○間下このみさんのプロフィール 間下このみ(ました このみ)
生年月日:1978年4月27日
出身地:東京都葛飾区
趣 味:音楽鑑賞。ライブを観に行くこと。映画鑑賞。テニス。
特 技:英会話。料理(愛玩動物飼養管理士の資格有)
1983年、4歳で子役としてデビューしたキッコーマンのCM「がんばれ玄さん」でブレイク。
1984年、ドラマ「
スクール☆ウォーズ」に出演
1986年、バラエティ番組「所さんのただものではない!」に出演。
その後は女優、写真作家として活躍。
2004年、11歳年上の男性と結婚。
2006年、妊娠をするが6ヵ月後に死産。
2006年、再び妊娠をするが「抗リン脂質抗体症候群」という難病にかかっていることが発覚。
2007年、長女・めのあちゃんを出産。
○スピリチュアル・チェック ・性格を一言で言うと
意外と心配性、気が小さい
・毎日欠かさずにすること
主人と夜に幸せを報告しあう
・海外でなぜか心惹かれる国
エジプト、日本の江戸時代
・怖いもの
注射 ・不思議な体験
娘を寝かせた後、誰もいない部屋で
おもちゃが鳴った
・印象に残っている夢
死産をした後、5歳くらいの男の子が頭を撫でながら「大丈夫だよ」と言ってくれる夢を見た
○必然 間下:前からここに出たい出たいと思ってて、ここに来ることが出来てよかったなと、すごく緊張してます。
国分:出たいというのは、メッセージをききたいなということですか?
間下:そうですね。子供を死産した後に、子供がどうなったかとか、舞い戻ってくれるのかとかを江原さんとかにお聞きしたくて。
でも、そのときはきいちゃいけないのかなと。子供もできて、やっとひと段落着いたので、ここに来ることができた。
必然。かな? なんて思ってます。
国分:さすがですね。よく見てますね。
○死産 26歳のとき、仕事で知り合った11歳年上の一般人男性と結婚。
そして、妊娠。しかし、喜びもつかの間でした。
安定期に入った、6ヶ月で死産。新しい命がこの世に誕生することは無かったのです。
妊娠後は順調に5ヶ月目の安定期に入って安心していたが、ある日胎動を感じなくなった。
医者へ行ったらエコーで診断し「既に亡くなっています」と言われた。
「えっ何で」というのと、
赤ちゃんにごめんなさいという罪悪感みたいなものが胸の中に一杯になって、もう、泣く涙が止まらなかったです。
陣痛促進剤を打って、普通の出産と同じように産んだ。
実際、産んでみたら280グラムだったんですけれど。
自分の子供をこの世に出してあげたいという気持ちが大きかったので、早く産んであげたいという気持ちで、陣痛は乗り越えられたんですけれど。
見てみたら綺麗な赤ちゃんで、涙が出るというよりは、うれしくて泣いちゃって主人といっしょに笑って見てましたね。
その後は落ち込んで、家の中に閉じこもっていた。
どうして私だけ、という思いから、全然、関係ない人を恨んでしまうこともあった。
ある日、
インターネットをしていたら「毎日、お空の赤ちゃんはあなたのことを見ています。
泣いているのが、赤ちゃんも悲しくて、なんとかよろこばせようとしあわせを運んで来てます。
でも、赤ちゃんて、体が小さいからちっちゃなしあわせしか運べません。そのしあわせに、あなたは気づいてあげていますか?」という文章を見つけた。
それを見た時に、ハッとしたんです。泣いているのは自分のエゴだと思った。
息子のためでもなんでもなく、自分のために泣いてたんだって。
息子も、母親が泣いているのはいやだろうとなんとか元気にならなくちゃっていうところからそういう風になれたんですね。
それで、主人が帰ってきたところにそのブログのことを言ったら、「じゃあ。ちっちゃなしあわせって気づくことができないから、寝る前に報告会をしょうよ。」って主人から提案がありました。
ほんとに、「今日、それが綺麗でした。」とか、「ケーキが欲しかった」とか、「朝の占いがよかった」とか、くだらないことなんですけれど、そいういことを少しずつ集めていく中でなんとかこう立ち直ることができたんだと思います。
しあわせを確かめるということは、本当に大事なことですよね。 と美輪さん。
自分は、本当はしあわせなのに、不平不満の方ばかり今の人たちはみているんですよ。
それで、しあわせを見ようともしない。
それで、しあわせの方を見ようともしないの。
どうしたの、こっちの方も見なさいというけれど、こっちの方ばかり見ちゃってうなだれて、ぶつくさ。
攻撃的でね、誰かをやっつけてやろうって、なにか怒る必要があるのかってぐらいに現代の人はイライラしてるの。
だからね、世の中、プラスの方とマイナスの方があるでしょう。
だったら、マイナスの方を見らずにプラスの方を見ればいいじゃない。
数え上げれば、不幸の数以上にしあわせの数がたくさんあるんですよ。
だから、それに気づかないのを気づきましょうという運動をなさっているのは素晴らしいことですよ。
○夢(5歳の子に頭をなでらた) ちょうど、電柱がありましてそこに七三分けの顔が丸顔の子供がいまして、そこによって行ったら。
ちっさいのに、私の頭に手を伸ばして、「大丈夫だよ」って言ってくれた。
その後、すごーく心があったかくなったんで、
ああ、もしかしたら息子かもしれないって、私は信じてます。
国分:これは、もしかしたら。
江原:のちほど。
○原因不明の難病「抗リン脂質抗体症候群」が発覚。 2006年8月もう一度、妊娠しました。
しかし、血液検査の結果、ある病気が判明したのです。
原因不明の病気で、「抗リン脂質抗体症候群」
血管の中で血が詰まりやすくなり、心筋梗塞や脳梗塞などを引き起こす病気です。
医師:普通は、心筋梗塞などですと、ご高齢の方に起こりやすい病気ですが、若い方でも、この病気を持っている方には起こす可能性があります。
それで、
妊婦さんにとっては、胎盤の血管が詰まることで、流産や死産になったりとか、赤ちゃんが小さく産まれたりとかする可能性があります。
何と、間下さんだけでなく、間下さんの赤ちゃんにも関わる病気だったのです。
「抗リン脂質抗体症候群」というのは、自覚症状はありません。
妊娠2ヶ月目でわかりましたが、私は、本当にたまたまラッキーだったんですけれど。
最初の妊婦検診をしたら、ちょっと血小板の数が少ないので、「僕、気になるからもう一度詳しい検査をさせてもらえないか」って初めて行った初めてのお医者さんが言ってくれたので、もう二回目ですから何でもして下さいって。
検査してもらったら、「抗リン脂質抗体症候群」という病気が見つかりました。
美輪:それは、生まれつきの人と食事や何かが偏ったり?
間下:今、難病に指定されているんですけれど、何でそうなるのかはわからなくて。
前回も、それが原因で亡くなっちゃったんじゃないかということで、また、子供殺しちゃうかもしれない私って思いました。
私が、こんな体じゃなければ、元気に生まれて来れる子なのに、私の体のせいで、また殺しちゃうかもしれないと思いました。
国分:その中で、産もうと思った。
間下:気づいたらお腹の中にいたので、やれることをやっていくしかないとおもったので、一番いいといわれている治療法を調べたりして、一番いい方法を見つけるように努力しました。
血液を
サラサラにする注射を5ヶ月間毎日打った。
確証もない方法だったので医者から止められたが、後悔はしたくなかった。
注射は小さい頃から怖かった。
テレビに注射が映るだけで、気持ち悪くなっていた。
それでも毎日注射を打ったので、母になるのは強いと思う。
自分でも不思議なくらい強くなっていた。
もともと強くていらっしゃるんですよね。 と美輪さん。
いつも身の保険のためにいつも最悪のことを考えているから。 と江原さん。
最悪のことをしておいてがんばろうみたいな。
それと、切り替えがはやくて素直だから、言葉は悪いかもしれませんが、いい意味での単純さをもっているんです。
もともと、ポジティブでね。
だからね。石橋の上をたたきまくる方なのよ。 と美輪さん。
いろいろ見ていくと、子役のときから、いろんな困難、苦労があったんですね。
だけど、その都度、切り替え上手なんですよね。
周りの大人たちの、こう考えるんだよ、こういう風にがんばればとかを素直に受けて、だから長々引きずらなかったでしょう。と江原さん。
本当だったら亡くなっていておかしくない、と江原さん。
母体も危なかった。
いただいたの、命をね。
自分の命は全く考えていなかった、と間下さん。
子供の命を助けたかった。
主人がいなければ乗り越えることができなかった、と間下さん。
足に血栓ができるので毎日30分、多い時で2時間
マッサージをしてくれた。
○出産 今度こそ、無事に赤ちゃんを産みたい。
間下さんと家族の戦いの日々が始まる。
間下さんご主人が赤ちゃんが出産するまで、毎日つけていた日記があります。
『夜遅くに帰宅の途に変えるコールをすると、やはり体調がすぐれないのんちゃん。昨晩は、ほとんど眠っていなかった。体の各部を指圧、マッサージ。 だいぶん、体調が戻ってきた。まだ、熱があるものの今日は眠れるかもしれない。毎晩、寝る前に、ぴよちゃんが生きているか確認する。毎朝、起きたときに、のんちゃんが生きているか確認する。そんな日も、あと何日だろう。』
そして、2007年3月16日午後2時57分。
『なんだろう、自分でもわからない、もう声にならない声で泣いていた。看護婦さんが言った、「女の子ですよ。」 その時赤ちゃんが泣き出した。 それを見て、僕は笑顔で泣いていた。』
体重2155グラムの赤ちゃんは、「めのあ」と名付けられたのです。
9ヶ月目36週で体のことを考え、全身麻酔、帝王切開で出産。
初めて赤ちゃんを見たときはうれしかったが、ほっとした気持ちの方が大きかった。
生まれて来てくれてありがとう、と伝えた。
女の人の一生は大変、と美輪さん。
男にはその思いが分からない。
主人は何もできない歯痒さが辛かったと思う。
みんなにこの病気を知ってほしくて、わかったときに
メディアに発表したんですけれど、そのときにたくさんのメールをいただいたんですね。
そういう方の力も手助けしてくれたし、いっしょに戦ってくれたんだと思います。
普通に生まれることが、幸いと奇跡っていう方もわすれちゃいけませんね。だから、逆に普通に生まれて当たり前だと思っちゃダメだということ。と江原さん。
育児に疲れている人は、その子がどれだけの奇跡の積み重ねで存在しているのかを理解すること。
生きていることだけでも大変な確率、と美輪さん。
人生相談で「私の人生は一体何だったのか」という相談がたくさんある。
危険だらけ、病気だらけの世の中で生き抜くのは大変な技術。
至難な世の中の生きてきて、ご立派なもんですよと私はそう言うの。
それとね、病気を世の中の方は悪にとらえる方が多いんですよね。と江原さん。
病気になることもあるが、それをどうやって肥やしにしていくか。
それを理解すると、病気の人を見る目も変わる。
明日はわが身、と美輪さん。
病気を忌み嫌うのは、うつるのではないか、変な因縁を背負っているのではないか、という偏見。
自分が病気になった場合のことを考えること。
感情的に病気を捉えるのではなく、冷静に分析していけば、忌み嫌う必要は無い。
○試練の意味 すべての答えの大きなテーマは、美輪さんがおっしゃった一言なんです。
「女の一生って大変ね。」っていう一言なんです。と江原さん。
女性に対する偏見と闘いたい、という部分が魂の中にある。
偏見や差別に対する役目を持っている。
スピリチュアル・チェックの不思議な体験でおもちゃを鳴らした存在と、夢の中の少年は同一人物、と江原さん。
間下さんが生むことができなかった子供。
お腹の中に入っていたが、生まれることができないことを前提で来ている。
間下さんの病気を伝えるためなの。
死産が無ければ詳しく調べたり、医者も詳細に検査をしなかった。
子供は役割を果たしている。
病気から目を離してはいけない、とその子は言っている。
きちんと薬を飲み、検査も継続すること。
自分を管理するのも親の役割。
これからが大変、と美輪さん。
子供を育てるのには責任がある。
悪運が強い、と美輪さん。
もうダメだと思うと、どこかから助けが入る。
今の子供も医者との
出会いが無ければ、病気が分からなかった。
その医者の父親は、間下さんが生まれた時にいた先生だった。
間下さんのお母さんの出産の立会いをしていた。
その人の息子さんが間下さんの病気を発見した。
今までの人生を思い出すと奇跡的な運の強さがたくさん
重なって今に来ている、と美輪さん。
★スピリチュアル・メッセージ★ 亡くなった赤ちゃんは、あなたが気付かなかった病と命の奇跡を教えてくれました。
今度はあなたが世にそれを伝え、多くの命を救うこと、それがあなたの役目です。★オーラの言葉★ 世の中は、危険だらけで病気だらけ。
生きているだけで、すごい事。
人は生き抜くことに価値がある。★「オーラな出来事」 「九死に一生!?リスナーに救われたDJ」。 2007年7月9日、ラジオを聴いていたリスナーがDJの命を救った。
そのリスナーは、耳元で「助けに行け!」という神の声が聞こえた。
○スワップ・ショップ アメリカ合衆国ノースカロライナ州シェルビーのローカルラジオ局。
5/26(土)の三連休の初日、ラジオDJのティム・ビガースタッフさんは一人で出勤していた。
午前9時、ラジオ「スワップ・ショップ」のオンエアが始まった。
この番組は、リスナー同士が物を交換する番組。
いつもと変わらない声が流れ始めたが、しばらくすると、街の住人で番組のファンのリスナーがラジオのスイッチを入れると、うめき声のような音が聞こえた。
そのリスナーは、DJの身に何かがあったとピンときた瞬間、耳元で「助けに行け!」という神の声が聞こえた。
リスナーは急いでラジオ局へ向かったところ、ティムさんが床に倒れているのを発見。意識不明の重態だった。
病院に運ばれたティムさんは意識を回復し、一命を取り留めた。
ティムさんが倒れた後、次の職員が出勤するまでには2時間半。
もしリスナーの助けが無かったら間違いなく亡くなっていた、と医者は言っている。
ティムさんは8歳から若年性糖尿病を患っていた。
オンエア中に突然、その発作が起きて意識を失った。
○4年前 ティムさんがリスナーに命を救われたのはこれが初めてではなく、4年前にも助けられたことがある。
4年前、番組でティムさんは自分の体が腎臓移植を必要としていることを告白。
その時、放送を聞いていた別のリスナーも「お前が腰を上げなくてはいけない」神の声を聞き、ラジオ局に電話をし、腎臓の提供を申し
入れた。
ティムさんは最初は断っていたが、リスナーは片道2時間半の病院へ検査に通い、担当医からOKのサインをもらって来ていた。
その意志の強さに胸を打たれ、2004年5月に腎臓移植手術が行われ、無事成功した。
○美輪明宏さんの見解 あの村は地球上でも珍しいユートピア(別世界)だと思う。
神様の声は、自分の良心の声を神の声として聞く場合もあるし、実際に聞こえる場合もある。
○江原啓之さんの見解 無償の愛を表現する役割、役目があった。
神様の声を聞いた場合は、動かない訳にいかない場合がある。
マザー・テレサが活動をしたのはある時、汽車の中で「修道院を出て貧しい者の中で働きなさい」という神の声を聞いたから。
ナイチンゲールはある日、庭で「役に立ちなさい」という天の声を聞いている。
彼女には婚約者もいて何年も苦しんだが、縁談を断り、家から勘当され、今の病院のシステムを作り上げた。
神の声を確実に聞いた者は、そうせざるを得ない。
○江原啓之さんの悩み 江原啓之さんは今、週刊誌に色々と書かれている。
しかし、週刊誌は売れなくなると、無いことからネタを作り上げて記事にしている。
美輪明宏さんは長く芸能界にいるのでその手口は分かっているが、江原さんは世間にすれていないため、社会的な波風が立つと困惑してしまう。