2013年09月04日

藤圭子さんベスト盤、圏外から50位に急上昇

 先月22日に自殺した歌手、藤圭子さん(享年62)のベスト盤2作が9日付オリコンアルバムランキングで急上昇。2005年10月発売の「GOLDEN☆BEST 藤圭子」が300位圏外から50位、10年12月発売の「ゴールデン☆ベスト 藤圭子ヒット&カバーコレクション 艶歌と縁歌」が203位から64位にランクインした。

 さんのアルバムTOP100入りは1974年12月2日付の「命火」(78位)以来、38年9カ月ぶり。

ラベル:藤圭子
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2013年04月29日

「あーあ、やんなっちゃった」牧伸二さん死亡 ウクレレ漫談家、自殺か 78歳

 29日午前0時15分ごろ、東京都大田区田園調布本町で、ウクレレ漫談家の牧伸二=本名・大井守常=さん(78)が橋の上から多摩川に飛び込み、病院に運ばれたが、間もなく死亡が確認された。

 警視庁田園調布署は自殺とみて、詳しい経緯を調べている。

 同署によると、牧さんの自宅は大田区内にあり、同区と川崎市を結ぶ丸子橋から多摩川に落ちた。

 搬送時には意識不明の状態だった。遺書などは見つかっていないという。

 事務所のホームページなどによると、牧さんはウクレレを弾きながら社会を風刺する「やんなっちゃった節」で人気を集め、平成15年に文化庁長官賞を受賞。

 14年には脳内出血で倒れたが、その後、舞台に復帰していた。

 牧さんが会長を務める東京演芸協会の関係者によると、28日午後1時半から上野広小路亭(台東区)で舞台に出演し、浅草に移動。

 同4時10分から東洋館(同)で舞台に出演する予定だったが姿を現さず、その後の協会理事会も無断欠席して連絡が取れなくなっていたという。



 牧 伸二(まき しんじ、本名:大井守常、1934年9月26日 - 2013年4月29日 )は、日本のウクレレ漫談家。牧プロダクション所属。東京演芸協会会長。血液型AB型。

 ハワイアンをアレンジした曲に、「やんなっちゃった」などのフレーズで社会批評を乗せて歌う、ウクレレ漫談の創始者。

 ギターに持ち替えたこともある。

 ベテランになってからもレゲエやロックンロールにも挑戦した。弟子に泉ピン子、牧ひろし、牧正らがいる。


 東京府東京市目黒区で板金屋の5人兄姉の末っ子として出生し、間もなく向島に転居。

 中学の1年後輩に立川談志がいる。

 夜間高校に通いながら東亜計器に勤める。

 高校1年のころ牧野周一の漫談をラジオで聞き、浅草の話術同好会「話術クラブ」に入る。

 高校卒業後、1957年にラジオ東京(現TBSラジオ)の『しろうと寄席』で7週連続で名人位を獲得。

 この実績をもって牧野に正式入門を許され、牧伸二の芸名をもらうと共に、ウクレレ漫談を薦められた。

 当初の芸名は「今何度」(いま なんど)。

 当時勤務していた東亜計器が温度計を製造していることに由来する。

 1962年に結婚した妻は東亜計器の専務の一人娘である。

 無名時代に美空ひばりの地方公演巡業の前座を務めた際、漫談が余りにも面白く会場を沸かせるため、ひばり母子に気に入られ、ひばりの母は「牧さんは今にスターになるわよ。見ててごらんなさいな」と、近い将来のブレークを予言していたという。

 歌うボヤキ漫談『やんなっちゃった節』で人気者になり、早くも1960年に文化放送でレギュラー番組『ウクレレ週刊誌』を持たされる。

 この『やんなっちゃった節』は、『タフア・フアイ』(英題"Hawaiian War Chant"、ハワイ先住民のポリネシア人の戦意昂揚歌)をアレンジしたもので、時世に応じた1500余の歌詞ストックがある一方、牧自身も舞台で原曲を披露することがある。

 1963年には日本教育テレビ(NET、現テレビ朝日)の演芸番組『大正テレビ寄席』の司会に起用され、番組が終了する1978年までアロハシャツ姿で司会を務める一方、名物コーナー『マキシンのバーゲンセール』を通じて『あゆみの箱』チャリティ運動を広げた。

 また九州朝日放送の素人演芸会『マキシンの東芝ハレハレ555』等でも司会を務めた。

 1965年に第2回日本放送作家協会賞・大衆芸能賞を受賞し、喜劇映画・バラエティ番組などにも活躍の場を広げた。

 1973年〜1983年の間、日劇で『牧伸二ショー』を公演。

 浅草の芸人仲間からの信望も厚く、1999年に東京演芸協会の会長に就任した矢先、2002年に脳出血で療養とリハビリを余儀なくされる。

 復帰後の2003年に文化庁長官賞を受賞した。

 1976年から、同歳の長門裕之、坂上二郎、財津一郎、藤村有弘、藤村俊二、大橋巨泉、初代引田天功、伊藤一葉、五代目月の家圓鏡(八代目橘家圓藏)らと『昭和九年会』を主宰。

 デビュー以来在籍した佐藤事務所の解散に伴い、株式会社牧プロダクション(社長は弟子の牧ひろし)に所属。

 2011年7月3日、自宅でタバコの火の不始末からボヤを起こした。

 自身と妻、娘の3人で消火にあたり、消防車が到着した頃にはほぼ鎮火していた。

 2013年4月29日、東京都大田区の多摩川丸子橋付近で投身し、死亡が確認された。入水自殺とみられる。

 78歳没。


★著書
あーやんなっちゃった 泣き笑いウクレレ人生(報知新聞社、1965年12月)
牧伸二のウクレレ人生(みくに出版、1995年8月)ISBN 4895244857
マキシンのウクレレ教室 オリジナルCD付(ドレミ楽譜出版社、2003年6月)

★レコード
ヤんなっちゃった節/あのさ都々逸(1961年7月)
アイウエオ節/新ヤンナッチャッタ節(1962年2月)
あゝやんなっちゃた/御前さま(1964年12月)
殺し文句/銀座で逢いましょう(1968年5月)
ハレンチブルース/サラリーマン音頭(1968年8月)
ネオン花/キャバレー・ブルース(1969年4月)
牧伸のジンジロゲ/「週間マキシン」発売中(1971年9月)
マキシンのソウル・それはないじゃないか!!/ナベヨコ・ソウル(1977年8月1日)※牧伸二とブラックジャック
タクシー行進曲/ゴルフ・ブギ(1985年12月)

★CDシングル
ヤンナッチャッタレゲエ/ホンモホンモ(1991年12月)※牧伸二・日の丸ライオン楽団名義
ダンジィの応援歌(2001年7月)
いったい私はなんなのよ(2003年5月)
牧伸二古希70才記念 コキコキロック70(2004年5月)

★CDアルバム
牧伸二のウクレレ人生(2005年1月)

★主なテレビ出演
大正テレビ寄席(1963年 - 1978年、NET) - 司会進行
ひょっこりひょうたん島(1964年 - 1969年、NHK)
大忠臣蔵(1971年、NET) - 半次
ニセモノご両親(1974年、TBS) - 菊之助
ポーラ名作劇場 / 美しい悪魔たち(1981年、ANB)
本日も晴天なり(1981年 - 1982年、NHK)
火曜サスペンス劇場 / 影なき殺意(1982年、NTV)
土曜ワイド劇場 / 森村誠一の侵略夫人(1984年、ANB)
続・たけしくん、ハイ!(1986年、NHK)


<プロフィール>
 1957年 牧野周一に入門、牧伸二の芸名を貰う。
 '60年、文化放送「ウクレレ週刊誌」のレギュラー司会者となり「やんなっちゃった節」が爆発的な人気を呼ぶ。
 '63年、レギュラー司会者をつとめたテレビ朝日「大正テレビ寄席」が大好評、15年間続く長寿番組となる。
 '65年、第2回日本放送作家協会賞「大衆芸能賞」を受賞。
  その後、テレビドラマ出演、夏のレゲエライブの開催、テレビCM、CD、絵画と多方面で活躍する。
 '96年より毎年、絵画(アクリル画)の個展も開催。
 '99年、東京演芸協会会長に就任(5月)
 '03年12月3日文化庁長官賞を受賞した。
 '03年には、初めての演歌にも挑戦。
 '04年3月浅草演芸ホールにて、文化庁長官賞受賞記念(古希70才)特別公演を行う。

<CD・書籍>
 '93年 芸能生活35周年記念CD「ナンセンス・アイランド/マキシン」発売
 '00年 教則本「マキシンのウクレレ協会」(ドレミ楽譜出版)発売
 '01年 7月21日、CD「ダンジイの応援歌」発売
 '03年 5月7日、CD「いったい私はなんなのよ」発売。初の演歌に挑戦
 '04年 3月、70才(古希)記念CD「コキコキロック70」発売

<TV・CM>
 '94年 日新食品「こってりんこ」/ナショナル住宅「パナホーム」/ナショナル「パルック」
 '98年 アース製薬「ピレパラアース」
 '03年 メンズプラザアオキ「2003年春夏・新作発表」で菊川怜と共演
 '03年 9月「開運!なんでも鑑定団」に出演

<絵画個展>
 '96年 3年続けて、新宿三越にて絵画個展を開催
 '00年 渋谷東急本店にて、個展「渋谷でマキシン展」を開催
 '02年 銀座三越にて「牧伸二絵画展〜富士とダイヤモンド〜」を開催
 '03年 甲府デパート岡島にて「牧伸二絵画展〜富士山展」を開催

牧伸二ホームページ
 http://www.jap.co.jp/makishin/index.html

★本当に不思議な水(ニセモノではありません)
 強命水「活」

ラベル:牧伸二
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2012年10月27日

歌手の桑名正博さん死去

 「セクシャルバイオレットNo・1」などのヒット曲で知られる歌手の桑名正博(くわな・まさひろ)さんが26日午前11時44分、心不全のため大阪市内の病院で亡くなった。59歳。通夜は29日午後7時、葬儀・告別式は30日午前11時半、大阪市阿倍野区阿倍野筋4の19の115、大阪市立葬祭場やすらぎ天空館で。喪主は妻、栄子(えいこ)さん。

 桑名さんは7月15日早朝、大阪市内の自宅で倒れ、同市内の病院に緊急搬送、意識不明の重体が続いていた。

 昭和28年、大阪市生まれ。中学時代からギターを始め、音楽の道に入った。46年、ロックバンド「ファニーカンパニー」を結成、翌年、「スイートホーム大阪」でデビュー。

 その後、バンドを解散し、ソロ活動を展開。独特のしゃがれた歌声で、「哀愁トゥナイト」(52年)、「セクシャルバイオレットNo・1」(54年)など次々にヒットを飛ばし、一世を風靡した。

 歌手活動以外にも、俳優として映画やテレビ、ミュージカルなど多方面で活躍。親しみやすい大阪弁と気さくな人柄で知られ、約20年前から生まれ育った大阪に本拠地を移し、ライブ活動などを行っていた。

 阪神大震災では被災地でボランティア活動を行ったり、障害者施設でライブを行ったりするなど福祉活動にも意欲的だった。

 55年には歌手のアン・ルイスさん(56)と結婚、長男で歌手の美(み)勇(ゅう)士(じ)さん(31)が誕生したが59年に離婚した。

 今年で歌手生活40周年を迎え、11月には記念のベストアルバムを発売しようと準備が進められていた。

出 生 1953年8月7日
血液型 A型
学 歴 甲南高等学校(兵庫県)中退
出身地 大阪府大阪市天王寺区
死 没 2012年10月26日(満59歳没)

1953年、1830年創業の廻船問屋「桑文」(現・桑名興業)の7代目の跡取りとして生まれる。家庭には女中が2名おり、両親と妹の4人家族だが700坪の邸宅で育った。
1957年勝山幼稚園入園。
1960年大阪市立住吉小学校入学。
1967年兵庫県芦屋市の甲南中学校入学。
1969年大阪市立阪南中学校へ転校。
1970年大阪万博でアルバイトをしたのをきっかけに、サンフランシスコへ行く。
1971年に帰国後、ファニー・カンパニー結成。
翌1972年に「スウィートホーム大阪」でデビュー。
1973年『ファニー・カンパニー』
1974年『ファニー・ファーム』と2枚のアルバムを残し、同年解散。
1975年にソロ活動を開始し、
1976年、RCAからアルバム『Who are you?』をリリース。
1977年、当時のRCAの担当ディレクターだった小杉理宇造の紹介で筒美京平と出逢う。筒美は作詞に松本隆を指名。同年6月には二人の作品『哀愁トゥナイト』が発売される。その後も『サード・レディー』など松本・筒美コンビのシングルをリリースし続ける。
1977年9月に大麻とコカインの使用で書類送検された。さらにコカイン常用の証拠隠滅を図ったことで10月12日に麻薬取締法違反容疑で逮捕され、懲役2年執行猶予3年の有罪判決を受けた。
1979年発売のカネボウ化粧品キャンペーンソング『セクシャルバイオレットNo.1』は、チャート1位を獲得する大ヒットを記録。代表作のひとつとなる。いわゆる「ロック歌謡」と呼ばれたジャンルがブームだったのもこの頃である
1980年3月5日にアン・ルイスと挙式し、10日に結婚を発表した。
1981年4月、芸名を桑名正博から桑名将大へ改名。読みは同じ。
1981年9月29日には、モデルをしていた19歳の女性ファンへの強制わいせつ致傷容疑で逮捕されるが、示談が成立して、不起訴処分となる。
同年12月25日には、大阪府警生活課と豊中警察署から、9月に大阪の実家で開いた大麻パーティーで大麻を使用とした大麻取締法違反容疑で取り調べを受け、容疑を認める供述をする。
1984年に、アン・ルイスと離婚。
東京に拠点を置いて芸能活動をしていたが、1990年から家業を継ぐために出身地の大阪に拠点を戻した。家業は港湾荷役、建設業、倉庫業を営む中堅企業「桑名興業」である。
1998年から2002年までは「THE TRIPLE X」というバンドを中心にして活動。その後はしばらく活動休止していたが、2009年8月以降、桑名・芳野以外のメンバーを入れ替えてライブを行っている。
2000年5月、桑名興業社長に就任。社長業が多忙なため、東京での芸能関係の仕事はほとんどせず、大阪中心に活動。2003年10月に吉本興業入り。
2012年7月15日早朝に大阪市内の自宅で脳幹出血により倒れ、意識不明の重体となる。
意識不明の状態が続く中の同年7月20日、ゲスト出演した『ライオンのごきげんよう』が放映され、その際には倒れる前の7月11日に収録されたものである旨が表示された。3回の出演予定だったが、残り2回は7月18日に収録予定だったため、出演はこの回きりとなった。
同年8月2日、入院先の病院で長引く闘病生活に耐えるため気道に注入された人工呼吸器を外し、気管切開の手術を受けた。
倒れてから長らく意識不明の状態であり、高カロリーの点滴(ラクトリンゲル)で栄養補給をしている状態が続いていたが、2012年10月26日に死去した。59歳没。

【シングル】
1.哀愁トゥナイト(1977.6.5) 作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:萩田光雄
2.薔薇と海賊(1978.7.5) 作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:鈴木茂,船山基紀
3.サード・レディー(1978.11.25) 作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:鈴木茂
4.スコーピオン(1979.4.21) 作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:桑名正博&Tear Drops,戸塚修
5.セクシャルバイオレットNo.1(1979.7.21) 作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:桑名正博&Tear Drops,戸塚修 カネボウ化粧品キャンペーンソング、オリコン1位獲得。
6.THE SUPER STAR(1979.12.1) 作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:桑名正博&Tear Drops,鈴木茂
7.ダーティーヒーロー(1980.5.1) 作詞:下田逸郎/作曲:桑名正博/編曲:桑名正博&Tear Drops 名義は桑名正博&TEAR DROPS。
8.ロンリネス(1980.10.5) 作詞:下田逸郎/作曲:筒美京平/編曲:桑名正博&Tear Drops
9.追跡ハートエイク(1981.3.5) 作詞:糸井重里/作曲:桑名正博/編曲:桑名正博,萩田光雄

ラベル:桑名正博
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2012年06月30日

地井武男(ちい・たけお)さん死去

★「北の国から」「ちい散歩」の地井武男さん死去

 ドラマ「北の国から」など渋い脇役でテレビや映画で活躍した俳優、地井武男(ちい・たけお)さんが東京都内の病院で死去していたことが29日わかった。

 70歳だった。葬儀・告別式は未定。

 俳優座養成所出身。昭和43年、映画「斬る」で俳優デビュー。

 その後、映画「戦争と人間」や、「北の国から」のレギュラーなどで活躍。

 俳優以外でもテレビ「ちい散歩」の案内人やバラエティー番組、CMなどで親しみやすいキャラクターを見せ、幅広い人気を得ていた。

 今年1月末から体調不良を訴えて療養していた。


★地井武男さん、「心不全のおそれ」で休養

 俳優の地井武男さん(69)は2月15日、病院での検査で心不全を起こすおそれがあると診断され、当面休養して治療に専念することを明らかにした。

 所属事務所によると、地井さんは1月下旬に視覚不良を訴え、検査入院。

 目の状態は良くなったが、検査で別の疾患が判明した。

 地井さんがレギュラー出演しているテレビ朝日の「ちい散歩」(月〜金、午前9時55分〜)は、2月29日以降、傑作選や名場面集を交えて放送する予定。

 地井さんが報道機関などに寄せたコメントの全文は以下の通り。


◇関係者の皆様へ

 このたびは、皆様にご心配をおかけいたしております。

 本日、心不全精査および治療を要すとの診断が下り、しばらくの間治療に専念したく、お休みさせて頂くことに致しました。

 ご迷惑をおかけし、心からお詫び申し上げます。

 地井武男


★高校卒業後、俳優座養成所に入り、68年に「斬る」で映画デビュー。

 テレビドラマにも数多く出演し「太陽にほえろ!」では刑事、「北の国から」では田中邦衛さん演じる主人公の友人を演じた。

 近年は「ちいちい」の愛称でバラエティー番組でも話題となった。

 東京近郊を歩いて紹介する番組「ちい散歩」(テレビ朝日系、関東ローカル)でも知られたが、ことし2月、体調不良を理由に番組の出演を中断。

 6月から入退院を繰り返していたという。

 2012年06月29日午前07時00分、心不全のため、東京都港区の病院で死去。

 享年 70歳

 葬儀・告別式は近親者で行う。

ラベル:地井武男
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