられるだろう」って。
    食べたら、まあおいしかった。
    そっからが始まりでした、卵やなにやら。

 江原:まともに米も食べられなかったって言うんですもの。

 美輪:それが、形見。

 小室:印象といえば、それですね。

 美輪:何よりのプレゼントじゃないですかね。


 体の弱い小室さんを気遣ってくれたのです。


 江原:亡くなられたというか、本人はその亡くなり方をすごく気に入っていてね、
    自分が望んでいたいさぎよく散るみたいなね。

 小室:そうだということになってますね。
    意見が一致しています。

 江原:ご本人は望みがかなった、でも周りは、早すぎる早すぎるっていう。
    でもね、これは全部お膳立てして去るよりもね、
    あるところで、パッと渡した方がいいんだと、
    それで、後に苦労があった方が、自分のものになるんだと。

    出来上がったところにあれしたら、自分のものにならないと、
    自分自身満足、悔やむこともない。

    今まで、みんなにぶつかっていった、
    ぶつかって愛情を確かめるタイプだから。
    今で言う、うざいと思う人は、うざいと思ったかもしれない。

 小室:最初からもう、
    でも、初めてだったんです、そういう人。

 江原:不思議なもので、いろいろな旅の中で、
    たましいの旅の中で、
    そして今で、いろいろな苦労があったでしょうが、
    その中で普通はたどり着けない、
    無償の愛にたどり着いたんですね。

    だから、世間一般からすると音楽活動の方が、
    誰にでもなれるもんじゃない、
    一握りの中のその頂点ですが、そうじゃない。
    小室さんにしてみれば自動的になった。
    でも、家族の愛情をもらう方が、えらく時間がかかられているんです。

 美輪:やっと得るために生まれてきたんです。
    それが、やっと得られて、
    無償の愛というのは、お若いのでおわかりにならないでしょうが、
    何にもみかえりを要求しないこと。

    蹴られても何されても、それでも愛し続けるの、
    お父さんはそういう方だったのね。

 江原:愛の賛歌の世界ですね。


 さびしいたましいを癒してくれた最高の家族との出会い。
 生まれ変わった小室さんに新たな役割がありました。


 江原:あの、一言で言うとね、
    今は、あせるなということです。
    あせるなということは、本当の自分でいこうと思っているのはいいんだけれど、
    それにも時期があるというんです。

    自然と道は開けてくるからね、泰然自若としてね、
    日が上がってきたな、朝になってきたなというのを待ってればいいと。

    その時は、何かをしてなくても行かなくちゃいけない時なんだという時があって、
    ずっとこれからまた、新たな小室さんの時代がやって来るというかね、
    本当にこれをしたかったんだということが、
    形としてあらわれるときを迎えます。

    けれども、急がないようにと。
    お父さんも仲介はしてくれているんだけれど、
    実はね、小室さんのお爺さんなんですよ。
    でも小室さんとはあんまり接することはなかったって。

 小室:記憶にちょっとぐらいあるぐらいですね。

 江原:そうなんだけれど、
    内面的には、すごく似てる人なんですよ。
    そのおじいさんもすごく喜んでいる。
    なぜかというと、
    そのお爺さんさんも家系的には、ちょっと寂しいんですよ、
    みんながばらばらっとなっちゃって。
    だから、この世をさびしく終わっちゃったんですよ。
    だから、今の小室さんの状況をすごく喜んでいるの。

    心からこれで良かったということをおっしゃっていて、
    その方の教訓もそうだし、前世からのこともあって、
    焦らないように、急がないようにというようなね。

    この世的なことをいうと、
    後、2〜3年後には新しいことがさーっと膨らんでいってね、
    道が広がっていきますよというのね。

    もう一つ言っていいですか?
    移住です。

 小室:移住ですか、思ってましたけれどね。

 美輪:いずれね、この方(江原)もおんなじことをね。
    だから笑ってらしたのね。

 小室:江原さんは、移住しちゃいけないんですか?

 美輪:そうそう、日本での役目がたくさんあるから、そう。

 江原:出国禁止ですから。

 美輪:おんなじなんですよ。

 国分:じゃあ今日でその考えはやめてもらって。

 美輪:やらなきゃいけないことが、日本でね、一杯出てきますしね、
    それがちょっと大変なお仕事でね、
    まず、日本から発信すればいいんです。そう。

 国分:江原さんからあせるなということがあったんですが、
    そんなことがあったんですか。

 江原:あせるなというより、急ぐなかもしれません。

 小室:そうですね、
    ネットとかで、スピードがより速くなっちゃてるから、
    急がなくちゃいけないですか、
    だから、そのスピードにあわせると急がなきゃいけなくなっちゃうっていうのはありますね。
    でも、本当はもっとゆっくりやりたいというのはありますね。

 美輪:というのはね、
    原点を見つめなおせということなのかもしれないんです。
    原点なんでした。
    冨田勲でしょう。そこなんです。

 小室:はい、はい。
    いまちょっと、悪寒が走りましたけれど、
    すごくよくわかります。
    わかっちゃいました。

 江原:小室さんは、現代の象徴みたいなものでね。
    いみじくも、本人もおっしゃってましたけれど、
    今は早いからそれにあわせなくちゃいけないと思って原点が見えなくなっちゃった。
    これはね、現代人がみんな共通することだと思うんですよ。

 美輪:基本建築、土台があればね、怖いものなどありはしませんよ。
    冨田勲さんなんかは、世界に誇れる素晴らしい音楽家だし、
    だからそれを分解しちゃって、租借して食べて、
    細胞にするの、するとより本格的なものができるじゃないですか。


 1970年、万博で出会った冨田勲さんの音楽、
 日本で初めて、クラシック音楽にシンセサイザーを導入した
 神秘的で幻想的な音楽は、世界中で絶賛されました。

 小室さんの音楽原点ともいえる冨田勲さんの音楽が、
 今、再び将来のヒントになるというのです。
 それは、小室さんにとっては、決して意外なことではなかったのです。


 小室:今、設計図的なものがふわーっと出てたところだったんですよ。
    今、そこまで出来てないんですけれど。
    なんの設計図なんだろっていうの。
    わかんなかったんです。

 美輪:だから今まで聞いたことの無いような、
    ロックなんだかシンフォニーだか
    わかんないようなものが頭の中で聞こえてくる。でしょう。

    だから、それをお作りになってるのが聞こえてるわけよ。
    原点はなにかといったら、そこは冨田勲から始まっているのよ。

 小室:冨田さんのは、日本を彩る音だったんで、
    どうだ、日本の音は、って事でしたからね。


 美輪さんと江原さんに聞こえたという小室さんの未来の作品
 それは、電子音楽でロックとクラシックを融合した壮大なシンフォニー
 小室さんが世界に発信する日本の音なのです。


★スピリチュアル・メッセージ

  “普通の幸せを得るまでに

   長く辛い道を歩まれた小室さん。

   新しい家族を得て生まれ変わった今

   急がず、あせらず、

   2〜3年のうちに、新しい道が開けます”


★オーラの言葉

  “私に無償の愛を教えてくれたのは

   私を愛してくれた人たちでした

   彼らがいたから私は信じられます

   絶対的な愛、絶えることのない愛

   そんな無償の愛が、

   この世に存在するのだと”



★“オーラな出来事” 「12時間 心臓が止まった男」

 2007年8月、韓国で医学的にはあり得ない不思議な出来事が起きた。

 記録によると、約12時間心臓が止まっていた男性が奇跡的な生還を果たし、脳への障害も無かった。

 また、彼は死の淵をさまよっている間、不思議な体験をした。

 韓国益山(イクサン)市に住むその男性は、韓国を代表する文化人。

 画家のイさんだった。

 1977年に人間国宝にも認定された芸術家であり、南大門の丹青もイさんの筆によるもの。

 イさんは、1993年2月、結婚式に出席するために済州島へ行った時、気分が悪くなり、心臓発作が起きた。

 すぐに救急車で運ばれたが、病院到着前に心臓が停止。

 心臓マッサージや電気ショックを行ったが、心臓は動かなかった。

 通常、心臓停止から10分以上経過すると、蘇生しても脳や体に何らかの障害が出る。

 当時の診断書によると、急性心筋梗塞による心臓停止、と記入されている。


 イさんはその時、不思議な夢を見ている。

 とても暗い場所にいて、前に進むと明るい光りが見えてきた。

 光を抜けると両側に花がたくさん咲いていて、川が流れていた。

 川の向こうでは、人々が記念写真を撮っていて、手招きしながら「早く渡っておいで」と呼んでいた。

 「家族がまだ来ていないから、まだ行けない」と拒否すると、その中の1人がテコンドーのような格好で近づいてきた。

 イさんはその人に胸を蹴られ、その場で倒れこんだ。

 その後、知らない子供がいきなり現れて、起こそうとしていた。

 子供は「死神はもういないから安心していいよ」と言い、目を開けると、誰もいなくなっていた。

 その頃、病院では再度、心臓に電気ショックを与えていた。

 すると、心臓が動き出した。

 イさんが目を開けると、病院で医者が頬を叩いていた。

 12時間も死んでいた、と後で聞かされ、本当に驚いた。

 現在は、脳に障害も無く、元気に生きているのは奇跡としか言いようがない。


 ●江原啓之さんの見解●

 臨死体験は、東西問わずに同じような光景になる。

 暗闇とお花畑と川はセットになっている。

 川はこの世とあの世の境とされているので、その認識がそう見せているという説もあるが、

 実際にあの世の景色はそうであると言われている。

 このような出来事が起きたのは、一種のお役目。

 異例な出来事がある事で、今までの常識を過信してはいけない、人間の未知なる力を教えている。

 人間国宝のような方だから、それだけの影響力がある。

 テコンドーの人が出てきたのは、あの世の景色と幻覚が混ざり合っていたから。

 電気ショックが蹴られたイメージとして現れ、医者からの掛け声が子供の映像として現れた。



★高嶋政宏さんの不思議な話

○闇のアメーバ

  寝室で奥さんのシルビアさんが先に寝ていて、後から廊下の電気をつけて寝室に入っ
 たら、寝ている奥さんの上に闇よりもさらに一段黒い闇のアメーバのようなものが覆っ
 ていた。

  何か連れてきたのかな、と思ったが、眠いのでそのまま寝てしまった。
  ふと目が覚めたら、横に闇のアメーバがいた。

 江原:連れて来たのだと思う。
    黒い闇の正体は、嫉妬や悪意などの人の念。
    1日で終わるものもあれば、引きずるものもある。
    現世では一所懸命正しく生きようと思っても、念をかったりしてしまう。

    対処法は、入浴が良い。
    霊的なものに関わると、風呂に入りたくなくなる。

 美輪:魔物は汚れと臭い匂いが大好き。

 江原:毛穴を広げることが大事。
    汚れたエネルギー(エクトプラズム)が出て行く。
    日本人が温泉好きなのは、悪いエネルギーを出したいから。


○高速道路の黒い影

  舞台の稽古が終わり、午後4時頃に高速道路を銀座・六本木方面へ走っていたら、車が
 混んできたのでゆっくり走っていた。

  突然、目の前に黒い人影(おじさん)が左右を確認しながら、横切った。
  黒い影は鉛筆で描いたように波打っていた。

  車が止まった瞬間にパトカーと救急車が来て、その場所で交通事故が起きていた。
  黒い影は交通事故で亡くなった人だと思う>

 江原:よくあること。
    人が亡くなって肉体から抜けると動揺がある。
    家に帰らなくちゃ、という思いがあったはず。
    亡くなった直後に自分の死を自覚できず、さまよっていた。


○盛り場

  寝ている時、けばけばしい太った女性の霊が横にいた。
  飲み屋に行った時に連れて来たと思って、無視していた。
  明け方に奥さんを見たら、の上に覆い被さっていた。

 江原:酒好きは亡くなっても、盛り場に行く。

 美輪:何で飲み屋さんに多いんだろう。


★ほしのあきの不思議な話

○深夜の体験

  友達の家に止まりに行った時、二人で寝ていたら夜中に友達がトイレに行った。
  トイレに行ったと思い、寝返りをうった瞬間に、なぜかその子とぶつかり、その子が横で寝ていた。
  確実にドアを開けて出て行ったのは見ている。
  でも、横にその子が寝ていたのでパニックになった。
  朝、その友達に聞いたら「うちはよく出るよ」と言われた。
  初めての霊体験だったので考えられない。

 江原:いちゃいけません。
    この世は自分たちだけのものだ、という思いからそうなる。
    霊から見れば、何で人間がいるんだ、という感じ。

    地鎮祭はお祓いではなく、共存共栄のお願いをするもの。
    土地に宿る自然霊に、一緒に繁栄させてください、という儀礼。
    引越しの時の近所への挨拶と同じ。
    この世は生きている人間だけのものではない。


○こっくりさん

  高校生の頃、こっくりさんをしていた。
  授業中にみんなでやっていたら、突然質問と全く違う答えが出てきた。
  10円玉が勝手に動き出し、一人の女の子が手を離したら、机から10円玉が飛んでいってしまった。
  その瞬間、友達の一人が白目をむいて泣き出した。
  声をかけても何も答えず、「ママがいない」と言い出して、子供みたいになってしまった。
  友達のおばあちゃん(霊媒師)に電話をしたら、窓を全部開けて、背中を叩いて「出てけ」と
  言いなさい、と言われた。
  何度かやっていたら、意識を取り戻した。

  友達は泣いている間、意識はあって質問は聞こえるけど、体が動かなかった、と言った。
  出た瞬間に体が軽くなった。

 美輪:こっくりさんは狐の霊ではない。

 江原:人霊(子供の未浄化霊)が入ってしまった。
    背中を叩くのは、首の付け根に霊の入口があるから。(悪寒)

    こっくりさんをやるのは一番いけない。
    禁止している学校もある。

 美輪:低級な霊を呼ぶと帰らない。

 江原:呼んだから来た。


★上原さくらの不思議な話

○小さな剣

  高校生の頃、放課後、授業が終わって友達を待っていたら、ふと手に違和感を感じた。
  手を開いて見たら、小さなおもちゃの剣が入っていた。
  女子高なのでそういった物があるはずなかった。
  怖くなって周りの友達に聞いたが、誰も知らなかった。
  誰も信じてくれなかった。

 江原:特殊な物品引き寄せの超能力。
    一般の人にも理解していないだけで、起こる可能性はある。
    あるはずの物が急になくなったり、探している物が急に見つかったり、という経験。
    多くの人は物忘れとして考えている。

    上原さんの場合は、ネガティブな思いが一つの念となって現れた。
    剣はテレポーテーションしているので、どこかの何かが無くなっているはず。

 上原:その時は、友達もいなく寂しい気持ちと、誤解されて悔しい気持ちがあった。

 美輪:自分が強くあるために、剣を持って戦おうという気持ち。


★金子貴俊の不思議な話

○鹿児島県・霧島神宮

  人には自分を守る神様がいる場所がある、と言われ、その場所を探していた。
  ある人から「高千穂の峰に登ったほうがいいよ」と言われた。
  鹿児島県霧島市の霧島神宮がある山。

  実際に行ってみたら、大雨で1メートル先は霧で見えない状態。
  山の麓では「登れない」とスタッフに止められていた。

  登りたい気持ちが強く「あそこが頂上じゃないか」と金子さんが指を差した瞬間に、
  モーセの十戒のように雲が割れて晴天になり、頂上が見えた。
  頂上まで登って降りたら、雲がまた元に戻った。

 美輪:神様に呼ばれていたというのはある。
    私なんかは何度もある。


○パワースポット

  それ以来パワースポットにハマってしまい、今年の初詣は伊勢神宮に行った。
  参道を歩いていたら、耳元で「ズバババババ」と音がした。
  驚いて見たら、黒い馬の影が走って行った。
  緒に行った人に聞いたら、誰も何も見ていなかった。

  伊勢神宮のことを調べたら、神馬(しんめ)という神社が飼育する神様が乗る馬のことを知った。
  しかし、神馬は白い馬だった。

 江原:黒く見えただけで、実際は黒かは分からない。

 美輪:純粋で常にピュアな性格なので、神様や高級霊から好かれることは確か。


○父親

 江原:親の遺志を継いで、気持ちをそこに繋げておくことが重要。
    (金子さんの父親は、2001年に他界している)

  最近、へこたれるようになってしまったところがあり、亡き父への意識が遠のいている。
  以前は、父親の苦労と比べて自分の苦労は何でもない、という意志があった。
  最近は自分だけを見るようにになっているので、弱さが出ている。


★杉本彩の不思議な話

○JOHNEN 定の愛

  霊媒体質で、今までに色々な体験をしてきたが、これほど異常な体験をしたのはこれが初めてだった。

  映画「JOHNEN 定の愛」の撮影(2007年12月頃)で、東京都慰霊堂にお参りに行くシーンを撮影した。
  中へ入って最前列に歩いて行ったら、空気が違い、胸が押し付けられて、頭が割れそうになり、
  誰か分からない人の悲しみが湧いてきて、涙が溢れて、息が苦しくなった。
  憑依されていると思い、慌ててその場を離れて呼吸を整えた。

  次のロケ現場の控え室に入ると、すごい悪寒がするので、霊能者の先生に電話して、電話を切った直後、
  未成仏霊が溢れるように出てきた。
  またすぐに霊能者に電話をして、状況を説明した。
  霊能者は、熊本から飛行機で飛んで来てくれた。
  浄霊をしたら、阿部定さん(映画の主人公)の霊がいた。

  阿部定さんの霊は、愛について、杉本彩さんの体を通して話した。
  役作りをしていて、下町の粋なお姉さん、という解釈だったが、本当は、無邪気でけなげで純粋で可愛
  い人、ということを体感して理解できた。
  その日を境に、役の演じ方が変わった。


○憑依

 江原:今も阿部定さんが憑依している。
    理解して欲しい、という思いがある。

  ここで、ゲストの上原さくらさんに異変。
  何かを唱える美輪さん。
  続きは来週へ。


 来週版はこちら↓
   http://nikki-yasu.seesaa.net/article/96252517.html

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2008年05月03日

【オーラの泉】小室哲哉・2時間スペシャル

5月3日(土)夜7時は、 「芸能人の実体験!本当にあった不思議な話スペシャル!」 国分太一・美輪明宏・江原啓之のオーラの泉

 衝撃の新企画が遂に誕生!

 神秘体験を持つ芸能人がスタジオに大集結!!

 次々に明かされる、驚異の不思議体験…

 なぜそんな事がおきたのか… どういう事に気をつければいいのか…

 美輪・江原が神秘現象に隠された意味を読み解く!

 新たな「オーラ」ワールドが今 始まる!


 そしてスペシャルゲストは小室哲哉さん。

 日本音楽シーンの頂点に登り詰めた天才プロデューサーが本気で語り、

 本気で照れ、本気で笑った…!

 人生を変えたKCOさんとの結婚の意味、

 今まで誰にも見せた事のなかった心からの笑顔が宿った理由など

 天才ヒットメーカーの素顔が今、解き明かされる!


★スペシャルゲスト1人目は小室哲哉さん。

 「…幼い頃から父親には音楽を反対されていた。」

 ヒット曲を連発し、社会現象をも巻き起こした小室さんがいきなり明かした

 衝撃の幼少期。

 しかし音楽への衝動を抑えられず、内緒で買った1台のシンセサイザーと

 向き合った中学時代…

 その後長い下積みを経てようやくデビューするも、

 反対する父親とは10年以上も口を聞かなかったという。

 楽曲作りのためだけに毎日を送り、気づけば立っていた音楽界の頂点。

 しかし小室さんがそこで見ていた景色は、意外なものだった。

 「…数々の記録は嬉しくない訳ではないが、全く実感がなかった」

 「…自分のお金がどのくらいの人に、どのくらいの額が自動的に流れていたのか、

 全くわからなかった」

 更に「…完全に裸の王様でしたね。」と振り返る小室さん。

 絶頂期を迎えた頃、その生活は4日に1曲を作っていたという超ハードなもの…

 近年、当時を振り返って心から笑って無かった事が殆ど無かった事に

 気づいたという。

 しかし、現在の小室さんの顔は、表情に溢れ、円熟味を増した顔そのもの。

 「…あら、小室さんも笑うんだわ、と思ったの。」と美輪

 江原も「あの頃とは別人。全くオーラが違う。」と指摘。

 小室さんに真の笑顔が宿った理由が解き明かされる

 そして、ずば抜けた音楽の才能を持つ小室さんは数々の不思議な体験にも

 遭遇していた!!

 「一瞬で、イギリスから大阪へブアーッと…」

 「今でも“そばに何か居るな”とかは感じる。」など、

 次々に飛び出す不思議話には美輪も驚愕!


 仕事に明け暮れ、孤独にさいなまれていた小室さんが大きく変身したきっかけは

 KCOさんとの結婚。

 KCOさんとそのご家族との触れ合いを幸せそうな表情で語る小室さん。

 その最高の家族と出会えたことには大きな意味が隠されていた!

 そして、「もう1つ小室の大きな転機となったのはKCOさんのお義父さんとの出会い」と江原が指摘。

 お義父さんは小室さんに生きることを実感させてくれた特別な存在。

 しかし約半年前に惜しまれつつ他界…

 今、亡きお義父さんのメッセージがテレビ初公開となる貴重な秘蔵映像と共に

 届けられる!


 さらに、「今からやる事が沢山ありすぎて…ちょっと気の毒になる」と、

 小室が果たすべき役目について美輪から思わぬ発言が!

 一時代を築きあげ、さらに今何処に向かおうとしているのか…

 美輪江原から驚愕の未来が語られる!

 話の最中、「…悪寒が走りました!! でも(自分が何をするべきなのか)

 わかっちゃった!」と

 悪戯っぽく笑ってみせる小室さん。

 重圧と闘い続けた天才の心が今、解き放たれる…!!


★小室 哲哉

 出生日 1958年11月27日(49歳)
 学 歴 早稲田大学中退

 1986年に渡辺美里へ提供した「My Revolution」で日本レコード大賞作曲賞を受賞。

 自身のユニットであるTM NETWORKは、1987年に発表した「Get Wild」で一躍人気バンドとなり、1988年には第39回NHK紅白歌合戦に出場した。

 自身のバンド活動と平行して、渡辺美里をはじめ、岡田有希子、荻野目洋子、おニャン子クラブの福永恵規、堀ちえみ、中山美穂、松田聖子、小泉今日子、宮沢りえ、観月ありさ、牧瀬里穂、中森明菜などに楽曲を提供し、作曲家としても活躍した。

 1989年に自身がリードボーカルを担当したソロ作の「RUNNING TO HORIZON」、「GRAVITY OF LOVE」が連続でオリコンシングルチャート1位を記録。

 1985年〜1992年の間には、アニメーション映画の「吸血鬼ハンターD」、実写映画の「ぼくらの七日間戦争」、「天と地と」、月9テレビドラマの「二十歳の約束」、舞台ミュージカルの「マドモアゼル・モーツァルト」の劇中音楽を手掛けた。

 1994年のTMN終了前後から、観月ありさ、篠原涼子、trf、hitomi、内田有紀、H Jungle with t、dos、globe、華原朋美安室奈美恵、鈴木あみ、V2など、多数のプロデュース活動を行い、1994年から1999年の間に数々のミリオンセラーやヒット曲を打ち立て、その様子から各メディアにおいて、「小室ファミリー」、「小室サウンド」、「小室系」といった独自の名称でカテゴライズされる小室ブームという社会現象を起こした。

 小室哲哉がこれまでにプロデュースしたシングル・アルバムの総売上枚数は、約1億7000万枚に達する。

 また、日本の作詞家別シングル総売上枚数は阿久悠に次ぎ第2位、作曲家別シングル総売上枚数は筒美京平に次ぎ第2位を誇る。

チャート記録

 1996年4月15日付けのオリコンシングルチャートで、小室哲哉が作詞・作曲・プロデュースを行った楽曲が1位から5位を独占した。

 同一作家、兼、プロデューサーによる上位5曲独占は全世界音楽史上初。

  1位 安室奈美恵 / 「Don't wanna cry」
  2位 華原朋美 / 「I'm proud」
  3位 globe / 「FREEDOM」
  4位 dos / 「Baby baby baby」
  5位 trf /「Love & Peace Forever」


 現在は国連薬物犯罪事務所(UNODC)の親善大使も務めており、2007年4月から尚美学園大学の芸術情報学部・音楽表現学科・特任教授に就任している。

 担当授業は音楽特論(新世紀音楽概論)。


★衝撃の新企画!「芸能人の実体験!本当にあった不思議な話」
 ゲスト:嶋政宏さん、杉本彩さん、上原さくらさん、
     金子貴俊さん、ほしのあきさん

 遂に、新たな「オーラの泉」の魅力を切り開く、新コーナーが登場!

 過去「オーラの泉」に出演し驚異の霊体験を披露したゲストたち…

 「オーラ」初登場だが、数々の神秘体験を持つ芸能人たち…

 そんな衝撃体験を持つゲストたちがスタジオに大集結!

 金子貴俊さんが持つ強運、不思議体験を呼び寄せる力とは…

 杉本彩さんが明かす、イギリスで遭遇したエロスの女王・ならではの

 信じられない出来事とは…

 さらに「オーラ」でお馴染みの上原さくらさん、嶋政宏さんからは知られざる

 新たな驚愕体験が次々に明かされる…!

 なぜそんな事が起こるのか…!?  どう対処すればいいものなのか…!?

 生活の中で実際に活かせるポイントも交えながら

 美輪・江原が数々の衝撃の体験談に潜む意味を読み解いていく!

 待望の新企画、乞うご期待!!


詳細版は、こちら↓
 http://nikki-yasu.seesaa.net/article/96250699.html
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2008年04月30日

“オーラの泉”榎木孝明さん(詳細版)

美輪さんが不思議な力をもっているといわれる榎木孝明さん。
 
★榎木孝明(えのき たかあき)

 誕生日  1956年1月5日
 星 座  やぎ座
 出身地  鹿児島伊佐郡菱刈町
 血液型  B型
 身 長  180cm
 体 重  75kg
 ジャンル 俳優
 特 技  乗馬 総合武術 絵画

 1978年、劇団四季に入団。
 1984年、NHK連続テレビ小説「ロマンス」でテレビデビュー。
 1990年、映画「天と地と」に主役で出演。
 1993年、舞台「黒蜥蜴」で美輪明宏さんと共演。

★榎木孝明美術館
  大分県玖珠郡九重町田野1712-707
   0973−73−3812
  2003年5月にオープンした『榎木孝明 美術館』。
  飯田高原の緑あふれる風景も満喫していただけます。
  館内には、ご当地・大分の作品及び国内、海外の作品が常時展示されています。
  http://www.e-kyushu-geijutsu.com/enoki.html
  http://www.coara.or.jp/~kujuaid/contents/enoki.html

★西美の杜美術館「榎木孝明 水彩画館」
  北海道上川郡美瑛町字ルベシベ第二
   0166−95−2339
  2005年10月にオープンした『榎木孝明 水彩画館』。
  榎木孝明が「描かずにはいられない気持ちにしてくれる」と言う素晴らしい自然の中にあります。
  ご当地・美瑛を描いた作品及び、国内、海外の作品が常時展示されています。
  http://business4.plala.or.jp/seibi-m/


★スピリチュアルチェック

 小さい頃どんな子供でしたか?
 チャンバラ大好きの子供でした。

 尊敬している人は誰ですか?
 母親です。

 人生の転機はいつですか?
 「天と地と」という映画をやった時。

 想像して下さいあなたはエネルギーに満ち溢れています。どこにいますか?
 ヒマラヤ。

 なにか特技はありますか?
 武術を長いことやっていて、触れると人が崩れていきます。

 何か不思議な体験をしたことがありますか?
 たまに幽体離脱をしてました。


国分:美輪さんとは初めてですか。

榎木:舞台ではお世話になりました。黒蜥蜴(くろとかげ)で。

美輪:明智小五郎をやっていただいたの。

国分:初めて美輪さんを見たときはどんな方でしたか。

榎木:不思議な方でしたね。今でもそうですけれど。

美輪:よく言うわ、自分のほうでもよっぽど不思議なんだから。

国分:江原さんとは。

榎木:以前出させてもらいました。再開を楽しみにしてました。

国分:印象は、どんなですか。

榎木:アンパンマンというかね。僕からは、お助けマンにいつも見えてます。

国分:形は。

榎木:形もそういえば。お助けマンの方の、窮地に陥ったときに助けてくださる。
   ごめんなさい、最初からお助けマンといえばよかったですね。

国分:かなり、不思議な体験というのは多いのですか。

榎木:あまり不思議とは思わないですね。
   お二人もいろいろやってらっしゃいますが、私は、不思議と思ってないですね。
   世間から見ると変わっているけれど、二人からすると全然そういう意識はないと思います。

国分:世間が思う不思議なこととは、今まで。

榎木:僕は、アジアに行くのが大好きで、たとえば、インドではプラーナという言い方をするんですけれど、中国では、気ですね。
   仙人はかすみをたべていきていると、あれは僕は本当だと思っているんですね。
   僕は、食べなければ何日食べなくてもいいです。

国分:それは、やったことがあるんですか。

榎木:最近も、3日間なにも食べなかったりとか、ここの線を細くしたいと思ったら。

国分:それは、ダイエットじゃないですか。

榎木:そうですね、田中一村という画家の役をやったときは、15キロもダイエットをしたんですけれど。
   意識は、そのプラーナを食べながら、一日一食はたべましたけれど。

国分:その気は、持ったりするんですか。

榎木:気は、その辺に見えますから。
   意識としては、飲み込んで胃で腸で消化するというイメージをするとわりと簡単に入っていく。
   食べないと体力が弱っちゃうとか、これだけの栄養素を人間はとらないといけないよとか、
   あれは、全部嘘だと思ってるから。

国分:本当ですか、大丈夫ですか。

榎木:常識として、人間が決めたことだから。
   だから、常識を人間が知れば知るほどちっちゃくなっちゃって。

美輪:だから、常識と真理は違うということね。

榎木:そうです。

美輪:だから、真理に基づいていれば、常識なんてどうでもいいの。

榎木:人間が常識化したときにそれが本当になるんです。
   食べないと死んじゃうと思った人が、本当に死んじゃうんです。
   食べなくても死なないと思った人は、死なないし、
   食べなくても痩せないと思った人は、痩せないんです。
   簡単なことですね。

国分:簡単なこと。
   ものすごいレベルの高い話しになりそうな。

 美輪明宏も太鼓判を押す不思議な人
 これまでも、不思議な出会いと転機の連続でした。

 1956年 鹿児島生まれ
 両親は、共に教師、4人兄弟の末っ子として育ち、美術大学に進学するために上京
 そこで、最初の転機が訪れます。
 演劇と出会い、最初に劇団四季に入団。
 若干24歳でオンディーヌの主役に抜擢されたのです。

 幸運な役者人生のスタートでした。

国分:もともとお芝居には興味があったんですか。子供の頃から。

榎木:東京に来てからですね。
   芝居のシの字も知らないし、興味も全然無かったですね。
   僕は、美大に行きたくて上京しまして、結局、2年も浪人してしまうんですけれど、その間に芝居を始めてしまったんです。
   父親がそれで、亡くなったもんですから。
   厳格な父親でしたから、生きていたらたぶん許してくれなかったでしょうね。
   結局は、大学を辞めてから、芝居の方に転向しましたから。

国分:厳しいお父さんだったんですか。

榎木:もう、厳しい、薩摩のスパルタで、裏の川によくつれていかれて、
   ちっちゃころから、ザブーって(川に沈められていた)。
   僕は、すごい泣き虫だったもんですから、「泣くなって」っていいながら、
   でも、もっと泣きますよね。

 厳しかった父とは反対に、
 母親は、いつも榎木さんを励ましてくれたといいます

榎木:僕は、さっき母親を尊敬するいいましたけれどね。
   ちっさいころから、毎回いわれることが
   「お前は、無限の可能性をもっているからね」って。
   もの心ついたころから言われてまして、
   小さいから、「よーし俺は無限の可能性を持ってるんだぞー」っていってましたけれど。

   でも、ちゃんとそれを信じられるようになったのは、30代半ば以降ですね。
   本当だ、人間というのは無限の可能性を持っているんだなと実感として感じたのは。

国分:認識できたんですね。

美輪:さっき、「天と地と」っておっしゃったけれど、あれは、おいくつのとき?

榎木:あれは、32ですね。

美輪:32で、そう思ったのはそれがあるのよ、具体化してきちゃったわけ。
   ある日突然、さっきの黒蜥蜴の舞台の話もそうだけれど、
   ある日突然、パッパッとひらめいていくでしょう。
   あなたの場合。

榎木:そうですね。

 テレビドラマにも活躍の場を広げた榎木さん
 その後も大きな出会いが待ち受けていました。
 当時、次々に新しい作品を発表していた角川映画
 その超大作「天と地と」に起用されたのです。
 そこには、角川春樹監督との出会いがありました。

国分:人生の転機ですけれども、
   「天と地と」という話がありましたけれど、これは。

榎木:監督を角川春樹さんがおやりになったんですけれど、
   彼も「天と地と」をずっとやりたい作品だったんですけれど。
   僕は、彼が監督としての才能がないんじゃないかなと思っていたぐらい
   ダメだしが「違う、違う」としか言わないんですよ。
   ほかに何も知らないんじゃないかなと思うぐらい。
   それが何ヶ月も続きましたよ。

国分:何が違うかは言ってくれないんですか。

榎木:言わない。
   違うとしか言わない、何をやってもやりようがなくなるというか、
   何ヶ月かたって、奈落の底に落ちて、それこそ奈落の底に足が着いたみたいな感覚で、
   自分の我が無くなったときにやった芝居でやっとOKが出て、
   そのときにすごい人だなと思ったのは、
   一言「俺が待ってたのはそれだって言われたんです」。
   それまでは、榎木が頑張ってきたんです。

美輪:角川さんもまた、スピリチュアルなことが大好きだったから、
   だから榎木さんはいらない上杉謙信ならそれでよろしい。

榎木:そういうことだったんですね。
   それに気づくまで長いことかかって。

美輪:まだその頃は、スピリチュアルなものを感じたり思ったりしてなかった頃だったんですね。

榎木:そうですね、まあ好きではあったけれど、
   あまりわかってなかったですね。

美輪:そこがわかっていれば、
   一発でOKになってたはずなの。
   私がね、角川さんのアニメでね神様の役をやったんですよね、
   そのときに、すぐいっぱっで決まってたの。
   榎木さんもね、スピリチュアルなことをあれしてたら一発だったのよ。

 宇宙の消滅をたくらむ幻魔と人類の超能力者の戦いを壮大なスケールで
 描いたSFアニメ「幻魔大戦」

 角川監督も一発でOKをだしたという美輪さんのセリフは、
 人類の見方をするエネルギー生命フロイというこの世のものではない存在の声でした。

国分:美輪さんとの舞台も大きかったんですか。

榎木:そうですよ、とっても楽しかったですからね。
   美輪さんは、朝のあいさつがパッと見て「愛してるよ」っておっしゃってて。
   僕は、それに答えられなかった、なかなかわからなくて。
   でも、今は答えられます。
   朝から一発で、「愛してるよ」って。

美輪:おかぶとられちゃった。

榎木:わかってますけれど、当時は、そこまで行き着いてないですからね。

美輪:人類愛だからね。

国分:僕も、収録が終わってから「愛してるわよ」と言われるんですけれど。
   これ言われなくなったらどうしようっていうプレッシャーもあるんですよね。
   愛してるという言葉の重みってあるじゃないですか、それを、
   美輪さんは重たい言葉なんだけれど、さらっていわれるじゃないですか。

美輪:というのは、見かけのことだけで愛してるわよというのは、重くなるのよ。
   私は、そういうことはどうでもいいの、私はその人のたましいとか知識あふれる純粋さとかがこよなく愛しいわけじゃないですか。
   それが好きだから愛してるわよというわけね。
   榎木さんもそういうことをお持ちだから。

榎木:やっとわかりましたね。

 美輪さん以上に不思議な人だという榎木孝明さん
 実は役者意外にいろんな顔を持っています。
 そのひとつが武道家。
 ふるさと薩摩の薩摩示現流(さつま じげんりゅう)を学び、
 さらにふれるだけで相手を倒す古武術の達人でもあるのです。

国分:ちょっとやってもらってもいいですか。

榎木:いいですよ。
   力を抜いて、こんだけです。

国分:今、全然力は入ってないですか?

榎木:力入ったらできないです。
   もうひとつ人間には、『正中の理』(せいちゅうのり)というのがありまして、
   垂直にがんばってまっすぐに立って下さい。
   まっすぐたっても、指で押します。
   倒れちゃうでしょう。
   あなたの正中線を通しますね。

国分:すごい!

榎木:正中を通してあげたら、
   その瞬間に百会(ひゃくえ)から一本の線が地球に向かって、
   スコンって一本のラインが出来るから、多少押されても磐石に立てる。

国分:正中線はどうして見えるんですか?

榎木:どうしてでしょうね。
   自分がわかると人のも見えます。
   でも、これもまっすぐ立つ方法、みんなに教えましょう。

    ・かかとをあげてトンと下ろす。
    ・肩をあげてストンと落として下さい。

   これで、同じく、これでまっすぐ立てる。
   あと、腰痛もちの人とか自分で直っちゃったりとか、
   自分で自分を矯正していきますから。
   こんなに簡単なのに、みんな頑張ってまっすぐ立っていると、逆です。
   力が入っちゃって、必ずゆがんでいっちゃうから。
   武術の基本です。この正中ラインというのは。

国分:これはおどろいた。・・・今。

美輪:日本の古武道というのは、すごい生活の知恵なのね。

榎木:当然のごとく、庶民も武士もみんなこれをわかってたんじゃないですかね。
   それを踏まえたうえでの時代劇を再現したいというものです。

美輪:素晴らしい。

 武術で言う正中線とは、体の中心を上下に走る線のことです。
 正中線をまっすぐに保てばバランスがよくなり、
 体を自由にコントロールできるといいます。
 榎木さんの不思議を示す古武術へのこだわり

 そして、もうひとつの顔は、こころの赴くまま世界を歩くさすらいの旅人
 20年前にインドの旅で感銘を受けて、以来さまざまな国を回っています。

 そして、旅にかかせないのがスケッチブック。
 榎木さんは画家の顔も持っているのです。

 独学で水彩画を学び、今では2つの美術館を開くほど高い評価を得ています。

国分:美術館って2つもあるんですか。

榎木:おかげさまで、今は、大分県と北海道の美瑛町というところに2つあります。

国分:絵は昔から書くのが好きだったんですか。

榎木:結構、チッチャイ頃から好きでしたね。
   美大では、陶芸がやりたくて陶芸専攻だったですけれど、
   ただ、今書いてるのは水彩画なんですけれど。
   誰からも習ってなくて、我流で。

江原:でも、デッサン力はおありですものね、
   受験とかあるから。

榎木:受験勉強かなりやってた方ですからね。

国分:風景が多いんですか、書くのは。

榎木:旅の途中で一杯書いてきましたので。

国分:日本は行ったことのない場所が無い位。

榎木:都道府県は、そうですけれどね。

国分:あと、アジアを旅するのが好きみたいですね。

榎木:何で、こんなに好きなのかと思うぐらい好きですね。
国分:きっかけは何なんですか。

榎木:劇団四季辞めて初めて、インドに行って、
   それまでヨーロッパは行ってたんですけれど、
   芝居見に一人で行ってたりしたんですけれど。

国分:なんで、四季辞めてインドに行こうと思ったんですか。

榎木:あまり理由は、呼ばれてる感覚でしょうかね。

江原:元々いらしたから。

榎木:そうなんですかね。一番安心する瞬間があって。

国分:一番お勧めしたいのはやっぱりインドですか。

榎木:インドは、回数も一番多いですから、去年で12回。
   去年は、10歳になった息子を連れて、二人旅をして来たんですけれど、
   ベナレスというところに行って、インドでは、
   10歳以下の子供と妊婦さんと毒蛇にかまれた人も遺体をそのまま流したりするんですけれど。
   たまたま、2歳ぐらいの男の子の遺体が流れてきて、
   それも息子は、見てるんですけれど、
   その後、ガンジス川で2人で泳いでるんですね。
   日本人ってなかなかガンジス川に飛び込めないんです。
   さすがにそこに死体があってね。

美輪:日本人は現代だけに生きてるでしょう。
   でも、インドのガンジス川とかそこいら辺の人達は、
   現代とか古代とか時間を超越しているところで、
   そこで生きてるから。
   価値観が全然違うんですよ。

 平凡な美大生だった榎木孝明さんを変えた数々の幸運な出会い
 それは、単に運がよいだけなのでしょうか。

 そして、なぜインドに惹かれ、何度も訪れてしまうのか。
 幸運を招き出会いを生かす秘訣が明かされます。

国分:メッセージみたいなものがあるんですか。

江原:インドはふるさとみたいなもので、こっちの国のほうが新しいから、
   馴染みが薄い。
   それで、インドがもとにあるし、ヒマラヤで、ひとつ不思議に思うのは、
   そういうことをやってきてるから。
   インドでね、ヒマラヤでヒマラヤ行者の時もあるし、
   まあ、そういうことに興味を持つのは当然。
   またそれを、ご自身で瞑想とかするのは当然。
   当然ずくしで、なぜ日本に来てね、
   現実の暮らしの方の学びなんだなと。
   よくこの番組でも言う、「里の業」とよくいいますけれど。

榎木:今が大事だと思いますね。
   過去はとにかく、今が一番大事だと思いますよね。
   過去未来も、関係なくて今をいかに生きるかが人間大事でね、
   そこで迷っちゃうといろんな揉め事が起きちゃったりとかね。

江原:前世というのも、ひとつのヒントにはなるけれども、
   前世を見ちゃっても、今じゃないですか。
   今がなぜあるのかというのは、前世をヒントにしてだから今があるのかってことで、
   結局、今なんですよね。
   結局、今をとりこまないと。

美輪:だから、今なにをすべきかということ。

江原:榎木さんの場合は、スピリチュアルなものをお持ちだけれど、
   言葉上の問題ですよ、
   もともと、サイキックな力があるんですよ。
   先ほどの映画でも何でも、
   大きなきっかけやチャンスがあったというけれど、
   いや、自分でうっていくんですね。
   一般の方で、榎木さんも共通して学べることがあるとすれば、
   無駄な心配をする人って世の中多いじゃないですか。
   そうすると、あの思いってそっちの方へ持っていくんですね。
   どんなことがあってもこっちに行くもんって、
   そっちへ山登りじゃないけれど、
   ヒューっとそっちへロープを引っ掛けちゃうんですね。
   で、そこへ登って行っちゃう。
   そういう力がすごく強い。
   たとえば、古武道もうだけれど、
   あれもすごいサイキックなもんですよ。
   気もそうじゃないですか、
   気を食べるとか、エネルギーを使うのが意外と自在な方。

榎木:僕は時代劇でやりたい映画が今あって、
   待ってるより自分から仕掛けて、薩摩の映画を来年作っちゃおうとそういう発想になっちゃうんですよね。
   プラス思考に、昔は違ってたんですけれど、
   30代半ば頃ですかね、変わって来たのは。
   一見、嫌なことでもこれを自分に教えてくれるために起きたとプラスにね変わっていっちゃいましたね。

美輪:プラス思考にね。

榎木:典型的な能天気。

美輪:それがね、人生の本当のコツなんですよ。
   いかにね、人間の持ってる力がすごいかということ。
   皆さんね、否定的なの。
   まさか私が、俺がそんな力ないよとか、
   全部ね、はじめっからマイナス思考で後ろ向きなの。
   できなということを前提にして生きてるのよ。
   だから、できないの、運がよくならないの。
   運が悪いからと、そうして思い込んでるから運が悪いんですよっていうの。
   いつもいいことが起きて、ラッキーなことしか起きないとか、
   そういう人がプラス思考で、能天気でケセラセラなの。
   だから、それをなさるのでしょう。

榎木:そう、結果的には、そうしてるんでしょうね。

 自分が運が悪いと思い込んでいる人には、幸運はつかめない
 自分の可能性を信じて、自分は運がいいと思い込むプラス思考の能天気、
 それが幸運を呼ぶ秘訣だというのです。

 そして、榎木さんが描く水彩画にも、大きな意味がありました。

江原:すいませんね。
   不思議なメッセージで、美輪さんもおっしゃいましたが、
   国分くんもいってましたが、やさしいと。
   見ているすべてのものを、現実のものですよね。
   美しいものですが、それをもっとクリーニングしたものを絵に写しちゃうんですよね。
   だから、汚れたものをすべて美しいものに変えているのが榎木さんの絵。
   要するに天界の絵なんですよね。
   だから、どこも天国にさせちゃうということ。

榎木:かっこいいことを言わせてもらうと、
   いつも“風”を書きたいと思ってますから。

国分:風、風を書くのは難しいですよね。

榎木:うん、見えないけど風。

江原:榎木さんは、街とか風景とかをお描きになりますよね。
   今後、榎木さん人を描いて差し上げたが良いというですよね。

榎木:アジアに行くとね、一杯描いていたんですよ。
   おじいちゃんも子供も。

江原:アジアでは、もともとのモデルが綺麗だから描いていて楽しいんです。
   綺麗なものを写しているから。
   でも、この国にいるとね、どうしても汚れる。
   だから、それを描こうという意欲がわかなくなっちゃう、
   くたびれちゃったりするんですよね。
   そうじゃなくて、描いて見せてあげれば、
   これがあなたの本当のエナジーだよってことを示して。
   だから、誰を見てもそうだし、
   それを見ている人が、自分がそれだけのピュアだってことを思いおこすことができる。
   心のレントゲンみたいなね、そういう力があるみたいな絵にね。
   だから、本当に人生に無駄はなくていろんな経験をして来られてるでしょう、
   魂の上でね。
   それ全部に役に立ってるんですね、
   だからそういう意味で神を見せてあげるというのかな、
   高い波動を見せてあげるるっていうことを進んですることと。
   あと、まあ、今回ということでは、泥の方を見る勤めというか、
   ハス方じゃなくて泥の方を見る勤めだと、
   ヒマラヤ行者さんがおっしゃるんですね。

 モノが本来持っている美しさを描く榎木さんの作品
 これからは、人物を描きその人のピュアな部分を見せてあげればいいというのです。

 武道を愛し、最近は薩摩の志士たちに心を惹かれるという榎木さん
 いまは亡き父の思いが

榎木:映画に興味がすごくあって薩摩の映画を作りたい。
   薩摩出身の武士を主人公にしたいんですけれど。
   あの界隈って異常に惹かれるんですけれど、
   やっぱりあの時代に惹かれるなにかに影響しているのでしょうか?

江原:ううん、それは、お父さんの気持ち。
   それは、お父さんの意向が伝わってきてのことであって、
   ご自身のいのちの経路じゃなくて、
   お父さん自身の興味なんですよ。

榎木:そういえば、敬天愛人(けいてんあいじん)っていってましたね。
   西郷さんの天を敬い人を愛するというのを床の間にどんとあったから。
   それが、親父が好きだったんでしょうね。

江原:それをなさっているのが、親子のコミュニケーションであり、父孝行。

国分:お父さんは、役者になったことに賛成されているんですか。

江原:賛成もなにも、自己責任の上で生きるということをすごく大事にしてる人で。
   だから、もともと、自分で責任を負えるのかということを常に頭にあるんですよ。
   でしょう。
   だから、責任を負えるんだったら「よし」なんですよ。
   責任を負えないことに、投げ出したり、逃げ出したり、言い訳したり、
   これぜったい許さない。
   だから尊重してるんですよ。
   人間としてしてはいけないことは許さないというんですよ。

美輪:これからね、ちょっと大変、榎木さん。

榎木:私ですか。

美輪:もっと覚醒していくから、いろんなことが。
   やるべきことが、大ポピュラー大会にね。
   いろんなたとえば古武道いろんなことや、
   世直しじゃないけれど、それに近いことを始めますよ。

榎木:時代劇を通してね。
   世の中を変えようとか、ぜんぜん思ってないけれど、
   表現することで確実に伝わっていくものがあると、
   今、すっごく信じてますので。
   すごいエネルギーで邁進はしてますね。

美輪:でしょう。
   それをますます発展させるようにおなりになると思いますよ。
   楽しみだわ。

榎木:ああどうぞまたご一緒に、お願いします。

 人間には、無限の可能性がある。
 母の教えは幸運を招くキーワードでした。

 さまざまな才能を開花させた榎木さん。
 そして今、誇り高き薩摩隼人だった父の思いが、
 時を越え榎木さんに届けられたのでした。


★スピリチュアル・メッセージ

  浮世離れした世界に引かれるのは、魂の記憶があるからです。

  今回の人生は「里の行」

  俗世間から目をそむけず、

  人が本来持っているピュアな部分を表現する務めがあります。



★オーラの言葉

  人間のエネルギーを信じない人

  「自分には出来ない」と思い込んでいる人に

  幸運はやって来ない

  プラス思考のノー天気が、人生のコツ

          「強く生きるために」より


★オーラの出来事“92歳のホールインワン”

 アメリカ合衆国フロリダ州クリアウォーター。
 年間を通して温暖な気候に恵まれるため、第2の人生を楽しむ人たちが多く住んでいる。

 ここにゴルフ始めて46年、92歳でホールインワンを達成した目の不自由な男性がいた。

 彼は13年前に視力を失っている。
 それでも趣味のゴルフを続け、仲間や奥さんにボールの位置や打つ方向を指示してもらっている。

 ★奇跡★

 奇跡が起きたのは、2008年1月。

 パー3のショートホールでいつものように、仲間のアドバイスを聞き、ショットをすると、見事にホールインワン。

 この快挙は新聞にも掲載され、アメリカ中が驚き、仲間たちは記念パーティーを開いてくれた。
posted by yasu463 at 03:33| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 江原啓之 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月19日

【オーラの泉】榎木孝明さん

本日〈4月19日)のゲストは俳優の榎木孝明さんです。

 劇団に入って間もなく主役に抜擢…
 突如舞い込んだ超大作時代劇に主演…
 俳優の道を突き進む、榎木さんには 数々の異なる一面が!!
 更に、美輪も「不思議な人間!」と太鼓判を押す、榎木さんには数々な神秘体験も!
 転機の連続の人生を歩む榎木さんの素顔、
 幸せを引き寄せる秘訣が解き明かされる!

 56年鹿児島生まれ。
 高校卒業後、美術大学(武蔵野美術大学デザイン科)に進むため上京し、演劇と出合う。
 81年、劇団四季「オンディーヌ」の主役に抜擢。
 83年には劇団を退団し単身インドへ。
 翌年帰国し、NHK朝の連続ドラマ「ロマンス」で主役デビュー。
 90年には闘病中だった渡辺謙の代役として「天と地と」で主役を務める。
 その後もテレビ、映画、舞台のほか、画家やエッセイストとしても活躍している。
 そんな榎木が小さいころから母に言われ続けていた
 「人間には無限の可能性がある」という言葉の意味を実感したのが30代で、
 「人間は信じていることを真理にしてしまう」と悟ったという。

 「僕はずっと、ダライ・ラマから握手をされたまま、二時間話してくれて…」
 「天気くらいだったら、僕、変えられますけれど…」

 意味深な発言があり楽しみです。


★榎木孝明(えのき たかあき)のプロフィール

 誕生日  1956年1月5日
 星 座  やぎ座
 出身地  鹿児島伊佐郡菱刈町
 血液型  B型
 身 長  180cm
 体 重  75kg
 ジャンル 俳優
 特 技  乗馬 総合武術 絵画


★テレビ

 1984年 NHK 朝の連続テレビ小説 『ロマンス』 主演
 1985年 NHK 水曜時代劇 『真田太平記』
 1993年 NHK 朝の連続テレビ小説 『かりん』
 1995年 NHK 大河ドラマ 『八代将軍吉宗』
 1995年〜 フジテレビ 『浅見光彦シリーズ』  (原作:内田康夫)
 1997年 NHK 大河ドラマ 『毛利元就』
 1998年 NHK 金曜時代劇 『新・腕におぼえあり』
 2000年 テレビ東京 開局35周年記念12時間ドラマ 『次郎長三国志』
 2000年 TBS系 『渡る世間は鬼ばかり』  橋田寿賀子ドラマ
 2001年 日本テレビ 『新・星の金貨』
 2001-2005年 日本テレビ系 火曜サスペンス劇場 『弁護士・朝日岳之介シリーズ』
 2002年 NHK 金曜時代劇 『春が来た』
 2002年〜 フジテレビ 金曜エンタテイメント 『京都喰道楽!古本屋探偵ミステリー』 1、2
 2003年 テレビ東京 新春ワイド時代劇 『忠臣蔵〜決断のとき〜』
 2003年 NHK 大河ドラマ 『武蔵 MUSASHI』 
 2003年〜 テレビ東京 水曜ミステリー9 『篝警部補の事件簿シリーズ』
 2004年〜 TBS系列 月曜ミステリー劇場 『検事 沢木正夫シリーズ』
 2005年 TBS・テレビ放送50周年ドラマ特別企画 赤いシリーズ2005 『赤い運命』
 2006年 テレビ東京 新春ワイド時代劇 『天下騒乱』
 2006年 NHK 大河ドラマ 『功名が辻』
 2006-2007年 テレビ東京 セガサミーシアター 『逃亡者(のがれもの)おりん』
 2007年 フジテレビ 金田一耕助(4)『悪魔が来たりて笛を吹く』
 2007年 NHK 木曜時代劇『陽炎の辻 〜居眠り磐音 江戸双紙〜』
 2007年 NHK総合 NHKスペシャル『鬼太郎が見た玉砕〜水木しげるの戦争〜』
 2008年 NHK 大河ドラマ 『篤姫』


★NHK 大河ドラマ 『篤姫』

 日時 2008年1月6日(日)より毎週日曜日 20:00〜 放送中!
 出演 宮崎あおい、瑛太、長塚京三、樋口可南子、
    小澤征悦、原田泰造、山口祐一郎、沢村一樹、
    平幹二朗、高橋英樹、榎木孝明 ほか

 薩摩・島津家のわずか一万石余の分家に生まれながら、十三代将軍・徳川家定の正室にまでなる篤姫の波乱と苦難の人生。

 榎木孝明は、篤姫の幼馴染で、のちに島津久光に側近として取立てられ、大久保利通とともに薩摩藩の藩政改革に取り組んだ小松帯刀の父、薩摩藩の名門 肝付家の当主、肝付兼善(きもつき かねよし)役で出演。


★映画

 1986年 『雪の断章』 東宝映画
 1990年 『天と地と』 角川映画
 1991年 『天河伝説殺人事件』 角川映画
 1991年 『福沢諭吉』 東映映画
 1995-2007年 『地球交響曲(ガイアシンフォニー)第一番/第二番/第三番/第四番/第五番/第六番』(ナレーション)
 2003年 イラン・日本合作映画 『風の絨毯』  ※第21回ファジール国際映画祭 3部門受賞
 2003年 『HAZAN』 映画波山製作委員会 ※ブルガリア国際映画祭 グランプリ受賞
 2005年 『春の雪』 東宝映画
 2005年 『アダン』 映画「アダン」を作る会 ※アメリカ・シュラキュース国際映画祭 審査員特別賞受賞
 2006年 『風のダドゥ』 風のダドゥ製作実行委員会
 2006年 『長州ファイブ』 映画「長州ファイブ」製作委員会
 2007年 『蒼き狼 地果て海尽きるまで』 蒼き狼〜地果て海尽きるまで〜製作委員会
 2007年 『怪談』 怪談製作委員会

★旅の番組

 1991年  フジテレビ系 金曜ファミリーランド 『ソ連領シルクロード冒険』
 1992年  フジテレビ系 金曜ファミリーランド 『南米パンタナール3000キロ』
 1992年  フジテレビ系 感動エクスプレス 『心よみがえるインド』
 1993年  フジテレビ系 金曜ファミリーランド 『チベット夢呼吸』
 1996年  テレビ朝日系 ネイチァリングスペシャル 『ヒマラヤ5000年-時空の花園』
 1999年  富山テレビ制作/フジテレビ系にて全国放映
     『榎木孝明の薬草マンダラ紀行 〜立山・インド・チベット 健康と癒しの旅〜』
 2004年  BSジャパン 『榎木孝明が描く風景 日本の世界遺産』
 2005年  ザ・ノンフィクション『世界で一番美しい花』 (ブルガリア)
 2007年  BSジャパン 『榎木孝明が描く風景 日本の世界遺産』
 2007年  NHK教育 趣味悠々『おくのほそみちを歩こう』


★舞台

 1993年 『リア王』 セゾン劇場
 1993年 『黒蜥蜴』 東京芸術劇場
 1993年 『夢千代日記』 大阪新歌舞伎座
 1995年 『雪国』 明治座
 1995年 『白蓮れんれん』 帝国劇場
 1995年 『ピカレスク南北』 本多劇場
 1996年 『シャネル』 パルコ劇場
 1998年 『ピカレスク黙阿弥』 本多劇場
 1999年 『胡桃・私が愛したハムレット』 東京グローブ座
 2000年 『華々しき一族』 新国立劇場
 2000年 『恋ひ歌 - 白蓮と龍介』 紀伊國屋ホール
 2001年 『墨東綺譚』 博多座
 2001年 『幕末2001』 東京、大阪、福岡、熊本、宮崎、鹿児島
 2003年 『初雪の朝』 三越劇場
 2005年 『日本橋物語II 恋しぐれ』 明治座
 2007年 『大奥 月光院物語 愛しき人』 御園座
 2007年 オーディオ・シアター 名探偵 浅見光彦シリーズ『天河伝説殺人事件』 有楽町朝日ホール
 2008年 『ジンギスカン 〜わが剣、熱砂を染めよ〜』 ル テアトル銀座


★書籍 

 鷹の道
 チベットの碧
 スールー漂海
 水と緑と光の大地
 ヒマラヤ物語
 空の詩
 風の人
 風の瞳
 光と闇の交差点
 旅の面影
 心は風のままに(イラスト+エッセイ集)
 東京散歩
 東京賛歌
 風の旅、心の旅
 自分への旅
 いい加減なスケッチのすすめ(水彩画集+教則本)
 ギリシャの風に吹かれて(水彩画+写真集)
 ロケ地の情景 日本の世界遺産


★個展

 1989年『ネパールの風景 水彩画展』(銀座)
 1990年『ロケ地の情景 水彩画展』(日本橋)
 1991年『中央アジアの情景水彩画展』(日本橋)
 1992年『ロケ地の情景II 水彩画展』(日本橋)
 1993年より毎年、全国各地で水彩画・版画展を開催

  
★榎木孝明美術館
  大分県玖珠郡九重町田野1712-707
   0973−73−3812
  2003年5月にオープンした『榎木孝明 美術館』。
  飯田高原の緑あふれる風景も満喫していただけます。
  館内には、ご当地・大分の作品及び国内、海外の作品が常時展示されています。
  http://www.e-kyushu-geijutsu.com/enoki.html
  http://www.coara.or.jp/~kujuaid/contents/enoki.html

★西美の杜美術館「榎木孝明 水彩画館」
  北海道上川郡美瑛町字ルベシベ第二
   0166−95−2339
  2005年10月にオープンした『榎木孝明 水彩画館』。
  榎木孝明が「描かずにはいられない気持ちにしてくれる」と言う素晴らしい自然の中にあります。
  ご当地・美瑛を描いた作品及び、国内、海外の作品が常時展示されています。
  http://business4.plala.or.jp/seibi-m/

★榎木孝明アートカフェ ギャラリーひしかり
  鹿児島県伊佐郡菱刈町川北2877−5
   0995−26−0230
  榎木孝明のふるさとにあるアートカフェです。
  アートグッズや作品をご覧いただけます。
  http://geimori.blog.shinobi.jp/Date/20070601/

“オーラの泉”榎木孝明さん(詳細版)は、こちら↓
http://nikki-yasu.seesaa.net/article/95144625.html
posted by yasu463 at 18:45| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 江原啓之 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月13日

★オーラの泉・スペシャル13 “東国原英夫”

1人目のゲストは、宮崎県知事の“東国原英夫”さんでした。

★東国原英夫さんのプロフィール

東国原英夫(ひがしこくばる ひでお)
 生年月日:1957年9月16日(昭和32年)
 出身地:宮崎県都城市
 血液型:B型
 身 長:171cm  体 重:59kg
 バスト:86cm ウエスト:78cm ヒップ:80cm
 足のサイズ:25.5cm
 趣 味:マラソン,大学
 特 技:ハンドボール

 1964年、都城市立大王小学校入学
 1968年、都城市立東小学校に転校
 1970年、同校卒業
 1970年、都城市立妻ヶ丘中学校入学
 1973年、同校卒業
 1973年、宮崎県立都城泉ヶ丘高校入学
       ハンドボール部に所属。2年連続インターハイに出場
 1976年同校卒業 (首席卒業
 1976年専修大学(経済学部)入学
 1980年同大学卒業

 1980年、「笑ってる場合ですよ!」で漫才チャンピオンに。
 1982年、ビートたけしさんの付き人に。
 1983年、「お笑いスター誕生」で金賞受賞。
 1985年、アナウンサーの片平きみよさんと結婚。
 1986年、フライデー事件。
 1989年、離婚。
 1990年、女優のかとうかずこさんと再婚。
 2000年、早稲田大学に入学。
 2006年、二度目の離婚、芸能界引退。
 2007年、宮崎県知事に。


★スピリチュアルチェック

 ・小さい頃になりたかった職業は何ですか?

   お笑い芸人と政治家です。

 ・ストレス解消法は何ですか?
 
   ただひたすら走ることです。

 ・人生の転機はいつですか
 
   1986年のフライデー事件、
   1998年の不祥事、
   去年(2007年)の知事就任。

 ・好きな女性のタイプを教えてください。
 
   結果的に過去を見てみると気の強い女性。

 ・何か不思議な体験をしたことがありますか

   宮崎県に高千穂というとことがあるんですけれど、
   そこで、選挙の前に神の声を聞いたような気がするんですけれど。

   おそらく、空耳だと思うんですけれど、
   神の声のような気もするんです。

 ・想像して下さい、あなたは余命一日と宣告されました。何をしますか?

   子供に会いに行きますかね...。


★宮崎県のセールスマン

 宮崎県のセールスマンとして、休日を返上して日本中を飛び回る東国原知事。

 収録当日は、東京マラソンに登場。
 42.195キロを完走してから、スタジオにやってきました。


 美輪:わたくしだったら死んでますよ、こんなの。

 国分:ですよね。
  東京マラソンを走った後でオーラの泉に出てるわけですよ。

 東国原:ちょっと練習不足で、就任してからもすこしも練習してなくて、
      ちょこちょこっと練習しただけで、42.195キロは甘くないですね。

 国分:でも、完走わけですものね。

 東国原:完走はさせていただきました。4時間42分。でも、遅いというか、
      後半歩いてましたね。

 国分:大阪いったり名古屋にいったりしてるのはPR活動ですか。

 東国原:そうです。県の物産品というか「情熱宮崎フェア」で、宮崎の農産品とかを
      みなさんにみて、食べていただく。
      わたしいったいなにやってるんだろうかと。
      売り出し中のアイドル歌手かなんか見たいです。

 美輪:後から申し上げようかと思っていましたけれどね。
    全部意味があって、お役目ですから仕方がないの。

 東国原:農業は、県産品で、皆さん愛情をもって育ててらっしゃるのをみてますから、
      これは、魂をいれてPRしていかないとなと思っているんですね。


★鳥インフルエンザ

 美輪:でも、鳥インフルエンザでご難儀で、あれも異常なぐらい速く解決しましたけれど。

 東国原:そうですね。
     宮崎モデルと、農水省さんからお褒めの言葉をいただきました。

 美輪:だって、あんなに速く解決するものじゃないじゃないですか。

 東国原:そうですね。
     翌日、現場を見に行きたいといったんですね。
     そしたら、県の方が「前例がない」とおっしゃったんですね。
     県知事が動くと、発生した市町村の組長も議会も動かないといけない。
     今日起きたからといって、明日はいけませんよ。
     セキュリティの問題もありますから、ましてや、現場は封鎖されてますからって。
     知事なので、自動的に対策本部長になるんです。
     本部長という人間は、入らなくてもいいからそこの雰囲気、空気、周りの様子、
     環境を見ておかないと私はどういう指示を出していいかわからないといったら。
     もしものことがあったらどうするんですかと。
     いや私はいく、職員の方たちがセッティングしてくれないのであれば、
     私は、自分で自分の車で行きますと。
     わかりましたと。翌日は、いろんな公務があったんですが、全部飛ばして。
     高速道路とか無いところですから、市内から3時間ぐらいかかるところだったんですよ。
     で、1日仕事になってしまってね。
     て、帰って来たんです。
     もうちょっとはやい移動の手段はないんですかねって言ったら、
     「あの、ヘリコプターがあるんですけれど」って。
     はっ。それを先に言わない。

 国分:知事が、車出しますって言ったときに、「じゃあ車だって!」ことじゃなかったんですか。

 東国原:そうなんですかね。
     それで、何か柔軟性が無いなと。
     県の防災ヘリというのがあるんですよ。
     普通言いますよね、その時。

 国分:ヘリだったらどのくらいで着くんですか。

 東国原:うん。20分とか。無茶苦茶でしょう。

 美輪:宮崎だけじゃなくて、日本だけじゃなくて、アメリカも何も世界中がお役人て
    全部そうみたいですね。
    前例がないといことで。
    だから、遅々としてすすまないんだけれど。
    そういうかたが、そうやって前例を作っていけば、すぐやるかみたいになるんです。
    前例がないとすぐ諦めるかということになっちゃうんですよね。
    だから、今の日本みたいになっちゃったんですよね。

 東国原:そういうことです。


★江原さん、美輪さんとの関係

 国分:美輪さんとは、初めてではなくて何回もお会いしている。

 美輪:たけしさんの番組に私がでて、まだ、お弟子さんになりたててらっしゃったの。
    たけしさんのそばにおいでになったときにおめにかかったの。

 国分:美輪さんを始めてお会いしたときどう思いましたか。

 東国原:あの、オーラの泉でしたね。
     心とか、過去とか未来を見透かされているような気がしましたですね。
     この人には嘘をつけないとか。

 国分:じゃあ今日も嘘をつくつもりもなく。

 東国原:政治家が嘘をいってどうするんですか。

 国分:江原さんとは初めてですか。

 東国原:いや、本当にお世話になりましてですね。
     高千穂という神話と伝説の街があるんですよ。
     そこを紹介してくださって、今、えらいことになってるんですよ、観光客で。
     ボートがあるんですけれど、冬でも30分から1時間人が並ぶんですよ。
     今までは、ボートは閑古鳥がないてた。
     ボートを一台増やそうかと。

 国分:それでも、ボートを一台だけですか。

 東国原:それでも、財政が逼迫してるので悩んでるんですよ町は。

 江原:宮崎は高千穂だけじゃなくて、神が集まってるところですから。
     江田(えだ)神社はそれこそ神話の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と
     伊邪那美命(いざなみのみこと)がみそぎしたという池があって。
     だから、いっぱいあるんですよ。
     だからそれをただ紹介といいうのではなくて、素晴らしいですよとお伝えしたと思って。

 東国原:新聞に江田神社は、木にパワーがあるって言っててみんなが手をかざして。
     木の回りみんな、すごい情景になってますね。

 国分:知事のおでこも何かあるという噂になってますね。

 東国原:ご利益があるという都市伝説が。


★不思議な縁

 国分:スピリチュアルというものに興味はありますか。

 東国原:神秘的なものは、苦手というか、小さい頃から、感じたことがないんですよ。
     おそらくあったんでしょうが、感じる能力がなかったんじゃないでしょうか。

 美輪:いいえ違うのよ。
    感じてもいるし、いろいろな能力もおありだけれど、あなたは、とても論理的で、
    理性的な方だから、それを、見ようとしなかっただけなんですよ。
    それを、思い出すと一杯あるはずなんですよ。
    あれもそう、これもそうと、今に思い出しますよ。

 東国原:ああそうですか。
     僕ね。
     霊体験というのをしてみたくて、どんなもんなんだろうと、まず、金縛りにあってみたいなと。
     うちに、つまみえだまめ君というのがいて、いろいろな霊体験をしてるから。
     それで、たけし軍団でツアーで回っている時、
     その、寝てたら金縛り見たいのにあったんですよ。
     あら、体が固まった。
     念願のと。
     うわー金縛りにあったと思ったら、テントと壁のあいだに挟まってたんです。
     だから、先生がおっしゃったようにあると思うんですよ。
     今思えば、こういうことが不思議だなと。
     正夢とか、デジャビュだったり、ああいうのは確かにあるんですよ。

 美輪:論理的な方だから、それでおしまいという風にしてらしたんじゃないですか。
    もっと素直に考えれば、幼少期からあるはずですよ。

 東国原:確かに、前のかみさんの話しをしていいですか。
     ものすごい偶然で会うんですよ。
     この広い都内を、二人別々に移動してて、信号待ちで偶然並んだ車に彼女が
     乗っていたこともある。
     それを、ただの偶然で終わらせてることじゃないかなと。

 美輪:そういうのがいっぱいおありですよ。

 東国原:この前、離婚してから2年ぐらいたつんですけれど、この前、東京の新宿道りを
      走ってたら、ロケやってるなと見たら、かみさんなんですよ。
      「どうもご無沙汰してます」って。
      気味悪くて。ロケ中なので、サーと通り過ぎて。

 国分:いや、多いですね。
    奥さんの場合、何か意味があるんですかね?

 江原:いや、それだけの縁ですね。
    きずなのある人とは、不思議なもんでね。
    離れていても、そうやってもばったり会ったりとか。

 東国原:今、拠点は、宮崎じゃないですか。
     たまたま、東京に来て、マラソンの練習をしてたんですよ。
     10分ずれても会わなかったかもしれません。

 美輪:そうゆうものなんですよ。


★神話のふるさと

 神が空から降りてきたといわれる、天孫降臨の地 『高千穂』
 神話のある、宮崎県に生まれました。
 小さいこと、お笑いか政治家になりたかった東国原さん。
 大学時代に、人生を変える出会いが。
 演芸場で、ツービートの漫才をみて衝撃を受け、たけしさんの一番弟子となります。
 タレントとして、順調にスタートを切ったものの、思いもよらない事件が待ち受けているのでした。

 国分:人生の転機。
    まず、1986年のフライデー事件。

 東国原:小説に興味がありまして、ミステリーが好きなんですよ。
     江戸川乱歩賞というのが、国内の最高の賞なんですよ。
     この賞をとりたいなと、甘い夢を持っていて。
     1986年の12月10日だったと思うんですけれど。
     深夜2時ごろに師匠から、電話がかかってきて、今頃何ですかって。
     「うちの姉ちゃんがフライデーに撮られたんだよ。」って。
     うちの姉ちゃんって付き合ってる姉ちゃんですよ。
     「目には目を。ペンの暴力には、暴力だ。」って、訳がわかんない。
     フライデーって講談社なんですよ。
     江戸川乱歩賞も講談社なんですよ。
     そんなとこに殴りこみに行ったら、一生、江戸川乱歩賞取れないと思ったから
     すいません、師匠、文芸春秋社になりませんかっていったら、
     「ばかやろ、なんで、フライデーに写真撮られて、
     文芸春秋社に行かなきゃいけないんだ。」って。
     「行くんだ、みんな集めろ」って本気なんですよ。
     そしたら、10名でしたね、集まってきたは。
     講談社の本社に、12名でタクシーに乗って、どきどき。
     私は、嫌ですよ。
     本社に行ったら、警備の方たちが、夜中2時ですよ、
     「どうぞ。」って言うんですよ。
     おかしいでしょう。
     普通だったら、「どうしたんですか。」とか言うでしょう。
     師匠が電話してたんですよ。
     「これから行くから、首洗ってまってろ!」って。
     そんなの、殴りこみに来たところをフライデーにとってまた載せられるじゃないですか。
     飛んで火にいる夏の虫じゃないですか。
     それで、行ったらエレベーターがあって、見たら最大載積量が550キロで、
     定員11名と書いてあるんですよ。
     こっちは、12名ですよ。
     ラッキーと思って、ギダイユウ君は100キロぐらいありますから。
     みんなを乗せて、ぎゅうぎゅうだったので、私は、2便で行きますって。
     そしたら、奥から師匠が、「東乗れよ」って言うんですよ。
     しかたなく、しぶしぶ乗ったら、ブザーが鳴らないんですよ。
     それから、みんな気が立ってるから、開いたところをボーンと押されて、
     それを写真に撮られて、翌日の新聞に、
     『東、先頭を切る』って書いてあって。
     本当に、大変ですよ。
     その場で、現行犯逮捕されて。

  師匠には逆らえず、殴りこみに参加して現行犯逮捕。
  タレント生命は終わったと思われました。
  しかし、謹慎生活が新たな才能を開花させたのです。

 東国原:それから、謹慎になって3ヶ月間仕事できなくて、その間に小説を書くんですよ。
     今までやれなかったことをやろうと、「ビートたけし殺人事件」というのを書く。
     それが、ヒットしまして、売れましてですね。
     それで、ドラマ化しましてですね。
     で、主演をお願いしたのが、加藤かずこさん。
     出会って、愛が芽生える。
     それで、フライデーのあの事件は、人生の転機かなと。

 美輪:災い転じて吉となす。

 東国原:そうですね。

  謹慎中に書いた小説がベストセラーとなり、美人女優と結ばれた東国原さん。
  しかし、しあわせもつかの間、さらにスキャンダルが。

 東国原:98年風俗店に行ったんですね。
     そこで、未成年を使ってると、行ったのは事実なんです。
     後日、警察から電話がかかってきて、
     「風俗店で、未成年を使ってた、これは、児童福祉法と、青少年育成条例に抵触
     するので、そのまんま東さん、未成年を使ってたということで、この店を摘発したい
     んですけれど、ご協力をお願いします」といわれたんです。
     つまり、そこで働いてたことを証明してくださいと。
     警察が言うには、東さんには迷惑はかけないと、
     うちからメディアにもれることは一切ないと。
     任意の取調べを受けて、この子が働いてましたって。
     それから、お昼ですね。
     おそばを食べてたら、
     「イメクラA店が児童福祉法と青少年育成条例違反で摘発されました。」って、
     「そこに、出入りしていた、美人女優を妻に持つ、T軍団のそのまんまH。」って。
     私、犯人じゃないから匿名でなくちゃいけないんだけれど、
     そのまんまHって言われたら、匿名でもなんでもないじゃないですか。
     それで、全国に広がって、反社会的な行為ということで、謹慎になって反省しまして。
     一番悲しかったことがですね、
     私が、出なくなっても代わりにその番組を誰かがやってて、芸能界もメディアも
     社会も世間もそのまま動いて行ってる。
     僕の存在というのは一体何だったんだろうと。
     こういう世界なのかと、自分が消されたような、悲しい思いでしたね。
     これまでの生き方、価値観を反省しようと、一から出直そうということで。
     僕は、早稲田の文学部に行きたくなったものですから、早稲田の文学部から入り直そうと。
     41から初めて、43ですね。

 美輪:ひとつ悟りを開かされたんですね。

 東国原:そうなんですかね。


★神の声

  43歳で早稲田大学に合格。
  もともと興味があった政治を学び。
  そして、昨年、芸能人から政治家へ
  2007年、県知事選に出馬したときに、不思議な体験をしたのです。

 国分:不思議な体験を高千穂で。

 東国原:僕は、ずっと政治を勉強してて、とにかく、宮崎の衰退をどうにかしないといけない
      どげんかせんといかんと思ったんです。
     それで、宮崎に帰り。
     僕は、宮崎に生まれてこの方、高千穂に一回も行ったことがなかったんです。
     あそこは、熊本よりで僕は都城っていって南の方なんです。
     でも、なぜか惹かれたんですよ。
     行ったことないのに高千穂って。
     宮崎に出馬するなら、高千穂を見なきゃ、高千穂にご挨拶しなきゃというのが
     なんかあったんです。
     なぜかふらーっと行ったんです。
     午後3時ぐらいです、山の天気は変わりやすいですから。
     高校からの友達と二人で行ったんですね。
     天安河原(あまのやすがわら). というところがあって、ちっさい橋をわたって、
     岸壁のところを渡っていくと、洞窟みたいなところがあって、そこにお堂があるんです。
     石が積んであって、お香のにおいがして、なんか神秘的なんですよ。
     洞窟に入る前で、もう帰ろうよと言ったんです。
     稲森もそうだねって言って、帰ろうとしたときに
     「帰ってきなさい。あなたがやりなさい。」
     みたいな、そんなような声が聴こえたんですよ。
     振り返っても誰もいないんですよ。
     白いもやがふわーっとかかってきて、気味が悪くなって、
     稲森と「逃げろ!」って、足早に登っていって。
     さっき、「帰って来いといわれたような気がする」、
     7〜8割り宮崎に帰ってこようと考えてたから、
     その心の現われだと思うんだけれど、そうだと思うんだけど。
     そしたら稲森が、「すいません、おれも聴こえたんだけれど。」
     えって、うそって。
     ぜんぜん、彼も霊感があるわけじゃないのに。

 美輪:彼に聴こえるはず無いんですよね。
    あなたの心の声だから、もしそうだとしたら。
    でも、彼にも聴こえたんですよね。

 東国原:はい、そうです。
     でも、僕らは空耳だろうと、親友だから。

 国分:それは、男の人の声なんですか。

 東国原:それは、男の声でもなく、女の声でもなく、
     わーんと。
     どうも、美輪先生みたいな声だったです。

 美輪:性を越えてるはずなの。

 国分:お二人は、笑ってたんですよ。
    高千穂って言ったときにクスクスと。
    これは、何か絶対あるはずなんですよね。


  宮崎県にある、天の岩戸をご神体にする、天の岩戸神社
  弟、素盞嗚(スサノオウ)に怒った天照大神(アマテラスオオミカミ)は、
  この天岩戸に隠れ、世界は、闇に覆われたといいます。

  この時、困った神々が天照大神を外に出す方法を相談をしたのが、
  天安河原(あまのやすがわら)。

  国会議員と宮崎県知事、どっちを目指すか東国原さんが迷っていた時、
  ここ天安河原で、「帰って来い」という不思議な声を聴いたというのです。

 国分:高千穂で聴いた声というのは、誰が言っていた声なんですか。

 江原:神の声ですね。

 美輪:天の声ですね。
    それは、間違いないですよ。
    東さんのすべての始まりは、みんなその高千穂から来てるんですよ。
    原因はすべて、高千穂に。

 江原:そういうこと。
    宮崎は神話のふるさとではあるけれど、
    だけれども、知事は本当に神話の神というか、そのエナジーの導きがものすごく強い人で。
    実は、さかのぼってお話しすると、東さんがお出になられてね。
    でも、わたしはさもありなんと思ったんですね。
    政治の世界に行かれて、ゆくゆくは国政にね行かれるんじゃないかと思った時があって。
    なぜかというと、実はわたし前は神職だったんですよ、神主なんです。
    その神主のとき、奉職していた神社があってそこのすぐお近くにお住まいで、
    わたしは何度もお見かけはしてるんです。
    そこのお宮は、総理をはじめ大臣を何人も出しているところなんです。
    それこそ、佐藤総理から竹下総理みたいなところまで、そこのすぐお近くなんです。
    だから、ああ国のために働くために、この土地に下宿に来られたなと。
    今にして思えば、高千穂から預けられたかのように。

 美輪:生まれた時からね。
    すべてのことは、高千穂が物語の最初からあるんですよ。
    ご自分でも、変だ不思議だとお思いにならない。
    だってね、当選しました。
    それで、マスコミが大騒ぎするのは、せいぜい、2〜3ヶ月のことだと思ってらしたでしょう。
    それがね、もう一年過ぎてるんですよ。
    こんなに長く、しかも日を追う毎にエスカレートしてるでしょう。
    人知のおよぶところだとお思いになる。

 東国原:いろんなところに行くと、県産品を買いに来てくださる。
     あれが不思議なんですよ。
     それで、僕なんかにキャーとか言うんですよ。
     今日の東京マラソンでも、満遍なくお客さんがいらして、
     ここが宮崎かなと思うぐらい、でも東京なんですよね。
     こんなハゲに、みたらこんなじゃないですか。
     県庁にも、毎日1000人ぐらいいらっしゃるんですよ。
     観光客の方が、知事に会いに来たと、
     わたしに会ってどうするんですか。
     不思議でしょうがない。

 美輪:だから、ちゃんと順序をふんであるんですよ。
    そいうことで、宮崎にではなくて、
    高千穂にいらっしゃいということなんです。

 東国原:それで、私は呼ばれて行ったんですか。
     あれは、不思議でしょうがないですよ。
     今まで、高千穂のたの字もなかったんですよ。

 江原:芸能と神事はもともと一つなんですよね。
    高千穂に行けばわかりますけれど、
    それこそお神楽(かぐら)ね。
    芸能は、もともと神事から始まっているものですから全然おかしくないんですよ。


★現代の猿田彦“東国原知事”

  神話のふるさと高千穂の力を美輪さんが証明します

 美輪:いろんな色がありますよね。
    その中でね、白に対して、なにか特別な感覚をお持ちにならない。

 東国原:私は、下着やパンツは全部白です。
     今まで、ずーっと白です。
     プレゼントで、グレーとかもらうとぜんぜんダメです。
     まっ白じゃないとダメですね。
     靴下も白じゃないといけないんですよ。
     スーツに白はどうかといわれて、無理やりグレーとか紺にしますけど。
     だから、ワイシャツは全部白です。
     色物は、ダメなんです。

 美輪:そうなの。
    白でないといけないのも意味があるんです。

 東国原:何か、気持ち悪くなってきちゃった。

 江原:だから、美輪さん、今日は白を着てらっしゃるでしょう。

 美輪:東国原さんがゲストだと聞いて、じゃあ、白を着ていきましょうとなったの。
    赤とか黄色とか、青とかいろいろあるじゃないですか、
    でも、この人は前世の前世のずーっと、とにかく昔の前世はね。
    真っ白いしたたれみたいな神官が着るようなものをお召しになって、先頭にたってね。
    白装束みたいなものをお召しになってらしたのよ。
    だから、神主さんや神職をやってらしたでしょう。
    そのように全部白くして、聖隷にしとかなきゃいけなかったんですよ。

 江原:出る前に美輪さんと話していたんですけれど。
    猿田彦っていう神様がいらっしゃるんですよ。
    そのゆかりが強くてね、お神楽にもでてきますけれど、
    そういうものに縁があって。
    知事がなさることは、全部道開きでしょう。

 美輪:先頭に立って道を開いていくんですよ。

 江原:だから、走るのがすきなのも道開き。
    道路もつくりたい、人も呼び込む道をつくりたい。
    全部、道を開くためのこと。
    失礼だけれど、不便な場所じゃないですか。
    でも、これだけ人を呼び込む道を作っているんですもの。
    だから、便宜だけがすべてじゃない。
    そこに意義を感じれば。
    また、そこから嫁とりの道も開けましたよね。

 美輪:行列の一番前を歩いてるんですもの。
    そう見えるんです。

 江原:道路をどう通すか、鉄道をどうつくるか。
    そういうことも、大きな道開きになりますでしょう。
    だから、そこに大きな気持ちがこもるのは、そこに大きな役目があるから。

 東国原:どうも、宮崎ですね。
     高速道路の話しなんですけれど、
     高速道路が、空白地帯と言って九州で最大全国でも40何位なんですよ。
     それを通したいというのと、九州の横断道路、熊本と延岡の間に高千穂があるんです。
     何か、ここが起点なんですよね。

 国分:これには何か。

 美輪:だから、さっきからいっているような意味があるわけ。


★天孫降臨(てんそんこうりん)

  天照大御神(あまてらすおおみかみ)の孫、迩迩芸命(ににぎのみこと)が、
  地上を治めるために天から降りてきた時、
  道案内をしたという神“猿田彦”(さるだひこ)
  猿田彦とゆかりの深い東国原知事にもさまざまな道を開く役目があるというのです

  高千穂と延岡を結ぶ高千穂鉄道は、2005年台風による被害で運転停止、
  復旧のめども立っていません。
  そこで、高千穂の神々が東国原さんを政治家へと導いたというのです。

 美輪:日本の起源で、日本はそこからはじまっているんですよ、
    それにも関わらず、伊勢神宮だとか、明治神宮だとかいろいろいらっしゃいますよ。
    賑わっているそれはいいことですよ、
    でも、その大元である高千穂が、人が来ない、寂れてる、お参りする人もいない、
    もうほったらかしみたいな。
    それはね、道筋が逆だろということなのよ。
    だから、あなたが選ばれて、政治家にするよりも、政治家にしたとしてもね、
    みんな知名度がない、何がない。
    だから、それより、人気者になって、それからということでいらして、
    だから、結えなくしてそいうことをやっているんじゃないの。

 東国原:困ったな。
     そいうことだったら、ものすごく責任感じますね。
     宮崎のためを思ってってやってるもんですから。

 美輪:そういうことじゃないのもっと大変なことなの。
    いっぱい大きな意味があるんですよ。

 東国原:たしかに、前例のない改革ばっかりやってるもんですからね。
     周りの皆さんが、頭わかんないことばっかりになってね。
     それでも、こうですよ、こうすればいいですよと説得しながらねやってるんですよ。
     そういった意味では、宮崎の県政も行政もあたらしく生まれ変わっているような気は
     しますけれどね。

 美輪:それはね、
    宮崎のためだけじゃないんですよ。
    宮崎が新しいことをやっていっぱい改革やって成功してるじゃないありませんか。
    皆さん見習いなさい、やれば出来るんだよと、
    全国の知事、市長にそれを言って知らしめてるんですよ。

 江原:役目。
    役目だから。

 美輪:だから、宮崎だけじゃなくて日本全体のために高千穂から指令があって
     やってらっしゃるから大変なの。

 国分:美輪さんが言われるように、こうやって知事がでるようになってから、
    うちの知事ってどういう人だったっけって考えるようになった人が多いと思うんですよ。
    それも一つ凄い事だなって。

 美輪:いつまでも、遅々として改革が進まない都道府県もあるわけですよ。
    そういうところが、あっちができてね、どうにもならなくて大変なところが
    あれだけになっちゃった。
    何でうちができないのってことに日本国民が思ってくださればいいの。

 国分:だいぶなってきたような気がするんですけれどね。

  宮崎だけじゃなく、全国の知事や市町村長に伝えること、
  それが東国原知事の使命だというのです。

  そして東国原さんの人生には、だれもがしあわせになる成功の秘訣がありました。


★静の時の時間の使い方

 江原:皆さん今回のことで見習った方がいいなと思うことは、
    自分自身の『静』。
    静のときの時間の使い方なんですよ。
    だから、そのときの知事においては勉強なさったり、
    将来のために一杯蓄えたんですよ。
    それが、いまものすごいエナジーになってる。
    この「オーラの泉」に出られたエネルギッシュな方たち一杯いるでしょう。
    その方たちは、必ず静の時間をもっているんですよ。
    たとえば、昔童話で三年寝太郎という話しがあったけれど。
    みんなね、静のときは嘆いたりするんですよ。
    もし、今どん底という人は、今の時間の使い方が間違ってますよと言うことを
    理解してもらえたらいいなと思ってます。
    トラブルや災難に見舞われた、静の時間。
    その時をどう過ごすのか、
    東国原さんが静の時間で大学に入学したように、
    成功した人は、静の時間を有効に使っているのです。


★晴れ男

 東国原:私、13から4年ぐらいマラソン大会で雨が降ったことが無いんですよ。なぜか。
     去年、宮崎でマラソンがあったんです。
     その時、雨が降っていたから、ああこのジンクスも破れたかと思っていたんです。
     行ったらやんだんですよ。
     それで、終わったらまた雨が降ったんです。
     こういうことが、結構、あるんですよ。
     気味悪くなって。

 美輪:気味悪くないですよ。
    それは、全部してくださっているわけだからね。
    わたしなんかしょっちゅうですよ。
    後ろの方たちが全部してくださってる。

 東国原:挨拶しといた方がいいかもしれませんね。
     「オーラの泉」出ると言ったらいろんなところからメールが来ましたよ。
     とうとう来ましたねとかいわれました。

 美輪:それも八百万の神から宣伝に使われたわけ。

 東国原:今日は本当にありがとうございました。

 国分:どうでしたか、今日は。

 東国原:いやー、びっくりしたのは、白。
     本当に昔から白しか受け付けないんですよ。

 美輪:だから、それが証拠だということをおっしゃるわけよ。
    それが、ひとつの証拠になるから申せと言われたの。

 東国原:だから、白塗りとかいうと興奮するんですよ。
     自分は変態じゃないかなと思ったから今まで言わなかったんですよ。

  知事が呼ばれたのは、日本の伝統と歴史にもう一度目を向けさせるためだったのかもしれません。

 東国原:最近、高千穂をないがしろにしてたので、帰ったら高千穂に行ってきます。
     ありがとうございました。
posted by yasu463 at 16:58| 東京 ☁| Comment(1) | TrackBack(1) | 江原啓之 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月07日

【高千穂】天孫降臨(てんそんこうりん)

 “オーラの泉”東国原宮崎県知事は、天孫降臨(てんそんこうりん)で有名な高千穂町の神様からのお告げと道により、知事になられたとの事。凄い。

 私もいつか、高千穂町に行ってみたい。

神々のはじまり

 天と地が初めて分かれた時、天上界の高天原(たかまがはら)には、次々に天つ神が現れた。
 最後に現れた男神・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と女神・伊邪那美命(いざなみのみこと)が結ばれ、国土を産み、多くの神々が誕生した。
 しかし、火の神を産んだとき、伊邪那美命(いざなみのみこと)はあの世へと旅立ってしまう。
 あまりの悲しみに、黄泉の国までも愛しい妻を追いかける伊邪那岐命(いざなぎのみこと)を待っていたのは、惨い(むごい)永遠の別れでしかなかった。
 死者の国から戻った伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊ぎ祓い(みそぎはらい)を行った。
 左目を洗うと、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、右目を洗うと月読命(つくよみのみこと)が、鼻を洗うと須佐之男命(すさのおのみこと)が現れた。
 月読命(つくよみのみこと)は夜の国を、須佐之男命(すさのおのみこと)は海の国を、そして、天上の神々の世界、高天原は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が治めることになる。
 やがて、神々の国から地上界・葦原中国(あしはらのなかつくに)に天照大御神(あまてらすおおみかみ)の子孫、迩迩芸命(ににぎのみこと)が降り立つ。
 高千穂のくしふる峰や高千穂・五ヶ瀬にまたがる二上山など高千穂に伝わる天孫降臨(てんそんこうりん)である。
 これよりのち、出会い、愛し合い、嫉妬し、怒り、苦しみ、戦う神々のもの語りは、日向の地を舞台に繰り広げられていった。

 天孫降臨の伝承地であり、岩戸神話で知られる高千穂町には、天上界と地上界を結ぶ数多くのもの語りが伝わる。
 悠久(ゆうきゅう)の時が流れた神々ゆかりの地は、心を解きほぐす清浄な空気に包まれている。


天孫降臨(てんそんこうりん)

 天上の神々の世界、高天原を治める太陽神・天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、包容力と慈愛(じあい)に満ちた万物の母なる神であった。
 しかし、その弟の荒ぶる神・須佐之男命(すさのおのみこと)は、海の国を治めることもせず、高天原に乱入。
 乱暴、狼藉(ろうぜき)をはたらき、大騒ぎを引き起こしてしまう。
 とうとう我慢がならなくなった天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、天岩屋(あめのいわや)の戸を開き、中に閉じこもってしまった。
 太陽神がこもられた世界は、天界も地界も闇に閉ざされる。
 永遠の闇の中、邪神の騒ぐ声だけが満ち満ちて、あらゆる禍(わざわい)が起こった。

 困り果てた八百万(やおよろず)の神々は、天安河原(あめのやすかわら)に集い、秘策を練り、いよいよ天宇受売命(あめのうずめのみこと)の登場となる。
 天岩屋の前で天宇受売命(あめのうずめのみこと)は桶の上で小笹(こざさ)をふりかざし踊った面白い踊りに神々は声を上げて笑い合った。
 この騒ぎを不思議に思った天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、岩屋の戸を少し開きそっと身を乗り出すと、その機を待っていた手力男命(たぢからおのみこと)が天の岩戸をとり開き、女神を外へお招きした。
 こうして再び、天にも地にも明るい陽の光が満ち溢れたのだった。

  *これより中には二度とお戻りになさいませぬように! と とおせんぼしたのが「しめ縄」のはじまりだとさ。

 時に、この岩戸神話の須佐之男命(すさのおのみこと)は暴風の襲来と、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の岩屋おこもりは太陽の光が衰える日蝕や冬至の自然現象と、神々の宴は鎮魂招魂(ちんこんしょうこん)の儀式であり、太陽の力を呼び返そうとする冬至の祭りとも重ねられ、あらゆる自然に神々が宿った古(いにしえ)を今に伝えている。


天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ) 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸1073-1

 天岩戸神社 天照大神を祀る神社!
 天照大神を祀る神社で、社殿背後を流れる岩戸川断崖の中腹に弟素差男命の乱暴に怒り天照大神がお隠れになった天岩戸の洞窟があります。
 付近には、天浮橋、天香山や天照大神が天岩戸にこもられたとき、八百万の神々が集い神議ををされたという天安河原等があります。


天安河原(あまのやすかわら)

天安河原は、天照大神が岩戸にお隠れになった際に、八百万の神々が相談を行った場所とされています。
 積み上げられた石々に訪れた人々の想いが込められています。
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2008年04月05日

【オーラの泉】スペシャル13 東国原&松居

 本日、4月5日(土)夜7時は、「オーラの泉 スペシャル13 愛の話〜不思議な話〜」!
 ゲスト、東国原英夫 宮崎県知事 と 女優 松居一代さん。

 関東圏では、10チャンネル(テレビ朝日)19:00〜20:54

 1人目のスペシャルゲストは驚異の支持率を誇る東国原知事。

 神の声を聞いて政治の道へ!?

 …フライデー事件など紆余曲折を経て知事に当選した意味とは?

 2人目のスペシャルゲストは苦労続きの壮絶人生を歩む女優・松居一代さん。

 看病…借金…病気…欠陥住宅闘争。

 苦難を乗り越えひたむきに生きる姿に愛の言葉が届けられる。


★スペシャルゲスト1人目は、東国原英夫 宮崎県知事。

 当選から1年以上がたつものの、いまだに人気が衰えることなく

 驚異の支持率を維持し続ける大人気の知事がいよいよ登場!

 なぜか足取りがおぼつかない知事…それもそのはず、

 実は「オーラの泉」の収録直前に東京マラソンを完走してきたばかり。

 県のPR活動に全国を飛び回り、公務の間を縫ってマスコミに出演…

 そんな超多忙の生活を続ける理由は

 そのまんま東の名で芸能活動を行っていた頃の経験にあるという…

 講談社を襲撃した「フライデー事件」…

 捜査に協力しただけなのにいつの間にか悪者扱いされた「渋谷イメクラ事件」…

 マスコミの影響力の大きさをまざまざと実感させられるが、

 自分が謹慎中でも何の影響もなく流れ続けるテレビを見た時、

 今までの自分に大きな疑問を感じたという。

 そして長年心に抱いていた勉強の道を志し、

 大学生活を経て政治の道に進んだわけだが政治家となった今は、

 自ら身をもって体感したメディアの影響力の大きさを、

 最大限生かそうと考えているのだという。

 その知事の不思議な体験というのが地方政治か国政に進むかを悩んだ時に

 故郷・宮崎県の高千穂で体験したという不思議な現象。

 「…”帰って来なさい”って声が聞こえたんですよね…」

 空耳かと思いつつも、知事選への出馬を決意したという知事。

 今、美輪・江原からその”声”の意味が解き明かされる!

 更に美輪から”ある色”についてのこだわりを突然指摘される知事…

 困惑する表情を浮かべながらも 「実はその通りです…」と、

 隠してきたという自分の執着・性癖を明かし、そこに潜む理由が読み解かれる。

 最後の最後まで「鳥肌が立った!びっくりした〜!」

 「…気持ち悪い!なんでそんな事が分かるんですか!?」と

 驚きの表情を連発!今や日本一有名な知事となった理由、今後進むべき道とは…

 美輪・江原から伝えられた衝撃のメッセージとは!?


−東国原英夫プロフィール−

 本 名:東国原 英夫(ひがしこくばる ひでお)
 生年月日:昭和32年9月16日  血液型:B型
 出身地:宮崎県
 身 長:171cm  体 重:59kg
 バスト:86cm ウエスト:78cm ヒップ:80cm
 足のサイズ:25.5cm
 趣 味:マラソン,大学
 特 技:ハンドボール
 運転免許証:普通自動車

 1957年(S32年) 9月16日 宮崎県都城市生まれ
  鹿児島県末吉町(現曽於市)にて出生。父は西村英次。母は西村の愛人タミ。
  後に都城市に移転。姉がいる。
 1967年(S42年)両親が離婚。母方の姓となる(その後、母が再婚し現在の「東国原英夫」となる)。
 1964年(S39年) 4月 都城市立大王小学校入学
 1968年(S43年) 4月 都城市立東小学校に転校
 1970年(S45年) 3月 同校卒業
   同 年       4月 都城市立妻ヶ丘中学校入学
 1973年(S48年) 3月 同校卒業
   同 年       4月 宮崎県立都城泉ヶ丘高校入学
                ハンドボール部に所属。2年連続インターハイに出場
 1976年(S51年) 3月 同校卒業 (首席卒業)
   同 年       4月 専修大学(経済学部)入学
 1980年(S55年) 3月 同大学卒業
   同 年      12月 CX「笑っている場合ですよ! お笑い君こそス ターだ!」でチャンピオンになる。
 1982年(S56年) 3月 ビートたけし(ツービート)の一番弟子となる。
   同 年      10月 二番弟子の大森うたえもんと漫才コンビ「ツーツーレロレロ」を結成。
 1983年(S58年) 9月 ツーツーレロレロで、NTV「お笑いスター誕生」で金賞受賞。
                同時期に「たけし軍団」を結成。
 1985年(S60年)    フリーアナウンサー片平きみよ(現・片平夏貴)と結婚。
 1986年(S61年)12月 たけし&たけし軍団フライディ襲撃事件。
                その謹慎中、『ビートたけし殺人事件』を執筆。
 1987年(S62年) 9月 拙著『ビートたけし殺人事件』がベストセラーに。
                翌年、本著がTBSでドラマ化。女優かとうかずこと共演。
 1989年(H元年)     片平きみよと離婚。
 1990年(H2年)     かとうかずこと結婚。一男一女をもうける。
 1994年(H6年)     初マラソン(オーストラリア・ゴールドコーストマラソン)参加
 1998年(H10年)10月 渋谷イメージクラブでサービスを受けていたことと後輩に暴行を加えたことにより、
                自主謹慎。 謹慎中、自己猛省と自己の価値観を変革すべく、猛勉強。
 1999年(H11年)10月 
 2000年(H12年) 4月 早稲田大学第二文学部入学
                早稲田宮崎県人会サークル等に参加
 2004年(H16年) 3月 同大学卒業
   同 年       4月 早稲田大学政治経済学部入学
 2006年(H18年) 2月 かとうかずこと離婚
 2006年(H18年) 3月 早稲田大学政治経済学部退学
 2007年(H19年) 1月 1月21日:第17回宮崎県知事選挙(無所属)当選。有効票数は266,807票。

【主な出演番組】
 ○壮絶バトル花の芸能界 日本テレビ系
 ○スーパーフライデー T B S 系
 ○ここがヘンだよ日本人 T B S 系
 ○オールスター感謝祭 T B S 系
 ○中居正広の家族会議を開こう! T B S 系
 ○たけしの斎藤寝具店 フジテレビ系
 ○2時ドキッ! 関西テレビ
 ○たかじん胸いっぱい 関西テレビ
  その他、ゲスト、ドラマ出演多数

【C M】
 ○リクルート“フロムA” ナレーション ('89〜'90)
 ○金鳥“アリキンチョール” ('91)
 ○丸大食品 ('91〜'92)
 ○フマキラー“VAPE” ('94)
 ○霧島酒造 ('95〜)
 ○西洋フーズシステム“CASA” ('96)
 ○中部ハウス工業 ('97〜)

【舞 台】
 ○ひとり芝居『アキト』

【連 載】
 ○『そのまんま東 vs.浅草キッド 対談アカデミーSHOW』(月刊アサヒ芸能)
 ○『そのまんま東の素顔のまんま』(サンケイスポーツ)

【著 書】
 ○『ビートたけし殺人事件』(太田出版 '88.2)
 ○『明石家さんま殺人事件』(太田出版 '89.4)
 ○『伝言ダイヤル殺人事件』(太田出版 '90.12)
 ○『東国原家の夏休み in ダーウィン』(碧宙出版 '99.4)
 ○『どん底』(音羽出版 '00.5)
 ○『ゆっくり歩け、空を見ろ』(新潮社 '01.2)
 ○『芸人学生』(実業之日本 '04.11)

【スポーツ歴】
 高校時代(宮崎県立都城泉ヶ丘高校)

  ○ハンドボール
   ・昭和49年(高校2年)インターハイ出場(ベスト4)
   ・昭和50年(高校3年)インターハイ出場(ベスト16)
              国体選抜メンバー

 現 在
  ○マラソン
   ・各種大会に参加。

 「東国原」姓は宮崎県都城地域や鹿児島県曽於地域において、見られる姓である。
 また、原の字を「ハル」と読ませるのはこの地域に限らず九州地方の地名等によく見られる(西諸県郡高原町、古墳で名高い西都原など)姓である。


★スペシャルゲスト2人目は、女優 松居一代さん。

 「運を良くするには掃除しかない!」。

 絶対的に強い意志と独自の哲学で人生を切り開いてきた女優、松居一代さん。

 明るく振舞う彼女の人生は波瀾に満ちたものだった…

 重度のアトピー性皮膚炎を患うわが子の看病…

 「初めて喋った言葉が“かゆい”なんです… ほんとは毎日でも写真を撮ってあげたかったけど、

  いつも肌がただれて血塗れで撮れなかった…」

 更に離婚後に背負った莫大な借金… あまりのストレスから襲われた顔面麻痺…

 おまけに突然自宅の天井が崩落、挑まざるを得なかった欠陥住宅闘争…。

 「休む間もなかったから死ぬ間もなかった」とこれまでの壮絶人生を振り返る

 松居さんの言葉に、国分美輪江原の3人はただただ驚くばかり。

 そして「実は再婚した船越英一郎さんとの待望の赤ちゃんを流産していた…」

 衝撃の初告白に一同は思わず息を呑む。

 そんな衝撃的な出来事が間断なく続く人生でも、

 ある頃から「試練はゲームと楽しめるようになった」と明るく語る松居さん。

 様々な苦難を乗り越え手にした、最愛のパートナー船越英一郎さんとの結婚、

 幸せに満ちた新しい家族3人での生活…

 松居さんに試練が多い理由とは…

 そして、今進むべき道とは… 

 美輪江原から伝えられるメッセージで、松居の瞳はさらなる闘志に燃える!



−松居一代プロフィール−

 芸名 松居一代(マツイ カズヨ)
 本名 船越一代(ふなこし かずよ)
 誕生日 1957年6月25日
 星座 かに座
 滋賀県近江八幡市出身。
 近江兄弟社中学校・高等学校出身。
 最終学歴は梅花女子短期大学中退。
 実父は、元競艇選手の松居修である。
 性別 女
 血液型 B型
 身長 161cm
 体重 47kg
 ジャンル 俳優・エッセイスト・女優
 デビューのきっかけ 1979年 11PM (よみうりテレビ)大阪イレブンのカバーガールで芸能界デビュー
 デビュー作品 11PM (日本テレビ) の司会者
 特技 英会話 生花
 代表作品
  マルサの女 (映画)(1987)
  肉体の門 (映画)(1988)
  悲しい色やねん (映画)(1988)
  夜逃げ屋本舗パートII (映画)(1993)


★東国原知事
 http://nikki-yasu.seesaa.net/article/93224899.html

posted by yasu463 at 17:03| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(2) | 江原啓之 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月08日

【オーラの泉】江原啓之 と 西城秀樹 2008/03/08

 ゲストは西城秀樹。ジャズ好きだった父の影響で音楽に目覚め、やがてスカウトされて芸能界入り。父は大反対したが、それを振り切り、ほぼ家出状態で広島から上京したという。その後トップアイドルの座に就くが、父は反対のまま。しかし父は、誰よりも早く地元にポスターを張るなど、息子への変わらぬ愛情を持っていた。父の死が人生で一番つらかったと振り返る西城は、認知症だった父との別れの瞬間に交わした会話を明かす。また脳梗塞(こうそく)の一種、ラクナ梗塞を発症し、生きる気力を失うほど精神的に追い込まれたが、妻の言葉でどん底から立ち直るきっかけをつかんだと語る。西城に、なぜアイドルとして成功したのか、父が今何を思うのかが伝えられる。

 本日のゲストは元祖スーパーアイドル・西城秀樹さん。
 郷ひろみさん、野口五郎さんらと共に“新御三家”と呼ばれ、
 70年代を代表するトップアイドル。
 華やかなスター街道を歩んできたイメージがあるも、
 実はその人生は波瀾に満ちたものだった…
 「なぜか2、3ヶ月前から『オーラの泉』に出演したくてしょうがなかった」
 と語る西城さんが
 今、導かれるようにゲストに招かれた理由が解き明かされる。

「…何も考えてない無の状態の時に起こったんです。
 気がついたら、自分の身体を見下ろしてて。
 手を見ると金の汗のようなものがついてたり…」
 開始早々、数々の神秘体験を明かす西城さん。

 多くの不思議体験を持つ西城さんの幼少期の夢は「ロンドンに住むこと」。
 ビートルズに憧れ、その影響で海外での音楽家生活を夢見る少年時代。
 無類のジャズ好きだった父の勧めもあって、
 よその子は塾に通う一方、音楽教室に通いギターやドラムに没頭する日々。
 そして高校の時スカウトされて芸能界への道が見えた時
 父に歌手になることを相談すると…なぜか父は大反対。
 ほぼ家出状態で広島を飛び出すことに。
 その後、見事トップアイドルの座に着くも、父は反対したまま…しかし、
 「…後で聞かされたんですが、誰よりも早く地元にポスターを貼ったり応援はしてくれてたみたいで…」
 と息子へ変わらぬ愛情を持っていた父の一面を懐かしそうに語る。

 そしてその父の他界が「人生で一番辛かったこと」と振り返る西城さん。
 認知症を患っていたという父との別れの瞬間、
 そして「…結婚しないのか?」という言葉が最後に交わした会話だったと明かす。

 その後、17歳という年の差を乗り越えて妻・美紀さんと結婚。
 すぐに子どもにも恵まれ一家の大黒柱として一層精力的に仕事に打ち込む充実した日々。
 しかし悲劇は突然やってきた…

 仕事先の韓国で脳梗塞の一種「ラクナ梗塞」を発症。
 病の引き金になったのは、間違ったダイエットが原因で起きた脱水症状だったと話す西城さん。

 手足も動かない、しゃべることもできない、生きる気力も失った…
 歌手としては致命的な障害で、精神的に追い込まれていった辛い日々。
 「…引退する、と打ち明けたんです。そうしたら…」
 そんなどん底から立ち直るきっかけは
 第二子を妊娠中という身重の状態の妻がくれたある一言だったという。

 心を入れ替えて臨んだ壮絶なリハビリの日々。
 その中で得た様々な気づきや考え方…そのあまりの変わり様に自ら
 「信じられない」と語る西城さん。
 「…病気になったからこそ今の自分がある」と前向きに病気と向き合った今、
 波瀾万丈の人生の意味…
 数々の神秘体験を繰り返す理由…
 なぜ一時代を築き上げたスーパーアイドルとして成功したのか…
 そして幸せな家庭を築いたことを誰よりも伝えたかった亡き父のメッセージが届けられる。

★ 西城秀樹のプロフィール

 出生名 木本 龍雄
 誕生日 1955年4月13日(52歳)
 星座 おひつじ座
 出身地 広島
 性別 男
 血液型 AB型
 身長 181cm
 体重 70kg
 学歴 明治大学付属中野高等学校 卒業
 ジャンル 俳優・歌手・アーティスト
 事務所 アースコーポレーション
 デビュー年 1972年
 デビューのきっかけ
  5年生の時に兄とエレキバンドを結成、山陽高校時代ジャズ喫茶出演時 にスカウトされ、芸映プロダクションに所属
 デビュー作品 恋する季節 (シングル)
 趣味 スキューバダイビング
 特技 ドラム、水泳
 代表作品
   情熱の嵐 (シングル)(1973)
   寺内貫太郎一家シリーズ (TBSテレビ)(1974)
   激しい恋 (シングル)(1974)
   YOUNG MAN (シングル)(1979)
 著書
   あきらめない-脳梗塞からの挑戦-

★ シ ン グ ル ★

 恋する季節(1972年3月25日 作詞:麻生たかし 作曲:筒美京平 編曲:高田弘)/愛がほしいのに
 恋の約束(1972年7月25日 作詞:たかたかし 作曲:鈴木邦彦 編曲:葵まさひこ)/若いふたりの海
 チャンスは一度(1972年11月25日 作詞:たかたかし 作曲:鈴木邦彦 編曲:馬飼野康二)/君を忘れない
 青春に賭けよう(1973年2月25日 作詞:たかたかし 作曲:鈴木邦彦 編曲:馬飼野康二)/新しい朝
 情熱の嵐(1973年5月25日 作詞:たかたかし 作曲:鈴木邦彦 編曲:馬飼野康二)/夏の日の出来事
 ちぎれた愛(1973年9月5日 作詞:安井かずみ 作曲・編曲:馬飼野康二)/孤独のふたり
 愛の十字架(1973年12月5日 作詞:たかたかし 作曲:鈴木邦彦 編曲:馬飼野康二)/色づいた果実
 薔薇の鎖(1974年2月25日 作詞:斉藤優子・たかたかし 作曲:鈴木邦彦 編曲:馬飼野康二)/子猫とネズミ
 激しい恋(1974年5月25日 作詞:安井かずみ 作曲・編曲:馬飼野康二)/悪夢
 傷だらけのローラ(1974年8月25日 作詞:さいとう大三 作曲・編曲:馬飼野康二)/淋しがりやの君
 涙と友情(1974年11月25日 作詞:たかたかし 作曲:鈴木邦彦 編曲:あかのたちお)/罪つくりな話
 この愛のときめき(1975年2月25日 作詞:安井かずみ 作曲・編曲:あかのたちお)/土曜の夜
 恋の暴走(1975年5月25日 作詞:安井かずみ 作曲・編曲:馬飼野康二)/青春の晩歌
 至上の愛(1975年8月25日 作詞:安井かずみ 作曲・編曲:馬飼野康二)/ふたりの世界
 白い教会(1975年10月25日 作詞:たかたかし 作曲:鈴木邦彦 編曲:あかのたちお)/カモン・ベイビー
 君よ抱かれて熱くなれ(1976年2月25日 作詞:阿久悠 作曲・編曲:三木たかし)/ふたりだけの夜
 ジャガー(1976年6月5日 作詞:阿久悠 作曲・編曲:三木たかし)/今は唇に歌があるだけの
 若き獅子たち(1976年9月5日 作詞:阿久悠 作曲・編曲:三木たかし)/我が青春のフィナーレ
 ラストシーン(1976年12月20日 作詞:阿久悠 作曲・編曲:三木たかし)/愛する
 ブーメランストリート(1977年3月15日 作詞:阿久悠 作曲:三木たかし 編曲:萩田光雄)/はげしい雨の中へ
 セクシーロックンローラー(1977年6月5日 作詞:阿久悠 作曲:三木たかし 編曲:萩田光雄)/指輪のあと
 ボタンを外せ(1977年9月5日 作詞:阿久悠 作曲・編曲:三木たかし)/悪魔のように愛したい
 ブーツをぬいで朝食を(1978年1月1日 作詞:阿久悠 作曲:大野克夫 編曲:萩田光雄)/青年
 あなたと愛のために(1978年3月5日 作詞:東海林良 作曲:大野克夫 編曲:水谷公生)/忘れかけた愛をもう一度
 (1978年5月25日 作詞:阿久悠 作曲・編曲:馬飼野康二)/陽のあたる部屋
 ブルースカイブルー(1978年8月25日 作詞:阿久悠 作曲・編曲:馬飼野康二)/アイムチャンピオン
 遙かなる恋人へ(1978年11月25日 作詞:竜真知子 作曲・編曲:馬飼野康二)/明日に向かって走れ
 YOUNG MAN (Y.M.C.A.)(1979年2月21日 作詞・作曲:J.MORALI-V.WILLIS-H.BELOLO 編曲:大谷和夫 訳詞:あまがいりゅうじ)/HIDEKI DISCO SPECIAL
 ホップ・ステップ・ジャンプ(1979年5月21日 作詞:山崎光 作曲:水谷公生 編曲:水谷公生・佐藤準)/愛よいつまでも
 勇気があれば(1979年9月5日 作詞:山川啓介 作曲:筒美京平 編曲:萩田光雄)/IF(イフ)
 悲しき友情(1980年1月5日 作詞:山川啓介 作曲:筒美京平 編曲:水谷公生)/TAKE IT EASY
 愛の園 (AI NO SONO)(1980年3月21日 作詞・作曲:STEVIE WONDER 追詞:山川啓介 編曲:坂本龍一)/オンリー・ラヴィング・ユー
 俺たちの時代(1980年6月5日 原作詞:熊野昌人 補作詞:たかたかし 作曲:水谷公生 編曲:佐藤準)/ムーンライト・ダンシング
 エンドレス・サマー(1980年7月21日 作詞:岡田富美子 作曲:水谷公生 編曲:船山基紀)/涙のスローモーション
 サンタマリアの祈り(1980年10月5日 作詞:なかにし礼 作曲:川口真 編曲:服部克久)/永遠にマイラブ
 眠れぬ夜 (1980年12月21日 作詞・作曲:小田和正 編曲:船山基紀)/難破船
 リトルガール(1981年3月21日 作詞:竜真知子 作曲・編曲:水谷公生)/POP'N ROLL SPRING
 セクシーガール(1981年6月21日 作詞・作曲:横浜銀蝿 編曲:若草恵)/サマーナイトレディー
 センチメンタルガール(1981年9月5日 作詞:あまがいりゅうじ 作曲:鈴木キサブロー 編曲:若草恵)/ムーンライト・パーティー
 ジプシー(1981年12月20日 作詞:森雪之丞 作曲:鈴木キサブロー 編曲:船山基紀)/アゲイン
 南十字星(1982年3月25日 作詞:竜真知子 作曲:水谷公生 編曲:佐藤準)/ハートエイク
 聖・少女(1982年6月21日 作詞:松本隆 作曲:吉田拓郎 編曲:瀬尾一三)/夕陽よ、俺を照らせ
 漂流者たち(1982年9月30日 作詞・作曲:石坂まさを 編曲:瀬尾一三)/シャーリーン
 ギャランドゥ(1983年2月1日 作詞・作曲:もんたよしのり 編曲:大谷和夫)/ロマンス-禁じられた遊び-
 ナイトゲーム(1983年6月1日 作詞・作曲:E.HAMILTON 編曲:前田憲男 訳詞:山本伊織)/陽炎物語
 哀しみのStill(1983年9月15日 作詞:森田由美 作曲・編曲:後藤次利)/ジャンクショ
 Do You Know(1984年1月25日 作詞:湯川れい子 作曲:小田啓義 編曲:大谷和夫)/Winter Blue
 背中からI Love You(1984年7月5日 作詞:売野雅勇 作曲・編曲:後藤次利)/パシフィック
 抱きしめてジルバ - Careless Whisper - (1984年10月15日 作詞・作曲:G. MICHAEL-A.RIDGELE 訳詞:森田由美 編曲:丸山恵市)/ジェラシー
 一万光年の愛(1985年2月5日 作詞:大津あきら 作曲・編曲:井上大輔)/ターゲット
 ミスティー・ブルー(1985年5月9日 作詞:森田由美 作曲:岡本朗 編曲:萩田光雄)/STEPPIN' AWAY-夏の逃避行-
 BEAT STREET(1985年9月5日 作詞:吉田美奈子 作曲・編曲:角松敏生)/リアルタイム
 腕の中へ- In Search of Love -(1985年11月21日 作詞:A.RICH 作曲:B.MANILOW-H.RICE 編曲:船山基紀 日本語詞:吉田美奈子)/愛の翼- It's All Behind Us Now -
 追憶の瞳 - Lola - (1986年4月10日 作詞:大津あきら 作曲:関口敏行 編曲:船山基紀)/City Dream From Tokyo
 Rain of Dream 夢の罪(1986年9月5日 作詞:松本一起 作曲:沢村拓二 編曲:難波弘之)/ROOM NUMBER 3021
 約束の旅 - 帰港 - (1986年12月5日 作詞:森田由美 作曲・編曲:後藤次利)/うたかたのリッツ
 New York Girl(1987年5月21日 作詞・作曲:H.HEWETT-G.DUKE 編曲:G.DUKE 訳詞:秋元康)/New York Girl(English Version)
 心で聞いたバラード(1987年11月21日 作詞:上杉伸之助 作曲:濱田金吾 編曲:大谷和夫)/ロンリーダンサー
 Blue Sky(1988年4月1日 作詞:なかにし礼 作曲:井上大輔 編曲:村松邦男)/海辺の家
 夏の誘惑(1988年7月6日 作詞:なかにし礼 作曲:井上大輔 編曲:船山基紀)/夢のように
 ONE - 愛する人のために -(1988年8月31日 作詞:長岡美和 補作詞:山川啓介 作曲・編曲:松下誠)/Sail Again
 33才(1988年11月1日 作詞・作曲:J. IGLESIAS 編曲:萩田光雄 訳詞:なかにし礼)/Try Today
 リバーサイドで逢いましょう(1989年7月21日 作詞:小林和子 作曲:濱田金吾 編曲:船山基紀)/パール・ネックレス
 SHAKE MY DAY(1990年7月21日 作詞・作曲:S. POTAWERS-F. ZAFEST-D. SION 編曲:鷺巣詩郎 訳詞:松本一起)/MONALIZA
 Rock Your Fire(1991年3月25日 作詞:サエキけんぞう 作曲・編曲:織田哲郎)/蒼い月の悪戯
 走れ正直者(1991年4月21日 作詞:さくらももこ 作曲・編曲:織田哲郎)/HIDEKI Greatest Hits Mega-Mix
 もいちど(1991年11月21日 作詞:沢ちひろ 作曲:栗林誠一郎 編曲:池田大介)/危ない橋を渡れ
 ブーメランストレート(1992年11月21日 作詞:阿久悠/T'S PARTY 作曲:三木たかし/多々納好夫 編曲:池田大介)/Hideki Ballad Memories
 いくつもの星が流れ(1993年11月21日 作詞・作曲:文田博資 編曲:芳野藤丸)/LOVE SONGを永遠に
 SAYYEA',JAN-GO(1994年2月23日 作詞:坂田和子 作曲:井上大輔 編曲:杉山卓夫)/女神が微笑む時
 黄昏よ、そばにいて(1995年1月21日 作詞:荒木とよひさ 作曲:浜圭介 編曲:今泉敏郎)/みんなBluesを唄ってた
 愛が止まらない(1995年6月7日 作詞・作曲:STOCK-AITKEN-WATERMAN 日本語詞:及川眠子 編曲:芳野藤丸)/センチメンタル・モーテル
 心の扉(1995年11月22日 作詞:荒木とよひさ 作曲:浜圭介 編曲:芳野藤丸)/あれから君は
 round'n'round(1996年6月5日 作詞・作曲:白石紗澄李 編曲:白石紗澄李/鈴木雅也)/LOVE MEANS
 パラサイト・ラヴ(1996年12月18日 作詞:サンプラザ中野 作曲:白石紗澄李 編曲:白石紗澄李/鈴木雅也)/CHINA ROSE
 moment(1997年8月6日 作詞:松井五郎 作曲・編曲:YOSHIKI)
 2Rから始めよう(1998年5月21日 作詞・作曲:松任谷由実 編曲:川口講一・松任谷正隆)/リフレインが叫んでる
 最後の愛(1999年4月13日 作詞:安部純 作曲:平義隆 編曲:武藤星児)/Light~灯
 ターンAターン(1999年5月26日 作詞:井荻麟 作曲:小林亜星 編曲:矢田部正)/月下美人
 Bailamos - Tonight we dance - (1999年11月17日 作詞・作曲:PAUL BARRY/MARK TAYLOR 日本語詞:根津洋子 編曲:門倉聡)/恋をしようよ
 Love Torture(2000年4月26日 作詞:m.c.A・T 作曲/編曲:AKIO TOGASHI)/TEQUILA
 時のきざはし(2000年10月17日 作詞・作曲:Я・K 編曲:大島ミチル)/今 キミに
 Jasmine(2001年5月23日 作詞:Michiko Yoshida 作曲:Я・K 編曲:Tetsuo Ishikawa)/Love of My Life/君の前に-Night Jasmine
 Everybody Dance(2002年6月26日 作詞:有森聡美 作曲・編曲:長谷川智樹)/Madness Love
 粗大ゴミじゃねぇ(2003年7月23日 作詞・作曲:つんく 編曲:高橋諭一)/嵐を呼ぶ男/銀座の恋の物語
 めぐり逢い(2006年9月27日 日本語詞:有森聡美 作曲:Andre Gagnon 編曲:塩入俊哉)/Same old story - 男の生き様 -/最後の愛
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2008年03月04日

【オーラの泉】江原啓之&中村中(詳細)

★中村中さんのプロフィール

 中村中  なかむら あたる
 別 名  あーちゃん
 生年月日 1985年(S60年)06月28日(22歳)
 出身地  東京都墨田区
 ジャンル J-POP
 職 業 シンガーソングライター
 担当楽器 ピアノ・ドラム・アコースティックギター等
 活動期間 2004年 -
 レーベル P-PRO Music(2005年)
      avex trax(2006年 - )
 事務所 ヤマハ音楽振興会(2004年)
     P-PRO Entertainment(2005年 - )
 共同作業者 浦清英
 影 響 研ナオコ、ちあきなおみ等

 中村さんは、性同一性障害で、戸籍上の性別は男性ですが、精神は女性で外見も女性です。

 小さい頃から母の影響で歌謡曲が大好きになり、独学でピアノを練習し、15歳で作詞作曲を始める。
 自分の性に悩み始めたのもこの頃。

 2004年、ヤマハに所属しライブ活動を続ける。
 2006年、エイベックスからメジャーデビュー。
 2006年、性同一性障害を公表。
 2007年、1stアルバム「天までとどけ」発表。
 2007年、NHK「紅白歌合戦」初出場。


★スピリチュアル・チェック

 ・小さい頃好きだった曲はなんですか
  ウインクさんの『淋しい熱帯魚』

 ・自分の好きなところ嫌いなところを教えて下さい
  好きなところは、人懐っこいところ
  嫌いなところは、臆病なところ

 ・最も腹が立つのはどんなことですか
  同じ人間なのに人が人を裏切れること

 ・なにか不思議な体験をしたことがありますか
  小さな頃は、よく街を歩いて街灯を消してしまいました

 ・想像して下さい、あなたはとても今楽しい気持ちです
  何をしていますか
  好きな人を追い掛けています


★ヨイトマケの唄

 私は、ヨイトマケの唄がすごく好きで、働きにでているお母さんの唄じゃないですか、私のお母さんも女でひとつで私を育ててくれたのであの唄を聴くと感動してしまうんです。

 小さな頃、街を歩いていて街灯を消していた。
 夕方、道を歩いていると歩くタイミングに合わせて街灯が消えた。
 何回もあった。

 内に秘めた思いが強い人は、思い(エネルギー)が飛びやすい、と江原さん。
 歌い手にはそれが必要、と美輪さん。
 歌い手の想念をエネルギーとしてお客さんに伝えるため。

 父ちゃんのためなら エンヤコラ
 母ちゃんのためなら エンヤコラ
 もうひとつおまけに エンヤコラ

 子供の頃に小学校で、ヨイトマケの子供、きたない子供といじめぬかれて、はやされて、くやし涙にくれながら泣いて帰った。道すがら母ちゃんの働くとこを見た。

 1985年  東京生まれ
 母の影響で、小さい頃から歌謡曲が大好きだったという中村さん。

 独学で勉強し、15歳のときから、作詞作曲を始めました。
 そして、自分の性に悩み始めたのもこの頃でした。

★子供の頃から歌が好き

 子供の頃から歌が好きだった。
 学校のピアノで先生に教わりながら、独学でピアノを習得した。

 母親に研ナオコさんの「泣かせて」という曲を教えてもらってから歌謡曲の魅力に引き込まれた。
 歌詞を読んで「こんな女性像があったんだな」と思った。

 私、歌詞をよく読んでから歌うことにしてるんですけれど、「悲しいことっていうのは、どんなに化粧をしても悲しいんです。」っていう小椋佳さんの歌詞なんですけれど。

 すごくいじらしくて、こんな風な女性像があったんだなって思って、何年か前は。

★心と体の不一致

 心と体の不一致を感じたのは、声変わりをした頃。
 異変には気付いていたが、認めたくなかった。
 男の子の制服を着て学校に通っていた。

 小学生の頃は、何かいけないことをしているんじゃないか、と思っていた。
 人を愛するのに何か足りないんじゃないか、と思っていた時期もある。
 学生の頃から男性を異性として見ていた。

 初めて告白したのは、小学生の頃。
 気持ちを止められなかった、と中村さん。
 初恋は破れるものなの、と美輪さん。

 同性愛だから、と自分を貶めるのは大間違い、と美輪さん。
 異性愛でも失恋はする。

 相談は誰にもできなかった、と中村さん。
 母親にも言えなかった。
 心配させたくなかった。


★美輪さんの体験

 美輪さんは中学生の頃、図書室の係をしている時にギリシャ神話の本を読んだ。
 そしたらね、ギリシャ神話の本があってね、
 アポロというハンサムなイケメンの神様とヒヤキントスというヒヤシンスになった神様と人間のハーフの男の子がいるの。
 絶世の美少年が。それが愛し合って、ゼフィーロスという風の神がやきもちをやいてアポロのそばにあった円盤を投げつけてその少年が死ぬんですよ。
 その少年が、アポロが泣いて私の胸の中でいつまでも生きておいていておくれというと、ファーとそれに答えるように血の中から咲いたのがヒヤシンスの花なのそれを、えっ古代から当たり前にあったんだということがわかったのと。

 そして、全部調べたのよ、日本にもないのかしらって調べたら、日本の中にもでてくるのよそれが。

 だから、私は、卑下したり泣いたり、騒いだり、コンプレックスになる必要はない
 ガーンと胸を張っていたの。


★江原さんの違和感

 違和感を覚えるのは「性同一性障害」という言葉、と江原さん。
 なぜ「障害」という言葉を使うのか。
 全ての障害という言葉がそう。
 弱者と認定しないと助けてあげようという心が生まれないのはおかしい。
 この世の中に無駄な人は一人もいない。
 障害ではなく個性。
 助け合う、個性を補い合うのは当たり前。
 認め合うのが大事。

 障害という言葉は嫌だという反面、事実もある、と中村さん。
 病気という言い方はおかしい、と美輪さん。
 犯罪のような認識を持っている。
 病気の人に失礼。

 世の中の全ては多数決ではない、と江原さん。
 「あの人はおかしい」と言っている人の内面を見てみると、その人の方がおかしい、と美輪さん。
 自分を正当化するために、人を非難している。
 まともな人は自信があるから何も言わない。


★自信

 思い悩む人がいたから闘い続けてきた、と美輪さん。
 それが原因で自ら命を絶った人がどれだけいるか。
 そういった人たちのことを考えると許せない。

 そういったことを言う連中は、レベルが低く、動物的で頭も悪く、腕力だけの連中が多い、と美輪さん。
 美輪さんは悪口を言われても相手にしなかった。
 常識的で人格的に立派な人たちは、かわいい、きれい、と褒めてくれる。
 自分に自信のある人は優しい。

 自分に必要なものだけ見て過ごしてきた、と中村さん。
 悪口も言われたが、そういった部分にばかり目を向けていたら、人生を途中で諦めていたかもしれない。
 好きな歌があるから人生を諦めなかった。

 考えて欲しいのは男の定義、女の定義、と江原さん。
 非難する人はそれを聞かれたら何も答えられないはず。

 今まで非難した人たちに憎しみの目を向けられない、と中村さん。
 どうしていいか分からなかったこともあるはず。
 時間が経って、段々と世界が丸くなっていけばいい。

 生きることは無知を知に変えること、と江原さん。
 一つ一つを知っていくこと。
 人を傷つける痛みが分からないからやってしまう。
 傷つく痛みを知れば、人を傷つけなくなる。


★肉の年は実年齢・魂の年は精神年齢

 肉の年と魂の年、と江原さん。
 肉の年は実年齢(肉体の年齢)。
 魂の年は精神年齢。

 スピリチュアル的には、かつて(前世)の経験が多ければ、若くても落ち着いていて、物事も考えも深い。
 気付かないことが多いから何回も生まれ変わる。
 この世に無駄に生まれて来る人は一人もいない。
 みんな意味を持って生まれ、誰もが祝福されている存在。
 一番大切なのは、自分の役どころを受け入れて、立ち向かって生きること。
 逃げていてはもったいない。
 まずは自分が自分を受け入れること。


★親子関係ではなく、心の中では親友の女(母親)

 お母さんにくっついていたいがために生まれて来ている、と江原さん。
 小さい頃から母親を一人の人間として分析して見てしまう。
 現世側では感謝し、精神側では友達のように寄り添って母親を慰める存在。

 同じ人間なんだからと思って接している、と中村さん。
 肉体的には親子だが、精神は対等。
 普通の親子関係ではなく、心の中では親友の女同士。


★原罪意識が強い

 本当に人を好きになれない、不信がある、と江原さん。
 スピリチュアルチェックでは「人が好き」と答えていたが、
 江原さんには「違います」という心の声が聞こえていた。
 自分で自分のことも嫌いなはず。
 まずは自分を好きになること。

 原罪意識が強い、と江原さん。
 自分の罪から考えてしまう。
 表舞台に立ったのは、人の心を理解するため。

 好きな人を追い掛けるのが楽しいのは、空想の中で追いかけているから。
 現実に関わるのは怖い。

 その葛藤で歌が出来る、と美輪さん。
 葛藤が無かったら、歌えないし作れない。
 強い思いがあるから伝わる、と江原さん。
 歌を通して無知を知に変えれば、何も怖いことは無い。

 恐れを無くした時、愛せるようになる、と江原さん。
 それができれば、自分の全領域に人を入れることができる。
 今は家の中に入れるのは特定の人だけ、最後の領域には絶対に入れていない。


★これからが正念場

 これからが正念場、と江原さん。
 今は活躍しているが、まだ本当に理解されていない。
 本当の理解を深めるとともに、アーティストとして思いを込めて、力を発揮しなければいけない。

 最近、自由を失っていることへの恐れが芽生えている。
 社会の型に入れられてしまった感じはあるが、そこからもがいて本当の自分をどう発揮するか。
 自分との勝負。
 必ず脱却する日が来るからこそ、それを心に留めて歩んで行くこと。

★「スピリチュアルメッセージ」

 自分の役どころを受け入れて、立ち向かうとこを忘れずに、これからは自分との勝負。罪の意識を捨てれば、もっと自分を好きになります。

★「オーラの言葉」

 人をいじめるのは、自分がコンプレックスの塊だから。自分に自信のある人は、人に優しい。 


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2008年03月01日

“オーラの泉”江原啓之 と 中村中 2008/03/01

性同一性障害を公表…中村中が一番会いたかった人美輪と運命の出会い。世の偏見と闘う使命…江原に届く心の叫びほか。性同一性障害を告白して話題を呼んだ。中村が性を意識し始めたのは変声期を迎えたころで、小学生時代は罪悪感を抱いていたと言う。だが、中村の前向きな考え方に、美輪明宏は驚嘆。自身も性について思い悩んだ過去を振り返る。中村に秘められた力や、美輪と同じ使命を背負っているという中村の、今後の進むべき道が明らかになる。  本日、19:57〜

本日のゲストは今、注目のシンガーソングライター中村中(あたる)さん。
デビュー後に性同一性障害を告白して話題に…
昨年は紅白にも出場を果たし、歌手として大きな注目を集める今、
オーラの泉」に招かれた理由とは…

1985年、東京生まれ。
15歳の頃から作詞・作曲を始め、高校を卒業した頃からライブ活動を展開。
その後、2006年「汚れた下着」で衝撃のデビュー。
素直な感情を表現した彼女の詞は多くの人の共感を得て、
セカンドシングル「友達の詩」はオリコン2位に。

「…ちょうど声変わりの時期ですね。
 それまではすごく歌が好きだったけど、あまり喋らないようになって…」
 自分の性に違和感を感じ始めたのは14歳あたりの頃。

「何か罪悪感があって…
 人を愛するのに自分には何か足りないんじゃないかって思ってました」
 幼少期に気づいて悩むには、あまりに重かったテーマ…

中村「同級生と会話をするにも、どういう言葉で接したらいいのかわからなくて…」
美輪「男の言葉と女の言葉、ということね。
   私も自分がそういう風だって分かったのも小さい頃からで、
   それはもう開き直ってたし、隠すこともないと思ってたんだけど…
   中学生の時にね…」

自身も性について思い悩んだ過去を振り返っていく美輪
明かされてゆく美輪の過去にスタジオには衝撃が走る。
  
やり場のない思いを抱えた中村さんとピアノとの出会い…
思いのたけを全てぶつけるかのように、独学でピアノを習得。
自分の考えを独特の感性で反映させながら楽曲作りを始め、
デビュー前までに100曲以上の楽曲を生み出してゆく。

様々な葛藤を抱えつつ歩んできた日々…
しかし、
「昔、私を非難した人たちに憎しみの目は向けられないんですよ。
 きっと自分以上にもろかった人もいただろうし…
 時間を経て、だんだん世界が丸くなっていけば凄くいい事だと思うし…」
性同一性障害は”壁”ではなく、長い人生でずっと向き合っていくものだと、
前向きな考えへの変化を明かす。

なぜ、歌手として大きく成功したのか…そしてなぜ今、「オーラの泉」に訪れたのか…
苦労して育ててくれた母との不思議な絆…
成功を掴みとった中村さんに秘められた力…
さらに美輪と同じ使命を背負っているという中村さんの今後進むべき道が紐解かれる。

 中村 中(ナカムラ アタル)
 別 名 あーちゃん
 出生日 1985年(S60年)06月28日(22歳)
 出身地 東京都墨田区
 ジャンル J-POP
 職 業 シンガーソングライター
 担当楽器 ピアノ・ドラム・アコースティックギター等
 活動期間 2004年 -
 レーベル P-PRO Music(2005年)
      avex trax(2006年 - )
 事務所 ヤマハ音楽振興会(2004年)
     P-PRO Entertainment(2005年 - )
 共同作業者 浦清英
 影 響 研ナオコ、ちあきなおみ等
 公式サイト http://www.nakamura-ataru.jp/

両親は幼少期に離婚し、母親のもとで育つ。また、兄と姉がおり、3人兄弟の末っ子である。

現在22歳のシンガーソングライター。
幼少より歌に親しみ、歌う事以外にほとんど興味を示さなかった。
が、自身の声に違和感を覚え出した10代初め、人前で声を出すことを嫌い、
その反動をピアノにぶつけたことが音楽に目覚めたきっかけとなった。
以降、独学で身につけたピアノで15歳より作曲を、日常にある葛藤や自身の考えを綴り作詞をし、
独特な感性で楽曲を創り始めた。

2005年6月には自主制作盤『友達の詩』発売。
また2006年2月には岩崎宏美のアルバム『Natural』に楽曲提供する等、
ソングライティング力はデビュー前にして立証済み。
デビュー前の時点での楽曲数は100を越える。
楽曲を書く最中、声との向き合い方に悩んでいたが、
自身の想いは自身の声でなくては
伝わらない事を悟り、自ら歌うことを決意。
その声は、聞くものの心をとらえ、全身にしみわたる。

2006年6月25日、デビュー前にして、エイベックス株主総会シークレットライブ出演
(他出演者:倖田來未、大塚 愛、安藤裕子、葉加瀬太郎、浜崎あゆみ)
6月28日、本人の21歳の誕生日にシングル『汚れた下着』でデビュー。
8月には、初の舞台公演「優雅な秘密」「下町日和」にディーヴァ(歌姫)役として出演。
そして、エイベックス夏のフェスである「a-nation」に初出演(神戸/東京)し、
数万人を虜にする圧巻のパフォーマンスを見せた。
9月6日に、15歳の時に書き下ろした、自身初の制作楽曲『友達の詩』を、満を持してリリース。
9月29日には、フジテレビ「僕らの音楽」に、新人にして異例の出演を果たす。
その後各所で注目が集まり、「友達の詩」はオリコンデイリーチャート最高位2位(11/13付)を記録している。
10月4日には、あのニッポン放送系「オールナイトニッポン」パーソナリティを務める。
10月10日放送、日本テレビ系 特別企画ドラマ「私が私であるために」ドラマ初出演。
11月15日リリースの3rdシングル『私の中の「いい女」』は、TBS系ドラマ 愛の劇場「いい女」主題歌に抜擢された。
2007年1月1日には、早くも1stアルバム『天までとどけ』がリリースされ、好調なセールスを見せている。
2月15日からは、ロック・ミュージカル「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」へ出演。
2月21日には、映画「叫(さけび)」主題歌である4thシングル『風になる』、
そしてディーヴァ(歌姫)役として出演した朗読劇のDVD『優雅な秘密』、
初出演ドラマのDVD『私が私であるために』もリリース。
2007年に入り、初のワンマンライブを東名阪で行い、圧巻のライブパフォーマンスを見せた。
特に初ワンマンで名古屋は格式高いブルーノートにてライブを行った事は
アーティスト中村 中が注目を浴びている証拠であろう。
6月に入りTBS系「中居正広の金曜日のスマたちへ」に出演、「波瀾万丈」として半生を取り上げられた。
その後日本に大反響があったことは記憶に新しい。
先日6月27日には、デビューのきっかけとなったと言われる、5枚目のシングル「リンゴ売り」をリリース。
音楽を基軸とした様々なフィールドでの活躍が注目を浴びており、今後の活動が大いに期待される。

2007年12月31日、第58回 NHK紅白歌合戦出場を果たした。


オーラの泉『中村中』(詳細版)は、下記に掲載しました。

  http://nikki-yasu.seesaa.net/article/88165440.html
posted by yasu463 at 14:24| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 江原啓之 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月26日

【オーラの泉】江原啓之&山本譲二(詳細)

2008/02/23放送の“オーラの泉”に、演歌歌手の山本譲二さんがゲストで出演されました。

○山本譲二さんのプロフィール

 山本譲二(やまもと じょうじ)
 生年月日:1950年2月1日
 出身地:山口県下関市
 血液型:A型

 1969年、演歌歌手を目指し上京。
 1974年、伊達春樹という芸名でデビュー。
 1974年、北島三郎さんの付き人に。
 1976年、YTV「全日本歌謡選手権」で10週連続勝ち抜き。
 1978年、山本譲二として再デビュー。
 1980年、「みちのくひとり旅」が大ヒット。
 1987年、結婚。
 2007年、「ジョージ・プロモーション」を立ち上げ、独立。


○スピリチュアル・チェック

 ・性格を一言で言うと
  頼まれるとNOと言えない

 ・怖いもの
  蛇、ゴキブリ、北島のオヤジ

 ・元気の源
  ギャンブル

 ・不思議な体験
  父親が亡くなる前に競艇をやっていたら「3-4-5を買え」と
  父親の声が聞こえ、それが的中した

 ・人生の転機
  30歳で「みちのくひとり旅」に出会えたこと

 ・将来の目標
  もう一度大きな勝負をしてみたい


○スピリチュアル

 スピリチュアルなものに興味がある。
 奥さんと長女は、見えないものが見えている。
 女房が運転してて、子供が乗ってて後ろに座ってるんですけれど、「見ちゃダメ」って言う会話とか。
 何だよそれって聞いたら、「あそこに立ってたから」って。
 僕には、全然見えないです。


○山本譲二さんの運命を変えた女性

 1950年山口県に生まれた譲二さん、
 高校を卒業すると、歌手になるために上京。
 そんな時、出会い一目ぼれしたのが、当時女優として活躍していた悦子さんでした。

 一方、「伊達春樹」という芸名でデビューしたもののさっぱり売れなかった譲二さん。
 何度かチャンスをつかもうと、オーディション番組にも挑戦しました。

 10年以上も続いた下積み時代、悦子さんは譲二さん支え続けたのです。

 出会いは、出版会社で電話番をしていたら、ばーっと入って来て、光ってました。
 うちの女房、本当にまぶしいぐらい。
 阿弥陀如来が入ってきた感じですよ。

 ディレクターが僕の弾き語りで働いている店に、悦子さんを連れて来てくれた。
 どこで生まれたんですかって聞いたら、「栃木ですよ」と聞いて、イメージと全然違ったので「なんて素敵なんだろう」と思った。

 彼女のマンションへ行き、同棲生活を始めた。
 「時間はかかるけど売れるから大丈夫」と言ってくれて、それだけが頼りだった。

 「あなたは売れる。」と励まし続けた悦子さんの言葉通り。
 『みちのくひとり旅』が大ヒット。
 歌手山本譲二が世の中に認められる日がやって来ました。

 1987年結婚。
 13年の付き合いを経て、晴れて夫婦の生活が始まったのです。

 奥さんは「結婚して」とは一切言わなかった。
 売れない頃に結婚していたら、歌手を諦めていたかもしれない。
 今の奥さんだから、大好きな歌の道を歩くことができた。

 奥さんの姿勢が全く変わらないのは素晴らしい、と江原さん。
 主人が売れたら奥さんも変わってしまうことが多い。


○不思議な妻と娘

 結婚すると2人は、最初の子供を授かりました。
 待望の妊娠、それは新たな試練のはじまりだったのです。

 これは、不思議なことなんですけれど、おうちに帰られてから奥様に聞いていただきたいんですけれどね。
 この奥さんてね、生きているのが不思議な人なんですよ。
 それと、お小さいときも命を落としそうになったことがあったんじゃないかと思うんです。

 それと、お子さんを授かって産むときもそうなんです。
 お子さんもお子さんで、生まれて出てきてるのが不思議なくらいなんです。

 このお母さん、お子さん二人とも命をもらってる人なんですよね。
 それだから、不思議な力をもっているというのはね、
 ある種、人間であって人間でないところがある。

 その証拠にね、何のとらわれもないんです。
 あの人にこう言われているよといっても気にならないんです。
 自分の目で見て、いいかどうかだけだし。
 表面で、絶対ものを見ませんでしょう。


 長女は726グラムで生まれた。
 脳の障害と目の障害は絶対ありますからそれは譲二さん覚悟してください、と医者に言われた。
 「この子は要らん」と山本さんは言ったが、子どもの心臓の
 音を聞き、バカなことを言ってしまった、と思った。
 医者に何とか産ませてください、と言った。

 それから、点滴がはじまります。
 羊水がないわけですから、破水して、その代わりのなるのを下から入れて、
 今まで、破水したかたでがんばったかたは何日ですか?
 って聞いたら、8日間だって。
 それが、最高ですって。

 だけど、15日間がんばってくれたんですよ。
 もう針をさすところが無いんですよ。
 血管が痛んで、あいつここに(頭の血管)入れてくれって言ったんですよ。
 「えっちゃんもおええ」って、がんばったよって。
 「そおかな?」って。
 もう動けなんですよ、健康な体だったのに15日間も寝てるともう動けないですね。
 それで、抜いた瞬間にもう陣痛です。奥さんは破水したが、点滴で15日間も頑張ってくれた。

 奥さんにも長女にも「与えられた命」という思いがある、と江原さん。
 みんなが幸せにいよう、笑顔でいよう、という気持ちがある。
 人の悪口は言わない人。
 生きているだけですごいこと、と一番知っている人。
 寛大で常に優しい。

 一番洗練された人間は、感情をコントロールできる人間、と美輪さん。
 人は気付かないうちに感情で動いてしまう。
 うれしい時や楽しい時だけに感情を使うようにできるまで、人間は大変な知性と技術が必要。
 奥さんと長女は、感情に押し流されない人。

 奥さんと長女がいなければ、今の山本さんは無い、と江原さん。
 この子を背負って生きていかねばならない、という気持ち。
 それまでは「何とかなる」という気持ちだったが、自分以外のことはなかなかそうならない。


○父親の声が聞こえた「3-4-5を買え」

 友人の部屋で競艇の電話投票をしている時に、「3-4-5を買え」という父親の声が聞こえた。
 買ったらそれが当たった。
 その3時間後に姉から電話があり、父親の危篤を知った。

 父親との最後の会話は、「嘘つくな、約束守れ、ちゃんとした男になれ」だった。
 素敵な方、と美輪さん。
 高校時代は嫌いだったんですけれど、「みちのく」が売れてからは、なぜか父親が好きなった、と山本さん。
 それが本当の人の道と分かっていたから、と美輪さん。


○お父さんからのメッセージ

 父親は「親孝行な息子」と言っている、と江原さん。
 色々してくれるので自慢の息子。
 約束を守る男だと認めている。

 父親は山本さんの体を助けている、と江原さん。
 腰や関節の痛みは、仕事に支障がないように治る。
 3日前から腰を痛めているが仕事はできる、と山本さん。

 父親は体に気を遣わなかった人。
 それを反省しているので、息子に繰り返させたくない。
 「座る椅子に注意」と言っている。
 長時間の麻雀は控えること。

 奥さんは山本さんの好きなようにさせている、と江原さん。
 最後は自分で責任を取れる人だから。
 困った時だけ言って来るが、奥さんはそれだけは止めて欲しいと思っている。
 奥さんは山本さんのギャンブルの借金を察知して全部返している。

 父親が亡くなった後に1回家に来ている、と山本さん。
 奥さんと長女が見ていて「お父さんが来たよ」と言った。
 父親は素晴らしい金粉の服を着ていて、白い裃を着た人たちは顔を伏せていて絶対に顔は見せなかった。
 父親は「譲二がわしの眼鏡を持っとるから探して欲しい」と奥さんに言った。
 山本さんには覚えが無かったが、半日探したら見つかった。

 そこにメッセージがある、と江原さん。
 子どもの目のこと。
 視力が弱くても大丈夫、というメッセージ。
 おじいちゃんが守るので、気後れすることはない。

 父親は大変厳しかったが、入院する1年前に初めて褒めてくれた、と山本さん。
 譲二、わしは本当にええ息子を持った、と言ってくれた。
 「下関にも金持ちはたくさんいるが、どうやったら譲二さんみたいなええ子に育つんか」と相談された時に俺は勝ったと思った、と言ってくれた。
 生きてるときに、「譲二、墓を立ててくれ」って言われたんで立てました。

○もう一人の親父、北島三郎さん

 2007年、北島三郎さんの北島音楽事務所から独立。
 独立のきっかけは、30年勤め上げた時に北島三郎さんの家に行き、
 事務所を立ち上げる話をしたら、いい事だ、と言ってくれた。
 独立して頑張れなかったら独立はさせないが、お前だったら
 出来ると思ったからさせるんだよ、と言われた。
 常に前向きで明るくいようと思い、歌える喜びが強くなった。

 独立前は「親方日の丸」だが、独立したら一国一城の主、と美輪さん。
 部下や家族の責任が生じるため、無駄遣いは許されない。
 オーラの泉に出演したのはそれが結論、と美輪さん。
 約束します、競艇やめます、と山本さん。
 競艇に山本譲二さんを見つけたときは「あっいた」といってください。と国分さん。

★スピリチュアル・メッセージ★

 奥様もお子さんも「与えられた命」みんなが幸せで、笑顔でいることの大切さを、生きていることは、それだけで凄いということを理解している方です。

★オーラの言葉★

 怒り、憎しみ、悲しみ、呪い、マイナス感情は抑えて。うれしい時、楽しい時、幸せな時に、感情を利用する。感情をコントロールできるのが、一番洗練された人間。




★オーラな出来事「噛みついて病気を治す!?タイの心霊治療」。

○心霊治療

 タイ サコンナコン県ノーイノンジャムノン村の診療所では、霊媒師が心霊治療を行っている。
 彼女は医者にも治せない病気を不思議な力で治してしまう。

 1回の診療代は20バーツ(約70円)。
 身分証を添えて順番を待つ。
 症状の軽い患者の場合は背中に息を吹きかけるだけで終わる。


○プー・ワンの霊

 彼女が心霊治療を始めたのは、28歳の時。
 当時、彼女は原因不明の奇病で寝たきりの生活をしていた。
 その時、彼女は体の中にプー・ワンの霊が入っていくのを確かに感じた。

 プー・ワンとは、タイ東北部に伝わる精霊の名前。
 古くから多くの人に信仰され、ホータラーと呼ばれるプー・ワンを祀る祠も存在する。

 彼女は治療前にプー・ワンの霊を呼び出す。
 霊が乗り移ると彼女の表情や喋り方は別人のように変わる。


○手術

 患者によっては手術も行う。

 原因不明の頭痛と腹痛に悩まされている患者への心霊手術では、患者の脇腹に直接噛み付き、その傷口から髪の毛と釘を取り出した。
 手術中は出血したが、手術後はかすかに傷口が残るだけだった。

 足が痛くて動けない患者に行った手術でも、体の中から髪の毛と釘を取り出している。

 今まで、彼女はこの心霊治療で1,000人以上の治してきた。


○江原啓之さんの見解

 残念ながら嘘だと思う。
 髪の毛と釘は自分の胃袋(口)から出していると思う。

 昔から心霊治療はあるが、本物は手でお腹を開いて内臓を全て見せる。
 手を閉じるとお腹は無傷になっている。

 病気が治ったのは「病は気から」だから。
posted by yasu463 at 19:01| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 江原啓之 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月23日

“オーラの泉”山本譲二 2008/02/23予告編

 ゲストは演歌歌手・山本譲二さん。 本日、19:57〜

 1950年、山口生まれ。
 中学から野球を始め、高校時代には甲子園にも出場を果たすほどスポーツに打ち込んでいた青年時代。

 卒業後、上京して歌手を目指し、一度は「伊達春樹」という芸名でデビューを果たすも、鳴かず飛ばすの日々…

 「…1年かかりました。売れるまでに。」

 大ヒットを巻き起こした「みちのくひとり旅」…

 「…おかげであの日が、みかん箱の上に乗って歌った最後の日になりました。」

 歌番組の出演から一夜明けて、待ち受けていた別世界。

 10年以上の下積みを経て、歌手として花開いた瞬間を語る山本さん。

 山本さんには数々の不思議な体験も。
 「…『譲二、3−5−4を買え!』と聞こえたんですよね!…」
 突然聞こえたという、臨終直前の父の声…

 「時間がかかるだろうけど、絶対売れるから!」
 どんなに人気がなくても、予知にも似た能力で後に売れることを確信していたという妻との出会い。
 その妻から驚きの話が…
 「…『亡くなったお父さんが現れて、譲二が持ってるはずだから、それを探して欲しいって言ってた』っていうんですよ」
 突如、妻の前に現れた亡き父が現れた意味とそのメッセージが紐解かれる。

 さらに、

 「…もうええよ、よく頑張ったよ。もう止めよう…」
 山本さんも思わず弱音を漏らしたこともあった、奥さんの命がけの出産。
 励ましあって苦労の末に授かった、長女の感動出産秘話。 自分の事務所を立ち上げた山本さん。

 最愛の家族に恵まれた今、オヤジと慕う北島三郎さんの下を離れて

 人生の大きな転機を迎えている山本さんに届けられる言葉とは…?
posted by yasu463 at 18:10| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 江原啓之 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月19日

“オーラの泉”柳原可奈子

○柳原可奈子さんのプロフィール

 柳原可奈子(やなぎはら かなこ)
 生年月日:1986年2月3日
 出身地:東京都中野区
 血液型:B型

 高校卒業後、お笑いの専門学校に入学。
 2007年、美容師、アパレル系ショップの店員、総武線の女子高生などのキャラでブレイク。

 一人っ子で過保護なほど両親に愛されて育った彼女は、なぜか小学校5年生でお笑い芸人になると決意。

 高校を卒業すると、迷わずお笑いの専門学校に進みます。

 同世代のよくある風景をネタにデビューするとすぐに注目され、クラスの人気者がお笑い芸人となったのです。

○スピリチュアル・チェック

 ・性格を一言で言うと
  マイペース

 ・小さい頃なりたかった職業
  お笑い芸人

 ・リラックスできる場所
  自宅

 ・好きな男性のタイプ
  あんまり太ってない人

 ・座右の銘
  案ずるより産むが易し

○この番組について

 信じているところも半分ありますけれど、半分は、いやいやいやってところもありますね。
 これにでるってことになって友達にでるっていったら、私は終盤で泣くタイプだって言われたんです。

○子供の頃

 子供の頃はすごく神経質な子供でした。
 明日の授業の忘れ物がないかずーっとランドセルを確認してる子でした。
 それで、寝れないんですよ。
 臨海学校に行くとなったら、3ヶ月前からホームシックになったらどうしよう、泳げなかったらどうしようと考える。
 母が、私が常々そんなことを気にする子だったので、「案ずるより生むが安し」だよっていつも言ってくれてたんですよ。
 そういうしつけみたいなのがあって変わっていったのがありますね。
 良い暗示にかかった、と美輪さん。
 今でも何かある度に母親の言葉を思い出す。

 小学校の頃は目立ちたがり屋だった。
 よくモノマネをしていた。
 小学校5年生の時にお笑い芸人になることを決意した。

 母親は「薬剤師になれ」と言っていた。
 小学校の成績はオール5で良い大学に入れば間違いないだろう、と親戚からも言われていた。

○お笑い芸人

 ネタ作りは、実際にお店に行って観察する。
 最近は電車や喫茶店で会話を盗み聞きして作っている。

 着眼点がいい、と美輪さん。
 鼻持ちならない連中をからかい倒す反骨精神はいい。
 ファッション業界などでブランド物の名前をちりばめるのは、野暮だと気付いていない。

○家族

 リラックスできる場所は自宅。
 外を出歩いていると情報が多過ぎ、人の会話も聞こえてくるので疲れる。
 休みの時は家から出ず、コンビニにも行かない。
 生まれた時からそういう人、と美輪さん。

 家では犬と遊んだり、父親と会話をしている。
 父親とはすごく仲が良い。『きよし』って呼んでます。

 母親は「勉強しなさい」という人だったが、父親は何も言わない。
 ここぞ、という時だけ父親が前に出る。
 昔風な父母の役割分担、と美輪さん。
 バランスの取れた家庭。

 30代後半にできた子供なので過保護だった、と柳原さん。
 一人っ子なので小さい頃から人形のように育てられた。
 雑誌モデルをやっていたこともある。

○母親

 母親は2年前に病気で亡くなった。
 すごく辛かったが、自分が強くなった気がする。
 それまでは母親が何でもやってくれたが、自分でやらなきゃ、と思うようになった。

 子供を可愛がるのは結構だが、その子が一人になった時に大変、と美輪さん。
 過保護は親の満足で、子供には毒になる場合がある。

 母親は柳原さんの活躍を知らずに亡くなった。
 気持ちを切り替えられたのは、亡くなるまでの19年間に愛情をたっぷりもらったと思えるから。
 母親が亡くなったのは「きちんと一人で生きて行きなさい」という最後のしつけだったと思い、自分で変わろうと思った。
 意志が強い、と美輪さん。
 頑固だし、頑固と意思の強さがいい意味に働いたのね。

 今、カメラの前で母親のことを話せるのが不思議、と柳原さん。
 今まではそれを乗り越えられなくて、話すことさえできなかった。

 悔いがたくさんある、と江原さん。
 愛情をいっぱいもらったのに、返すことができなかった、という悔い。
 父親と母親が自分の世界の全てだった。

 家族が大好きだったが、母親との衝突もあった。
 仲が良いがための衝突。
 どうしてもっと良い時間を過ごせなかったんだろう、という悔い。
 その気持ちは母親は十分に汲んでいるので、母親に悔いはない、と江原さん。

 母親に精神的な不安定さがあった、と江原さん。
 複雑な気持ちの中でのやりとり。
 娘だから守らなければいけない、でももう大人に成長している、という葛藤。

 家族や夫婦でも全てが思うようには行かないため、それをどう受け入れて、良い方へ向いていけるかが大事。
 母親はそれを大人になってから話そうと思っていたが、絶たれてしまった。

○思い出

 母親の声も覚えていない、と柳原さん。
 すごく好きだったのに、最近は忘れてしまう。
 声、顔、思い出の順で忘れていく、とどこかで聞いたことがある。

 忘れてしまうのは良いこと、と美輪さん。
 充実するとそうなる。
 柳原さんは仕事や生活での充実感があり、母親はやるだけのことはやった、という充実感がある。
 愛情を注ぐ相手が誰もいなくて亡くなる人もいる。
 愛情面が充実していたので、母親は何も思い残すことは無い。

 母親を思い出して泣くことが最近なくなった、と柳原さん。
 寂しいことではない。
 亡くなった人が思いを残していて、マイナスの想念を持っていると、それがこっちへ伝わってくる、と美輪さん。
 原因も無いのに鬱状態になってしまう。
 娘の幸せは母の幸せ、と満足していればマイナスの波動は来ない。
 柳原さんの充実が母親の充実になる。

 この先も思い出す、人生の節目に思い出は蘇る、と江原さん。
 その時の自分と母親を重ね合わせて、「だからああいうことを言ったんだ」「ああいう行動をとったんだ」と納得できる。

 今の状況を母親は一番喜んでいる、と江原さん。
 泣いている柳原さんを見て、母親は喜ぶはずは無い。

 「去る者日々に疎し」といって。と美輪さん。
  (死んだ者は、月日がたつにつれて忘れられていく。転じて、親しかった者も、遠く離れてしまうと、しだいに親しみが薄くなること。)
 どんなに愛して、命がけで愛してる人でもね。時間がたつと忘れてくるのよ。
 忘れることは罪ではない。罪悪感を持つ必要はさらさらないわ。

 楽しい思い出だけを思い出せばいい、と美輪さん。
 良い思い出を思い出して、マイナスの事は忘れるようにする。
 そうすれば、孤独な時に楽しいことを思い出すことができる。
 思い出の上手な使い方。

○もうひとつ大切なメッセージ(番外編)

 お母さんは、最後の姿だけ誤解を解いておきたいということなの。
 あなた自身のトラウマとして心にひっかかっちゃってて、それで、思い出すのもつらい。
 少し、封印しておこうかなという問題になっちゃって、お母さんが最後に言ったことは、すべてが本当じゃないと。
 最後に、自分のわがままを全部出してね。全部膿だしして帰って行ったんだと、だからね、そのすべてをお母さんだと思わないでねって。
 それが、ぜんぶお母さんの本心だったんじゃないかとか、お母さんの本当の姿、本性なんじゃないかとおもわないで。
 違う、お母さんは、あなたのお母さんのままよと。
 それを、わかってもらえれば、あなたの中ですべてが良い思いでとしてよみがえるのに、最後のお母さんとのかかわりが、いままでのお母さんをね、叩きのめしちゃったみたいな気分にね。
 あなたの、そのこころをせき止めているものっていうのを、今日、ここでといておきたいと。
 あなたが思っているとおりのお母さん。
 それ以上でもない、それ以下でもない。
 後は、お父さんとの時間もそうだし、どれだけの時間をたくさんつくっていけるか。 と江原さん。

 あなたもね、聡明でいらっしゃるからよくおかりでしょうけれどね。
 あなたは、家事をやらせてもちゃんとできる人だし、気がつくし。
 妄想癖があるのは、これは諸刃の刃でね、ネタをつくったり、一人のときに楽しむとか、仕事とかに全部プラスに働く場合もあるけれど、それが、被害者妄想だとマイナス思考でどんどん自分を痛めることになる。
 だから、その妄想の使い方を上手にプラスのほうだけにお使いになればいいわけ。
 人はいろいろ、水仙のと思ってればいいわけだし。
 これで、どんどん進化して大人になっていくとね、いい言葉があったでしょ。
 「案ずるより生むが安し」とか、いっぱい知ってて、大人になって行くと、それがね、人生の達人になってきますよ。
 不思議なのがね。
 みんなね、スリムで痩せてて体が小さくてね、ファッションモデルで洋服が似合うにはそれでいいですよ。
みんな、女の人の目を意識して痩せててかっこいいとかいうじゃないですか。
 だけどね、男はむちむちぷりんがすきなのよ。
 どっちかというと、巨乳、爆乳じゃないけれど、
 なぜ、マリリン・モンローがなぜ世界中から愛されたかというと、二の腕がむちむちしていて、おっぱいが大きくて、ウエストは細いんだけれど、下腹が出ていて、太ももが大きくて、ひざから下はキューっとしまっているわけでしょう。
 本当にもてたければ、むちむちぷりんになってみなよって。
 そうすると、放っておいても男がついてくるよ。
 だから、あなたは、最大の武器をもってらっしゃるのよ。
 それと、微笑とをね。 と美輪さん。

○恋愛・結婚

 熱烈な恋愛や結婚をどこか否定しているが、あるらしい、と江原さん。
 その時はのめり込むから注意。
 免疫が無いから。

 生活の中の一部の恋愛しかしていない、と柳原さん。
 心の部屋の中から見ている世界だけだから、と江原さん。
 心の部屋から出てのコミュニケーションをしていない。

★スピリチュアル・メッセージ★

 たくさん愛情をもらったのに、返せなかったと悔やんでも、お母さんは嬉しくない。
 活躍する柳原さんの姿を見て、一番喜んでいるのは、お母さんのはずですから。


★オーラの言葉★

 どんなに愛した人でも、時が経てば忘れてしまうもの。
 亡くなった人を忘れることは罪ではありません。
 良いことだけ思い出すのが、思い出の上手な使い方。



○「オーラな出来事」 「母と息子 22年振りの再会」。

 母親と息子が22年振りに再会。
 その親子は、初めての子供を養子に出さなければならなかった女性と、実の母を知らずに育った青年だった。
 2人を結び付けた不思議な絆とは?

○最初の妊娠

 場所は、アメリカ合衆国ミシガン州グランドラピッズ。
 ホームセンターで働いている45歳の女性は、夫と2人の子供と暮らしている。

 本当は3人の子供に恵まれたが、ある理由があって最初の子供は自分で育てることができなかった。

 1985年、彼女は最初の子供を授かりました。
 しかし、まだ学生であり、シングルマザーを覚悟しなければならない状況だった。
 周りからも反対され、養子に出す選択を迫られた。
 そして、家族に説得され、養子縁組をして息子と離別。

○D.A.ブロジェット・フォー・チルドレン

 D.A.ブロジェット・フォー・チルドレンは、養子縁組を仲介してもらった民間団体。

 契約では、里親が誰だかは知ることができないが、子供が18歳になった時に母親の情報を知ることができる、という条項に彼女は同意していた。
 いつか、息子が探してくれることを願っていた。

 しかし、18歳を過ぎても20歳になっても、息子が会いに来ることは無く、自分を恨んでいると諦めていた。

 子供はフレイグ家に引き取られ、順調に育っていた。
 現在は配送の仕事をしているが、自分が養子であることは聞かされていた。
 子供は自分がどこから来たのかを知りたかったし、何かが足りない気がずっとしていた。

 息子の気持ちを知った両親は、本当のお母さんの捜すために協力することになった。

○実母探し

 2003年、実母に関する資料を請求し、実母の名前が判明。
 名前から住所登録を検索したが、何度やっても何も手がかりは出てこなかった。

 2007年10月、たまたま実母の名前のスペルを誤って入力すると、4年間探し続けていた実母の住所が偶然見つかった。
 (原因は養子縁組団体の資料のスペルに間違いがあったため。)

 実母の住所を調べたところ、家からわずか3kmの距離にあった。
 しかし、いきなり会いに行っていいものか悩み、なかなか決心がつかなかった。

 職場の上司に相談したところ、その上司は実母の名前を聞いてびっくりした。
 その理由は、同じホームセンターで働く同僚だったため。
 実母は同じ職場で働いていた。

 そして、二人は感動の再会を果たした。

 ずっと探していた母親がこんな近くにいたことは奇跡としか言いようがない。

○江原啓之さんの見解

 4年間待たされたのは、待つ時間が長ければそれだけ感動が増えるが、そこまで会いたいか、と試されていることもある。

 行い正しき事は必ずその報いがある。
 みんな良い人なのは、行いが良いから。

 こういう極端な例は、みんな奇跡を感じるんだけれど、日常の中の奇跡はみんな忘れるんですよね。
 なぜこの人と婚姻までしたのか、なぜこのメンバーとグループを組んでいるのか、など。
posted by yasu463 at 23:23| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 江原啓之 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月12日

“オーラの泉”間下このみ

○間下このみさんのプロフィール

 間下このみ(ました このみ)
 生年月日:1978年4月27日
 出身地:東京都葛飾区
 趣 味:音楽鑑賞。ライブを観に行くこと。映画鑑賞。テニス。
 特 技:英会話。料理(愛玩動物飼養管理士の資格有)

 1983年、4歳で子役としてデビューしたキッコーマンのCM「がんばれ玄さん」でブレイク。
 1984年、ドラマ「スクール☆ウォーズ」に出演
 1986年、バラエティ番組「所さんのただものではない!」に出演。
     その後は女優、写真作家として活躍。
 2004年、11歳年上の男性と結婚。
 2006年、妊娠をするが6ヵ月後に死産。
 2006年、再び妊娠をするが「抗リン脂質抗体症候群」という難病にかかっていることが発覚。
 2007年、長女・めのあちゃんを出産。


○スピリチュアル・チェック

 ・性格を一言で言うと
  意外と心配性、気が小さい

 ・毎日欠かさずにすること
  主人と夜に幸せを報告しあう

 ・海外でなぜか心惹かれる国
  エジプト、日本の江戸時代

 ・怖いもの
  注射

 ・不思議な体験
  娘を寝かせた後、誰もいない部屋でおもちゃが鳴った

 ・印象に残っている夢
  死産をした後、5歳くらいの男の子が頭を撫でながら「大丈夫だよ」と言ってくれる夢を見た

○必然

 間下:前からここに出たい出たいと思ってて、ここに来ることが出来てよかったなと、すごく緊張してます。

 国分:出たいというのは、メッセージをききたいなということですか?

 間下:そうですね。子供を死産した後に、子供がどうなったかとか、舞い戻ってくれるのかとかを江原さんとかにお聞きしたくて。
 でも、そのときはきいちゃいけないのかなと。子供もできて、やっとひと段落着いたので、ここに来ることができた。
 必然。かな? なんて思ってます。

 国分:さすがですね。よく見てますね。

○死産

 26歳のとき、仕事で知り合った11歳年上の一般人男性と結婚。
 そして、妊娠。しかし、喜びもつかの間でした。

 安定期に入った、6ヶ月で死産。新しい命がこの世に誕生することは無かったのです。

 妊娠後は順調に5ヶ月目の安定期に入って安心していたが、ある日胎動を感じなくなった。
 医者へ行ったらエコーで診断し「既に亡くなっています」と言われた。
 「えっ何で」というのと、赤ちゃんにごめんなさいという罪悪感みたいなものが胸の中に一杯になって、もう、泣く涙が止まらなかったです。

 陣痛促進剤を打って、普通の出産と同じように産んだ。
 実際、産んでみたら280グラムだったんですけれど。
 自分の子供をこの世に出してあげたいという気持ちが大きかったので、早く産んであげたいという気持ちで、陣痛は乗り越えられたんですけれど。

 見てみたら綺麗な赤ちゃんで、涙が出るというよりは、うれしくて泣いちゃって主人といっしょに笑って見てましたね。

 その後は落ち込んで、家の中に閉じこもっていた。
 どうして私だけ、という思いから、全然、関係ない人を恨んでしまうこともあった。

 ある日、インターネットをしていたら「毎日、お空の赤ちゃんはあなたのことを見ています。
泣いているのが、赤ちゃんも悲しくて、なんとかよろこばせようとしあわせを運んで来てます。
でも、赤ちゃんて、体が小さいからちっちゃなしあわせしか運べません。そのしあわせに、あなたは気づいてあげていますか?」という文章を見つけた。

 それを見た時に、ハッとしたんです。泣いているのは自分のエゴだと思った。
 息子のためでもなんでもなく、自分のために泣いてたんだって。

 息子も、母親が泣いているのはいやだろうとなんとか元気にならなくちゃっていうところからそういう風になれたんですね。
 それで、主人が帰ってきたところにそのブログのことを言ったら、「じゃあ。ちっちゃなしあわせって気づくことができないから、寝る前に報告会をしょうよ。」って主人から提案がありました。

 ほんとに、「今日、それが綺麗でした。」とか、「ケーキが欲しかった」とか、「朝の占いがよかった」とか、くだらないことなんですけれど、そいういことを少しずつ集めていく中でなんとかこう立ち直ることができたんだと思います。

 しあわせを確かめるということは、本当に大事なことですよね。 と美輪さん。
 自分は、本当はしあわせなのに、不平不満の方ばかり今の人たちはみているんですよ。
 それで、しあわせを見ようともしない。
 それで、しあわせの方を見ようともしないの。

 どうしたの、こっちの方も見なさいというけれど、こっちの方ばかり見ちゃってうなだれて、ぶつくさ。
 攻撃的でね、誰かをやっつけてやろうって、なにか怒る必要があるのかってぐらいに現代の人はイライラしてるの。

 だからね、世の中、プラスの方とマイナスの方があるでしょう。
 だったら、マイナスの方を見らずにプラスの方を見ればいいじゃない。

 数え上げれば、不幸の数以上にしあわせの数がたくさんあるんですよ。

 だから、それに気づかないのを気づきましょうという運動をなさっているのは素晴らしいことですよ。

○夢(5歳の子に頭をなでらた)

 ちょうど、電柱がありましてそこに七三分けの顔が丸顔の子供がいまして、そこによって行ったら。
 ちっさいのに、私の頭に手を伸ばして、「大丈夫だよ」って言ってくれた。

 その後、すごーく心があったかくなったんで、
 ああ、もしかしたら息子かもしれないって、私は信じてます。

 国分:これは、もしかしたら。

 江原:のちほど。

○原因不明の難病「抗リン脂質抗体症候群」が発覚。

 2006年8月もう一度、妊娠しました。
 しかし、血液検査の結果、ある病気が判明したのです。

 原因不明の病気で、「抗リン脂質抗体症候群」
 血管の中で血が詰まりやすくなり、心筋梗塞や脳梗塞などを引き起こす病気です。

 医師:普通は、心筋梗塞などですと、ご高齢の方に起こりやすい病気ですが、若い方でも、この病気を持っている方には起こす可能性があります。

 それで、妊婦さんにとっては、胎盤の血管が詰まることで、流産や死産になったりとか、赤ちゃんが小さく産まれたりとかする可能性があります。

 何と、間下さんだけでなく、間下さんの赤ちゃんにも関わる病気だったのです。

 「抗リン脂質抗体症候群」というのは、自覚症状はありません。
 妊娠2ヶ月目でわかりましたが、私は、本当にたまたまラッキーだったんですけれど。
 最初の妊婦検診をしたら、ちょっと血小板の数が少ないので、「僕、気になるからもう一度詳しい検査をさせてもらえないか」って初めて行った初めてのお医者さんが言ってくれたので、もう二回目ですから何でもして下さいって。

 検査してもらったら、「抗リン脂質抗体症候群」という病気が見つかりました。

 美輪:それは、生まれつきの人と食事や何かが偏ったり?

 間下:今、難病に指定されているんですけれど、何でそうなるのかはわからなくて。
 前回も、それが原因で亡くなっちゃったんじゃないかということで、また、子供殺しちゃうかもしれない私って思いました。

 私が、こんな体じゃなければ、元気に生まれて来れる子なのに、私の体のせいで、また殺しちゃうかもしれないと思いました。

 国分:その中で、産もうと思った。

 間下:気づいたらお腹の中にいたので、やれることをやっていくしかないとおもったので、一番いいといわれている治療法を調べたりして、一番いい方法を見つけるように努力しました。

 血液をサラサラにする注射を5ヶ月間毎日打った。
 確証もない方法だったので医者から止められたが、後悔はしたくなかった。

 注射は小さい頃から怖かった。
 テレビに注射が映るだけで、気持ち悪くなっていた。
 それでも毎日注射を打ったので、母になるのは強いと思う。
 自分でも不思議なくらい強くなっていた。

 もともと強くていらっしゃるんですよね。 と美輪さん。
 いつも身の保険のためにいつも最悪のことを考えているから。 と江原さん。
 最悪のことをしておいてがんばろうみたいな。
 それと、切り替えがはやくて素直だから、言葉は悪いかもしれませんが、いい意味での単純さをもっているんです。
 もともと、ポジティブでね。

 だからね。石橋の上をたたきまくる方なのよ。 と美輪さん。
 いろいろ見ていくと、子役のときから、いろんな困難、苦労があったんですね。
 だけど、その都度、切り替え上手なんですよね。

 周りの大人たちの、こう考えるんだよ、こういう風にがんばればとかを素直に受けて、だから長々引きずらなかったでしょう。と江原さん。

 本当だったら亡くなっていておかしくない、と江原さん。
 母体も危なかった。
 いただいたの、命をね。

 自分の命は全く考えていなかった、と間下さん。
 子供の命を助けたかった。

 主人がいなければ乗り越えることができなかった、と間下さん。
 足に血栓ができるので毎日30分、多い時で2時間マッサージをしてくれた。

○出産

 今度こそ、無事に赤ちゃんを産みたい。
 間下さんと家族の戦いの日々が始まる。
 間下さんご主人が赤ちゃんが出産するまで、毎日つけていた日記があります。

 『夜遅くに帰宅の途に変えるコールをすると、やはり体調がすぐれないのんちゃん。昨晩は、ほとんど眠っていなかった。体の各部を指圧、マッサージ。 だいぶん、体調が戻ってきた。まだ、熱があるものの今日は眠れるかもしれない。毎晩、寝る前に、ぴよちゃんが生きているか確認する。毎朝、起きたときに、のんちゃんが生きているか確認する。そんな日も、あと何日だろう。』

 そして、2007年3月16日午後2時57分。

 『なんだろう、自分でもわからない、もう声にならない声で泣いていた。看護婦さんが言った、「女の子ですよ。」 その時赤ちゃんが泣き出した。 それを見て、僕は笑顔で泣いていた。』

 体重2155グラムの赤ちゃんは、「めのあ」と名付けられたのです。

 9ヶ月目36週で体のことを考え、全身麻酔、帝王切開で出産。
 初めて赤ちゃんを見たときはうれしかったが、ほっとした気持ちの方が大きかった。
 生まれて来てくれてありがとう、と伝えた。

 女の人の一生は大変、と美輪さん。
 男にはその思いが分からない。
 主人は何もできない歯痒さが辛かったと思う。

 みんなにこの病気を知ってほしくて、わかったときにメディアに発表したんですけれど、そのときにたくさんのメールをいただいたんですね。
 そういう方の力も手助けしてくれたし、いっしょに戦ってくれたんだと思います。

 普通に生まれることが、幸いと奇跡っていう方もわすれちゃいけませんね。だから、逆に普通に生まれて当たり前だと思っちゃダメだということ。と江原さん。
 育児に疲れている人は、その子がどれだけの奇跡の積み重ねで存在しているのかを理解すること。

 生きていることだけでも大変な確率、と美輪さん。
 人生相談で「私の人生は一体何だったのか」という相談がたくさんある。
 危険だらけ、病気だらけの世の中で生き抜くのは大変な技術。
 至難な世の中の生きてきて、ご立派なもんですよと私はそう言うの。

 それとね、病気を世の中の方は悪にとらえる方が多いんですよね。と江原さん。
 病気になることもあるが、それをどうやって肥やしにしていくか。
 それを理解すると、病気の人を見る目も変わる。

 明日はわが身、と美輪さん。
 病気を忌み嫌うのは、うつるのではないか、変な因縁を背負っているのではないか、という偏見。
 自分が病気になった場合のことを考えること。
 感情的に病気を捉えるのではなく、冷静に分析していけば、忌み嫌う必要は無い。

○試練の意味

 すべての答えの大きなテーマは、美輪さんがおっしゃった一言なんです。
 「女の一生って大変ね。」っていう一言なんです。と江原さん。

 女性に対する偏見と闘いたい、という部分が魂の中にある。
 偏見や差別に対する役目を持っている。

 スピリチュアル・チェックの不思議な体験でおもちゃを鳴らした存在と、夢の中の少年は同一人物、と江原さん。
 間下さんが生むことができなかった子供。
 お腹の中に入っていたが、生まれることができないことを前提で来ている。
 間下さんの病気を伝えるためなの。
 死産が無ければ詳しく調べたり、医者も詳細に検査をしなかった。
 子供は役割を果たしている。

 病気から目を離してはいけない、とその子は言っている。
 きちんと薬を飲み、検査も継続すること。
 自分を管理するのも親の役割。

 これからが大変、と美輪さん。
 子供を育てるのには責任がある。

 悪運が強い、と美輪さん。
 もうダメだと思うと、どこかから助けが入る。
 今の子供も医者との出会いが無ければ、病気が分からなかった。

 その医者の父親は、間下さんが生まれた時にいた先生だった。
 間下さんのお母さんの出産の立会いをしていた。
 その人の息子さんが間下さんの病気を発見した。
 今までの人生を思い出すと奇跡的な運の強さがたくさん
 重なって今に来ている、と美輪さん。

★スピリチュアル・メッセージ★

 亡くなった赤ちゃんは、あなたが気付かなかった病と命の奇跡を教えてくれました。
 今度はあなたが世にそれを伝え、多くの命を救うこと、それがあなたの役目です。


★オーラの言葉★

 世の中は、危険だらけで病気だらけ。
 生きているだけで、すごい事。
 人は生き抜くことに価値がある。



★「オーラな出来事」 「九死に一生!?リスナーに救われたDJ」。

 2007年7月9日、ラジオを聴いていたリスナーがDJの命を救った。
 そのリスナーは、耳元で「助けに行け!」という神の声が聞こえた。

○スワップ・ショップ

 アメリカ合衆国ノースカロライナ州シェルビーのローカルラジオ局。
 5/26(土)の三連休の初日、ラジオDJのティム・ビガースタッフさんは一人で出勤していた。

 午前9時、ラジオ「スワップ・ショップ」のオンエアが始まった。
 この番組は、リスナー同士が物を交換する番組。

 いつもと変わらない声が流れ始めたが、しばらくすると、街の住人で番組のファンのリスナーがラジオのスイッチを入れると、うめき声のような音が聞こえた。

 そのリスナーは、DJの身に何かがあったとピンときた瞬間、耳元で「助けに行け!」という神の声が聞こえた。

 リスナーは急いでラジオ局へ向かったところ、ティムさんが床に倒れているのを発見。意識不明の重態だった。

 病院に運ばれたティムさんは意識を回復し、一命を取り留めた。

 ティムさんが倒れた後、次の職員が出勤するまでには2時間半。
 もしリスナーの助けが無かったら間違いなく亡くなっていた、と医者は言っている。

 ティムさんは8歳から若年性糖尿病を患っていた。
 オンエア中に突然、その発作が起きて意識を失った。

○4年前

 ティムさんがリスナーに命を救われたのはこれが初めてではなく、4年前にも助けられたことがある。

 4年前、番組でティムさんは自分の体が腎臓移植を必要としていることを告白。

 その時、放送を聞いていた別のリスナーも「お前が腰を上げなくてはいけない」神の声を聞き、ラジオ局に電話をし、腎臓の提供を申し
入れた。

 ティムさんは最初は断っていたが、リスナーは片道2時間半の病院へ検査に通い、担当医からOKのサインをもらって来ていた。
その意志の強さに胸を打たれ、2004年5月に腎臓移植手術が行われ、無事成功した。

○美輪明宏さんの見解

 あの村は地球上でも珍しいユートピア(別世界)だと思う。
 神様の声は、自分の良心の声を神の声として聞く場合もあるし、実際に聞こえる場合もある。

○江原啓之さんの見解

 無償の愛を表現する役割、役目があった。
 神様の声を聞いた場合は、動かない訳にいかない場合がある。

 マザー・テレサが活動をしたのはある時、汽車の中で「修道院を出て貧しい者の中で働きなさい」という神の声を聞いたから。

 ナイチンゲールはある日、庭で「役に立ちなさい」という天の声を聞いている。

 彼女には婚約者もいて何年も苦しんだが、縁談を断り、家から勘当され、今の病院のシステムを作り上げた。

 神の声を確実に聞いた者は、そうせざるを得ない。

○江原啓之さんの悩み

 江原啓之さんは今、週刊誌に色々と書かれている。

 しかし、週刊誌は売れなくなると、無いことからネタを作り上げて記事にしている。

 美輪明宏さんは長く芸能界にいるのでその手口は分かっているが、江原さんは世間にすれていないため、社会的な波風が立つと困惑してしまう。
posted by yasu463 at 23:23| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(3) | 江原啓之 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月05日

【オーラの泉】江原啓之&宮藤官九郎(詳細)

宮藤官九郎(くどう かんくろう)さんのプロフィール

 宮藤官九郎(くどう かんくろう)
 本 名:宮藤俊一郎(くどう しゅんいちろう)
 生年月日:1970年7月19日
 出身地:宮城県栗原市
 血液型:O型
 宮城県築館高等学校卒業、日本大学藝術学部放送学科中退。
 俳優、脚本家、作詞家、放送作家。

 大学在学中、劇団「大人計画」に参加。「ゼブラーマン」脚本。「世界の中心で、愛をさけぶ」出演。
 2002年、バンド「グループ魂」でメジャーデビュー。
 2002年、ドラマ「木更津キャッツアイ」の脚本を担当。
 2003年、第41回ゴールデン・アロー賞特別賞を受賞。
 2005年、ドラマ「タイガー&ドラゴン」の脚本を担当。
 2005年、映画「真夜中の弥次さん喜多さん」で監督デビュー。
 2005年、映画「クワイエットルームにようこそ」に出演。

○長瀬智也、深田恭子、哀川翔らも大絶賛!

 「今までに無い、型破りな人!」 「元気を貰えますね。」 「…天才ですね。」 と長瀬智也、深田恭子、哀川翔ら日本のトップを走る若手・ベテランたちも大絶賛する才能の持ち主。

○収録前のインタビュー

 20年後はどんな感じなのか、幸せでいるためにはどうしたらいいのかを教えてもらえたら非常に助かる。


○スピリチュアル・チェック

・性格を一言で言うと
 短気でせっかち。

・毎日欠かさずにすること
 家族と奥さんに「ありがとうございます」と心の中で言う。

・好きな言葉
 低姿勢

・人生の転機
 大学を中退した時

・一番充実感を感じる瞬間
 ドラマのシナリオを書き上げて、シーンナンバーをふる時


○江原さん、美輪さんとの関係

 美輪さんとは初めまして。
 渋谷の小劇場「ジァン・ジァン」で歌っているのを見ていた。
 「人生は過ぎ行く」という歌が大好き。

 雑誌のインタビューでは「会いたい女性は美輪明宏」と答えたこともある。
 話はしてみたいけど、怖いことは言われたくない。


○人生の転機

 人生の転機は大学を中退した時。
 魅力的な仲間たちに惹かれ「大人計画」に参加。
 演劇に目覚め、大学を中退した。
 休学か退学かを迷っていたが、今の奥さん(八反田リコさん・振付師)に「辞めちゃいなよ」と言われた。
 当の本人(奥さん)は、しっかり卒業していた。

 退学を親に報告するために手紙を書いて送った。
 父親は教師で厳しかったが、何も言わなかった。
 しきたりや秩序には厳しかったが、大学中退については素直に受け入れてくれた。

 当時はテレビやラジオの構成作家・放送作家を志望していた。
 大学では脚本コースを選んだが、ゼミの試験に落ちてしまった。
 落ちたのは「先生の言うことを聞かないから」という理由。
 読んだ人をびっくりさることしか考えていなかった。

 書いた物を「面白い」と言われることがうれしかった。
 ラジオにはハガキを送っていた。
 続けているうちに、知り合いの放送作家が紹介してくれて、バラエティ番組「笑う犬の冒険」などの構成作家を始めた。
 その後、ドラマ「池袋ウエストゲートパーク」「木更津キャッツアイ」などの脚本も書くことに。

 世界文学全集は部屋にあり、父親から読めと言われていたが、滅多に読まなかった。
 映画もあまり見ず、テレビばかり見ていた。
 映画を見るようになったは、東京に出てきてから。


○ドラマの発想

 ドラマ「タイガー&ドラゴン」の発想は計算し尽くしたものと、でやっているものが交錯している感じがする、と美輪さん。
 調子が良い時は勘も計算も上手く行くが、どんよりした気持ちの時はどっちも上手く行かない、と宮藤さん。
 部屋の環境や状況に左右される。
 同じ場所では集中して仕事ができない。
 自分の部屋では仕事ははかどらないので、喫茶店やマンガ喫茶へ行く。

 ゼロから第一歩を踏み出す時は、完全に勘に頼っている。
 その発想自体が計算、と美輪さん。
 意外性、どんでん返しの計算。
 子供のようなところがあるため、妄想・空想と計算が結び付く。


○オーラの色

 オーラの色は、強い青
 青のオーラは、冷静。
 常に冷静で繊細、神経質。

 トイレにフッと入るところが見える、と江原さん。
 もよおしていないのに入っている。
 入ります、と宮藤さん。

 人と会っていると、どの空間にいても落ち着かない。
 トイレに入って自分だけの空間でため息をついている。

 人と会うのは楽しいが、ものすごく疲れる。
 その連続の中で、時々頭の中がハレーションを起こしている。
 時々「ウワー」と声を上げている。
 よくやってます、と宮藤さん。


○「型」

 魂のテーマは「型」と江原さん。
 型があるか無いか。

 自分の行動も頭の中で脚本を書いている。
 現場の状況に合わせて毎日雰囲気を変えている。

 自分で自分を「型」に入れているが、「型」は大嫌い。
 ドラマでは「型」にはめるのが嫌。
 時代劇にバイクを出したり、と意外性を出している。

 父親の厳しさは全て「型」、と江原さん。
 それを言われ続けていたから、父親という存在があるだけで責められている気がしてしまう。

 切り替えのきっかけは大学に入った時だった。
 自分のやりたいことを自分で決めて脱却した。
 父親は芸術方面には反対だった。

 大学中退は2回目の脱却だった。
 型をどんどん脱いでいった。
 その分大変だがせいせいした、と宮藤さん。
 悶々とした日々から抜けたからと思う。

 奥さんの言葉が響いたのは、「型」が無いから。
 奥さんは「型」の無い人。


○前世

 前世は、ヨーロッパの田舎で立派な家に住んでいた男性(貴族)。
 前世でも「型」が嫌いだった。
 長男であり、家と一族を背負って行かなければいけないが、乗馬や剣をやるのも大嫌いだった。
 貴族のしきたり。
 自分はこの家に生まれてはいけなかったんだ、という悔やみもあった。

 「ねばならぬ」が大嫌い、と美輪さん。
 やってはいけないことがあると、何でだろうと思う、と宮藤さん。
 理由を説明されても納得がいかない。

 人生のテーマに「型」があったから、表現の仕事で花が咲いている、と江原さん。
 無駄にはなっていない。


○20年後

 最新作のドラマ「未来講師めぐる」では、人の20年後が見えてしまう話を書いている。
 その話を書きながら、自分の20年後が気になるからこのドラマを書いたのかなと思う、と宮藤さん。

 人の未来は決まっているかどうかが気になる、と江原さん。
 それも「型」。
 定まっているなら、もがいても無駄なのか、ということが気になっている。

 宿命と運命は違う、と江原さん。
 宿命は素材、運命は料理。
 人生の素材は決まっているが、料理は決まっていない。
 だから生まれてくる意味があり、努力する意味がある。
 流れに任せれば型どおりになるが、料理をすれば変えることができる。

 型を破っていけばいいのか、残しておけばいいのか、と宮藤さん。
 それは考えない方が良い、と美輪さん。
 それを考えると型になってしまう。

 これからの一番の先生は子供、と江原さん。
 型も無く自由だから。


○子供

 2005年に長女が生まれたのは2度目の転機、と宮藤さん。
 家に帰るとニヤニヤしていて、子供は日々変化するから面白い。

 緑色の植物の雰囲気になっていません?と美輪さん。
 一緒に散歩に行くのが嬉しい、と宮藤さん。

 新しい世界が広がっている、と美輪さん。
 良い話や教訓は今までなかったので、書くのが新鮮だった、と宮藤さん。
 気持ちが温かくなるセリフを書くと恥ずかしいが、良い話ですねと言われると嬉しい。

 自分の可能性の広がりを知ると楽しい、と美輪さん。
 人間は年を重ねると自分も世の中も見えてくる。
 自縄自縛が解けていくと、どれもが自分の一部になり、広がって行く。


○スピリチュアル・メッセージ

 未来が気になるのは運命という『型』を気にするから。
 宿命は素材 運命は料理。
 あなたという素材は決まっているが、あとは料理しだい。
 運命は変えられるのです。

○オーラの言葉

 『自分はかくあらねばならぬ』という思い込みは、自縄自爆の落とし穴。
 人間は年を追うごとに、世の中も自分のことも見えてくる。
 自分の可能性の大きさを発見できる。


★オーラな出来事 『呪われた椅子の伝説』★

○首吊りバズビーの椅子

 2007年、イギリスの雑誌が「呪いの椅子」の特集を組んだ。
 首吊りバズビーの椅子は、座った人が謎の死を遂げるという恐ろしい伝説を持つ椅子。

 この伝説の舞台は、イギリス北ヨークシャー州サースクはという街。
 呪いの話は有名であり、地元の人に話を聞くと必ず止められる。


○トーマス・バズビ

 パブレストラン「バズビー・ストゥープ(首吊りバズビー)」には、以前この椅子が置かれていた。

 椅子は18世紀初頭、トーマス・バズビーという男が使っていた椅子であり、彼は罪を犯して、店の近くで絞首刑になっている。

 家財道具は処分されたが椅子はパブに引き取られ「首吊りバズビーの椅子」として店の名物になった。


○呪いの伝説

 100年以上前のエピソードは資料として残されていないが、店のオーナーの体験談として、呪いの伝説は語り継がれている。

 30年以上前の新聞には、1970年代に建築業者の青年が酔った勢いでこの椅子に座り、その1時間後、青年は建築現場の屋根から転落し、
命を落とした、と書かれている。

 パブのオーナーは、二度と犠牲者が出ないように、椅子を地下室にしまったが、悲劇は続いた。

 パブへ酒を配達に来た男は偶然椅子を見つけ、呪いの椅子とは知らずに座ってしまった。
 彼もその後、原因不明の自動車事故で亡くなった。

 他にも60人以上が命を落とした、と語り継がれている。


○サースク博物館

 現在、椅子は街の「サースク博物館」に保管されている。
 誰にも座れないように天井に届くほどの壁の高さにかけてあるが、これは30年前に椅子を譲り受けたときに持ち主と交わした約束が
あるため。

 パブの主人は、これ以上犠牲者を出してはいけないと思い、椅子をこの博物館に預け、30年以上誰も座っていない。


○美輪明宏さんの見解

 イギリスでは幽霊が市民権を持っている。
 幽霊の出る家は普通の家よりも高く売れることがある。

 幽霊保険(スクープセーフ:幽霊に攻撃されたり家具が勝手に飛んで きて、死亡やケガをした場合に保険金が支払われる)もある。

 スピリチュアルなものに対して、日本とは全く価値観が違う。


○江原啓之さんの見解

 イギリスは歴史が好きなので、歴史の一環として捉えている。

 ブルー・プレート(英国で歴史的な人物が暮らした建物に表示される氏名、入居期間などが書かれた青色のプレート)と、幽霊が出ると
最高の家であり、価値が上がる。

 幽霊を売りにしていて、繁盛しているパブやホテルもある。
 江原さんはイギリスにいた時に、何度も自慢された。

 日本人よりもイギリス人は、椅子に対して関心が深い。
 英国人にとって椅子は自分の座(場所)。

 椅子を霊視すると、利権問題で父親の命を奪っている。
 椅子を壊すと怖いため、そのまま残している。

 座ることで亡くなるのか、亡くなるような人が座ってしまうのか分からないが、見極めることはできない。
posted by yasu463 at 01:00| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 江原啓之 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月02日

【オーラの泉】宮藤官九郎さん

本日のオーラの泉のゲストは、宮藤官九郎さんです。20年後の自分はどうなっているのか…

 今回のゲストは今、最も注目を浴びる脚本家・宮藤官九郎さん。

 現在放送中のドラマ「未来講師めぐる」(テレビ朝日/金曜・23:15〜)をはじめ、「木更津キャッツアイ」「タイガー&ドラゴン」、
映画「ゼブラーマン」「舞妓Haaaan!!!」など

 次々にヒットを連発する稀代のヒットメーカー。

 「今までに無い、型破りな人!」

 「元気を貰えますね。」

 「…天才ですね。」

 長瀬智也深田恭子哀川翔ら日本のトップを走る若手・ベテランたちも大絶賛する才能の持ち主な上、役者としても数々のドラマ・映画に出演し、
ミュージシャンとしてもメジャーデビュー、作家としても活躍するなどマルチな才能を遺憾なく発揮する宮藤さん。


 「昨日までは『オーラの泉』に来るのが楽しみだったんですけど、スタジオに来る途中、急に緊張してきて…

 実は今は、すっごい帰りたいんです……

 全く霊感も無いし、みて貰うことも初めてで… よろしくお願いします!!」

 好きな言葉”低姿勢”の文字通り、謙虚な姿勢で緊張気味の宮藤さん。

 幅広い世代から絶大な支持を受ける人気脚本家の素顔とは…?


 1970年、宮城県で文具店を営む家に生まれ、

 3人兄弟の末っ子として育てられた宮藤さん。

 「父は自分にはすごく厳しかったですね〜。

 でも厳しいといっても、ちょっと変わった厳しさで…」

 幼少時に体験した宮藤家こだわりの家族行事など、

 自身が育ったユーモラスな家庭環境を語る宮藤さん。

 その後、大学在学中に「大人計画」の舞台に魅了され、参加を決意。

 「…大学を休学して舞台をやってたんですが、

 休学が明けた時、復学するか退学するかで迷ったんです。その時、

 ”辞めちゃえば?”と言われて大学中退を決めたんです。」

 本格的に舞台に進むこととなり、

 その後大きく成功していく原点ともなった人生の岐路…

 そこには背中をそっと押してくれた妻の存在が。

 そして、役者もこなしながら舞台制作に取り組む中で、

 コント番組の放送作家の仕事が舞い込み、

 いつしかドラマや映画の脚本家になっていたという宮藤さん。

 「でも、脚本家っていうのは簡単になれるものじゃありませんよね?

 どうやってその下地は作っていらしたの?」

 今をときめく天才クリエーターの内面に興味津々な美輪だが

 「いや、でも映画とか全然見たこと無かったんです。

 だからゼロから作品を作る時は…」

 大成功した裏にある意外なバックグラウンド、

 そして奇想天外なストーリーを生み出す発想術を語る宮藤さん。

 「ちょっと違うこと言っても良いですか? 実はね…」 

 「…うわぁ、本当ですか!!」

 突然、江原から意外な癖をいくつか指摘され、驚きを隠せない宮藤さん。

 そして宮藤さんが今回一番聞きたかったことが、

 「20年後の自分はどうなっているのか… 

 その時、幸せであるためにはどうしたらいいのか?」

 「人の未来が決まっているかどうかが気になってるんですよ。」

 宮藤さんがなぜ未来に不安を持つのか…そして今進むべき道とは…

 美輪江原が伝える言葉に、

 「うわぁ、上手いこというなぁ!

 その言葉、今度ドラマで使ってもいいですか!?」と

 脚本家としての好奇心を刺激され、感動興奮状態に!

 そしていつしか冒頭の緊張感は霧散しスタジオには

 リラックスした雰囲気が…。

 自分の未来はどうなるのか… 

 誰もが抱く、将来への不安の気持ちに対する人生のヒント。

 全ては本日よる明らかに…


【詳細版】http://spiritual-something-great.at.webry.info/200802/article_7.html
posted by yasu463 at 11:50| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 江原啓之 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月29日

オーラの泉『義家弘介』(詳細版)

です。

義家弘介さんのプロフィール

 義家弘介(よしいえ ひろゆき)
 通 称:ヤンキー先生
 生年月日:1971年3月31日(36歳)
 出身地:長野県長野市
 出身校 明治学院大学法学部卒業
 血液型:O型
 参議院議員(自民党)、東北福祉大学特任准教授

 中学時代、父親と対立し不良に。
 1987年、高校2年生の時に問題を起こし、両親から絶縁。
 1988年、里親に預けられ、北海道の北星学園余市高等学校へ編入。
 1990年、明治学院大学法学部法律学科に入学。
     卒業後は予備校勤務、学習塾講師を経験。
 1993年、オートバイ事故で内臓破裂の重症、奇跡的に生還。
 1999年、母校「北星学園余市高校」の教師に。
 2005年、横浜市教育委員会教育委員に就任。
 2007年、参院選で初当選。

★冒頭

 今、一番聞きたいこと
  悲惨な経験、しんどい試練を経験してきたが、苦しんでいる時に必ず誰かが助けてくれる。
  何に自分は守られているのか。

★スピリチュアル・チェック

 自分の性格を一言でいうと
  短気ですがデリケート。

 好きな景色は
  お盆や正月の交通渋滞、父親は休みの日もこんなに頑張っている、故郷に帰っている、ホッとする景色。

 人生の転機
  大学4年生の頃にオートバイの交通事故で意識不明の重体になった。
 最近気になることは
  想像力がどこへ行っちゃったんだ。
  殴ったら痛い、いじめ問題。
  当たり前の想像力が消えてしまった。

★美輪さん、江原さん、との関係

 美輪さんとは初めまして。
  超越者のイメージです・・今の日本が失っているものを真っ直ぐ指摘する・・刀でいあい切りみたいな感じでスパーッと切りにくる、自分も切られています。


 江原さんとは何度かお仕事させて頂いてます。
  自分熱が火炎放射器のような熱で江原さんは暖かい熱・・非常に尊敬してます。

★若い時の義家さん

 父親と上手くいかず中学時代に不良となり、高校を中退・・実家からは勘当された。
  全国から中退した生徒を受け入れる学校で担任の安達先生との出会いが義家さんの人生を変えました。

 大学に進学、そしてバイクで交通事故をおこし内臓破裂で入院。
  その時駆けつけてくれた安達先生。

 事故を起こした当時の口癖は
  絶対天下を獲ってやる
  俺が噛み付いて勝ってやる。
  事故をきっかけに考え方が変った。

 先生の言葉は「あなたは私の夢だから」先生をほんとうの母に感じた。
  心の底から生きたいと思った。

 自分もこの人が歩んできた教育の道を歩んで行こうと。
  くそったれの世の中だから、傷付いたり涙する奴がいっぱいいる。
  その連中に寄り添いながら生きて行こうって思った。

 学生時代は自己主張だけの愚かな存在だった。
  何か失敗すると、いつも人のせいにしていた。

 あの事故で生まれ変わりをさせられた、全く違う人生に。
  元は輝く宝石の原石なので、人のせいにするというのは嘘。
  交通事故で自分を認めない心を殺された。

 自分をずっと責め続けていた。
  両親は生まれてすぐに離婚したので、自分は望まれないで生まれてきた存在・・。
  自分を責め続けることで、自分の存在を確かめていた。
  自分の弱さを見るのが怖かったと美輪さん

 これだけ人生の無駄が無い人は珍しいと、江原さん
  全てが課題通りに生きていて、魂の優等生。
  天から愛されている人。
  天から愛されているそういう人の人生はある意味波乱万丈と、江原さん
  こんなに無駄のない人生の人は珍しい。
 
 あれだけの事故でも後遺症がない。
  区切りが付いた小学校を卒業したと、美輪さん

★教育について

 教育で子供と向き合うことは、99パーセント思うように行かないがそこから逃げないことが教育。
  そうすると、とてつもない感動が手に入り、教師を辞められなくなる。


 先生が大変なのに続けられたのは、そこに自分がいるから。
  だから放っておけない、生徒と一体なんです。

 震えている子に大人は光を当てようとするが、震えを止めるのは熱しかない。
  将来の希望(光)を与えても、生徒は落ち着かない。

 学校へ行って自分みたいなやつがいたらいやですね、と義家さん

 義家先生の場合は蛇の道はへび、実際に通ってきた道だから、言葉を選べる。

 今の時代に最も必要、と江原さん
  自分のことだから放っておけない、他人のことがから放っておく。

 思いやりは想像力。詩、俳句、和歌など、多くのことを想像して短い言葉で表現するが
  その練習が足りないだけ。

 大学で教えているが個々と話していると「想像力は大丈夫かな」と思うことがよくある、と義家さん。
  想像力が育っていないのに、情報シャワーが押し寄せてくる時代になっている。
  自分の心ができていないのに、とんでもない誇大妄想が情報として、降りかかってしまう。
  誇大妄想が日常に変わってしまう。危険な時代だからこそ、リアルな痛みの教育が必要。

 子供を転ばさない、と江原さん。
  何でもお膳立てしてしまう。
  喉が渇く前に水を与えてしまう。
  親はその方が楽だから。言葉ばかり言うのも親の横着。
 
★いじめの原因

 いじめの原因の一つは自分可愛さ、と義家さん。
  いじめられないためにいじめる側に回る。
  その意識の中でいじめが広がっていく。
  まずは、一人ひとりが認められること。

 いじめは犯罪と、江原さん
  「いじめ」という軽い言葉でごまかさない。

 恥と誇りを教えるべきと、美輪さん
  恥と誇りを教えること。自分は最下等の人間だと触れ回っているようなもの。
  不良を更正させるには上からものを言ったりいい人になってはいけないの。

 子どもたちは、恥に異常に反応すると、義家さん。
  プライドが高いから本気になって反抗してくる。
  反抗するのは、心に響いている証拠。突破口の一つ。

 不良を更正させるには、上からものを言ったり、いい人になってはいけない。
  もっと悪じゃなきゃダメ。
  自分より上手がいたのか、とびっくりすると、美輪さん

★参議院議員になって

 自分を救ってくれたのは真剣な熱そのものだった。
  参議院議員になって本会議場に行った時一番びっくりしたのは学級崩壊してる。
  野次があったり、携帯の着信音が鳴ったり、立ち上がる人もいた。

 ほんと、烏合の衆ですよと、美輪さん
  みんな冷静で知的でなければいけない。
  先進国のやることではない。

 こんなに政治家が尊敬されない国はないと、義家さん。
 
 選挙は命がけだった。
  街頭で顔につばをかけられたこともある。
  カッとなるよりも、何が起こったのか分からなかった。
  今までは先生と生徒だったが、まったくの他人にやられたことにびっくりした。

 今はゆとり教育の指導要領の改定作業が大詰めを迎えている。
  問題なのは、霞ヶ関・永田町に子どもたちの声が聞こえないこと。
  子どもたちの声を届けることは、自分にしかできない。

 永田町、霞ヶ関には情報が届かないと、美輪さん
  現代ではなく、江戸時代のままストップしている異次元。
  天国しか知らない坊っちゃん代議士は、地獄を知らない。
  地獄を知らない人に地獄にいる人を救うことはできない。
  地獄を見なければ、天国は分からない。
  義家さんのような人ばかりが代議士になれば、本当に世の中は良くなる。
  とんでもないことに今からいっぱい合いますよ。
  もう一段階、二段階上の地獄だから。

★ヤンキー先生を守る不思議な力とは

 苦しい時に必ず助けてもらえる。何に守られているんだろうと、義家さん

 優しさの原点は祖父母の愛と、江原さん
  無条件の愛。ずっと心の中に愛情が生きていて支えになっていた。
  祖父母はその愛情をもっと思い出して欲しい、と思っている。

 高校退学になった翌日に、祖父母から「お前が大学行くまで生きてるから」と言われた。
  ほんとうにボケてるじゃないかと思った。
  合格したら二人で仏壇の前で泣いていた。

 やっぱり人間は愛なのよと、美輪さん

 誰にも愛されたことのない子もいる。
  愛されると戸惑ってしまうので救うのが大変。

 今、大事なのは、うざい人が大事なんです愛情が無ければ関心を持たないからと、江原さん
  どんなに「うざい」と言われても、そばに寄り添ってくれれば、そこに愛情を感じる。

 心の土台はお祖父さん、お婆さんにもらったと、義家さん
  自分が不良だったので迷惑をかけた。
  家を出た時もごめんなさい、という気持ちだった。
  大学に入るまで生きててくれて良かった。

 お祖父さん、お婆さんは自分自身の道を貫くことを信じていたからと、江原さん

★子供を持って

 お子さんをお持ちになって、子供に対しての親の愛がお分かりでしょうと、美輪さん

 ほんとうに分かりましたね。息子を叱る自分を見て父を取り戻していると、義家さん

 子供は先生と、江原さん
 教えることで自分も教わるのと、美輪さん

 ドラマをやったんですけど「いのちのいろえんぴつ」12色の色がある。
  目立たない色もあるけどみんな頑張ってる。
  ひとつひとつ先生役だったけど、国分太一として教えられた。

 12色集まると引き立て役になってみんな目立つようになるんですけどねと、江原さん
  どの色もみんな必要ないい色なんですよと、美輪さん

★素直な表現が出来ない親子

 愛し方が下手な家系と、江原さん
  素直な表現ができない親子だった。
  表現力が乏しかった。
  父親の本音を聞いたことがないし、自分も本音で向き合ったことがない。
  父親が倒れて初めて泣いて、こんなに憎んでいた人を実は愛していた、と思った。

 でもお父さんずーと見てるんですよと、江原さん
  嫌だなと、義家さん

 お父さんは弱みを見せない人と、江原さん
  義家さんに似ている。
  父親のおかげで、同じ資質を持ちながらも全く違う人生を歩める。
  あの時勘当されなかったら今はないと、義家さん
  こんな頑固、突っ走る人はいない。
  誰の言葉も耳かさないタイプの人ですよ。

★政治家の道そこには多くの難題が

 みんなのサポートが必要、ものすごく傷つくんですよと、江原さん
  傷つくんですよ、彼らは頼ってくれて、ちゃんと向き合う。
  彼らの荷物は重い、心を共有するとズタズタになる。
  政治の世界に入ったのは傷つくためではなく成し遂げる為。
  教育のシステムを変えなきゃいけないと、義家さん

 焦りすぎないように、今は現実をリサーチしている時と、江原さん
  1年間はおとなしくしなさいと言われて、おとなしくしてるんですよ。
  とにかく勉強をしてますと、義家さん

 こんなに悪いやついるのか。
  いっぱい会ますよこれから。ピュアだから傷つきます。
  ヤンキー時代思い出せばいいんです。
  相手は手ごわいですからね。
  もう一段階もニ段階も上の地獄だからと、美輪さん

 孫悟空みたいなところがあるんですよ。
  注意したい時、必ず腰が痛くなるんですと、江原さん

 孫悟空の輪、観音様がダメという時、キュと輪が締まるでしょと、美輪さん
  それはほんと、100パーセントそうです。
  いかんという時、痛くなるか、だるかなるか、どちっかと、義家さん

 メッセージなんですと、江原さん
 注意しなさいという時にと、美輪さん
 誰から来るんですかと、義家さん

★メッセージをくれているのは観音様

 観音様からです、お祖父さん、お婆さんはそういう信仰がありましたよ。
  ここって時に助っ人が入る。
  家の仏壇には観音様があります、善光寺さんにはよく連れて行かれました。

 結構守られていますよ、タイヤのパンクもと、江原さん
  たまたまパンクを発見したのがインターを降りたとこで、
  その隣にタイヤ屋さんがあってと、義家さん

 そういう力を得られるのは自分以外で生きる人のみですよと、江原さん
  神仏のご加護を受けたかったら受けられる資格になりなさいって。
  ピュアな心を持っているから受けられる。
  その逆の人は助けも受けられないと、美輪さん

 すごく勇気ずけられました。
  パンクはビックリしましたよ、ほんとうに。

 有り難いわね、ご家族だけじゃない、他にいっぱい援護射撃をするひとがいる。
  敵が幾万いようと、こっちに見方があるということねと、美輪さん

 回りや上の人が助けてくれると思いますのでと、国分さん

 肝に銘じてまた必死に頑張って行きたいですね。
 今日はほんとうに有り難うございましたと、義家さん


★「スピリチュアルメッセージ」

 今の世中に必要なのは義家さんのように「うざい」方しばらくは焦らず情報収集の時、その後に戦略で挑む時がきます。

★「オーラの言葉」

 天国しかしらない坊ちゃんに地獄にいる人を救うことはできない、不良を更正させれのは同じ道を歩いたことがある人の言葉。
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2008年01月26日

【オーラの泉】義家弘介さん

 本日(2008/01/26 19:57〜)のゲストは真剣勝負で不良生徒と向き合う、ヤンキー先生こと義家弘介さん。

 ドキュメンタリー番組「ヤンキー母校に帰る」や同名のドラマで一躍時の人となった義家さんだが「…いつもは”負けないぞ!”って踏ん張ってる感じですが、今日は本当に久しぶりにピュアな心で…ちょっとドキドキしてます。」と、いつになく緊張した面持ちで登場。

 そして自身が歩んできた、激動の半生を静かに、語り始めた…

 生後間もなく両親が離婚。

 新しい環境・新しい家族との確執に悩みながら育った少年時代。そして… 暴力という力に目覚め、ヤンキーの道へ。

 悪さに明け暮れ、高校から退学処分を受けてしまう。

 家からも絶縁され、行き場を失った義家さんが辿り着いたのは北海道にある北星学園余市高校

 そこは全国から高校中退者を受け入れる、義家さんに最後に残された場所だった。

 紆余曲折を繰り返しながらも、様々なことを学び、大学へと進学した義家さん。

 「”絶対に天下をとってやる!”これがあの頃の口癖だった。」

 社会に対する反抗心を剥き出しに、ギラついた野心で司法試験を目指していた大学時代。

 その時、大きな悲劇が義家さんを襲った…

 オートバイの事故を起こし、内臓破裂で生死の境を彷徨うことになってしまう。

 「…激痛で気を失って、激痛で目を覚ます。で、血をひたすら吐き続ける。ずっと”殺してくれ!”って叫んでた。」

 当時の壮絶な様子を語る義家さん。

 しかし、それは苦しみだけでなく、大きな人生の転機へとつながっていく。

 「…はじめて人の温かさを感じた。本当に心のそこから生きたい。この人の歩いてきた教育の道を歩きたい、と思ったんです。」

 入院中に、駆けつけてくれた恩師からの一言…

 その後、念願通り教師となり、指導者として自身が育った北星学園へと戻った義家さん。

 「うまく行かないことばかりでしたね…でも、逃げないことが教育なんじゃないかと。」

 生徒と同じ目線に立ち、正面から向き合う教育者としての熱い志を語るヤンキー先生。

 その義家さんが今回、一番聞きたいのが、「…窮地に陥ると必ず誰かが助けてくれる。誰に守られてるのか…それが知りたい。」

 不遇な境遇からの自立…死の淵からの生還… 義家さんを守る不思議な力とは…?

 そして「…すごい所に来てしまったな、と。 国会の様子はまるで学級崩壊のようだった。」

 今は国会議員となり、日本の教育改革の最前線に身を置くという新たな試練へと進み始めた義家さん。

 その義家さんが、なぜ今回「オーラの泉」に招かれたのか!?

 そこには大きな理由が…!!

 校内暴力…いじめ…

 全ての悩める少年少女に義家さんから勇気のメッセージが届けられる!

義家 弘介(ヨシイエ ヒロユキ)

プロフィール

 1971年3月31日(36歳)
 出生地 長野県長野市
 出身校 明治学院大学法学部卒業
 O 型 牡羊座
 参議院議員(自民党)、東北福祉大学特任准教授

■1971 年3月31日 3月31日長野県長野市に生まれる。
■1987 年 高校2年の春、暴力事件を起こし、放校処分を受ける。同時に親からも絶縁され、児童相談所を経由し里親の元へ引き取られる。
■1988 年 廃校の危機を迎えた北星学園余市高等学校が、全国から中退者を受け入れるという新聞記事がきっかけとなり、傷心の思いをひきずりながら、同校の門を叩き編入。
■1990 年 明治学院大学法学部入学。
■1993 年 大学四年の秋、オートバイで交通事故を起こし、内臓破裂で生死をさまようが、高校の恩師、安達先生が駆けつけ、手を握り締め励まし続け、奇跡的に命を取り留める。意識を取り戻した後は、自らの考え方・生き方を変え、教師になる決心をする。
■1999 年 採用試験に合格し、母校の教師になる。
■2001 年9月 同校、大麻事件で大量逮捕者を出し、学校存続の危機に陥る。
■2003 年4月 北星学園余市高等学校の過去15年間のドキュメンタリー番組『ヤンキー母校へ帰る〜超不良が母校の熱血教師に!日本一泣ける卒業式まで・・・』が放映される。
■2003 年10月 TBS系列ドラマ『ヤンキー母校に帰る』(竹之内豊主演)が放映され、話題を集める。
■2005 年3月末日 母校北星学園余市高等学校を退職。
■2005 年4月 横浜市教育委員会教育委員に就任。
■2006 年4月 東北福祉大学特任講師に就任。4月〜12月、警察庁「バーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会」研究員に就任。
■2006 年10月 内閣官房「教育再生会議担当室」室長に就任。
■2007 年4月 東北福祉大学特任准教授に就任。
■2007 年6月 『教育再生』を提言から実現のために、参議院選挙立候補を決意。内閣官房教育再生会議担当室室長と横浜市教育委員会教育委員を辞任。7月29日、参議院選挙当選。『教育再生』実現への新たなスタートをきる


《参議院議員》

 ○参議院所属委員会 (順不同)
  文教科学委員会
  議員運営委員会
  沖縄及び北方問題に関する特別委員会

 ○党役職 (順不同)
  広報本部文化スポーツ次長
  青年局次長
  青年局学生部副部長
  豊島区顧問
  無所属の会青年局次長
  学校マネジメントに関する小委員会 事務局次長
  頑張る学校応援団 幹事

《新聞連載》

 産経新聞 首都圏版

《雑誌連載》

 集英社LEE『読者のお悩み相談室』
 角川春樹事務所・Popteen 『POP&義家先生のお悩み相談BOX』
 リラク月刊情報誌・美楽 『教育乃学』
 月刊アミューズメントプレスジャパン『ヤンキー母国を憂う』

《ラジオ》

 ニッポン放送系列 『義家弘介の夢は逃げていかない』 (毎週日曜24:00〜25:00 生放送)
 メイン・パーソナリティ
 エフエム横浜 『Y-Y-Y』 (毎週金曜25:00〜27:00 生放送)
 メイン・パーソナリティ

《著書紹介》

 「不良少年の夢」(光文社)
 「ヤンキー母校に生きる」(文芸春秋)
 「まんが熱血!ヤンキー先生 母校と泣いた日」(ぶんか社)
 「ヤンキー先生のたからもの 天使の詩」(光文社)
 「ヤンボコ 俺が北星余市を去るまで」(文芸春秋)
 「君はひとりじゃない ヤンキー先生の直球メッセージ」(大和出版)
 「私の夢 俺の希望」(PHP研究所)
 「子どもが見えない」(ポプラ社)
 「ヤンキー先生の教育改革 すべては子どもたちのために」(幻冬舎)
 「不良少年の夢 ヤンキー先生の熱き挑戦」 (光文社)
 「生きる」 (スターツ出版)
 「いま、暗闇でふるえているきみへ」 (光文社)
 「ヤンキー先生の子供がわからない親たちへ」 (祥伝社)
 「人生の黒板」 (アスキー)

オーラの泉『義家弘介』(詳細版)は、下記に掲載しました。

  http://nikki-yasu.seesaa.net/article/81152239.html
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2008年01月10日

【オーラの泉 スペシャル12】 愛の話〜不思議な話〜

1月12日(土)夜7時から


 新年最初の2時間スペシャルは、スペシャルゲストを迎えてのトークの他に
 お馴染み、大好評コーナーの「オーラな出来事」、 そして 昨年、様々な話題を呼んだ「オーラの泉」に出演した
 ゲストの皆さんが「オーラの泉」で伝えられたメッセージとは、どんなものだったのか…
 豪華な過去出演者を振り返る「オーラの泉」ならではの名場面集も
 お送りします! 
 
 
 スペシャルゲストは、 お笑い芸人の陣内智則さん。
 昨年、日本中が驚いた、女優の藤原紀香さんとの突然の婚約発表。
 日本一の幸せ者として注目を集めた陣内さん。
 しかし、それまでの道は困難なものだった…
 漫才コンビとしてデビューするもわずか3年で解散、
 相方が芸能界を去り一人残される…
 職がない辛い時期を味わいながらも、一念発起してピン芸人として
 再び舞台に…
 その後、次々にチャンスをものにしながらその名を全国区に広げて行き
 紀香さんとの結婚も果たした陣内さんだが、
 なんと「現状に全く満足出来ない」という…
 紀香さんとの衝撃の結婚の意味、夫・陣内智則の素顔、
 驚きの前世が解き明かされる!

 更に、世界中で起こっている不思議な出来事を
 美輪・江原が読み解く「オーラな出来事」!
 今回は、アメリカで19年前に亡くなった息子から届いたという手紙…
 残された家族への愛情が呼んだ、奇跡の出来事とは!?

 そして、昨年話題になった
 あの人が「オーラの泉」に出演した時、どんなメッセージを貰っていたのか…
 ゲストの最新インタビューも交え、それぞれの人生の転機に
 「オーラの泉」が伝えたメッセージを振り返る豪華な名場面集も! 
 

★2008年新春。今年最初のゲストはお笑い芸人の陣内智則さん。

 昨年、日本中が驚いた 藤原紀香さんとの結婚…
 今、日本一幸せなお笑い芸人がオーラの泉に導かれた理由とは…?

 2人組の漫才コンビとして芸能界デビューするも”笑い無い、人気無い、
 仕事無い“という日々が続いて解散、しばらく無職に…
 しかし、たった一人舞台に立ち芸を披露するピン芸人として
 再び芸の世界に舞い戻った陣内さんは、
 出場したお笑いコンクールで優秀新人賞を獲得。
 その後、順調にピン芸人として活躍を続け、
 人気のお笑い芸人へと成長した陣内さん。
 そして、あるドラマの出演が大きく運命を変えた…
 共演したのが、後に陣内さんの奥さんとなった女優・藤原紀香さん
 ドラマのクランクアップの日に陣内さんが、
 お礼を込めて渡した手紙から始まった真剣交際…

 「毎日、連絡を取り合うようになっていく中で、僕も好きになっていって…
 彼女(藤原紀香)は “私がこんな人を好きなわけがない!”って
 抑えていたらしいんですよ(笑)」
 国分「甘酸っぱいですね、話が! めちゃめちゃ甘酸っぱい!!」

 後に大ニュースとして日本中を駆け巡った2人の恋の知られざる真相…
 そして、幾多の困難を乗り越えて2人はめでたくゴールイン。

 「妻がスピリチュアルな事に興味があって。
 僕のために数珠を選んでくれたり、…」
 紀香さんが選んだという数珠を見せながら今、
 語られるスピリチュアルな夫婦生活。

 そんな陣内さんが今、一番聞きたいことが
 「格差婚と言われてるが、その格差をどのようにしたら、縮められるのか?」
 という事。

 「でも、すごい亭主関白!」
 「しかも頑固だし… 紀香さん位の人じゃないと、
 とてもじゃないけど陣内さんの奥さんは務まらない! 」
 美輪・江原が見た夫・陣内智則の驚きの素顔、
 衝撃の結婚に隠された意味が解き明かされる。

 更に幸せ一杯に見えながら
 「…実は、現状に全く満足出来ていない」と胸の内を明かす陣内さん。
 その思いの裏側にある、驚愕の前世とは!?
 そして、美輪から今後2人がうまくやっていくためのアドバイスも…!!
 全ては土曜よる7時 明らかに…
 


オーラな出来事 “天国の息子から届いた手紙”

  ゲスト 研ナオコ、梅沢富美男、酒井美紀


 今も、世界各地で起こっている摩訶不思議な現象や事件…
 なぜそんな現象が…?
 そこにはどんな意味が…?
 過去、オーラの泉で好評を博した豪華ゲスト陣を迎えて
 美輪・江原が「オーラの泉」ならではのスピリチュアルな視点で
 世の中に存在する多くの不思議を解き明かしていく…
 今回はアメリカで起こった感動の出来事! 
 
 2003年、フロリダの海岸に流れ着いたある小さな瓶。
 その中には手紙が入っており、
 それは19年前にオハイオ州に住む少年ロジャー君が書いたものだった。
 「拾ってくれた人へ是非返事を書いて、
 この手紙が無事に誰かに拾われたことを僕に教えて下さい。」
 子どもらしい可愛いアイディアで、密かに返事がくるのを待っていた
 ロジャー君だったがその後、不慮の事故で帰らぬ人となってしまう…
 息子の死の深い悲しみから抜けられなかった母…
 しかし、その息子への思いが遠く離れたフロリダで奇跡を呼んだ!
 瓶を流してから19年後、ある一軒の家の前に流れついたロジャー君の瓶。
 拾い上げた中年男性が「何がなんでも届けねば…!」と強く思ったという、
 中年男性が手紙に感じたという”不思議な縁”…
 様々な努力の末にロジャー君の母にその手紙が渡った日とは、
 ロジャー君の命日だった…!
 亡き息子の手紙が19年ぶりに母の下に届けられる奇跡…
 その奇跡が生まれるまでに信じられないように重なり合った偶然の連続…
 1通の奇跡の手紙を巡る心温まる感動のストーリーが! 


★それぞれの転機、オーラの泉が伝えたメッセージ

 そして、新春第1回目の放送に相応しい特別企画!
 昨年話題になった あの人が「オーラの泉」に出演した時、
 どんなメッセージを貰っていたのか…
 ゲストの最新インタビューも交え、それぞれの人生の転機に
 「オーラの泉」が伝えたメッセージを振り返る豪華な名場面集も! 
 
 総集編に登場予定のゲスト; 

 小泉孝太郎
  元総理の息子ながら芸能界へ…
  政治を離れ俳優の道を選んだ孝太郎さんに伝えられた意外な未来とは!?


 島田洋七
  ベストセラーとなった「がばいばあちゃん」。
  島田さんの成功の理由、そして、ばあちゃんが伝えるメッセージとは!?


 堂本光一
  デビュー10周年を迎え益々活躍を続けるKinKi Kids。
  光一さんの知られざる素顔が…!


 内藤大助
  ボクシング WBC世界フライ級王者。
  世界戦の直後に番組に訪れた内藤さんも驚愕!
  江原から伝えられたこととは?


 中井貴一
  名優だった亡き父が伝える思い…
  そして予告されていたその後の人生の展開とは!?


 中村俊輔
  サッカー日本代表。
  日本が世界に誇るクールな天才司令塔も驚いた、
  美輪・江原が見たものとは!?


 向井亜紀
  子宮がんの末、代理出産を経て2児の母となった向井さん…
  ゴールデン進出の第1回目で伝えられた感動のメッセージ。

posted by yasu463 at 23:23| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 江原啓之 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月25日

【スピリチュアリズム8つの法則】江原啓之

1. スピリットの法則

たましいの世界(霊)は永遠である。 肉体は滅ぶが、魂は永遠に存在する。 

つまり、全ての人には前世があるのです。

2. ステージの法則

階層の法則。 魂には色々な階層(ステージ)がある。 もっとも大切なことは今の時間を大切に過ごすことである。

3. 波長の法則

類は友を呼ぶ。 同じ波長を持っているものは引き合う。 そうでないものは、反発する。 

4. ガーディアン・エンジェルの法則

皆、たましいの親がいて、我々を見守っている。 時には修行のため、苦しみを味わっていても、じっと見ていてくれる。

5. グループ・ソウルの法則

たましいの故郷。 人類は人種、肌の色、言葉、性別に関係なく「皆ひとつ」である。

6. カルマの法則

自ら蒔いた種は自分で刈り取ること! 責任主体は全部自分に戻ってくる!

7. 運命の法則

宿命は変えられないけど、運命は変えられる!

8. 幸福の法則

世の中、突き詰めれば、全員「家族」です。

posted by yasu463 at 21:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 江原啓之 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

スピリチュアリズムとは

 スピリチュアリズムの始まりは、1848年、アメリカのハイズビューという村にあった一軒の家で起こったポルターガイスト事件です。

 その家には幼い姉妹がいました。頻発するラップ現象の中で、彼女たちはあることを思いつきました。ラップを使ってオバケと話そうというのです。

 「オバケさん、もし本当にいるのなら私が手を1回叩くから、同じ数だけ叩いてね」
 そう言って手を叩くと、「ピシッ」と答えが返ってくる。2回叩くと2回ラップ音がする。こんな具合に霊界との交信は始まったのです。

 それが次第に高度になり、アルファベットをたどりながらの交信までできるようになったのです。幼い彼女たちのアイデアは人類が偉大なプレゼントを受けとる最初の一歩をつくったのでした。

 その交信の結果、そのオバケの正体はチャールズ・ロスナーと名乗る行商人で、かつてこの家の住人に殺され、家の地下に埋められていることがわかりました。

 当時、科学のメッカといえば英国でした。そこで英国の科学者たちがこぞってこの村の調査に入ったのです。その中には、作家のコナン・ドイルもいました。(日本で話題になった妖精映画「フェアリーテイル」の中にも彼が登場しましたが、この物語は実話なのです。)

 その後もその不思議な現象は英国でさらに研究されました。その研究所は当時ケンブリッジ大学にあり、研究者としてタリウム元素の発見者であるウィリアム・クックスやノーベル賞を受賞した生理学者シャル・リシェなどが名を連ねていました。彼らは、この頃誕生したミーディアム(霊媒)を使った実験で、さまざまなスピリットとの交信に成功しています。特にこの時代はエクトプラズムとして出現したスピリットとの対話が盛んでした。これらの研究によって彼らはスピリット、スピリチュアル・ワールドの存在を確信するにいたったのです。

 それから、私たちがなぜ生まれて生きるのか、本当の幸せとは何かという真理を探究するようになったのです。
 これは人類にとっての偉大な福音となりました。

 これらの霊交による思想をスピリチュアリズムと呼ぶようになり、私のようにその思想に従い、生きる者をスピリチュアリストと呼ぶようになったのです。

 1848年に起こったポルターガイスト事件は単なるオバケ騒動ではありません。私たちに霊性の目覚めを起こすためのスピリチュアル・ワールドからのメッセージだったのです。

 この150年にも及ぶ流れは現在まで連綿と続いています。コナン・ドイルも会長を務めたSAGB(英国スピリチュアリスト協会)は現在もあり、私も会員です。スピリチュアリズムをさらに研究するため英国へ留学したときも、このSAGBで特に多くのことを学びました。

 また、英国にはカレッジ・オブ・サイキック・スタディーズといったスピリチュアルの学校もあり、その他ヒーリングの団体も多数あります。ヒーラーは1万人以上います。その中の一つで世界中に会員を持つWFHという連盟に、私も所属しています。そこに入会するには、各団体でレクチャーを受け、いくつものテストにパスしなければなりません。英国のスピリチュアリズムはそれほどアカデミックなのです。

 英国ではスピリチュアリズムが広く認知されていますが、その理由の一つとして英国王室がこの分野にとても造詣が深いことがあげられます。

 現在の私のスピリチュアリズムは、英国で学んだこのスピリチュアリズムの土台をもとに、自分のインスピレーションによって得たスピリチュアル・ワールドからのメッセージを加えたものです。

 日本はもともと精神性の高い国です。これからは日本が精神性の高い生き方を示して世界をリードしていかなければなりません。
 日本では「スピリチュアル」という言葉をどう訳すか議論されています。なぜなら、一番的確と思われる「霊性」という言葉を用いれば「霊(たましい)」を認めざるをえなくなるからです。

 WHO(世界保健機構)でも1998年に、人間の健康の条件の中に「スピリチュアリティー」という言葉を加えることが、議論された事もあるのです。

 「非科学的」だとして、スピリチュアルな世界を信じようとはしなかった人々も、変わらざるをえないような状況になりつつあります。日本をはじめ、世界は今、新たなる「心の夜明け」を迎えようとしているのです。

江原啓之

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三国志武将診断♪
アナタはどの武将??
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