2007年09月12日

地上の星たちよ永遠に〜プロジェクトX〜BOX I

プロジェクトX 挑戦者たち DVD BOX IプロジェクトX 挑戦者たち DVD BOX I
販売元 : Amazon.co.jp DVD
価格 :
[タイトル] プロジェクトX 挑戦者たち DVD BOX I
[出演]
[レーベル] NHKエンタープライズ
[監督]
[種類] DVD

■商品紹介■
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 あの社会現象の裏側で、あの商品開発の現場で、人知れず展開されたドラマの数々。

 そこに登場するのは大半が「無名の日本人」。

 無名の人々の熱い思いを中心に描いた本作品は、失敗を恐れず大胆に挑んでいくことの尊さを訴え、感動とともに元気を与えてくれる。

 仕事や何かでつまずいたときにぜひ観たいシリーズである。

 シリーズ第I期の全9枚をセット。

1 「巨大台風から日本を守れ」〜富士山頂・男たちは命をかけた〜

2 「友の死を越えて」〜青函トンネル・24年の大工事〜
3 「ガンを探し出せ」〜完全国産・胃カメラ開発〜

4 「世界を驚かせた一台の車」〜名社長と闘った若手社員たち〜
5 「執念が生んだ新幹線」〜老友90歳・飛行機が姿を変えた〜

6 「海底ロマン!深海6500mへの挑戦」〜潜水調査船・世界記録までの25年〜
7 「厳冬 黒四ダムに挑む」〜断崖絶壁の輸送作戦〜
8 「翼はよみがえった 1」〜YS−11・日本初の国産旅客機〜

9 「翼はよみがえった 2」〜YS−11・運命の初飛行〜

【詳細は・・・・・・・】

1 「巨大台風から日本を守れ」〜富士山頂・男たちは命をかけた〜


 20世紀を変えた電気通信技術に贈られる技術界のノーベル賞「IEEE賞」。2000年の受賞は、日本が生んだ世界最大の気象レーダー「富士山レーダー」に決った。
 日本列島を台風から守るため、富士山頂に建設された巨大レーダーは、あらゆる意味で常識破りなプロジェクトによる産物だった。入札制度を無視して強行された「気象庁の官民プロジェクト」結成、標高3,700メートルという史上例のない高地での大規模土木工事。そして、乱気流が渦巻く世界有数の危険空域・富士山頂への巨大レーダー空輸など。
 昭和39年8月15日、元ゼロ戦パイロットが熟練の操縦技術でヘリコプターを操り、620kgにおよぶ巨大レーダーを富士山頂に送り届けることに成功。
 世界最大の気象レーダー建設に情熱を傾けた、官民プロジェクトの「不可能」への挑戦を描く。
 出演:見城 徹(幻冬舎社長)/松坂慶子(女優)


2 「友の死を越えて」〜青函トンネル・24年の大工事〜


 24年におよぶ歴史的難工事の末、完成した「青函トンネル」。最初のパイロット坑である「先進導坑」を掘り抜いたのは、鉄建公団の若き技術者と、トンネル工事のプロ職人74人を中心としたプロジェクトだった。
 複雑な地層を掘り進む海底掘削工事は、出水との戦いであった。プロジェクトは、試行錯誤の末、岩盤に細かな注入穴をあけ、高圧で特殊なセメントを流し込み地層を固めて掘り進むという新技術を開発する。
 しかし難工事のなかで死亡事故が続発。昭和44年に起こった大規模な出水事故を全員で乗りきったことが、その後の出水対策を飛躍的に進歩させる原動力となる。
 そして昭和58年、仲間の遺影が見守るなか、先進導坑貫通の瞬間を迎えた。青函トンネルに人生を賭けたトンネルマンたちの苦闘と情熱を描く。

 出演:なかにし礼(作家)/横山章(元日本鉄道建設公団)/大谷豊二(元日本鉄道建設公団 竜飛基地総号令)


3 「ガンを探し出せ」〜完全国産・胃カメラ開発〜


 人間の体内をのぞき、ガンを早期発見したい…。医学界、積年の夢を世界にさきがけて実現したのは、30代の若き日本人医師と技術者によるタッグ・チームだった。
 昭和24年、東京大学附属病院の外科医だった宇治達郎氏(当時30歳)は、死因の上位を占める胃ガンを早期発見するため、わずか12ミリのカメラの開発をオリンパス光学に持ちかけた。
 欧米でも不可能と思われていた超小型カメラの開発…宇治医師と技術者は、常識を越えた発想で難問に挑んでいった。
 レンズは顕微鏡磨きの名人に依頼、フィルムは市販の35ミリを6ミリ幅に切って利用。
 そして、何よりも一番難しかったのは、5ミリの電球だった。職人が何度も改良を繰り返し、ようやく完成した。
 敗戦間もない日本で、斬新な発想と、何にでも挑戦しようとする町工場との連携を武器に、世界が称賛する「胃カメラ」を完成させた男たちの熱気を伝える。

 出演:いしだあゆみ(女優)/丸山政人(電球職人)


4 「世界を驚かせた一台の車」〜名社長と闘った若手社員たち〜


 アメリカの「マスキー法」に定められた厳しい排ガス規制を初めてクリアし、世界をアッといわせたホンダの「CVCCエンジン」。驚異的な低公害エンジン誕生の陰には、社長・本田宗一郎氏と若き技術者たちの激しい格闘の物語があった。
 昭和44年、人気車種に欠陥が見つかったことから、会社存亡の危機に立たされたホンダは、20代の技術者を中心に「低公害エンジンプロジェクト」を立ち上げる。先発大企業の技術の「改良」を試みる若手に対し、独自技術の開発にこだわる社長・本田宗一郎氏。
 4年後、プロジェクトは、F1レースで培ってきた「ガソリンを徹底的に燃焼させる」技術を一般エンジンに持ち込み、全く新しい方法で低公害化を実現する。
 「これで世界一の自動車会社になる」と喜ぶ社長に、若手は「私たちは社会のためにやっているのだ」と反発した。この言葉を聞いた本田宗一郎氏は「自分の時代は終わった」と、まもなく社長の座を降りる。
 試行錯誤のエンジン開発の陰で繰り広げられた、名社長と若手技術者たちの世代を越えた心の交流を描く。

 出演:中嶋悟(F1ドライバー)/毬谷友子(女優)/渥美実(元本田技術研究所)


5 「執念が生んだ新幹線」〜老友90歳・飛行機が姿を変えた〜


 「東京〜大阪3時間への可能性」。昭和32年5月、国電の車内に張り出された講演会の吊り広告が、戦後日本最大のプロジェクト「新幹線」建造の道を開くことになった。
 この講演会は、国鉄鉄道技術研究所にいた旧陸海軍出身の技術者たちが中心となって企画したものであった。中心人物の一人、三木忠直は戦時中、爆撃機の設計を行っていた航空技術者。人の命を奪うための技術開発に心を痛めていた三木は、戦後「人の役に立つものを作りたい」と鉄道技術研究所に入所。
 「飛行機」の理論を「鉄道」に持ち込み「夢の超特急」を設計する。この計画は、当初国鉄内部では流線型の車体、振動を吸収する新型の台車、ATC(自動列車制御装置)…。旧陸海軍出身の技術者は次々に新しい技術を開発し、昭和38年、新幹線は世界最高速度256km/hを記録。新幹線は世界に日本の技術の高さを見せつけると同時に、欧米の鉄道界をも劇的に変えていく。
 戦争の負の記憶を心に秘めながら、戦後「新幹線」に第2の人生を賭けた技術者たちの姿を描く。

 出演:田中真一(元鉄道技術研究所)


6 「海底ロマン!深海6500mへの挑戦」〜潜水調査船・世界記録までの25年〜


 世界で唯一、6500mもの深海底を人間の目で見ることの出来る潜水調査船「しんかい6500」。深海には、いったいどんな鉱物資源があり、生物たちが息づいているのか…。
 “海の本当の姿を知りたい”。そのプロジェクトは、昭和39年、潜水艦の建造に長年携わってきた神戸の造船所の片隅から始まった。水温およそ1℃。光はまったく届かず、地上の650倍もの気圧がかかる暗黒の世界、深海。人が乗り込むキャビンの厚さが0.5mm狂っても、安全は保証できない。
その頃すでに、諸外国では着々と潜水船の研究が進んでいた。外国に全面に頼るのではなく、自分たちの手で国産の潜水船を作るんだという設計者たちの熱い思いが会社を動かし、そして国を動かしていく。海への夢と憧れを25年間抱き続け、未知なる極限の世界にかけた、技術者たちの挑戦を描く。

 出演:松本零士(漫画家)/山内満喜男(元潜水調査船テストパイロット)


7 「厳冬 黒四ダムに挑む」〜断崖絶壁の輸送作戦〜


 のべ1千万人が働き、巨大プロジェクトの代名詞といわれた「黒四ダム」。その難工事の最大の焦点は、断崖絶壁がそそり立つ秘境・黒部に60万トンにおよぶ資材をいかに運び上げるかだった。
 資材輸送の大動脈としては、長野県から山をくり抜き黒部に達する「大町トンネル(現・関電トンネル)」が計画された。しかし、最低1年かかるトンネルの完成を待っていては、7年の工期に間に合わない恐れがあった。
 ダムの本体工事を受注した間組は、壮大な輸送作戦を計画する。400人に及ぶ強力で人力輸送を始めるいっぽう、標高2700メートルの立山の尾根をブルドーザーで越える前代未聞の挑戦に乗り出した。さらにトンネルをダムの建設地点から迎え堀りをするために、零下20℃の黒部に5ヶ月間留まる越冬隊を組織した。
 指揮にあたったのは、「大まむし」の異名をとった筋金入りのダム屋・中村精。若者たちは、中村の号令の元に、全身全霊を込めて秘境・黒部に立ち向かっていった。
 電力が経済復興の鍵だった昭和30年代、黒四ダムの建設に挑んだ男たちのドラマを追う。

 出演:見城 徹(幻冬舎社長)/中村精(元間組・黒四ダム現場総監督)/岩井宰(元間組・ブルドーザー担当)


8 「翼はよみがえった 1」〜YS−11・日本初の国産旅客機〜


 零戦をはじめとする数々の戦闘機を開発し、航空王国と言われた日本。その伝統は、敗戦によって途絶えた。GHQによる航空機の生産・研究・実験の禁止は7年間続き、技術の伝承はもはや不可能と誰もが思っていた。
 戦後、神戸の職業安定所に並ぶ失業者の中に、英字新聞を片手に順番を待つ男がいた。土井武夫、47歳。戦闘機「飛燕」など、日本で最も多くの航空機の設計に関った技術者だった。日雇いまがいの仕事をしながらも、土井はもう一度空を飛ぶ夢を捨てきれなかった。
 それから10年。通産省は、昭和32年に日本人の手による旅客機開発をぶちあげ、プロジェクトチーム「輸送機設計研究協会(輸研)」を結成した。集まったのは、土井をはじめとする50歳を過ぎた「戦闘機」組と、飛行機に乗ったこともない20代の若き技術者だった。両者は、はったりまじりの完成模型(モックアップ)を作り上げ、頭から信用しなかった政府から予算を獲得していった。
 YS−11開発が緒に付いた昭和34年までを前編として描く。

 出演:松本零士(漫画家)/園田寛治(元輸研メンバー)/二木康夫(元輸研メンバー) 


9 「翼はよみがえった 2」〜YS−11・運命の初飛行〜


 完成模型(モックアップ)の完成後、本格的な設計に入ったYS−11。「戦闘機組」と若者の間に立って、実質的に設計を主導した男がいた。東條英機の次男で、新三菱重工の技術部次長だった東條輝雄だった。
 欧米とのギャップを熟知していた東條は、「輸研」の設計の誤りを正し、YS−11の試作機を完成させる。昭和37年、戦争から17年の空白の後、日本の翼が初めて空を飛んだ。
 しかし、試作機は横安定性などの問題を抱えていた。それを克服したのは、あえて東條の部下になり設計に協力し続けた土井武夫と、東條のもとで鍛えられていった若手技術者だった。
 昭和40年、ついにYS−11は就航。誰もが不可能と思っていた航空技術の伝承は果たされた。しかし、その伝統はそれ以降、途絶えたままになっている…。
 YS−11の成功と挫折を、後編として描く。

 出演:松本零士(漫画家)/園田寛治(元日航製社員)/鳥養鶴雄(元日航製社員)
posted by yasu463 at 23:54| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(3) | プロジェクトX | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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